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資料館ニュース

2017年1月14日 (土)

節分行事の準備

今日は大寒波が来ていて寒いですね。
太陽は出ないし、奥秩父の山や南アルプスは雪雲でしぐれています。

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公園も今日は寒すぎて誰もいません。

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そこで節分の豆まき準備で、目駕籠に付けるネズミサシを切りに行ってきました。

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左側の道路脇に、毎年いただいている枝があります。わかります?
では近づいてみましょう。

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びっしり生えた針状の葉がとてもちくちくして痛いのです。
まず切り落として、持つところの葉を綺麗に刈りました。

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これで準備は完了です。参加者に配る豆は、今年は300袋用意しました。

昭和30年代まで、甲府盆地の各地で行われていた豆まきを、
1月28日と29日の午後、1時半と2時半の1日2回ずつ行います。
高い竹竿の先にネズミサシと目駕籠を結わえて、これにめがけて豆をまきます。
昔は、この先に鬼が下りてきて、ネズミサシを避け籠に寄り付くので、
籠の目に着いた鬼を追い返すために、豆を投げたのだそうです。
『福は内。鬼は外、鬼のまなこ(め)をぶっつぶせ』と3度言ってなげます。
ぜひご参加ください。
用意した豆はこれです。表には「招福除災 鬼大打豆」の印が押してあります。

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2016年12月15日 (木)

縄文土偶「トミーちゃん」3サイズ発表

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前回は急いでいたので、サイズを公表しませんでした。

そこで今日は緻密に大雑把ですけど、サイズを測りましたので発表します。

まず高さは7cm、幅は8cm、奥行きは5.5cmです。

手のひらに乗るかわいいサイズですね。

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そうそう、それから首の下には、穴が空いているんです。

恐らく胴体と頭をつないだ棒の跡ではないかと思います。

土偶研究の大家、小野正文さんの言う、「分割塊製作?」ですね。

また、驚くことに、頭を振ると音がします。

鈴になっているのですね。

音は皆さんに聞かせることはできないので、ごめんなさい。

小石が数個入っているようです。

2016年12月11日 (日)

美人土偶トミーちゃん登場

先日地元の方が、玄関に来てニューっと拳を出しました。
見ると、その手の中に、土偶の頭部が握られているではありませんか。

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受け取ってよく見ると、かわいいかをした土偶ちゃんです。
右目の周りを、耕作の鍬などで削られていますが、
アーモンドアイは横に描かれ、頭部から両耳側面には
パーマをかけたような粘土の隆起文が貼り付けられています。
頭の後は、神の毛を渦巻き状に巻きつけており、
縄文時代中ごろの最新ヘアスタイルです。
渦巻きは蛇だという人もいますが。
見されたのは、旧豊富村の東原遺跡で、今から数十年前に
耕作中に発見したそうです。大した傷ではなかったのでよかったですね。
見れば見るほど美人ですね。これなら土偶コンテストにでられそうです。
首の下には、小さい穴が開いています。
これは細い棒で胴体とつないだ跡ですね。
さて、名前を何とつけましょうか?
私はひそかに「トミーちゃん」と呼んでいるのですが、
もう少しおしゃれな名前が無いでしょうか?

そうそう、ボディサイズも公開しなければと思いますが、
もう少し待ってください。

2016年11月30日 (水)

田富北小学校5年生の脱穀体験

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昨日11月29日は、市教育委員会の職員と郷土資料館合同で、田富北小に出かけて、昔の道具を使った脱穀体験を行いました。
脱穀する稲は、子供たちが隣の甲府市水源用地の一角に造った水田で育てた稲です。稲束は積み上げると軽トラック1台分ほどになりますが、脱穀してどのくらいの量になるでしょうか?

