御殿飾り雛コレクションin とよとみ
二月に入ってから連日、ひな人形展に多くのお客様に来ていただきうれしい限りです。
享保雛、古今雛、有職雛、土雛、押絵雛、御殿飾り雛他、土雛や御所人形、市松人形や甲府の雛問屋が作った横沢雛など、多彩なお人形が皆さまをお迎えしております。
←今日は、寄贈していただいた御殿飾り雛が新たに一式、展示資料として仲間入りしましたので、お知らせします。
これで当館展示の御殿飾り雛は全部で6点となり、おかげさまで、御殿飾り雛の形態の時代的変遷を理解していただける絶好の資料が揃いました!
当館ひな人形展の見どころがまた一つ増えたわけです。
御殿飾り雛は明治大正時代から戦後昭和にも流行し、長い間人気のあったお雛様です。御殿の中に男雛、女雛が入り、その周りに三人官女が配置される、見た目にもたいへん豪華な雛飾りです。
しかし、昭和20年を挟んで、戦前、戦後のものでは建物である御殿の趣がかなり変化していきます。
戦前のものは宮中への憧れをそのまま具現化したようなシックで格調高い御殿なのですが、戦後になると、屋根の中央付近に破風が据えられるになり、ピカピカとした金メッキの装飾金具がどんどんと多用されるようになります。
←昭和20年代末のだんだん装飾が過剰になっていく御殿飾り雛。(本日から展示の新資料)
←当館展示の昭和30年代終わりの御殿になると、キラキラ金ピかのまるで東南アジアの寺院のような姿になってしまっていて、おもしろいです。
これは、特に昭和20年から30年代にかけては、御殿が宮中を模したものという概念が薄れたこともあるでしょう。
さらに、戦後の復興、高度成長期への期待感が高まっていた時ですから、ひな人形を子どものために購入する大人たちの心にも、将来の暮らしの豊かさへの強い欲求が込められた結果なのだと言われています。
現在の感覚からすると、いまから50~60年前くらいの、少々やりすぎにさえ感じられるこの究極の金ピか御殿にも、当時の子を持つ親の願いが強くこめられていたのだと思うと感慨深いですね。
ひな人形展をご覧のお客様には、昭和初期から20年代、30代末と趣を変化させていく御殿飾り雛の世界もじっくりと比較しながら見ていただけましたら、うれしいです。
昭和40年代に入ると、御殿飾り雛はぱったりと姿を消し、五人囃子以下を伴う豪華7段飾りが主流になっていきます。
7段飾りは、まゆこの買ってもらったお雛様の時代です。
どの世代の方が来館されても、なじみある雛人形とそれよりもちょっと昔の心惹かれるお雛様たちに出会うことができますよ!
そんな、江戸から昭和までの雛壇の様相の変化を一堂にご覧いただけるのは、当館ひな人形展の自慢なんです♪
まゆこ
« ミニ企画展「縁側の茶器」(4) | トップページ | 繭雛5段飾りを作ってみた »
「まゆこのつぶやき」カテゴリの記事
- 宮方(ミヤカタ)資料の行方(2017.03.29)
- 「福塚壮蚕飼育所かな?」と思っていたけど、ここは「椚田壮蚕飼育所」だった!(2017.03.25)
- 豊富稚蚕共同飼育所(2017.03.22)
- 撚りかけ車(2017.03.20)
- 地獄温度にお馬さん発見!(2017.03.15)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント