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中央市の養蚕家

中央市最後の養蚕家中込文義さんの仕事を紹介

2016年4月23日 (土)

シルクの里豊富最後の養蚕家の命日

Photoこんにちは、まゆこです。

Dscf5517 昨年のきょう4月23日、中央市の最後の養蚕家であった中込文義さんが、85歳でこの世を去りました。

文義さんには、お亡くなりになるまでの2年間で3回の養蚕期間を取材させていただき、作業の実際を教えていただきました。

 

文義さんとの出会いは、まゆこがこの豊富郷土資料館に来てから、最初に出会った宝であり、同時に、今後自分のやっていくべき仕事への指針を与えてくれました。

去年の今日、突然の訃報を聞き、愕然とし、とても悲しみました。

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あれから一年がたってしまいました。

悲しんだり、惜しんだりばかりではいられません。

Dsc_0271豊富をシルクの里と言わしめた先人たちの誇り高き生き様を、生き証人として語り継いでこられた中込文義さん。

Dsc_0829その意志を資料館で引き継いでいけたらと思います。

そして、とし平成28年6月18日から「シルクの里豊富と最後の養蚕家」という企画展を開催します。

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豊富地区は昭和30年代後半から全国に先駆けて近代化された大規模養蚕を行い全国に名を知られるようになりました。

そして、最も栄光を得た昭和50年代を経て、平成26年の文義さんの死によって閉じられた豊富の養蚕の歴史を、中込文義さんが養蚕家として生きた時代と重ね合わせてご紹介したいと考えています。

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正直、「わたしにできるかなぁ」撮りためた写真を整理しながら、文義さんに問いかける毎日です。

まゆこ

2015年5月 9日 (土)

新緑が目にまぶしい桑園にもう文義さんの姿はなく

Photoこんにちは、まゆこです。
Dsc_1929←玉穂地区にある桑園
ゴールデンウィーク最終日の6日、中央市最後の養蚕農家であった中込文義さんの桑園を見に行きました。

春の日差しを受けて、柔らかな一ノ瀬桑の新芽がきらきらと目にまぶしかったです。

文義さんが丹精して育てたこのすばらしい桑の葉を、ことしも春蚕たちにお腹いっぱい食べさせてやりたい!心からそう思いました。

Dsc_0270←H26の春蚕飼育の様子
しかし、ことしの春からは、この桑園の葉が蚕たちに与えられることはなくなりました。

中込文義さんが平成27423日に急逝されたからです。85歳でいらっしゃいました。

ショックが大きすぎて、2週間以上たった現在でも現実として受け止められず、ボヤーッとしたままのまゆこです。

Dsc_1930←玉穂地区にある桑園

ことし資料館で春蚕の飼育をはじめるのは、528~の予定となりましたが、きっとその作業の途中で、文義さんに教えていただいたたくさんのことを一つ一つ思いだし、ふつふつと悲しみが湧きがってくるような気がします。

文義さんには平成25年の春から、豊富の養蚕について、実際の作業を見せていただきながら、本当にたくさんのことを教えていただきました。

たいへんな作業の数々を一人で正確に黙々とこなしていかれる姿に、取材の度に毎回、尊敬の念を抱くばかりでした。

 今年度は桑園の手入れや桑木の剪定時期や方法などを重点的に教えていただきたいと思っていました。

 2月にお会いした時もとても元気で「ことしの春蚕もやるよ!」と力強くおっしゃっておられたのに・・・。

 85歳というご高齢にもかかわらず、養蚕にかける情熱の衰える様子が微塵もない文義さんに、このような時が突然にやってくるなど、想像もつかなかったのです。

 文義さんには、深く深く感謝してお礼を言って、最期のお別れをしてきました。

 ご家族の皆さまには、一日も早く心穏やかに暮らせますようお祈りいたしております。

Dsc_1932 ← 豊富地区にある蚕室と桑園

これで、中央市の養蚕・シルクの里豊富地区の養蚕の歴史は幕を閉じました。

山梨県中央市内に生業としての養蚕がなくなっても、お蚕そのものは資料館で細々と少量ずつ人工飼料でも飼い続けることができますが、桑園の景観を今後保存していくことは難しいでしょうね。

