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まゆこのつぶやき

資料館のマスコットです

2017年3月29日 (水)

宮方(ミヤカタ)資料の行方

Photoこんにちは、まゆこです。

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当館では所有者の依頼により、2014年平成27年から28年にかけて、石和駅前の工場で蚕糸包装材料一式を製造し、日本全国の製糸会社に販売していた株式会社宮方商店(ミヤカタ)の資料を調査しました。

「蚕糸包装材料一式製造販売 株式会社宮方商店」は大正時代に横浜市中区馬車道で創業し、生糸の包装に係るありとあらゆるものを製造販売していた会社です。

その工場が山梨県笛吹市のJR中央線石和駅前に平成2610月まで操業していました。

 

Photo_3調査資料のうち、日本全国の製糸会社に販売した生糸商標の見本帳2冊については、データ収集し、画像デジタルデータ化、製糸工場別リスト等の作成を行いました。

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蚕糸包装材料一式製造販売 株式会社宮方商店商標について」という題で「シルクレポート」2016 NO.48 大日本蚕糸会に発表しています。

全国216か所の製糸工場・総数817枚ものさまざまなデザインの生糸商標が見本帳の中に貼られており、販売年月日の記載もされています。

その生糸商標を含む会社と工場資料は当館ではなく、山梨県立博物館への寄託作業が進んでいます。

Photo_4また、工場内にあった括糸(生糸の綛をまとめて縛るための特殊な木綿糸)を作る機械等は大日本蚕糸会蚕糸科学研究所、蚕糸機械メーカー有限会社ハラダの方々のお力で、山梨を旅立ち群馬県の碓氷製糸乾繭場の一角に設置されました。日本の蚕糸文化を継承するため、たくさんの方々が尽力してくださいました。

Dsc_3445←括糸を作る機械上の写真の反対側からみたところ。

Photo_5←あみそ糸を巻く機械

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山梨にあった「宮方商店」の資料は販売先であった全国の製糸会社を通じて日本中に残されていると考えられます。

「宮方」もしくは「ミヤカタ」の資料が明らかになることは、全国各地の製糸場を有した地域の郷土研究にも活用される可能性があります。

当館にも宮方資料の一部を寄贈していただきましたので、和紙製の繭貯蔵袋や社名入りの湿温計、ミヤカタ製の括糸等細々としたものですが、2階資料室を中心に展示しております。

日本蚕糸業を山梨から支えた一企業の資料を4月以降もひきつづきご覧いただきたいと思います。

後に、ご父母の残された貴重な資料を快く開示くださり、今後の活用のためご協力くださった株式会社ミヤカタ関係者、御親族の方々に深く感謝いたしております。

まゆこ

2017年3月25日 (土)

「福塚壮蚕飼育所かな?」と思っていたけど、ここは「椚田壮蚕飼育所」だった!

Photoこんにちは、まゆこです。(この記事は平成29年3月28日に加筆しました)

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豊富公民館で発見されたアルバムの中には、稚蚕飼育所以外の写真も交じっていました。

これは多段循環式壮蚕飼育機の写真ですが、まゆこが通っていた豊富最後の養蚕家・中込文義さんの蚕室ではないです。

この写真にうつる壮蚕飼育機は3列以上あり、たぶん中込家の倍以上の生産能力があったのではないかと思います。

002推測では、この施設はうわさに聞いたことのある「福塚壮蚕飼育所」ではないかと思うのです。 

←この写真の建物は「椚田壮蚕飼育所」であるとの証言をコメント欄にいただき、現地に行って確認したところ、豊富地区大鳥居の高台に建物が現存していることが確認できました!中の多段循環飼育機はもうないそうです。

 福塚壮蚕飼育所は作興橋の近くで福田さんと塚田さんが共同で建設運営していたと聞いています。 

豊富地区には、昭和50年代に3か所の壮蚕飼育所があったことが判明しました。

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でもこの写真、よく見たら中込文義さんが写っているじゃないですか!

