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2016年11月30日 (水)

早川新太郎少将遺品展 日清・日露・第一次大戦を駆けた男

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先ごろ山梨日日新聞の紙面で紹介がありました、早川新太郎少将の大礼服や肩章、帽子、叙位証などをウインドウ展示しました。新聞での掲載後に、大礼服が見たいというお客様がたくさんお見えになったので、12月末の27日まで展示をしています。

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早川少将は、現在の笛吹市一宮町中尾の出身で、陸軍士官学校を卒業し、日清戦争に参戦、更に陸軍大学を経て、陸軍のエリートとして日露戦争や第一次世界大戦にも参戦しました。妻は陸軍中将田村怡与造の娘です。田村中将は小説「坂の上の雲」にも登場する陸軍きっての戦略家でしたが、日露戦争の直前に過労のため亡くなっています。

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早川少将が参戦した戦争は、いづれも日本が勝利を収めたもので、昭和2年(1927)に没しています。来年は没後90年になります。勝ち戦ばかりの日本が、アジア太平洋戦争で無謀なアジア全土への進出

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を図ったのは、こうした過信が軍部にあったのではないかと思います。

日本陸軍の栄光の時代が生み出した戦争の悲惨さをかみしめ、失ったものの大きさを、早川少将の遺品から、少しでも味わうことができたらよいと思います。

田富北小学校5年生の脱穀体験

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昨日11月29日は、市教育委員会の職員と郷土資料館合同で、田富北小に出かけて、昔の道具を使った脱穀体験を行いました。
脱穀する稲は、子供たちが隣の甲府市水源用地の一角に造った水田で育てた稲です。稲束は積み上げると軽トラック1台分ほどになりますが、脱穀してどのくらいの量になるでしょうか?

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最初の挨拶を済ませ、すくに4班に分かれて、籾を箸で落とす班と、千歯コキを使う班、回転脱穀機の班に分かれて一斉に脱穀を始めました。各班は順番にさまざまな道具で脱穀を体験します。昔の道具を使っての体験は相当苦労していました。

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千歯コキでは、たくさんの稲をはさんで、なかなか引き抜けいない子がいたり、回転脱穀機では、逆回転したり、稲穂を回転で持っていかれたりと悪戦苦闘です。
脱穀が一通り終了すると、今度はごみの除去を手回し扇風機と唐箕(千石)を使って行いました。

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ごみが唐箕の口から勢いよく飛び出しますが、一定の風力が得られないことから、手前の箱にもごみが落ちて来てしまします。それでもあらかたのごみをとって終了となりました。
収穫したお米は籾の状態で20キロほどです。精米すると15キロほどに減ってしまうでしょうね。
皆でおいしいおにぎりが食べられるといいね。

2016年11月29日 (火)

11月の大雪

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先日の24日は大雪でした。盆地の中は積もるか積もらないか、みぞれと雪がぱらぱらでしたが、中央市豊富のシルクの里あたりは、とんでもない大降りでしたよ。

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資料館はまるで雪国の玄関口のようで、タイヤが冬用タイヤだから良いものの、ノーマルでは入り口の坂は躊躇したでしょう。昨日までの紅葉は、みじめに冠雪し、色もくすんでしましました。途中の村中も雪に覆われ、まったく雪国です。

となりの大

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福寺観音堂は降りしきる雪が激しく、美しいを通り越して不安になりました。まさか、数年前の大雪になるか?ハラハラドキドキものです。資料館前は、ポストの赤が鮮やかでし た が、資料館の軒先の干し柿はなん

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だか寂しそうででした。

2016年11月26日 (土)

麦を蒔いたけんど

Tomiko

 富子だけんど、今日も霧んすごかったねぇ。やっと晴れてきたよ。これでちったあ暖かくなるら。

 せんころ麦を蒔いたさ。えびす講の前に蒔くがいいっていうからね。今年は、大麦と小麦の両方を蒔いたさ。みんなんに比べて見てもれてえからね。

Dscn9147jpg2 22日大麦の芽が出た

 22日にプランターをのぞいてみたら、大麦が芽を出してるじゃん。うれしくてさ。カメラで写してたら、やっぱり麦の芽の先に水滴がついていて、いかにも生きてるっていう感じでいいだよね。

Dscn9146jpg2 芽の先に水滴がついてる

 ほんだから、小麦はどうずらと思って、ワクワクしながら見に行ったさ。ほうしたらなんちゅうこんだか、芽がいっさら見えんじゃん。ほれでもと思ってよく見たら、ひっくり返されてるさ。

