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2016年12月 1日 (木)

ミニ企画展「麦を食べる」(5)

伝統的な麦作りの道具

麦扱き(むぎこき)

麦用千歯扱き(むぎようせんばこき)のことを言います。千歯扱きは日本で江戸時代に発明されました。歯(穂)は一挺あたり17~27本(奇数本)あり、江戸時代のものは平らな長方形で幅広く短い歯です。明治時代からは面が取ってあったり、鎗のような形になったりするなど改良されました。

Jpg3 千歯扱きで小麦を脱穀する

大麦は千歯扱きで穂先だけをちぎりとりますが、小麦は米と同じように粒になりました。稲用千歯扱きより歯と歯の間が広く、稲用は1.5mmくらい、麦用は3mmくらいの幅があるそうですが、兼用で使う場合も多かったようです。

大正時代に足踏み脱穀機が普及して千歯扱きは製造されなくなりました。

Img_9461jpg2 麦用は隙間が広い

麦打ち棒(むぎうちぼう)

米・麦の脱粒・脱芒(だつぼう)や豆類の脱粒に使いました。全国的には、連枷(れんか)・唐竿(からさお)と呼ばれる道具(関東地方ではくるり棒・ぶり棒など)で行われることが多いのですが、山梨、静岡などでは、鬼歯(おにば)とも呼ばれる麦打ち棒を使いました。

静岡から資料館を訪れてくれた方が「子どもの頃これを使ったことがあるよ。」と教えてくれました。また、千葉から来た方は、「くるり棒」を使ったことがあり、回し方が難しくて、自分を打ってしまうことがあると話してくれました。このあたりだけが鬼歯を使うのはどうしてなのでしょう。

頭部の叩き面は四角柱や楕円の柱で、そこから柄が出ています。叩き面には粗い溝状の歯列をつけてあるので、鬼歯と呼びます。

連枷は平安時代の百科事典ともいうべき『和名類聚鈔』にも載っていて、中国やアジア各地、ヨーロッパでも使われています。麦打ち棒は、昭和20年頃まで使われたようです。

Img_9437jpg2 ぎざぎざの歯が並ぶ鬼歯

麦打ち台(むぎうちだい)

麦打ち棚・麦叩き台ともいいます。小麦の脱穀に適していて、麦を束ねて持ち、麦の穂先を竹の簀の子(すのこ)状の部分に数回叩きつけて脱粒します。小麦は茎が強く粒が落ちやすいという性質があるので、これで叩くことによって粒が簡単に取れます。また、ダイズの脱粒にも使われました。

Img_0001jpg2 大工さんが作った麦打ち台

大きさは、2人以上で作業できる3mくらいのものまであります。関東から九州まで広く使われましたが、足踏み脱穀機が普及すると使われなくなりました。展示中の麦打ち台は昭和30年頃まで使っていたそうです。

 

Jpg2 麦打ち台で小麦を脱穀する

唐箕(とうみ)

風力を利用して穀物を精選する農具で、中国から伝わったとされています。一般に普及するのは江戸時代の後半からで、日本各地に江戸時代の紀年銘が書かれた唐箕が伝わっています。地方によって形は少しずつ違いますが、山梨のものは、西日本で使われていたものに似ています。

山梨では唐箕のことを「千石」とも呼びますが、「千石通し」「万石通し」は篩(ふるい)のことで、穀類の精選に使われる点では同じですが、もともとは唐箕とは別の道具です。農具は、同じものを別の名前で呼んだり、別のものを同じ名前で呼んだりすることが多く見られます。

Img_9421jpg2 唐箕(現在も農機具店で販売中)

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