 立派な桑畑の写真を撮りながら、ここで桑切り作業していた文義さんの姿とその時のハサミの音を思い出し、何ともやりきれないさみしい気持ちになりました。

Dsc_0838 じっと待っていれば、切った桑枝の束を肩に担いだ文義さんが、そのうち木々の間からぬうっと現れるのではないかと期待してしまいます。

←H26晩秋、桑きりをする文義さん

 毎春と変わらず素晴らしい葉をたくさんつけた桑の木たちも、きっと、まゆこと同じく、今か今かと文義さんの現れるのを待っているのではないかと思い、「文義さんはもうここにはこないよ」と木々たちに言うのが怖くなって、逃げるように桑園を後にしたまゆこです。

 しかし、この地をシルクの里と言わしめた先人たちの誇り高き生き様を語り継ぐという、資料館の仕事の重要性も、生き証人であった中込文義さんが亡くなられたいま、痛感しています。

まゆこ

2014年9月24日 (水)

中込さんの桑切り作業

Photoこんにちは、まゆこです。

 秋の夕暮、山梨県中央市玉穂地区極楽寺の静かな田んぼ道を歩いていると、「ザッザッ、パチンパチン、ザッザッ、パチンパチン」と何だか小気味良い音がリズミカルに聞こえてきました。

音のする方に顔をむけてみると、わぁ~桑畑! 

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 ここは豊富地区山宮に住む中央市最後の養蚕家中込文義さんの桑園の一つです。

 ちょうど文義さんの軽トラックが置いてあり作業中でしたので、しばらく作業を見学することにしました。そのうち、「ザッザッ」という音は文義さんが切る枝を2本引き寄せている音、「パチンパチン」は2本の枝を剪定ばさみで切っている音だということがわかってきました。

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 次に、ある程度木の枝が集まると、「ガサッ」という音とともに、こんもりとした桑葉の固まりが桑の木の間から見え隠れしながらゆっくり動いていくのが見えます。

 そして、桑園の脇に停めてある軽トラックのところで待っていると、文義さんがたくさんの桑枝を肩に担ぎ上げて木々の間から現れます。

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 この桑園は昭和42,3年頃に水田を潰して「一ノ瀬」の苗を植えたもので、当時は、水田よりも桑畑にして蚕を育てたほうが耕地面積当たりの利益率が高かったのだそうです。

 玉穂地区に桑園を持ったことによって文義さん曰く、「ここは平地で作業は楽だし、車を桑園に横付けできるし、何よりも盆地の底にあたる玉穂は水が豊富で、山の斜面につくった桑畑が降雨不足で灼けてしまってもここの桑は大丈夫!近くに農薬をかける果樹園はないしね。」とのことでした。

 他に2か所の桑園をもつ文義さんは、果樹などに使う強い殺虫剤がかからないように、山の奥の方にも桑園を持つなどの工夫をしているそうです。

 5齢の時は、1日に2回、1回の桑切りに2時間半かけて軽トラックの荷台いっぱいの桑枝を切るそうです。

 

 

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お邪魔したのはこの日2回目の午後の桑切り真っ最中の時でした。

 「3齢と4齢の初期には、細い枝を切ってゆき、葉をちぎってやるなど、それぞれの成長に合わせたやり方をするのだが、5齢になるとよく伸びた太い枝を飼育かごの長さに合わせてバッサバッサと切ってゆくのだ」とまゆこに教えてくれた文義さんです。

 文義さんはこの日の昼食後、まず飼育場の蚕に朝切っておいた桑枝を与え、その足で玉穂の桑園にやってきて2時間半の桑切り作業を行っているとのことでしたが、心配になるくらいひと時も休まず作業続けています。

 桑畑に規則正しいリズムを刻みながら響いてくる「ザッザッ、パチンパチン、ザッザッ、パチンパチン」という音が、文義さんのその動きを教えてくれます。

 朝からずっとこんな重労働を一人でこなすなんてすごいなぁ。なんだか自分がたいへんな怠け者に思えてきます。

 

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 秋の透き通った夕暮れの空気の中で思わずこの音に聴き惚れていたら、もう4時半になっていて、明朝に与える荷台満載の桑枝とともに文義さんは飼育場に戻る時間です。

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 「ではまた~、いろいろ教えてくださいね!」と田圃道でひとり手を振るまゆこに向かって、「いまから一緒に温泉行くけ!」と一応ナンパしてみてくれた、とても心やさしい84歳の中込文義さんです。(笑)

 

まゆこ

2014年6月27日 (金)