Dscn9162jpg2_2 無残な小麦

 カラスかなあ。ラッカセイを食ったのもカラスらしいから、小麦もそうかもしれんね。小麦は実がなると鳥にやられるのは知ってたけんど、まさか蒔いて芽が出た小麦がやられるとは思わなかったじゃんね。今までで始めてだよ。

Dscn9164jpg2 26日の大麦

 大麦はその点いいよね。実がなっても鳥にゃあやられんからね。しょうがねえから畑へ蒔いた小麦をちっとでかくなってからプランターへ植えるしかないね。作物を作るっちゅうのは獣や鳥や虫との闘いだね。だからっていって、人間に害になるほどに薬を撒きたかあないよね。

Dscn9166jpg2 菜の花も順調

 菜の花もずいぶんでっかくなったよ。来年の春に花を咲かせるように他にも用意してるけんみんな順調だよ。菜の花はちっと間引きをしっかね。

2016年11月25日 (金)

新潟県胎内市の板額会のみなさんに感謝

Photoこんにちは、まゆこです。

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←板額会のみなさん。真ん中が「板額御前」

新潟県胎内市には、800年以上も前、源平合戦の頃に活躍した板額御前(はんがくごぜん)を愛し、関連する文化遺産を様々な活動によって後世に伝えていこうと活動している『板額会』というすばらしい市民団体があります。

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今月はじめのことですが、その板額会の皆さんがはるばる新潟県胎内市から早朝出発で山梨入りしました。小学生、高校生、大人の方、総勢20名ほどの皆さんです。

その目的は、第1回中央市ふるさとまつりメインステージで、時代の渦に巻き込まれ波乱万丈だった板額姫の生涯を演じて見せてくれるためです。

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←新潟からのバス到着!

際立つ美しさだけでなく、弓の名手としても名をはせた板額姫は、越後平氏である城氏の姫でした。

しかし、鳥坂城の戦いで捕らわれの身となり鎌倉に連れて行かれ、将軍頼家の前に引き出されたところを、甲斐源氏の弓の名手、浅利与一に見初められ、甲斐国浅利荘(現山梨県中央市)へ嫁いできたと伝えられています。

静御前、巴御前とともに三大御前の一人として有名な女性なんです。

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しかも、わが郷土の英雄浅利与一公のお嫁さんだった人ですぞ!

 高校生たちの寸劇からはじまったステージは踊り、歌も交えて、分かりやすく、面白く、板額姫と浅利与一とのドラマチックな出会いと運命を演出する構成で、観衆を楽しませてくれました。

浅利与一と板額御前を知らない人でも、歴史が苦手な人でも、このステージを見た方には時代背景がよくわかったと思います。

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本当に素晴らしいステージで、新潟県胎内市の方々が、こんなにも浅利与一のこともよく知り、愛してくださっていることに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

逆に、わざわざ遠く甲斐の国にまで嫁いで来てくれた板額姫のことを中央市民はどれほど知っているのか?と考えると申し訳ない気持ちになります。

また来年も、来てくださるとうれしいです。Dsc_1226

←胎内市職員でもあり、板額会事務局のkさんから、かわいい板額ストラップもらいました。(当館事務室にて)Kさんもかわいいね!

また、毎年、板額会の皆さんは、中央市内中学3年生全員に、百発百中弓の名手板額御前にあやかった手作りの合格お守りを新潟胎内市から送ってくださっています。

この手作りの心は本当にありがたいですね。ちなみに昨年受験だったまゆこの息子も、このお守りをいただいて、無事合格できました。

市民の一人として、中央市の浅利与一の里からも何か感謝の気持ちを伝えられる場を作れないだろうかと、申し訳ない気持ちになっています。

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本日、平成281125日付地元紙(山梨日日新聞)に,秋田の中学同窓会が浅利与一公供養のため、27日に大福寺と当館を訪問するという記事が掲載されたのですが、当館は山梨県中央市大鳥居にあり、その敷地は甲斐源氏・浅利与一の菩提寺である大福寺に続いています。

そして、最近は「浅利」姓の方々のルーツを探る聖地として、日本全国から来館者が訪れるようになりました。与一のお嫁さんになった板額姫を慕って、いらっしゃる方も増えています。

Dsc_1213←すべて手作りの衣装だそうです。スゴイ!

