道祖神祭り(2)
富子だけんど、今日もさぶかったよね。朝、資料館へ来る途中の川から湯気が立ってたよ。川の水の方がぬくといだよね。さぶいから温泉へ来る人が多いよ。資料館に寄ってくれる人も多いよ。
道祖神のこんについては、4年ばか前に資料館で企画展をしたことがあって、そんときに中央市中の道祖神をまわって調べたさね。町誌に載ってるより多く道祖神が見つかって、一覧表にしたもんもあるけんど、旧豊富地区が23基、旧田富地区が31基、旧玉穂地区が38基あるだよね。すごい数じゃんね。だいたい集落ごとにひとつはあるからね。全部で92基だよ。これが全部古いもんかっちゅうとそうでもない。平成になってから作られたもんもあるさね。そこがまたおもしれえじゃんね。
「道祖神」さんてなんずらと思ったら、『豊富村の石造物』っていう本に、「古来道の分岐点で邪気が村に入り込むことを防ぐ岐神(ふなどのかみ)とよばれる神がいると信じられていた」ことと、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国(よみのくに)から逃げ帰ったときに道をふさいで幽鬼から尊を守った黄泉平坂(よもつひらさか)の石を道返大神(みちかえしのおおかみ)と呼」んだこと。この二つが混合して塞の神(さいのかみ)って呼ぶようになったことが書かれてるさ。
さらにはそれに「中国の古代信仰に旅行の守護神として道祖神があって、この信仰が日本に伝来し塞の神と混合したらしい」って書いてあるさ。「道祖神」っていう名前がついたのもここからだね。「塞の神」とも呼ぶけんどね。「その上性器崇拝の習俗とも混合し、縁結び・子授け・安産などの祈願も行われるようになった」だって。まあすごい神様だね。御利益のデパートだね。山の神なんかもそうだけんどさ。日本人はどんどん神様を作っちもうし、よそから来た神様も御利益がありそうならどんどん祀っちもうしね。貪欲だよね。
『田富町誌』には、昭和20年頃までの道祖神祭りの2日間、どんなふうに祭りを進めてくかが書かれてておもしれえよ。その中に「1月11日の朝、道祖神の両側に5間の幟を立てることから始まる。当日の14日の朝、道祖神の前にしめ縄を張るとともに村落の境に青竹にしめを挟んで立てる」ってあるさ。豊富の関原でも立てるってことで、企画展の時にも復元して立てたけんど、豊富のは竹の背が高いだよね。町の中に時々見かけてなんずらなと思っていたらこれだっただね。今回立てたばっかの写真を撮ってきたよ。下の写真は集落の境っていうのがわかるように遠くから撮ったから、しめが見にくいけんどね。
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