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最初の挨拶を済ませ、すくに4班に分かれて、籾を箸で落とす班と、千歯コキを使う班、回転脱穀機の班に分かれて一斉に脱穀を始めました。各班は順番にさまざまな道具で脱穀を体験します。昔の道具を使っての体験は相当苦労していました。

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千歯コキでは、たくさんの稲をはさんで、なかなか引き抜けいない子がいたり、回転脱穀機では、逆回転したり、稲穂を回転で持っていかれたりと悪戦苦闘です。
脱穀が一通り終了すると、今度はごみの除去を手回し扇風機と唐箕(千石)を使って行いました。

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ごみが唐箕の口から勢いよく飛び出しますが、一定の風力が得られないことから、手前の箱にもごみが落ちて来てしまします。それでもあらかたのごみをとって終了となりました。
収穫したお米は籾の状態で20キロほどです。精米すると15キロほどに減ってしまうでしょうね。
皆でおいしいおにぎりが食べられるといいね。

2016年11月29日 (火)

11月の大雪

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先日の24日は大雪でした。盆地の中は積もるか積もらないか、みぞれと雪がぱらぱらでしたが、中央市豊富のシルクの里あたりは、とんでもない大降りでしたよ。

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資料館はまるで雪国の玄関口のようで、タイヤが冬用タイヤだから良いものの、ノーマルでは入り口の坂は躊躇したでしょう。昨日までの紅葉は、みじめに冠雪し、色もくすんでしましました。途中の村中も雪に覆われ、まったく雪国です。

となりの大

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福寺観音堂は降りしきる雪が激しく、美しいを通り越して不安になりました。まさか、数年前の大雪になるか?ハラハラドキドキものです。資料館前は、ポストの赤が鮮やかでし た が、資料館の軒先の干し柿はなん

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だか寂しそうででした。

2016年11月21日 (月)

晩秋に一言

あっという間に秋が過ぎて、シルクの里公園の木々も葉を落とし、
冬支度を始めています
その中で、いつもは一番早く紅葉するモミジが、
今年は最後に鮮やかな色彩を放ち、
秋空に別れを告げています。
落ち葉が日々少なくなり、
庭掃除も次第に楽になってきましたが、
それもよいと思う気持ちと、さびしい気持ちと半ばしています。

竹ぼうきを握りながらの、下手な一句

  掃く人の 肩に二三の 紅葉舞い 

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2016年10月15日 (土)

陸軍少将早川新太郎の墓所

P9233831 中尾神社

先般、陸軍少将早川新太郎の大礼服やその装飾具を寄贈されましたが、早川新太郎の生年月日や、没年月日、あるいは墓所などについては不明のままでした。そこで、新太郎の妻の実家である、田村家(笛吹市一宮町中尾・中尾神社宮司)の田村弘正氏を訪問し、親族の早川新太郎家のことを尋ねました。

Pa124006 宝樹院

Pa123992 早川家墓所

その結果、田村家と同じ寺院、一宮町中尾の臨済宗宝樹院に墓所があることがわかりました。早川家の墓誌の表には新太郎の名前は書かれていませんでしたが、裏側を見ると更に江戸時代からの祖先に次いで、新太郎の戒名と没年月日が記されていました。

Pa123986 墓誌裏側の左から2人目

戒名は「奉公院殿憲道義法居士」で、昭和2年10月20日没でした。残念ながら生年月日は不明です。陸軍士官学校へ明治22年に入学しているので、入学年齢が15歳くらいとすると明治7年頃の生まれかもしれません。没年齢は55歳くらいだったでしょうか?いづれにしても来年は没後90年ということになります。

今年の10月20日、間もなくですが、没後89年目になります。墓所と命日の確認できたのは何かの縁でしょうか?

奥さまは「志づ子」さんですが、墓誌に「俗名 静」と書かれている方だとすれば、戒名は「静真院秋月慈香大師」で、大正10年9月21日が命日です。

Pa123984 中尾神社宮司・田村家の墓所

早川新太郎家の墓は、一時、品川区の嶺雲禅寺ありましたが、平成22年に移転改葬され、現在の宝樹院に移されました。この墓所には田村イ与造の本家の墓所もあり、夫婦ともども落ち着いたことでしょう。

2016年10月 9日 (日)

キジの死

今日の朝、館の玄関を開けて、外を見ると、傘立ての前にメスのキジが横たわっていました。目を閉じてピクリともしません。恐る恐る脇の下に指を差し込むと、まだ温かいではありませんか。ガラスに衝突して、気絶しているのか、しばらく様子を見ていましたが、閉じられた目は開く様子もありません。せめてこの軒下で、雨にぬれずに最期を迎えた事は、不幸中の幸いでしょうか?