将来的に浅利サミット!?なんてのもできるんじゃないかと、観光課の人でもないのについ考えてしまうほどです。

しかし、中央市民にもっと浅利与一公のことを知ってもらう活動をすすめるのがもちろん先です。頑張らねば!わが中央市豊富郷土資料館!その延長線上に・・・・・。

まゆこ

2016年11月22日 (火)

ミニ企画展「麦を食べる」(4)

伝統的な麦作りの道具

今回と次回は、伝統的な麦作りの道具を紹介します。現代の麦作りでは、ほとんどそのまま水田で使う機会を使えるそうですが、昔は水田とは違う道具がいくつもありました。

Img_9444jpg2 振り込み鋤簾

振り込み鋤簾(ふりこみじょれん)

土入れの道具で、土をすくう部分は金網と鉄線でできています。サク切り(中耕)後に振り込み鋤簾で麦の根元の土をすくい、麦の株の中にふるい込みます。土入れのことを、フリコミ・フルイコミといいました。

Img_9442jpg2 先の部分の作り方はさまざま

土入れによって麦の株が広がり、中まで日光が届き、茎が丈夫になります。また霜で浮いた根も活着します。土入れは2~3回行われ、子どもでもできる仕事なので、農家には何挺かの振り込み鋤簾が用意してあって、大人も子どもも土入れにいそしみました。

戦後は技術指導によって、土入れは行われなくなったので、振り込み鋤簾も使われなくなりました。

 

Img_9448jpg2 塊打ち

塊打ち(くれうち)

麦作りに用いる砕土用の槌。塊(くれ)というのは畑の土のかたまりのことで、種まきの前にこれを砕きつぶすのに使用しました。畑ばかりでなく水田の裏作として麦を作る場合にも使いました。

Img_9447jpg2 柄は竹でできている

ゲートボールのスティックのようなT字型をしたものと、屋根ふき用のこてに似た形をしたものがあります。土を砕く部分はいずれも木製ですが、前者は竹の柄が付き、後者は木製の柄が多いです。カシやクリなどの堅い木で作ります。

こて型のものには、土を砕く部分に波形・格子型の条痕がつき、土を割りやすくなっています。機械を使って土を深く細かく耕せるようになってからは、使われなくなりました。

Img_9455jpg2 振馬鍬

振馬鍬(ほうりまんがと山梨では呼ぶ)

畑で麦の種まきをする前に土を砕いたり、整地したりするために使いました。牛馬に引かせて使用する馬鍬(まぐわ)と異なり、人力で用いる砕土用具です。牛馬に引かせる馬鍬は水田で土をこなすのに使いますが、振馬鍬は畑で、麦の種蒔き前に使用しました。

Img_9454jpg2 歯があちこち向いている

一人用と二人用があり、一人用は馬鍬を小型にした形で、一人で使うところから、後家馬鍬の名もあります。二人用のものは向かい合って放るように振るので、放馬鍬(ほうりまんが)とも呼ばれます。

下に付いている鉄製の歯の向きがいぐちぐなので、左右に振るだけで土を細かくしてくれます。昭和40年頃まで使われていました。

2016年11月21日 (月)

晩秋に一言

あっという間に秋が過ぎて、シルクの里公園の木々も葉を落とし、
冬支度を始めています
その中で、いつもは一番早く紅葉するモミジが、
今年は最後に鮮やかな色彩を放ち、
秋空に別れを告げています。
落ち葉が日々少なくなり、
庭掃除も次第に楽になってきましたが、
それもよいと思う気持ちと、さびしい気持ちと半ばしています。

竹ぼうきを握りながらの、下手な一句

  掃く人の 肩に二三の 紅葉舞い 

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2016年11月20日 (日)

サトイモ洗い

Tomiko

 富子だけんど、今日は霧雨が降ってるね。朝から家の中に湿気がすごかったよ。お肌にはいいかもしれんけんが、カビがはえそうだよね。

 おとといはサトイモをいっぺえ貰ったから、どんどん食わなきゃあと思って、昔の方法で皮を剥いて見たさ。

Dscn9138jpg2 剥くのがやっかいなサトイモたち

 こんなに貰ったけんど、ちっくいのは皮を剥くのがやっかいじゃん。ほれで、皮付きのまんまゆでて手で剥いて、コロッケとかを作っったりしたけんど、昔のやりかたでどのくれえ剥けるもんだか実験してみたくなったわけさ。

