日本で初めての音楽教科書
富子だけんど、あとちっとで今年度もおしまいだねぇ。プランターの麦もだいぶしっかりしてきたよ。菜の花も今食えば一番うまそうだけんど、花を育ててるから指をくわえて見てるだけんどね。
教科書のケースを整理してたら、音楽の教科書の解説に「『君が代』が2番まであることがわかった」って書いてあったから、しげしげとながめたら、メロディーも全然違うし、歌詞も長いだよね。
教科書の奥付を見たら、明治14年11月に初版が発行されていて、展示品は明治22年10月の4版らしいだけんど、値段の所に「臨時定価 大正10年度 26銭」ていう赤いはんこが押してあるから、これを買ったのは大正10年のことずらね。明治22年の定価は12銭だからえらく高く売ってるよね。
買った人は誰かというと、ここの資料館の初代館長で志村量美さんていう人さ。その人が師範学校時代に買ったもんだね。表紙をめくると「小学校師範学校中学校教科用書」ってあるから、師範学校で音楽の授業の仕方を勉強するのに使ったずらね。
三重大学付属図書館で明治の初めの教科書のことをこう書いてるさ。「音楽の授業は明治14年から始まるが、指導者も設備も不十分で、当分実施しなくてよい科目の状態が続き、必修となったのは明治40年からだった。教科書は明治14年11月(1881)『小学唱歌集初編』が刊行されたが、当初は不足し、明治25年頃から充実し始める」だって。
この教科書を作ったのは当時の文部省音楽取調掛初代所長伊沢修二という人たちだけんど、取調掛っていうのはすごいね。音楽にそぐわない係名だよね。それで出版社はどこかというと「大日本図書」ってあるだよね。大日本図書のホームページを見ると明治23年創業ってあって、じゃあこの音楽の教科書はいったい誰が出版した?って、?がいっぺえついちもう。なんたって日本で初めての音楽の教科書だよ。
この教科書に知ってる歌はあるかと思って探したら、「君が代」の他には「蛍の光」と「ちょうちょ」があったさ。他にも「むすんでひらいて」とか「霞か雲か」とか「庭の千草」とかがあるらしいけんど、第2編とか第3編に入ってるかもしれんね。
それで「君が代」に話はもどるけんど、明治14年の『小学唱歌集』には長くて、2番まである「君が代」が載ってて、明治23年の『生徒用唱歌』っていう教科書には3番までの歌詞のある「君が代」があるらしいよ。ここの資料館には残念ながらその本はないけんどね。4番のある「君が代」もあったりして、まあ今みたいになったのはだいぶ新しい時代の話ってことだよね。
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