←蚕座紙に桑枝と一緒に巻かれて稚蚕所から運んでこられた蚕を開く中込さん

昭和50年代前半の撮影とおもわれますが、稚蚕飼育所から配蚕された直後の様子から、桑枝についた蚕を多段循環式壮蚕飼育機に移す作業が撮影されています。

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昭和50年から60年頃にかけて、安い中国産繭の単価に対抗しようと、日本の養蚕は規模拡大と機械化によるコスト削減を目指しました。

←まゆこの撮影した平成23年の中込文義さん

中込さんも自分のところで昭和56年にこの多段循環壮蚕飼育機を導入する前に、すでにあった壮蚕飼育所に手伝いに行って使い方を覚えたという話をしていたように思います。

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退職する前に養蚕関係の資料を見直していて、まゆこの知らない若い時の中込さんに逢えました。うれしいです。

 

平成6年頃撮影のお山の神さんの祭礼に繭を奉納する人の中にも、左一番手前にまゆこの恩人、中込文義さん発見! この人がシルクの里豊富の最後の養蚕家でした。

まゆこ

2017年3月22日 (水)

豊富稚蚕共同飼育所

Photoこんにちは、まゆこです。

最近、取り壊された旧豊富公民館から発見されたアルバムが当館に届けられたのですが、そこに、いままで情報の少なかった「豊富稚蚕共同飼育所」の写真がいくつかありましたので、きょうはご覧いただきたいと思います。

022働く人の背後に蚕座から抜いた種紙がカゴに捨ててあるのが見えるので、まだ蚕は2齢になったばかり(ふ化して1週間くらいかな?)。

031蚕網をかけているところ。当館にもこれと同じ蚕網が収蔵されている。(稚蚕所で使っていたものだったのか?)

061刻んだ桑を自動的に蚕座にまんべんなくふりかける(給桑する)様子。蚕座がベルトコンベアーで動いているようです。

050 この写真はたぶん出荷のため、2齢眠の蚕をはりついている桑葉ごと、のり巻きのように蚕座紙でくるんで巻いて縛っているところではないかと思います。作業する人々の笑顔がいいですね。

 

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豊富地区では昭和49年、山宮に稚蚕共同飼育所が開設されました。

この施設については、1月に発行した豊富の養蚕に関する冊子「とよとみのまゆ」にも書いたのですが、実はいつまでこの施設が稼働していたかについては、資料が集められずにいたのでちょっと曖昧な表現になっています。

これらの写真は昭和57年以降に撮影されたものです。

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挫桑(桑を刻む)、給桑が流れ作業で行えるようになっている設備ラインが2つあったことがわかりますね。

   建物に、「昭和57年養蚕総合振興対策事業 稚蚕共同飼育所再編整備施設」とありますので、どうやら、昭和57年に同地で最新機械を導入して作りなおした(増設した?)設備を撮影したもののようです。

1994年(平成6年)5月12日・14日と撮影年月日が記されているものがありますので、少なくとも平成6年までは豊富で稚蚕共同飼育所が稼働していたことが判りました。

まだ豊富村内に50戸ほどの養蚕農家が存在していたころです。平成12年になると、豊富村の養蚕戸数は5戸に激減するので、たぶん平成10年になるころまでには、この施設は使われなくなったのではないでしょうか。 009

←巨大な蚕棚スペース。いったいどれくらいの収容能力があったのだろうか?

 まゆこは、設備の詳細や規模のわかる資料がどこかから発掘されるとよいのになぁといつも思っています。

まゆこ

2017年3月20日 (月)

撚りかけ車

Photoこんにちは、まゆこです。

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きょうは、うれしいことに、木原に住むともゑおばあちゃんのおかげで念願がひとつ叶いました。

「撚りかけ車」に正しく糸をセットすることができたんです!

4年前、ここに勤めはじめの頃、この道具は何という名なのか、何をどうするための道具なのか全くわかりませんでした。

織物の関連の本を調べても同じような形態の道具が見当たりませんでした。

でも当館に5点ほど収蔵があるし、豊富地区で古民家を解体する時にも屋根裏に放置してあったりしたので、この地域でよく使われた道具であることはわかりました。

Dsc_0644←「養蚕をたくさんして、桑爪をずっとつけてたからこんな指になってるさ」と笑いながら教えてくれた、ともゑさん。

このたび、近隣の方々に尋ねるうちに伝手ができて、実際に使っていたことがあるという、豊富地区木原のともゑおばあちゃんにやっとたどり着くことができたのでした。

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しかし、実際に糸をかけてもらうまでには欠損している部品の補修や付属部品や糸などを調達するのにちょっと時間がかかってしまいました。