Dscn9140jpg2 バケツと園芸用支柱で

 バケツにサトイモを入れて水を入れて、×印になるように真ん中をしばった棒で右・左にぐるぐるかきまわすさ。昔は桶で棒も木のもうちっと太い棒を縄でしばってたもんだけんど、今はないからポリバケツと園芸用の支柱を使ったさ。

Dscn9141jpg2 ちょっと剥けてきた

 10分くれえでだんだん剥けてきたのがわかるようになってきたさね。水の量はサトイモがちょうどひたるくれえがいい塩梅だよ。多すぎてもだめだし、少なくてもだめだったね。サトイモの量も少なくても2~3段には重なるほうがよさそうだよ。要するにサトイモ同士がこすれ合って皮が剥けるわけだから、こすれるとこがいっぺえあったほうがいいってわけさ。

 昔どっかの村で、水車みたいな芋車っていうのをせぎの水の流れで回して、中にいれてあるサトイモを洗ってるのを見たことがあるけんど、これはすごいね。ほっとけばせぎがきれえにしてくれるだから。

Dscn9143jpg2 20分くらいで結構剥けた

 サトイモは切るとぬめりが出るし、旨味も逃げちもうだって。剥いて売ってるサトイモは漂白剤が使ってあるかもしれんし、剥いてから時間がたつと旨味も逃げちもうから、やっぱり煮る前に剥くのがいいけんど、5個や10個剥くのにゃあ桶と棒っちゅうわけにはいかんから、芋洗い手袋とか、アルミ箔のボールで洗うっていうのがおすすめらしいよ。

 昔の人も今の人もサトイモをうまく食うために飽くなき挑戦をしてるっていうことだね。なんたって日本で芋っていえばサトイモのことだからね。

2016年11月18日 (金)

年に一度、虚無僧と普化禅師像に会える

Photoこんにちは、まゆこです。

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中央市では年に一度、おまつりの日に虚無僧(こむそう)に会うことができます。

昨年までは429日に玉穂地区で行われていた「れんげまつり」に登場していた虚無僧ですが、

今年平成28年は113日に行われた第1回中央市ふるさとまつりでのお出ましとなりました。

江戸時代、乙黒村(現玉穂地区乙黒)には、普化宗(ふけしゅう)の明暗寺(みょうあんじ)がありました。

Img_9651明暗寺ゆかりの品を伝える家での献奏。

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普化宗とは禅宗の一派で、その寺には虚無僧とよばれる、筒形の深網笠をかぶり、袈裟(けさ)をかけ、刀を帯びて尺八を吹きつつ、托鉢行脚(たくはつあんぎゃ)する独特なスタイルを持つ僧が所属していました。

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江戸中期・末期には、「扉を付した大門に、その両側の高い石垣上に塀をめぐらした城郭構え(中央市文化財ガイドより)」の大寺であったといいます。

しかし、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動のおり、明治4年(1871年)に普化宗は廃宗となりました。

現在の中央市では、これを偲び、まつりの日に虚無僧行列が結成され、明暗寺跡で出発式を行った後、いまは無き明暗寺のゆかりの家々に寄り、献奏しています。

さらに、虚無僧の行列は、、まつりメインステージにて尺八演奏をし、

普化宗の開祖、普化禅師像を所蔵する永源寺に向かいます。

明治4年に明暗寺廃寺後、屋根瓦や和尚の墓石や位牌(いはい)、木造普化禅師坐像などが、永源寺に移されました。永源寺ではこの日に合わせ、普化禅師像が特別に公開されます。

P1000255永源寺にて普化禅師像を前に献奏する一行。

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ふるさと祭りの会場では、まっすぐにメインステージに向かうミステリアスな虚無僧行列がその周囲に独特な空気感を作り出し、あふれる人波の中を行く行列の先に、自然とひとすじの道が作り出されていく様は圧巻でした。

このように地域の歴史文化遺産を伝える機会を年に一度のおまつりの中に残していくことは大事なことだなと思ったのでした。

まゆこ

2016年11月17日 (木)