中込さんの収繭作業とそのお悩み

こんにちは、まゆこです。

Dsc_0400中込家の平成26年春蚕の収繭は、6月19日(木)に行われました。

Dsc_0394現在、文義さんは、収繭を回転蔟からの繭掻きと毛羽取りを同時にしてくれる「大森式全自動収繭毛羽取機・まゆエース」で行っています残念ながらこの「まゆエース」稼働中の取材には間に合いませんでした。ざんね~ん↘

Dsc_0403_2選繭中ですこの後そのまま、繭は蒸れないように飼育カゴの中に広げて置かれ、出荷日(翌日20日)の朝に油単(ゆたん)に詰めます。

153kg_2計量の仕方をまゆこに教えてくれる文義さん。 

15.3㎏を一つの油単に詰めるそうです。

 そしてJAふえふきの職員さんが、担当する中込さんも含まれる地域の繭(4件分)を集めて、直接長野県下諏訪にある松沢製糸に持っていくのだそうです。 松沢製糸で乾繭され、倉庫に貯蔵された繭は、山梨県の甲斐絹座(富士北麓地域の織物職人によって構成された組合)の発注する量だけが製糸され、織物職人のもとへ送られるという流れになっています。JAふえふき久保田さんのお話

選繭中の文義さんにここで質問!

まゆこ「今年の春蚕の出来はどうですかねぇ」

文義さん「う~ん、出荷の朝の計量が終わらんとわからんなぁ。油単がいくつできるかっちゅうわけだ」

まゆこ「そうなんだ~。でも手ごたえはどうですか?」

文義さん「まぁ、今回はいつもよりちょっとばかし『ごろ(通称ゴロツキ)』が多かったかなぁ。水分の多い玉穂(地区)の桑ばかりやったから、やっぱりまずかっただぁ

まゆこ「へぇ~、(甲府盆地の底に当たる)玉穂の桑はすごく葉が大きいし、みずみずしくて柔らかそうだったのに?!ダメなのぉ~?」

文義さん「一見良さそうだけんども~、豊富地区の丘陵地の乾燥したようなところで育った桑もたんとやらんと、いい繭はできんようの気がするどぉ」

 中込さんの言う蚕の「ごろ」とは、通称ゴロツキとよばれる「不結繭蚕」のことで、普通に上族して健康に見えても繭をつくらず幼虫のまま死んでしまう蚕のことをいいます。養蚕家にとっては非常に不経済なのですが、遺伝的なものの他に、病気や農薬汚染桑を食したことなどが理由として考えられるそうです。今回のゴロツキの発生の原因は定かではありませんが、文義さんの考えている反省点とすれば、「桑切りには骨が折れるが、山の斜面にある豊富地区の桑園のものを頑張って多く与えておけば、もっといい繭がたくさん作れたのになぁ」というものでした。60年以上もの間続けている養蚕でも、毎年毎年、反省点があるそうです。

 

 それと、まゆこは中込さんから悩み事を一つききました。それは、繭の毛羽取りがうまくできなくなってきたというものです。中込さんが使用しているのは、「大森式全自動収繭毛羽取機・まゆエース(A-2型)」ですが、その毛羽取り機能を担う部品が劣化してきているようなのです。

Dsc_0392養蚕の未来について話す文義さん。
 しかし、日本国中の養蚕業そのものの衰退により、十年ほど前から回転蔟、自動収繭毛羽取り機などの養蚕用資材が製造供給されなくなっています。日本中どこをさがしても、文義さんいわく、「どこにも売っていんし、修理してくれる人もおらんし、困ってるだぁ」という状態なのです。 この養蚕業の死活問題を解消しようと、現在一番多くの養蚕家が存在する群馬県では、中古養蚕資材のリサイクル供給体制を整備しようという取り組みがはじまったようなのですが・・・。 山梨県ではどうしたらよいのでしょう? 中央市内のどなたかのお家に、不要になったまだ使用できる収繭毛羽取り機(まゆエース)は眠っていないでしょうか?