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しばらくすると、隣の宿泊客の老婆が、しきりに館の入り口を覗き込んで、何かを探しているようです。声をかけると、先ほど車の下からキジが飛び立ち、ここのガラスの当たって倒れたので、どうなったか心配で来たと話してくれました。

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暖かいわけですね。しばらく段ボールの中に入れて様子を見ることにしましたが、やはり動く気配はありません。ガラスに当たって、首の骨がおれてしまったのでしょう。箱に入れるときは、まだキジは暖かく、柔らかい状態でした。猫に襲われてもいけないので、しばらく保管しておくことにしました。

 亡きがらの キジ温かき 秋の雨   

2016年10月 2日 (日)

「与一門」の紹介

中央市歴史文化ボランティアの会員Mさんから、甲府市下曽根町の笛南中学校の少し南に、「与一門」と呼ばれる古い門があるので、見に来てほしいと言われていました。最近のこと、ようやく訪問すると、さっそくそのお宅に連れて行っていただきました。

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この門が「与一門」と呼ばれているそうです。門の下の方に刀傷があると言われて、見てみました。たしかに傷が何本も横に残り、柱も角が欠けています。

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説明していただいたご主人によれば、この門は、明治時代に豊富の浅利から移転したのではないか、とのことです。さらにお話を伺うと、昭和20年の滝戸川が氾濫した時に、この門のおかげで、母屋が被害を免れたということでした。

なるほど、この門の傷は、その災害の時に石や流木によって傷がついたものかもしれませんね。刀傷ではもう少し鋭い傷が残りそうですし、真横に擦れた傷は、災害の可能性が高そうです。

それにしても、「与一門」とはよい名がつけられたものです。浅利与一の里から移転された門だからそんな名前がついたのでしょうか?是非大事にしていただきたいものです。

2016年9月 2日 (金)

日露戦争に活躍した早川新太郎陸軍少将の大礼服

早川新太郎少将の大礼服資料が最近寄贈されましたので、紹介します。昨年の夏に当館で「戦後70年展」を開催した時、大礼服の上下と帽子、衣装トランクを石和の方が持ってきてくれました。展示する機会のないまま収蔵していたのですが、今年の8月に追加の品物が寄贈されたので、併せて紹介します。

Endosaburo1 インターネットで調べたら、こんな顔の人でした。上下同一人物?

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早川少将は、山梨県東八代郡一の宮町(現在の笛吹市一の宮町)の出身で、生年月日は不明なのですが、陸軍大学を卒業後、職業軍人として日露戦争に参加し、明治33年3月10日、日露戦争の奉天を巡る戦いで負傷しました。この時33連隊第3大隊長で陸軍少佐でした。翌年、金鵄勲章を授与されています。また、陸軍中将の田村イ与造の娘婿でもありました。田村は一の宮町中尾の中尾神社宮司家の出身で、一時早川の名乗っていたこともあり、新太郎は親戚関係にあったかもししれません。

それでは資料を紹介しましょう。

P7181146 衣装ケース

P7181148 帽子

P7181152 大礼服上着

P7181153 大礼服ズボン

P8283614 陸軍大学卒業徽章

P8283620 飾りベルト

P8283626 飾り下げ緒

P8283628 正肩章

このほかにもあるのですが、金鵄勲章の授与証書だけ紹介しましょう。

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もう少し早川少将のことも知りたいのですが、そのためには時間が必要ですね。早川少将は一の宮出身の方ですが、中尾神社の近くの土地が売買に出され、残っていた土蔵内に残されていたものだそうです。捨ててしまうのも残念なことだと、きぞうしゃの方が配慮して、、当資料館に届けていただきました。恐らく県内でもとても貴重な遺品だと思います。

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