エゴマの脱穀をした

Tomiko

 富子だけんど、寒くなったねぇ。資料館でも暖房を少しっつ入れ始めたよ。公園は紅葉が盛りだね。

 エゴマを収穫して脱穀したから見とくんなって。

Dscn9017jpg2 葉が落ち始めたエゴマ
 

 エゴマの収穫の目安は葉っぱが落っこち始めたらだって。それまではせっせと栄養を実に蓄えるから、なるべくぎりぎりまで取らんほうがいいだってさ。ほんだけんど遅くなっちもうと今度は実がパラパラ落っこちちもうから、そこが難しいとこだね。

Dscn9003jpg2 エゴマの実

 実の中はどうなってるずらかって、剥いてみたさ。ほうしたらあのちっくいガクのような中に3粒とか4粒の実が入ってるさ。なんちゅうちっくいだか。写真もちっくすぎてうまく撮れなんださ。

Dscn9029jpg2 穂だけ摘み取って乾燥

 葉っぱをくっつけて刈ると後が面倒そうだから、手間はかかるけんど、穂だけ切って乾かしたさ。ほうしたら、乾かしてるうちに実がポロポロ落ちてきて、ブルーシートの上にこぼれてきたさ。いいじゃんね。自分で脱穀してくれたよ。

Dscn9032jpg2 実がポロポロ自分で落ちた

 元々エゴマは手間がかからん植物だよね。独特のにおいがあるから、シカやイノシシやサルがよってこんし、野育ちの強さがあるから化学肥料に頼らん栽培ができるし、土も選ばんし、やせてる土地でも半日陰でもいいだって。ホントにえらい作物だよね。

 このごろよくスーパーでもエゴマの実も油も見かけるようになったけんど、今まであんまり知られてなかったから「シソ油」っていう名前で売られたりしただよね。こんなすごい植物だっちゅうにかわいそんなこんだよ。

Dscn9132jpg2 プランターで穫れたエゴマ

 外国から遺伝子組み換えの菜種を買うよりエゴマをみんなで作りたいよね。上の写真はどプランターで穫れたエゴマの実だよ。畑の方が実はでっかくなったね。プランターは葉っぱが立派だったから、葉っぱを食うにゃあいいかもしれんね。さてこれで「荏のぼた餅」でも作ってみるかな。

2016年11月16日 (水)

秋・フランスの田舎みたいな?古墳を歩いた!

Photoこんにちは、まゆこです。

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←三珠・伊勢塚古墳

去る1113日(日)快晴、歴史文化講座ウォーキング「秋・古墳を歩こう!」を開催しました。

自主的に現地古墳に集合し、ルートを一緒に移動して解説を聴いていただいた方も含めると、24名の参加でした。

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古墳は民に魅せるためのお墓なので、どの古墳も、盆地を見渡せる素晴らしい眺望を持っています。

←大鳥居・御崎神社古墳からの眺望

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コースは、資料館集合→大鳥居・御崎神社古墳→木原・三星院古墳群→豊富・伊勢塚→豊富・王塚→三珠・鳥居原狐塚→三珠・波場公園で昼食→三珠・伊勢塚→三珠・大塚→ 資料館企画展見学というものでした。

←木原・三星院古墳

Dsc_0042三星院古墳群では、今では削平されてしまった古墳の痕跡をわずかな地形の変化から皆で観察して意見を言い合ったり、

Dsc_0067豊富・王塚古墳の上で前方部と周溝の規模を想像しながら確認したり、

Dsc_0075←王塚古墳の前方部は22m、幅23メートルだったというが、みんなで在りし日の姿やここからの景観に思いをはせてみる。

Dsc_0077盆地周辺の丘が連なる美しい地元の風景を再発見できました。↑三珠・鳥居原狐塚Dsc_0101

いつも見慣れた中央市内とその隣接地域の風景は、はるか古代(5世紀から6世紀にかけて)先人たちが造営した巨大な古墳とともに伝えられてきた景観なのだと知って眺めると、なんだか心にしみ入ります。

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参加者からは「まるでフランスの田舎のような風景ね~!」「まったく、フランスに行ったことがないのによくいうわ~」「でも葡萄畑はあるわっ、あはは~」という楽しげな声も聞こえ、カラッと澄みわたった秋空の下、気持ちの良いイベントとなりました。

←三珠・大塚古墳からの眺めを楽しむ参加者

まゆこ

2016年11月13日 (日)

ミニ企画展「麦を食べる」(3)

麦作りの四季(伝統的な麦作り)

麦蒔き(11月)