 まゆこは「養蚕をやり続けたいけれども、できなくなるという現状がある」ということをはじめて知りました。

 いま注目されている日本の近代化を支えた絹産業遺産。でも、その絹産業を支えてきた養蚕農家は今現在も少数ですが全国に生き残っています。(全国で571戸、山梨県で24戸・大日本蚕糸会シルクレポート平成25年度都道府県別養蚕農家戸数による

 「まゆエース」に関して、何か良い情報がありましたら、お知らせ願いたいです♪

Photoよろしくおねがいします!
 まゆこ

2014年6月14日 (土)

中込さんの上族作業②(回転蔟への振り込み)

こんにちは、まゆこです。

 今回は前の記事でレポートした、中込文義さんの上蔟作業のつづきをお伝えします。

Photo_6H26年6月11日朝8時

 具体的には、条払い後に収集した熟蚕をどのようにして回転蔟へたける(甲州弁)か?という場面です。甲州弁で「ひきたおぼこさんを回転蔟にたける」というのは、養蚕指南書などの一般的な言い方にすると、「熟蚕を回転蔟に振り込む」となります。

では、実際に文義さんが、ひきたおぼこさんを回転蔟にたけるところを見ていただきましょう♪

まず条払いして集めてきた蚕は、乾燥と消毒の目的で石灰をかけられます(前回の記事参照)。

その後、文義さんは両手の勘で蚕の量をはかりながら、細長い蚕の固まりをシート上につくります。次に10個組に固定された回転蔟を蚕の固まりに接近して平行に置くという作業を繰り返していくのです。「蚕の固まりづくり→回転蔟置く→蚕の固まりづくり」といった要領です。そのうちに、間に蚕がどっさり入った蔟の列ができあがります。

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計量せずとも文義さんの手秤は正確ですので、迷いなくどんどん適量の蚕を蔟横に置いていきます。

            ↓

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蚕の畝ができたら、新たな回転蔟を蚕に接近させて置いていきます。

            ↓

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蔟をおいたら、また蚕の畝作り。

          ↓

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蔟と蔟の間には蚕がいっぱい!

          ↓

Photo_12

途中何度も、集めた蚕を条払い機のところへ取りに行く文義さん。 

              ↓

1066個の飼育カゴのうち半分の33個が終了したあたりで、ちょうど10時の休憩となりました。養蚕仕事のクライマックスである上蔟作業が予定通り午前中で終えられる見通しがついて、満足げな文義さんです。(作業開始直後はちょっと厳しい顔でピリピリした感じだったんですっ!)

  次の日の朝早く、出勤前の息子さんに手伝ってもらって、蚕が上った回転蔟を吊るすそうです。

文義さん「たいへん写真をとるじゃん!」

まゆこ「ブログにいっぱいのせるから、文義さんと一緒に養蚕したいっていう人が  現れるかもしんないよ!」

文義さん「はっはっはっ、もうそろそろいいかぁ~(文義さんは三年程前に一緒に養蚕作業をしていた奥さんを亡くされています)。ふんじゃぁ、いい見合い写真でも撮ってくりょ!」

まゆこ「じゃぁ、遠慮なくっ♪」

 本当は上蔟作業の日に養蚕農家さんを見学させてもらえるなんて、ありえないことです

 上蔟作業は時間との戦いで、そのタイミングを逃さずに一気に同時期に飼育しはじめたすべての蚕を蔟にふりいれて、繭をつくることのできる環境を与えてやらなければなりません。また条払いして集めた熟蚕を長時間堆積しておくと、繭中で死亡する蚕が多くなり、繭質も下がってしまいます。とにかく作業自体も迅速に行わなければならないのです。

 どの養蚕関係者にきいても、「上蔟の日に養蚕農家をみせてくれっていったら、怒鳴られるぞ!」と忠告を受けていました。

 ですから、シルクの里とよとみ最後の養蚕家の仕事を少しでも記録に残していきたいという、まゆこの希望を受け入れてくださった中込さんには、感謝してもしきれないほどの気持ちでいっぱいです。

 だのに、あつかましいまゆこは「文義さん、今度は収繭作業をみせてね」とお願いして帰ってきました。「すみません、許してください。これからもよろしくお願いします、文義さん!!」

Photo_13まゆこ

 

中込さんの上蔟作業①(条払い)

こんにちは、まゆこです。

 平成26611日(水)午前8時から、中込家の春蚕上蔟作業がはじまりました。

 この日は中込さん一人では無理なので、二人のお手伝いを頼み午前中のうちに作業を終わらせてしまいます。

 約9万粒の蚕種からふ化した蚕は、どのくらいの数が5齢上蔟まで無事に育ったのでしょうか?

