「福塚壮蚕飼育所かな?」と思っていたけど、ここは「椚田壮蚕飼育所」だった!
こんにちは、まゆこです。(この記事は平成29年3月28日に加筆しました)
豊富公民館で発見されたアルバムの中には、稚蚕飼育所以外の写真も交じっていました。
これは多段循環式壮蚕飼育機の写真ですが、まゆこが通っていた豊富最後の養蚕家・中込文義さんの蚕室ではないです。
この写真にうつる壮蚕飼育機は3列以上あり、たぶん中込家の倍以上の生産能力があったのではないかと思います。
推測では、この施設はうわさに聞いたことのある「福塚壮蚕飼育所」ではないかと思うのです。
←この写真の建物は「椚田壮蚕飼育所」であるとの証言をコメント欄にいただき、現地に行って確認したところ、豊富地区大鳥居の高台に建物が現存していることが確認できました!中の多段循環飼育機はもうないそうです。
福塚壮蚕飼育所は作興橋の近くで福田さんと塚田さんが共同で建設運営していたと聞いています。
豊富地区には、昭和50年代に3か所の壮蚕飼育所があったことが判明しました。
でもこの写真、よく見たら中込文義さんが写っているじゃないですか!
←蚕座紙に桑枝と一緒に巻かれて稚蚕所から運んでこられた蚕を開く中込さん
昭和50年代前半の撮影とおもわれますが、稚蚕飼育所から配蚕された直後の様子から、桑枝についた蚕を多段循環式壮蚕飼育機に移す作業が撮影されています。
昭和50年から60年頃にかけて、安い中国産繭の単価に対抗しようと、日本の養蚕は規模拡大と機械化によるコスト削減を目指しました。
←まゆこの撮影した平成23年の中込文義さん
中込さんも自分のところで昭和56年にこの多段循環壮蚕飼育機を導入する前に、すでにあった壮蚕飼育所に手伝いに行って使い方を覚えたという話をしていたように思います。
退職する前に養蚕関係の資料を見直していて、まゆこの知らない若い時の中込さんに逢えました。うれしいです。
← 平成6年頃撮影のお山の神さんの祭礼に繭を奉納する人の中にも、左一番手前にまゆこの恩人、中込文義さん発見! この人がシルクの里豊富の最後の養蚕家でした。
まゆこ
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コメント
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福塚壮蚕飼育所かな?ということですが、「椚田壮蚕飼育施設」です。現在は、建物は存在していると思いますが、機械等はないと思われます。
投稿: | 2017年3月28日 (火) 09時43分
情報提供ありがとうございます。
椚田壮蚕飼育所の存在は初めて知りました。
大鳥居の椚田のことですか?
教えてください!
投稿: まゆこ | 2017年3月28日 (火) 13時46分
山梨県中央市豊富地区大鳥居にある小字名「椚田」に早速行ってみました!
ありました!!
近所を耕作中の方と散歩中の方に、かつて飼育所であったことを確認しました。
中は確認できませんでしたが、建物の大きさからかなり大きな壮蚕飼育所だったことが想像できます。
これで、豊富地区に3か所もの多段循環式の飼育機が導入されていたという歴史を伝えられます。この地区の昭和末期大規模養蚕の痕跡を示す重要な証言です。
お教えいただき、本当にありがとうございました。
ご存知のことがありましたら、どんな小さなことでも教えてください。
よろしくお願いします。
投稿: まゆこ | 2017年3月28日 (火) 17時24分