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2017年2月28日 (火)

ミニ企画展「縁側の茶器」(6)

今回の展示品には煎茶の茶器の他に土瓶と呼ばれる、番茶や普通のお茶を入れる茶器があります。以下そのことについて紹介します。

益子の土瓶

栃木県の益子で焼かれた明治時代の土瓶です。丈夫で安い日用雑器が、関東一円でもてはやされました。簡略な山水画が描かれることが多く、「山水土瓶」ともいいます。

Img_9776jpg2 益子焼の土瓶

益子焼は土瓶や土鍋などを作って発展しましたが、大正期の民芸運動で一躍有名になりました。民衆工芸の中にこそ生活の用に即した美がある、と日用雑器の中にある用の美が愛されたのです。益子の土は、栃木県内で取れる粘土をベースにした粗い粘土で、気泡が多いため厚手に作らなくてはならないのですが、それでいて以外と軽いのが特徴です。

Img_9588jpg2 山水画の土瓶(底はすすけている)

益子焼の山水の図柄は、昔ながらのものでしたが、大正時代の皆川マスさんは、絵付けばあさんとして有名になり、10歳から87歳までの一生の間に600万個の土瓶に絵付けをしたと言われています。

Img_9589jpg2 花柄の土瓶にも煤の跡がある

土瓶は番茶を飲むときに用いられます。番茶本来の味を楽しむには、一度煮出すことが必要でので、沸騰した湯を茶葉に注いだ後一分間煮出すか、火にかけたままの沸騰したお湯の中に茶葉を入れます。ですから、展示品の土瓶には火にかけた痕跡があります。底に煤が染みついて、黒くなっているのです。きっと火鉢や七輪にかけたのでしょう。熱い番茶をすする人の顔が見えるような気がします。

汽車土瓶

明治10年神戸駅で駅弁の販売が始まり、明治22年に陶器製の汽車茶瓶が静岡駅で発売されました。なかでも土瓶の形をしたものは汽車土瓶といいます。

大正時代にはガラス製が登場しますが、評判が悪く再び陶器製が復活します。しかしそれまでのような轆轤挽きは手間がかかるので、型合わせで作られ、形も土瓶型から角形に変わります。後にポリ容器になり、缶入りのお茶からペットボトル入りにお茶へと変わって現在に至るわけです。

Img_9593jpg2 汽車土瓶には駅名が書いてある

展示品は新宿駅のものと八王子駅のものです。新宿駅でお弁当を買い、汽車の中でお弁当を食べ、大切にお土産として汽車土瓶を持って帰ってきた人の素朴な人柄が偲ばれます。

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