昭和の包装紙
富子だけんど、道祖神のことはちょっくらこっちへ置いといて、おもしろいもんが見つかったから見せるね。
せんころボランティアさんと一緒にお雛さんを飾ってたときのこんだけんどね。資料館のお雛さんは古いもんが多いから、直し直し飾ってるだけんど、七段飾りの小さいお雛さんがあるだよね。戦後ちょっとたった頃のまだ物があんまりない時期に作られたもんじゃねえかと思うだけんど。雪洞なんかの布がぺこぺこになっちゃって、丸くふくらんだ雪洞になってないだよね。ほれで持ち主の人が、その辺にあった包装紙をくしゃくしゃと丸めてその中へ入れて形を整えたらしいだよね。
その包み紙を見つけたボランティアさんが、「包み紙じゃあかっこ悪いから、違う紙にしたらどうで」っていうから、薄葉紙を丸めて入れるこんにして、包み紙をやっとのことで取り出したら、かなり古い包装紙で、これは面白いって、しわを伸ばして、裏打ちをして、どこの包装紙だか調べてみるこんにしたさ。
一枚は甲府銀座の梅林堂っていうお菓子屋さんの包み紙だったさ。この店が今もあればいいなと思ったけど、残念ながらお菓子屋は廃業して駐輪場になってるらしい。昭和の初めの写真を見ると、松林軒ていうデパートの近くにあって、2階では喫茶店もやったりして、人通りもにぎやかで流行ってた。峡陽文庫に書いてあるのを見ると、梅林堂は明治12年に創業してて、昭和7年に喫茶部ができただって。
昭和の初めの包装紙には電話番号が2969番て書いてあるだけんど、こっちの包装紙には、3056番になってるだよね。電話番号が地方都市で4桁だったのは手動交換時代のこんで、昭和30年代前半までだっていうから、ちょうどお雛さんを買った頃の包装紙じゃあねえかなぁ。お雛祭りに梅林堂のお菓子を買って、みんなでそれを食べながらお祝いしたと思うとなんか心がほんわかするねぇ。
もう一枚は店の包装紙じゃなくて、精香舎のケンシポマードやヘアトニックの包装紙で、ケンシポマードっていうのは大正13年に発売されて、昭和に入っても人気を博した整髪料だったらしいさ。なにしろ男の人用の整髪料はポマードしかないって言う頃だからね。
1960年代からはドライヤーが登場して、ヘアリキッドでふんわりしたセットができるようになって販売数がへったけんど、それまではポマードの世界だったわけさ。ケンシポマードは植物性で、ヒマシ油と木蝋に香料を練り合わせてあるだって。ちょっとべたつくし、原料が臭うから、香料がたくさん使ってあったらしいから、つけてたのはおしゃれな人だったんだね。お雛祭りをした家のお父さんが使ってたのかなあ。
いずれにしても雪洞がタイムカプセルの役目を果たしてくれてただよね。
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