富札があった
富子だけんど、今日もいい天気だねぇ。しかも春の陽気だよ。本当は一番寒い時期らしいけんどね。今日は資料館で節分のイベントをするから、よかったら来てくりょう。
せんころ、ひょっとしたこんから、「安政元年の富くじの富札」って書いた封筒の中から富札が見つかったさ。富札4枚と銀札らしい小型の札が2枚いっしょに入っていただけんど、どこで出した富札だかわからなくてね。
達筆すぎて番号もよく読めなかったけんど、なんとか頑張ったら、例えば一番左のは二千六百九十五番て読めたさ。
札の表を見ると「寅十月十三日会」って書いてあるから、寅年に出されたもんだって分かるから、「安政元年」て考えたと思うだよね。ところがよく調べてみると、「本吉町仕法方役所」って言うのは加賀藩の役所で、加賀藩が富札を出したのは慶応2年とか4年なんだって。つまり寅年は慶応2年の寅年のことだったさ。本吉町っていうのは、石川県の白山市美川本吉町のことで、金沢市の近くの日本海側の町だった。右上には「加入銀八匁五分」ってあるから、この富札を買うには、8匁5分払って買うっていうこんだね。今のお金で8500円くらいするようだよ。今の宝くじより高いよね。だから2人で買ったり、4人で買ったりしたらしいさ。
裏はどうなってるかっちゅうと、くじの情報が印刷してあるさね。ツルの組とカメの組で合わせて7000枚発行して、最高賞金額は銀11貫目だよとかね。この富札は、赤いツルの判が押してあるからツルの組だね。銀11貫目っていうと1貫目を125万円とすると1375万円になるね。当たりは600枚出て、一番少ない賞金額は8匁5分だから、くじの値段と同じだね。高いくじだったら、最高賞金が1000両っていうから、7500万円にもなったらしいよ。今は1億円とかのくじもあるけんどね。
そういうこんで天保の改革のとき「突富」っていうのは禁止されただけんど、今の福引きみたいな形の「振籤」に姿を変えて、ずっと続いてたらしいね。
表の四角い判には、賞金は札を売ったところで換金するが、札をなくしたり破損したりしたものは、当選していても換金しないと書いてあるよ。
残念ながら山梨県内で興業されたくじじゃあなかったけど、外れたから今に伝わったんだね。県内でも興業はあったようだから、富札があったらみてみたいねぇ。
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