この撚りかけ車というのは、糸に撚りをかけ、機織りにかける決まった長さの経糸(たていと)を同時に数本作る道具です。

竹管に巻いた糸を錘(つむ)にセットしハンドルを回すと、糸に撚りがかけられ、最上部の大枠に一定の長さで巻き取られるのです。

まずは、片側に大小4つ付いている調車にどのように調糸をかけるかを教えてもらいました。

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次に、糸車を使って糸を巻いた竹管を錘(つむ)にセットしてから、糸道を通していきます。

その途中では、オモリの代わりとなる「しずわ」とよばれる輪っかのような部品にも通すのですが、当館所蔵の撚りかけ車のしずわは竹製と陶器製の

2種類があります。

資料によって竹管をセットできる錘の数も4~6本と違いがあります。

ともゑさんの話によると、「豊富地区の機織りに関する道具(撚りかけ車、機織り機など様々なもの)は同地区川東(かわひがし)の田中千代吉さんという宮大工が昭和30年代くらいまで製作販売していたと思う」とのことでした。

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これは、山梨か地域固有の民具の可能性があります(南アルプス市のふるさと文化伝承館にも1点あるのを観ました)。

当館資料の持つ地域性と資料数の豊富さが民具学に新たな知見を与えてくれる可能性もあります。

糸をセットした状態の撚りかけ車は2階常設展示室機織り機の横にありますよ。今度よ~くご覧になってみてください。

効率よく糸に撚りをかけるために先人の匠が生み出したその仕組みと技、機能美にうならされます。

「撚りかけ車」については調査と研究が必要だと考えています。

撚糸をするための民具として、全国的にはどのようなものがあるのか等、類例を捜すことも重要だと思っています。

まゆこ

2017年3月15日 (水)

地獄温度にお馬さん発見!

Photoこんにちは、まゆこです。

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蓋の取っ手に「駆ける馬!」

きょうは、富子さんの部屋で、ある新発見をしました。

3月いっぱいで退職するのに、いまごろかい?と皆さんにお叱りを受けそうですが、今まで悔しいことに気づいてなかったんです!

富子さんの部屋の隅にある地獄温度の蓋の上でお馬さんが駆けていたことを!!

ちなみに地獄温度とは、豊富の地で使われていた言葉で蓋つきの養蚕用火鉢のことをいいます。

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5月半ばからの春蚕では、蚕室の暖房用に炭を燃料とする蓋付火鉢が使われました。

取っ手付きで配置や数の増減も容易なので温度管理にはとても便利でしたが、一酸化炭素中毒になる人も出て、地獄温度とも言われたんです。

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それから、今日の主役の馬ですが、お蚕さんと馬の間には古代からの深い関係があります。

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古来中国から伝承した蚕の起源伝説

(「捜神記」馬娘婚姻譚) がベースとなり、日本に広く伝承されるに従って養蚕の信仰に馬が深くかかわっていったのです。

「繭のなかに大当たり」の意匠もついている

馬にまたがった菩薩像として表現される馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)も養蚕信仰の対象として有名です。

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「あ~、もっと早く気づいていればぁ~、あの企画にも使えたのにぃ~」とか、この期に及んでいろいろと後悔が沸き起こります。

でもこの地獄温度は当館養蚕資料の逸品であることだけは、ここでご紹介しておきたかったまゆこなのでした。

まゆこ

中には煤がこびり付いていて、ちゃんと昔の人が使った跡があるよ!

Dsc_2117_2いま富子さんの足元にある蓋付きの養蚕火鉢が馬の刻印のあるやつです!富子部屋って2階のここね!

2017年3月 8日 (水)

今年度は38の学校団体の皆様、来てくれてありがとう!