稲刈りがすむとすぐに麦蒔きの準備に取りかかります。田に残された稲の切り株(イネッカブツ)を掘り起こし、振り馬鍬(ホーリマンガ)を使って細かく砕き、畝(うね)を立てて種を蒔きます。豊富では2尺5寸くらいの幅で畝を切り、種を蒔きました。また、どんな種でも種の大きさの2倍の土をかけると作物がよく実ると言われ、麦まきはえびす講までには終わらせろと言われたそうです。

 

麦踏み(12月~2月に、2~3回)

霜柱で根が浮いて切れてしまうことを、豊富ではコオリアガリと言いますが、これをふせぐため芽が出た麦を踏みつける作業を麦踏みと言います。これによって分けつを促し、根付きをよくします。麦は根に近い茎の節から枝分かれを繰り返し、株を大きくします。麦は冬の間に生長しますが、霜柱によって根が浮き上がるので、しっかり踏んで根付かせなければなりません。また実ったとき倒れないという効果もあります。歩幅を小さくして麦を踏んでいく単調な作業ですが、効果は絶大です。「一踏み一俵」という言葉もあるそうです。土が乾いて踏みやすくなる午後に行なわれました。体重をかけて踏むとよいので、わざわざ赤ん坊をおぶって麦踏みをすることもあったそうです。

Dscn6705jpg2 2月雪の中の小麦

さく切り(12月~3月に、2~3回)

さく切りは中耕ともいい、麦の畝の間を鍬(くわ)でさくって根元へ土を寄せる作業を言います。これによって麦が倒れるのを防ぐことができます。

 

麦の土入れ(12月~3月に、2~3回)

土入れは、ふるいこみとも言います。振り込み鋤簾(じょれん)で、麦の根元の土をすくい、麦の株の中にふるい込む作業です。これによって麦の株が広がり、中までで日光が届き、茎が丈夫になります。また、霜で浮いた根も活着します。

さく切りで寄せた土を振り込み鋤簾ですくい上げ、麦の株の上でゆすって土を落とします。農家には振り込み鋤簾が何本も備えられ、大人も子どもも土入れにいそしみました。

Jpg2 3月の大麦ぐんぐん伸びる

Jpg2_2 5月花が咲いた小麦

麦刈り(5月)

「麦は十七を刈れ」といわれ、まだ少し青さの残っているのを刈るのがよいとされます。大麦は数日間畑で横干しにして乾燥させてから家に運びます。小麦は大麦より遅れて収穫しますが、刈るそばから束ねて運びます。

Jpg2_3 麦秋を迎えた大麦

麦の脱穀(6月)

麦の脱穀作業は梅雨のつかの間の晴れ間をぬって行われます。脱穀作業の中でも、麦の穂から粒に落とす麦打ち(麦ボーチ、麦こなし)と呼ばれる作業はことさら大変な作業でした。

最初に麦扱(こ)きが行われますが、大麦は千歯扱き(せんばこき)で、小麦は麦打ち台(麦打ちさな)で行います。麦専用の千歯扱きは歯と歯の隙間が稲用のものより広くできていました。

Jpg2_4 麦打ち台で小麦の脱穀

大麦の場合は麦扱きをしても、穂首から切れて落ちるだけで粒にはなりません。そこでくるり棒(ふり棒)と呼ばれる道具で打って芒(のぎ)を取り脱粒します。これを麦打ち(ボーチ・麦こなし)といいます。山梨では、鬼歯(おにば)とか麦打ち棒と呼ばれる道具を使いました。猛暑の中の重労働で、汗で付いた麦の芒がチクチクするのにも悩まされました。

小麦は麦打ち台に打ち付けることで粒になるうえ、籾殻も取れてしまうので脱穀は簡単です。

これらの道具は大正時代から昭和の初めにかけて普及する足踏み脱穀機や動力脱穀機の出現により役目を終えました。

2016年11月12日 (土)

H28正月飾り・凧作り教室

Photo_2年末の当館恒例大好評イベントのご案内です。

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平成28年度親子体験教室「正月飾り・凧作り教室」は124日(日)開催いたします。

ことしの「親子正月飾り作り教室」と「親子凧作り教室」への参加申込みは1130日(水)までの受付けです。

開催日時:平成28年12月4日(日)

申込み:平成281130日(水)までに、電話で中央市豊富郷土資料館055-269-3399まで申し込んでください。(ただし定員になり次第締め切ります)

参加対象者:各教室 児童とその保護者20

場所:中央市豊富郷土資料館 エントランスホール中央市大鳥居161918(

シルクの里公園内 )

