米俵と関連資料
富子だけんど、今日は雨っぷりだね。ほんだけんど今日も小学校やらデイサービスの人たちやらが大勢来てくれてるよ。ありがたいこんじゃんね。
資料館にはまだまだ書き切れんほどたくさんの資料があるけんど、せんころ俵編み機のこんを書いたから、今日は米俵のこんを書くね。
米俵が今みたいな形になったのは、鎌倉時代だって。すごいね。それっからずっと何百年も米俵が使われてきとうだよね。江戸時代になると、1俵が4斗で今で言えば60kgっていうふうに大きさもそろってくるさ。昭和30年頃までは全国的に使われてたけんど、だんだん紙袋にとって変わられちもうだね。米俵は菰でできてるから、米が藁の間からむってしまいそうだけんど、大丈夫。二重になってるから、むらない。すごいよね。今は紙袋だけんど二重だよね。
米俵にかかってる変な鉄の道具は何だとおもう?「俵締め機」っていうだって。俵の菰を編むのは女の人の仕事で、米を詰めて俵にするのは男の仕事だって。それだけ力もいる仕事だってこんさね。その上、熟練の技術がないと俵がきっちりできなんだだって。ところが昭和40年頃に農協がこれを売り出したら、一番重労働な中心の縄がけがすごく簡単になって、女の人でも俵作りができるようになっただって。
仕組みはこの道具のワイヤを俵の周りにかけて、ワイヤを締めていって、きっちり締めたらそこを縄で縛ればいいってこんさ。昭和40年頃っていうからこの道具もそんなに長くは使われなかったね。農機具の中にはこういう風に、発明された頃はおしまいっていうもんが結構あるよ。
俵に刺さってるのは「刺し」っていう道具で、竹を切って割って作った簡単な道具だけんど、これは長く使われたね。米の品質検査をするのに、俵の中にこれを差し込んで米を少し抜き取って検査をするわけだね。今もこれと同じ仕組みの金属でできた検査用具が使われてるよ。
俵に引っかかっている鎌みたいなもんは、「俵鉤」とか「俵子鉈(ひょうずなた)」っていって、俵詰めの最後に桟俵をのせて縄で縫い合わせるだけんど、そのときに使うさね。鉤で縄の穴通しをして、刃で縄を切る道具だね。運ぶときにも引っかけて、使っただって。やっぱり俵を全国で使っていた昭和30年頃まで盛んに使われてただね。
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