Photoこんにちは、まゆこです。

Dsc_05491クラスの人数の少ない学校には、囲炉裏の部屋に入ってもらって解説している。

 先週、本年度の学校見学団体への対応が終わりました。

山梨県中から38校が来てくれました。

依頼される解説テーマは、小学3年での「昔のくらし」に関する学習が一番多いのですけれど、

その他にも、平成28年度は小学1年生から高校生まで、養蚕、糸車、昔の麦の栽培道具、甲斐源氏浅利氏について、など多様な学習テーマをもって見学にいらっしゃいました。

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自在鉤にどうして魚の飾りがつくことが多いのかについての解説に、みんな興味津々!リアル富子さんの解説の様子です。 

 私たちはだいたい約2時間をかけて、各学校に対応することがほとんどです。

興味がないと素直に態度に現れる子どもたちへの解説は、毎回真剣勝負なのですが、

先人の知恵の詰まった民具や生活スタイルを次々と紹介していくうちに、職員が資料と向き合う中で素直に感動した心がスーとそのまま子どもたちの心にも通じて沁みこんでいくのを感じることがあります。

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そうなると、子どもたちからはへぇ~、ふ~んと感嘆の声が漏れはじめ、「昔の人ってすごいねぇ~」「昔の人のこと知るって勉強になるね」とか、いろいろとうれしいことを言ってくれます。

こうなれば、まさにその一体感は至福の時です!こんな私でもちょっとは生きてきた価値があるかしらんなどと錯覚できます。

もうすぐ退職するまゆこだけれど、豊富郷土資料館で過ごしたその幸せの瞬間は一生の宝物になりました。

学校見学に連れてきてくれる先生のニーズに合わせるため、徹底的に各学年の教科書を読みこんだのもいい思い出です。

今年度、学校単位で見学に来てくれたのは、1957人!そのみなさんに感謝!感謝!ありがとう!

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3年生の国語の教科書にある「ちいちゃんのかげおくり」に出てくる「ざつのう」

 

あっ!でも今月はこれから後もう1校、東京渋谷にある大学の学芸員課程の皆さんが博物館実習の一環で当館見学にいらっしゃるのでした。

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まゆこの母校なのでちょっとうれしい感じもしますが、もう20年以上前の話だし、先輩面できるほど立派じゃないからなぁ~。

明日は内緒にしておこうっと♪

まゆこ

ちいちゃんが最後に口にした「ほしいい」とはどんなものだったかを説明するために、展示のざつのうに入れてある。このほしいいの作り方と実際にそのまま食べてみたらどんな感じかを子どもたちに話すと、心細さの中、お腹すいていても最後にこんなものしか口にできずに「かじった」ちいちゃんの気持ちがよく理解できるようでした。まゆこはいつもここの解説のところで、ちいちゃんのことを想ってちょっと声が詰まってしまうのだ。

 

2017年3月 7日 (火)

当館資料と郷土に関する研究成果続々と

Photoこんにちは、まゆこです。

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先頃、山梨郷土研究会会報誌である「甲斐」第141(2017)に、当館のボランティア、青柳陽一さんの論文「中央市豊富郷土資料館蔵、富士講『御伝え』について」が掲載されました。

内容は当館蔵の富士講『御伝え』の考察と翻刻です。 

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 このように、中央市歴史文化ボランティアの会会員の方には、当館資料、または郷土の史跡・文化について研究し、論文を著されることも多くあり、大変光栄に思います。

いずれの方も立派な研究をなされている一方で、当館イベントのお手伝いを快く引き受けてくださること、感謝の念に堪えません。

きょうは、当館職員の研究も含めましてその成果の一部ですが、ここに載せておきたいと思います。

今後の地域研究、資料研究にお役立ていただければ幸いです。

Dsc_0620←当館蔵「御伝え」の翻刻

当館資料に関する論文

「中央市豊富郷土資料館蔵、富士講『御伝え』について」青柳陽一2017「甲斐」141

「早川新太郎陸軍少将についてー日清・日露・第一次大戦をかけた男ー末木健「甲斐」にて発表予定

「蚕糸包装材料一式製造販売 株式会社宮方商店の生糸商標について」今福律子2016「シルクレポート」NO.48 大日本蚕糸会

「日本蚕糸業における回転蔟の開発と製糸会社」今福律子2016「甲斐」140

「中央市木原・東原遺跡出土の鳴る土偶について」末木健・今福利恵 山梨県考古学協会誌にて発表予定(トミーちゃんのことよ!)