講師:正月飾り作り(田中正八 先生 元豊富郷土資料館館長)

    凧作り(渡辺高一 先生 風林火山凧の会代表)

タイムスケジュール:

・午前9時~正月飾り作り(材料費700円当日納入・ペンチと剪定ばさみ持参)

・午後1時~凧作り(無料)             

   {どちらか一つでも参加できます} 

Dsc_3089昨年の正月飾り(しめ飾り)作りの様子。

Dsc_3098豪華な正月しめ飾りが作れます。(昨年と同じデザインを作ります)

Dsc_3102午後1時からの凧作りの様子(昨年)

Dsc_3105凧の絵は好きなものを描いてください。

 豊富特製、豪華な正月飾りとよく飛ぶ凧をつくりましょう!

そして、新年を気持ちよく迎えてください。

ご家族でのお申込みをお待ちしております。

まゆこ

今年もころ柿(干し柿)作り

Photoこんにちは、まゆこです。

朝晩寒くなってきました。

 

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ここシルクの里公園の紅葉も見頃です。なので、そろそろですから、今週初め(11/6)に甲州百目(山梨の柿はでっかい!)の皮むきをして、エントランス横に吊るしました。

今日で6日目ですが、まだまだフレッシュな感じで、太陽の光を浴びてオレンジ色に輝いています。

少量ですが、来館されるお客様にも「あら、きれい!」と褒めてもらい、うれしいです。

まゆこは、今年で4年目のころ柿(干し柿)作り。

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館長指導の下、やっと、へた周りの皮を剥かせてもらえるように成長しました。

へた周辺の皮は、剥き残しの無いように、きっちり、すっきり、うつくしく剥いておかないと、仕上がりが残念なものになってしまうということは、今までの経験で、嫌というほど思い知らされてきたまゆこです。

去年は館長がすべてへた周りの皮を剥き、まゆこは側面の皮剥きだけを担当しました。

でも今年はやらせてもらえた!

Dsc_0006剥いた皮もちゃんと干して、白菜の漬物をつけるときに使いますよ。

Dsc_0009皮を剥いた柿は消毒のために熱湯にくぐらせてから干しました。(116日のようす) 

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干して6日目の今日(1112日)のようす。まだまだ鮮やかな柿色がきれいでしょ!

明日は当館集合で「秋・古墳を歩こう!」イベントを開催するので、またみんなに「きれいね~!」って言ってもらえるかしら?

楽しみだわ♪

昨年は高温多湿でうまくいかなかったけど、ことしは無事にりっぱな「枯露柿(

ころがき)」になりますように! 

まゆこ

2016年11月11日 (金)

「井之口笠踊り」がかわいい!

Photoこんにちは、まゆこです。

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今年の113日に「第1回中央市ふるさとまつり」が玉穂ふるさとふれあい広場で開催されました。

そのメインステージでは、午前中、中央市内に残る郷土民俗芸能が次から次へと披露されました。

甲斐与一太鼓、井之口笠踊り、粘土節、虚無僧行列などですが、今回は子供たちの笑顔がはじけて、とってもかわいかった井之口笠踊りについてレポートします。

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井之口笠踊りは、中央市内を縦断する現在のJR東海身延線の敷設工事に深く関係している芸能なんですよ!

中央市内には身延線の東花輪駅と小井川駅の2駅があり、甲府方面に通勤通学に利用したり、名古屋・京阪神方面に向かうときは特急ふじかわを利用するという市民も多いと思います。

マイカー時代の現代とはいえこの身延線無くしては、「全国住みやすさランキング」において、山梨県で不動の1位をずっとキープする中央市(2016年の全国では31位だよ)にはならなかったかもしれません。

身延線が中央市内で開業したのは昭和3年3月30日のことです。

P1020233特に東花輪駅は開業当時の駅舎を現在でも使用しており、ことし88歳の米寿を迎えたところなんです!

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そして、井之口笠踊りは、身延線工事の際に上州(いまの群馬県)から出稼ぎにきた青年たちが玉穂地区の青年たちに教えたのがはじまりとされています(中央市田富・玉穂地区歴史文化財ガイドより)。

井之口笠踊り保存会の皆さんによると、大東亜戦争末期には、一時途絶えたことがあったそうですが、戦後復活させ年に一度、井之口地区の住民で舞うことで、保存しているそうです。

←顔にお化粧するのはちょっとくすぐったい感じよね。

Dsc_1116 ←お化粧するのはおじさん達だってちょっとうれしい 

Dsc_1113 ←本番前に自主的に踊りの最終チェックをする子どもたち。 シンプルな振り付けは子供でもすぐに覚えられそう。 玉穂地区内の小学校の運動会では山形の花笠踊りが毎年演舞されるのだけれど、郷土民芸の「井之口笠踊り」もやったらいいのに!