 最終的に中込家では66個の飼育かごに分かれて入っています。お蚕を回転蔟にたける(甲州弁で付ける?のせる?という意味)作業はまず、二人のお手伝いさんが飼育カゴごとに蚕を取りだして集めることからはじまりました。この作業のことを条払(じょうばら)いといいます。条払いの時期はひきた蚕(熟蚕じゅくさん)が全体の30%程度発生した時を見計らって行うそうです。

Photo_5条払い機に桑枝ごと蚕を乗せる。

上蔟用の蚕網ごと飼育かごから取り出し、条払い機(じょうばらいき)の台に網をひっくり返して、蚕がくっついている桑枝をのせます。

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 電動スイッチをオンにすると、網目になっている台が上下にけっこう激しく揺すられて、蚕のみ下に落ちる仕組みになっているのです。

 ひきた蚕を一頭一頭、手で拾って蔟に移していた時代から考えたらすごいことですね。 

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 一カゴずつ枝から落とされ、集められた蚕は中込さんが一輪車で回転蔟の置いてある場所まで運んでいきます。

Photo_2そして消毒と乾燥の為に蚕たちに石灰をふりかけました。

 さあ次はどのような手法で、回転蔟に蚕たちをたけるのでしょうか? この作業には、旧豊富村内でも各家で微妙にやり方に違いがあるらしく、まゆこのいままでの聞き取り調査でも様々でした。実際に中込家で行っている方法どのようなものか、つづきは次の記事で詳しくお伝えします!

Dsc_036726613日昼、資料館の蚕の営巣状況

 

 資料館のお蚕さんたちは、もうほとんどが繭をつくりました。もう真っ白で中にいる蚕の姿が見えなくなってしまったものが半数以上です。

 が、まだ本日(H26614日朝現在)、まだ5粒のまゆがスケルトンでご覧になれます!!

  

 しかも、本日と明日(H26614()15日(日))は企画展「中央市の災害」の開催に合わせ、展示解説日としてどなた様も入館無料なのです!

  

 みんな~、道の駅とよとみで行われているとうもろこしの祭典「スウィートコーン収穫祭2014」とあわせて、山梨県の中央市豊富郷土資料館にきてね~♪

 

Photoまゆこ

 

2014年6月11日 (水)

中込家蚕室へ子供たちの見学とTV取材

こんにちは、まゆこです。

Dsc_028926年63日 子供たちに養蚕家の仕事を説明する中込さん。

 今日の中込さんは一人で大忙しです。南アルプス市から、1500頭ものおかいこを飼っているという小学校が見学にきました。

Dsc_0294取材を受ける中込さん。
 

 

 その他テレビ局の人もシルクの里とよとみ最後の養蚕家を取材したいと訪れていましたから、たいへんです。 

Dsc_0305取材の要望に応え、中込さんは強い日差しの下ですが桑刈りの様子を実演しています。

 水田地帯にある玉穂地区の桑がいちばんよく育っているよい桑なのだそうですが、カメラマンさんが撮影しやいように蚕室横の畑のものを切ることになりました。

 

 お蚕さんたちもいまは5齢でものすごい食欲です。あと少しで上蔟(じょうぞく)になりますが、ここのところの雨続きで桑切り作業もたいへんなのです。水にぬれた桑枝の束がいつもより重くなるからです。

 

ある日の夕方蚕室を訪問すると、中込さんがずぶぬれになって大量の桑枝を軽トラックから降ろして蚕室に積みあげているところでした。とても大きくて立派な桑は玉穂地区の桑園のもので、雨に濡れていることもあり一束がずっしりと重かったです。

 中込さんは「いい桑どー」と誇らしげでしたが、一人で日に2回もこの作業をこなす中込さんのことを、心から尊敬しているまゆこです♪Dsc_0306_2顔が隠れるほど大量の桑枝を担いで蚕室に運び込む中込さん。とても84歳とは思えません。

Dsc_032026610日 資料館のお蚕さん

実はつぎの日(6月11日)に上蔟(じょうぞく)しました。そのレポートは次回にしますねっ!