中央市の郷土資料に関する論文

「豊富史再考「富士池」」青柳陽一 2013「甲斐」130

「浅利与一小考」末木健 2013「甲斐」130

「大鳥居・山之上考―山宮・里宮と山岳信仰遺跡―末木健2015山梨県考古学協会誌23

「飯室山大福寺と飯室禅師光厳ー中央市豊富地区中世小史―末木健2014山梨考古学論集Ⅶ

「王塚古墳出土衝角付冑についてー岩下貞男氏による発見場所の確定―末木健2008山梨県考古学協会誌18

「「布施荘」小井川遺跡をめぐって」末木健2009山梨県考古博物館・山梨県埋蔵文化財センター研究紀要25

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その他に、甲府の雛問屋が製造販売した横沢雛についての論考、回転蔟誕生物語のダイジェスト版をまとめているところです。来年度中にはどこかに発表したいと思っています。

当館が地域資料研究と郷土研究の拠り所として発信してきた活動の成果がここ数年であらわれはじめているように思います。県外の研究者や施設からの問い合わせは日々増加傾向だからです。

←富士講お伝えは、1階常設展示室にあります。

まゆこ

2017年3月 4日 (土)

横沢ちゃん(横沢びな)の針治療

Photoこんにちは、まゆこです。

Dsc_055232日に新たに収蔵となった横沢びなの1点は、片腕がもげていたので、館長による集中治療が施されました。

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横沢びなとは、桃の節句用に江戸末期から大正時代頃まで甲府で製造販売された人形の総称です。

江戸時代、甲府の横沢町に4軒の雛問屋があったため、その名がついています。

Dsc_0566←人形の体の中に入れた詰め物と表地との間に塗った接着剤がぴったりとくっつくように針を刺して固定しています。

そして、そのうち2軒(「松米」と「井八」)が明治時代以降に横沢町から移転して、同じく甲府市内の移転先(柳町、三日町、八日町、下一条町)で、明治大正期に数多く製作したものが、現在、横沢びなと呼ばれているものの主流を占めています。そのため、名に冠している横沢町が製作地ではない横沢びながほとんどであるという事実がちょっとややこしいのですけれどもね。いずれにしても甲府の雛問屋が甲府市内で製作し、山梨県内の人々が多く購入した在地雛です。)

Dsc_0565←館長による修復作業 この後、右手も復元したのだ!

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←下から2段目6点が横沢びなの中でも裃人形タイプ

治療した横沢びなを含むこの2点は、裃雛(かみしもびな)と言われるタイプの人形で、埼玉県岩槻で江戸時代終わり頃からつくられはじめた人形だと言われていますが、甲府の雛問屋でも裃雛は製作しており、6点の収蔵が当館にもあります。

030←かつて山中共古が『甲斐の落葉・明治25年』に「横澤ヒナ」として裃雛の背後に花を配した「横澤花ショイ雛」の絵図をのせています。

 

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 まゆこの考察では、この裃雛タイプの人形は、横沢びなの中でも明治初めから中頃までの初期のものと考えています。

昭和期に書かれた文献にみる横沢びなの記述にこの裃雛タイプが見当たらないからです。

本年(平成29年)のひな人形展では当館の横沢びなコレクション30点余りをモチーフの違いや形態をもとに分類して展示することを試みました。

その結果、甲府の雛問屋で製作した雛(横沢びな)は、6タイプほどに分類できることが判りました(内裏雛と押絵は除く)考察した成果はいづれしっかりとまとめて発表するつもりです。

修復された横沢ちゃんは今日、展示中の雛壇に仲間入りしました。もう針は刺さっていませんので、ご安心を!

まゆこ

2017年2月15日 (水)

御殿飾り雛コレクションin とよとみ

Photoこんにちは、まゆこです。

Dsc_0514 二月に入ってから連日、ひな人形展に多くのお客様に来ていただきうれしい限りです。

享保雛、古今雛、有職雛、土雛、押絵雛、御殿飾り雛他、土雛や御所人形、市松人形や甲府の雛問屋が作った横沢雛など、多彩なお人形が皆さまをお迎えしております。

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←今日は、寄贈していただいた御殿飾り雛が新たに一式、展示資料として仲間入りしましたので、お知らせします。

これで当館展示の御殿飾り雛は全部で6点となり、おかげさまで、御殿飾り雛の形態の時代的変遷を理解していただける絶好の資料が揃いました!

