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2017年1月24日 (火)

道祖神祭り(4)

Tomiko

 富子だけんど、昨日は北風がすごかったねぇ。自転車で玉穂の成島の辺をまわって、道祖神の御幣をいっぱい見つけてきたよ。カラフルでかわいかったから、次の時また書くね。何しろ北風に向かって自転車を漕ぐといっさら進まんだよね。御幣も北風に負けないで立ってたよ。

Jpg2 浅利神社境内の4地区の道祖神

 今日は江戸時代の玉穂の下河東のことと豊富の浅利のこんだよ。『玉穂町誌』と『豊富村誌』に載ってただけんどね。江戸時代の古文書そのままじゃあ意味がわからんから、現代語に訳して載せるね。

Dsc_0065 下河東茶道の道祖神

 「正月14日の道祖神祭りに、若いもんたちばっかりかいい年のもんまで名主の所へ押しかけて、さんざん悪口やら乱暴やらを働き、そればかりか村役人にまで程度を超したことをしたから、代官に訴えたら、不届き至極ということで、牢屋に入れられました。・・・村のお寺の永源寺さまなどに頼んで、今後騒ぎ立てるようなことがないようにということでやっと許してもらいました。』だって。これは下河東村で寛政2年(1790)にあったこんだね。

P1000237jpg2 永源寺(11月3日撮影)

 ほんだけんど喉元過ぎれば熱さを忘れるだね。やっぱり騒ぎは起きたずらね。安政5年(1858)には成島村でも「道祖神祭礼議定書の事」っていう祭りの時に守る約束をしてるだよね。「獅子舞の時獅子宮を練り歩くことはしない」とか、「太鼓を破ったら自分たちで張り替える」とかね。

Dscn9460jpg2 獅子と獅子宮(資料館内)

 もっとひどいのは豊富の浅利村だよ。天保2年(1831)から弘化3年(1846)まで道祖神祭りができなかっただね。そのわけは、「天保2年正月14日の道祖神祭りのとき、仲間同士で喧嘩になり、混乱したから」だって。それで浅利神社の神主さんの竹内兵庫さんが間に入って、「今まで浅利の中では5カ所で道祖神祭りをしてきたが、これからは1カ所にまとめておこなう。5カ所の組から代表者を出して、その人たちの話し合いと監督の下に祭りを行う」「獅子舞の時もせりあいをしない」「獅子舞の時は酒を飲まない」「獅子舞の稽古をするのに先生を呼んでもいいが、指導料は自分たちで払う」など「何事についても5人の代表者の指示にしたがうこと」などを決めてやっと15年ぶりに祭りを再開するこんができただって。

Dscn9339jpg2 ボコを産んだ道祖神

 ほかにも祭りはあるけんど、どうして道祖神祭りだけこういうこんが起こるずらね。若者が主役だからずらか。道祖神祭りはちょっとHな祭りをするところもあるし、はめを外しやすいのかもしれんね。氏神さんのお祭りとかと違って、神さんも道ばたの神さんだしね。

 上の写真の道祖神は一丁畑稲積の道祖神さんだけんど、4年前の写真じゃあ石が1個しか写っていんけんど、今年は4個写ってるだよね。こういうのを「道祖神さんがボコ(子ども)を産んだ」っていうだって。ここの道祖神さんは毎年新しい桟俵を石の下に敷いてもらってるよ。そういえば、道祖神さんには男の神さんと女の神さんがいるだってよ。田富の大田和の道祖神は、大田和の地区で男と女の両方(ちょっと離れたところにある)を祀ってるっていってたよ。

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