こんにちは、まゆこです。
←玉穂地区にある桑園
ゴールデンウィーク最終日の6日、中央市最後の養蚕農家であった中込文義さんの桑園を見に行きました。
春の日差しを受けて、柔らかな一ノ瀬桑の新芽がきらきらと目にまぶしかったです。
文義さんが丹精して育てたこのすばらしい桑の葉を、ことしも春蚕たちにお腹いっぱい食べさせてやりたい!心からそう思いました。
←H26の春蚕飼育の様子
しかし、ことしの春からは、この桑園の葉が蚕たちに与えられることはなくなりました。
中込文義さんが平成27年4月23日に急逝されたからです。85歳でいらっしゃいました。
ショックが大きすぎて、2週間以上たった現在でも現実として受け止められず、ボヤーッとしたままのまゆこです。
←玉穂地区にある桑園
ことし資料館で春蚕の飼育をはじめるのは、5月28日~の予定となりましたが、きっとその作業の途中で、文義さんに教えていただいたたくさんのことを一つ一つ思いだし、ふつふつと悲しみが湧きがってくるような気がします。
文義さんには平成25年の春から、豊富の養蚕について、実際の作業を見せていただきながら、本当にたくさんのことを教えていただきました。
たいへんな作業の数々を一人で正確に黙々とこなしていかれる姿に、取材の度に毎回、尊敬の念を抱くばかりでした。
今年度は桑園の手入れや桑木の剪定時期や方法などを重点的に教えていただきたいと思っていました。
2月にお会いした時もとても元気で「ことしの春蚕もやるよ!」と力強くおっしゃっておられたのに・・・。
85歳というご高齢にもかかわらず、養蚕にかける情熱の衰える様子が微塵もない文義さんに、このような時が突然にやってくるなど、想像もつかなかったのです。
文義さんには、深く深く感謝してお礼を言って、最期のお別れをしてきました。
ご家族の皆さまには、一日も早く心穏やかに暮らせますようお祈りいたしております。
← 豊富地区にある蚕室と桑園
これで、中央市の養蚕・シルクの里豊富地区の養蚕の歴史は幕を閉じました。
山梨県中央市内に生業としての養蚕がなくなっても、お蚕そのものは資料館で細々と少量ずつ人工飼料でも飼い続けることができますが、桑園の景観を今後保存していくことは難しいでしょうね。
立派な桑畑の写真を撮りながら、ここで桑切り作業していた文義さんの姿とその時のハサミの音を思い出し、何ともやりきれないさみしい気持ちになりました。
じっと待っていれば、切った桑枝の束を肩に担いだ文義さんが、そのうち木々の間からぬうっと現れるのではないかと期待してしまいます。
←H26晩秋、桑きりをする文義さん
毎春と変わらず素晴らしい葉をたくさんつけた桑の木たちも、きっと、まゆこと同じく、今か今かと文義さんの現れるのを待っているのではないかと思い、「文義さんはもうここにはこないよ」と木々たちに言うのが怖くなって、逃げるように桑園を後にしたまゆこです。
しかし、この地をシルクの里と言わしめた先人たちの誇り高き生き様を語り継ぐという、資料館の仕事の重要性も、生き証人であった中込文義さんが亡くなられたいま、痛感しています。
まゆこ