当館ひな人形展の見どころがまた一つ増えたわけです。

Dsc_0520←昭和初期から戦前につくられたシックな御殿飾り雛

御殿飾り雛は明治大正時代から戦後昭和にも流行し、長い間人気のあったお雛様です。御殿の中に男雛、女雛が入り、その周りに三人官女が配置される、見た目にもたいへん豪華な雛飾りです。

しかし、昭和20年を挟んで、戦前、戦後のものでは建物である御殿の趣がかなり変化していきます。

戦前のものは宮中への憧れをそのまま具現化したようなシックで格調高い御殿なのですが、戦後になると、屋根の中央付近に破風が据えられるになり、ピカピカとした金メッキの装飾金具がどんどんと多用されるようになります。

Dsc_0519←屋根に破風が据えられた昭和20年代の御殿飾り雛

Dsc_0508←昭和20年代末のだんだん装飾が過剰になっていく御殿飾り雛。(本日から展示の新資料)
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←当館展示の昭和30年代終わりの御殿になると、キラキラ金ピかのまるで東南アジアの寺院のような姿になってしまっていて、おもしろいです。

これは、特に昭和20年から30年代にかけては、御殿が宮中を模したものという概念が薄れたこともあるでしょう。

さらに、戦後の復興、高度成長期への期待感が高まっていた時ですから、ひな人形を子どものために購入する大人たちの心にも、将来の暮らしの豊かさへの強い欲求が込められた結果なのだと言われています。

在の感覚からすると、いまから50~60年前くらいの、少々やりすぎにさえ感じられるこの究極の金ピか御殿にも、当時の子を持つ親の願いが強くこめられていたのだと思うと感慨深いですね。

ひな人形展をご覧のお客様には、昭和初期から20年代、30代末と趣を変化させていく御殿飾り雛の世界もじっくりと比較しながら見ていただけましたら、うれしいです。

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昭和40年代に入ると、御殿飾り雛はぱったりと姿を消し、五人囃子以下を伴う豪華7段飾りが主流になっていきます。

7段飾りは、まゆこの買ってもらったお雛様の時代です。

どの世代の方が来館されても、なじみある雛人形とそれよりもちょっと昔の心惹かれるお雛様たちに出会うことができますよ!

そんな、江戸から昭和までの雛壇の様相の変化を一堂にご覧いただけるのは、当館ひな人形展の自慢なんです♪ 

まゆこ

2017年2月 9日 (木)

「豊富人形工房繭竹」って?

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こんにちは、まゆこです。

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←ラジオで情報を得て、わざわざ八王子から見に来てくださったお客様。本当にありがたいです。

節分がおわり、立春を迎え、当館には、ひな人形展が目当てのお客様に加え、

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「昔のくらし」の勉強にいらっしゃる山梨県内小学

3年生の学校団体が連日お越しくださり、たいへんにぎやかです。

 

でも、今日はめずらしく団体予約がない日でしたので、2526日(土・日)開催イベント「繭雛とあい竹雛を作ろう!」の準備をスタッフみんなで集中して行いました。

Dsc_0485館長があい竹雛の竹を切り、

Dsc_0507_2富子さんが繭雛の竹パーツをきれいに磨き、

Dsc_0497まゆこはと繭雛の髪をひたすら描きました。

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←こちらは「繭雛」よんっ♪

繭雛とあい竹雛各50セット全部で200体分のパーツを作らなくてはなりません。

もう、みんな無言です!(ウソ)

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でもまちがいなく今日の事務室は、『豊富人形工房繭竹』の作業場と化していました。

明日はというと、やはり団体様御来館!ありがたや!!

お客様への資料解説の合間を縫って、内職作業がしばらく続きます。

←こっちが「あい竹雛」よっ♪

館長の手がささくれ立っているのも、富子さんの手がカサカサになっているのも、まゆこの手が墨だらけになっているのも、人形パーツづくりに毎日勤しんでいる証拠です。

大目に見てください。

(「繭雛とあい竹雛を作ろう!」イベントの詳細は当ブログイベントのお知らせカテゴリーでさかのぼってご覧くださいね!)

まゆこ

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