Photo
まゆこ

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年9月22日 (日)

養蚕家を訪問

 こんにちは、まゆこです♪

 きょうは、山梨県中央市豊富地区の養蚕家中込さんの飼育場に見学者があるというので、まゆ子も便乗して、一緒に見せていただくことにしました。

 豊富郷土資料館で飼育しているおかいこさんは、この中込さんから分けていただいたものです。

 Dsc_1277_2昭和57年に建設した中込家の飼育場は、近代的です。作業のほとんどが機械化され、ボタン一つでいろいろなことができます。4段もある飼育かごは、ベルトコンベアーで回転し、人間の立ち位置を変えずに、ラクラク給桑できるようになっています。

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 ひとつひとつの飼育かごの底はパカッと2つに割れて開く仕組みになっており、ボタン一つで飼育かご内の清掃ができるようにもなっています。

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 見学者に、まゆをつくらせる装置(回転マブシ)の設置方法を説明してくださる中込さん。

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 見学者の、「どうして83歳になった今も、一人で養蚕を続けているのですか?」という質問に、

中込さんいわく、「昭和の終わりに、安く大量に輸入されはじめた中国産のまゆに押され、どんどんまわりの衆は養蚕をやめてしまった。 自分は中国のまゆに対抗するためには何が必要かと考えた結果、いち早く機械導入をし、作業の省力化をしたおかげで、いまこの年になっても一人で養蚕を続けることができている。山梨では、養蚕をやめてブドウやモモなどの果樹に転換した人が多いが、消毒代や袋かけの材料費や手間などが大変だし、天候にもかなり左右される。その点、機械化された養蚕は、人件費は抑えられるし、まゆの販売先は吉田の組合(山梨県郡内地方で甲斐絹を生産している)に決まっているので、損がない。 なんで皆、やめちゃったんだろうなぁ。 豊富では700軒もの養蚕農家があって、16億の利益を上げていた時があっただよ・・・・・」

 ここで、もと養蚕組合長であったという中込さんの語り口は、淋しいトーンに。

 Dsc_1260
 かつてブランド繭といわれ、品質の優れた豊富の繭を生産してきたという意地と誇りが、養蚕を続ける中込さんの原動力なのでしょうか? 合併して中央市となる前の旧豊富村は、昭和34年~昭和56年の22年間、全国の市町村で繭の生産量が最多でした。 

 現在(平成24年度大日本蚕糸会調査)、山梨県の養蚕農家戸数は、24軒です。そのうち、豊富郷土資料館が把握している中央市の養蚕農家は2軒1軒です(平成25年9月26日現在調べ)。 中込さんによると、平成5,6年くらいに急激に養蚕農家は減ったそうです。

 いま、山梨県中央市では、養蚕の最後の最期のともし火が、この83歳の中込さんによって守られています。

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飼育場隣は、桑の栽培畑です。もちろん品種は、山梨発祥の「一ノ瀬」です。

Photo
まゆこ

2013年9月 6日 (金)

晩秋蚕がやってきた!

 こんにちは、まゆこです♪

 本日、稚蚕所から晩秋蚕(3齢1日目)が、中央市豊富地区の養蚕家中込さんに届きました。 豊富郷土資料館では展示飼育用に、さっそく分けてもらいに行ってきました。 

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 飼育小屋で届いたばかりのおかいこさんを前に、まゆこの到着を待っていてくれた中込さんです。御年83歳の中込さん。とてもお若くて頭脳明晰。今後の飼育日程や給桑計画や給桑量などを質問すれば、すぐ的確に教えてくれます。

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 体長1㎝ほどで、まだ体の色は黒ずんでいます。

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 晩秋蚕に与える桑の調達計画を話してくれています。 今年の夏は猛暑で雨が少なかった山梨です。桑が枯れないようにするのに苦労したそうです。 中込さんの桑畑は豊富各所のほか、玉穂地区にもあり、最初の「桑くれ」は水田に囲まれたところにある玉穂地区の畑のものをやるそうです。一番「やっこい(やわらかい)」葉に育っているからだとのことです。

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 「晩秋蚕飼育標準表」は稚蚕所からお蚕とともに配られます。この表を目安に飼育するそうです。

 さあ、資料館エントランスホールでは、今日からおかいこさんも皆様を歓迎いたしております。 今月末には、上蔟(まゆをつくりはじめる)してしまいますよ。ぐんぐんぐんぐん大っきくなるおかいこさんを、みなさんお見逃しなく!!

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 さっそく、来館された市川三郷町のデイサービス「さくらんぼ」のみなさんが、大盛り上がりでおかいこさん談議に花を咲かせていらっしゃいました♪

Photo
 まゆこ