和宮下向当分助郷身分証明木札
富子だけんど、朝、資料館へ来る途中の山も木も、ぼんやり緑っぽくなってきたよ。今日はうれしいこんがあったさ。私の家族が見に来てくれただよ。私の本名は「殿岡うたの」っていうだって。この資料館を作るとき、蚕もみんな殿岡家から引っ越してきたさ。本人は引っ越しては来れんから、私はマネキン人形だけんどね。
今日は今までずっと気になってはいたけんど、手に負えなかった「和宮下向当分助郷身分証明木札」を見せるね。皇女和宮が徳川家茂と結婚するに当たって、京都から中山道を通って江戸まで下向したときの荷物運びに、山梨県中の村々から人足を出したときの身分証明書だよ。なにしろ2万人からの行列だから、荷物も半端じゃないわけさ。
50枚近くの木札があるだけんど、今まで1枚1枚違うこんが書いてあったらそこで降参だと思って、さわらなかったさ。だけんどよく見たら、みんな同じこんが書いてあるさ。
たぶん右側が表で、「田安 御領地 御用」って書いてあって、裏は左側のように「甲州 八代郡 上大鳥居村」って書いてあるさ。上大鳥居村って言っても、下大鳥居村は豊富にゃあないよ。要するに豊富の大鳥居ってこんさ。これを腰にさげてれば、怪しいもんじゃないっていうこんだよね。
木札は50枚くらいしかないけんど、大鳥居からは182人の人足が長野県の佐久を通って八幡宿と坂本宿に行ってるだよね。坂本っていうと妙義山の麓みたいなとこで、車で行ってもやんなるくれえ時間がかかるに、昔の人はよく歩いて行ったもんじゃんね。そういう詳しいこんがわかるのは、上の写真の帳面があるからさ。これはコピーで本物は甲府の人が持ってるだけんどね。人足で出れば日当をもらえるけんど、旧暦の11月の長野県だよ。寒かっつらね。着るものをたくさん着てくようにっていう代官所から注意もあったらしいよ。帳面を見ると薪とか炭とかも買ってるから、向こうで使ったずらか。野宿をしたって書かれたもんもあるけんど、野宿をしんように小屋を建てろっていう命令もあったらしいだよね。
これは同じときの「中楯村(中央市中楯)」の諸帳簿で、村中みんなでその費用を割って負担した一人一人の石高や支払った金額が書いてあったり、何にいくら使ったかっていうようなことが細かく書いてあるさ。まだ中身を読んでないから、宿題にしてもらうこんにして、大鳥居の計算で行くと、一石に付き7匁7分っていうから、5石くらいの家だと1万円くらいの負担をしたじゃあねえかなぁ。
よその町村誌を読むと、割り当ての人数の一部しか山梨からは行かなんで、地元の人を金で雇って済ませる場合もあったみたいだね。当然その費用は村のみんなで負担するだけんどさ。もっと詳しく比べてみんと正しいこんは言えんけんど、村によって人足の日当も違えば、負担金も違うようの気がするだよね。「米倉村(旧八代町米倉)」じゃあ1石に付き9匁4分で全体では約100両だって。
よく黙って負担したよね。金もだけんど、労働力もね。木札も帳面も黙って並んでるけんど、きっともっとなんか言いたいよね。早く代わりに言えるように頑張らんとだめだよね。
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