年に一度、虚無僧と普化禅師像に会える
こんにちは、まゆこです。
中央市では年に一度、おまつりの日に虚無僧(こむそう)に会うことができます。
昨年までは4月29日に玉穂地区で行われていた「れんげまつり」に登場していた虚無僧ですが、
今年平成28年は11月3日に行われた第1回中央市ふるさとまつりでのお出ましとなりました。
江戸時代、乙黒村(現玉穂地区乙黒)には、普化宗(ふけしゅう)の明暗寺(みょうあんじ)がありました。
普化宗とは禅宗の一派で、その寺には虚無僧とよばれる、筒形の深網笠をかぶり、袈裟(けさ)をかけ、刀を帯びて尺八を吹きつつ、托鉢行脚(たくはつあんぎゃ)する独特なスタイルを持つ僧が所属していました。
江戸中期・末期には、「扉を付した大門に、その両側の高い石垣上に塀をめぐらした城郭構え(中央市文化財ガイドより)」の大寺であったといいます。
しかし、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動のおり、明治4年(1871年)に普化宗は廃宗となりました。
現在の中央市では、これを偲び、まつりの日に虚無僧行列が結成され、明暗寺跡で出発式を行った後、いまは無き明暗寺のゆかりの家々に寄り、献奏しています。
さらに、虚無僧の行列は、、まつりメインステージにて尺八演奏をし、
明治4年に明暗寺廃寺後、屋根瓦や和尚の墓石や位牌(いはい)、木造普化禅師坐像などが、永源寺に移されました。永源寺ではこの日に合わせ、普化禅師像が特別に公開されます。
ふるさと祭りの会場では、まっすぐにメインステージに向かうミステリアスな虚無僧行列がその周囲に独特な空気感を作り出し、あふれる人波の中を行く行列の先に、自然とひとすじの道が作り出されていく様は圧巻でした。
このように地域の歴史文化遺産を伝える機会を年に一度のおまつりの中に残していくことは大事なことだなと思ったのでした。
まゆこ
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