道祖神祭り(1)
富子だけんど、寒いじゃんね。こっちは雪が風花程度だったけんど、日本海側はえらいこんだね。センター試験ていうと雪じゃんね。きのうは風も強くて、寝てても鼻の頭がつべたくなっちゃって。
13日と14日に道祖神祭りの飾りの写真をたくさん撮ったから、ちょっと載せるね。昨日は大田和のどんど焼だったから、そのことを中心に書いて、あと所はまた後で書くよ。
どんど焼(山梨の一部と愛知の一部での呼び方)は、実家の方じゃどんどん焼き(山梨の一部での呼び方)って言ってた気がするけんど、左義長っていうのが全国に共通する言葉らしいね。
平安時代に清涼殿の東の庭で、青竹を束ねたのに、毬杖(ぎっちょう)っていうホッケーのスティックみたいのを3本結びつけて、その上に扇子や短冊をくっつけて、陰陽師が謡ったりはやしたり踊ったりしながら燃やす行事があっただって。1月15日にやって、天皇もそれを見たらしいよ。
庶民の間でもそれは、門松やら、注連飾りやらの歳神さんを出迎える飾りをどんど焼で焼くこんで歳神さんを見送る行事になってずっと続いてるだね。
謡い踊るっていうところが獅子舞になっていったのかもしれんね。陰陽師も鬼とかに仮装して踊ったらしいからね。
あと、道祖神祭りは若者と子どもが活躍する祭りだけんど、大田和でもお小屋に火を付けるのは子どもの仕事で、中学生の女の子たちが四隅から火を付ける役をまかされてたさ。
本来若者と子どもが活躍する祭りだけんど、昨日の新聞を見たら、集落が高齢者ばっかになっちゃって、道祖神祭りのおヤナギが飾れなくなっちゃったところのことが書いてあったね。10mもある柱に割った竹をヤナギのように付けていくのは技と体力と人手が必要だからね。ほんだけんどもったいねえよね。おヤナギは子どもの頃、実家の辺じゃあみんな作ってて、その下に立つとホントに神様が降りてきそうな気がしたよ。
大田和のお小屋も高齢者の人たちの技と人出がないと作れないって言ってたから、技の伝承をしていかんとだめだよね。昨日は寒くて北風も強くてお小屋を燃やしても大丈夫ずらかと思ったけんど、無事にできてよかったよう。
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