道祖神祭り(3)
富子だけんど、今日はいい天気じゃんね。日曜日だけんど静かだよ。あとちっとで節分だから、少しはぬくとくなるかなぁ。
道祖神祭りの(2)で、道祖神ていうのは中国の旅行安全の神様だっていうことを書いたけんど、日本で始めて旅行安全のために道案内をしたのは猿田彦だよね。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から天孫降臨をしたときに猿田彦が道案内をしたっていう日本神話から、道祖神と猿田彦が同一視されて、猿田彦が道の神・旅人の神になっていったただって。
ほんだから道祖神祭りの石碑に道祖神とは彫ってなくて、猿田彦大神って彫ってあるのも豊富にはあるよ。高部新道の道祖神だね。
関原北組(関原1202-1)の道祖神には、台座に猿田彦命て彫ってあって、石祠の破風のところに猿田彦の顔らしいものがレリーフになってるよ。
『山梨県史』の民俗編を読んだら、山梨県の道祖神は、塞の神とはいうものの、集落のはずれに立っているものはあんまりなくて、どっちかといえば集落の中心に祀られていることが多だって。だけんど、道祖神祭りの時は、集落の境を意識して、青竹にシメを挟んだ御幣が立てられるらしいだよね。『山梨県史』には中央市の成島のことが書いてあって、平成14年にゃあ、上成島じゃあ白の御幣、宿成島じゃあ青色の御幣を立てただって。災いがムラに入り込まんように立てるだってよ。今度成島にも見に行かなくちゃあね。
たしか豊富でも見かけたなあと思って、確かめに行ったら、浅利の北側の境に3カ所発見したさ。小さい御幣だね。
以前豊富の道祖神のこんを企画展示したときも別のを見たことがあったから、そこも確かめに行ったら、あったよ。関原北組(関原愛宕神社)だけんどね。ここは御幣じゃなくて、お札を青竹に挟んでたててあったね。「善い星皆来、悪星退散」って書いてあるから、はっきり災厄よけだよね。
平成24年の写真を見たら、お札を付けた青竹が4本ばかりまとまって置いてあったから、4本くれえ立てるだね。お札が本格的だから、お寺のお坊さんが作るのかと思ったら、そうじゃあなくて、その年の区長さんが作るだって。そういえばここの道祖神祭りは、線香をあげてお参りしてるよ。神様が混ざっただけじゃなくて、仏様も混ざっちゃっただね。
今じゃあ自治会長が音頭を取って道祖神祭りをしないと成り立たんけんど、江戸時代は逆に大騒ぎになりすぎて大変だったらしいよ。そのこんが『玉穂町誌』と『豊富村誌』に書いてあったから、次の時話すね。
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