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←ステージが終わって舞台そでに引き上げてきたところ。 「上手だったよ!」の声掛けに、にっこりしてくれた。

この井之口笠踊りは、「小学生時代に踊って、社会人になって、十何年ぶりくらいで再びまた踊ることになりました」という若者もいて、未来を感じさせてくれます。

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また来年も、この中央市ふるさと祭りで、華やかで笑顔はじける「井之口笠踊り」を見せてもらうのが楽しみになりました。

まゆこ

2016年11月10日 (木)

ゆずで化粧水

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 富子だけんど、今日は寒いじゃんね。そろそろ麦を蒔く季節だよ。今日はプランターの準備をしたさ。

 せんころのゆずの種を使って化粧水を作ったさ。ホントは種をそのまんま冷凍でもしとけばよかっただけんど、洗って乾かしちゃっただよね。うちのお母ちゃんの作り方には種を使う方法はなかったからよく知らなかっただよね。

Dscn9125jpg2 切ったゆずを瓶に入れる

 わたしがちっくい頃からお母ちゃんは、ゆずの化粧品を作ってたけんど、ゆず全部を使って作ってたさ。種のまわりのぬるぬるしてるとこが、大事な成分だって。だから種のぬるぬるを取らんようにして保存しとかなきゃあだめってわけさ。

Dscn9127jpg2 焼酎を入れる

 ゆずを切って広口瓶に入れたら、うちでは焼酎を入れてたさ。酒で作る方法もあるし、それでもお肌が弱くて受け付けん場合には水で作る場合もあるらしいね。保存はできんようだけんどね。

Dscn9131 使うときにグリセリンと混ぜる

 2~3ヶ月置いとくと茶色く澄んだ液になるから、中身のゆずとか種とかを取り出して保存するさ。これはたぶん2年はたってる。うちではこれにグリセリンを混ぜて小瓶に入れて使ってるさ。グリセリンは入れなくて使う人もいるようだけんど、うちでは昔からグリセリンを入れて保湿力をアップさせてるっちゅうわけ。

 なにしろ食べられるゆずと、飲める焼酎で作だから、お肌に悪いもんは入っちゃあいんから体中使っても大丈夫。料理をするときも、変なクリームのにおいがしなくていいだよね。かかととかにも冬はたっぷりつけるといいよ。おかげで、わたしは化粧水っちゅうものを買ったことがないさ。

2016年11月 9日 (水)

十月二十三日、高部(たかべ)の祭り

Photoこんにちは、まゆこです。

 ちょうど二週間ほど前のことですが、勤務が休みの日だったので、豊富地区高部周辺を踏査してきました(ただカメラ持って、歩き回るだけなんですけどね)。

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 朝9時半頃に道の駅とよとみを出発して「浅利」を抜け、「高部」に差し掛かったところ、かすかにどこかから太鼓の音が聞こえてくるではありませんか!

これは、いい予感!

音の発信源をつきとめようと路地に入ってみると・・・、

 角川公会堂があり、その広場には、牛にまたがった天神さんの絵が染め抜かれた吹き流し風の幟旗が立てられています。その下には「湯立て神事」の準備も整えられていました。

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良いところに来ました!

近くにいた子どもに、「今日はお天神さんのお祭りなの?」と尋ねると、角川公民館の裏にある天神社(てんじんじゃ)に案内してくれましたよ。

P1000085社の中には立派な天神様がいらっしゃいました。

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湯立て神事のことも気になったので、集まっていらした地域住民の方にお話をうかがいましたところ、午後に神主さんがいらして行われるとのことでした。

豊富地区内では、他にも「大鳥居」にある諏訪神社で3月に「お湯立て祭」が毎年行われています。

地区内で古来から伝わる民俗行事を静かにしっかりと伝え守っているこの地域の、住民力の高さにいつも感心し、感動をもらうまゆこです。神輿は担ぐ子供がちっちゃい子三人くらいしかいないので、大人が手伝ってあげるそうです。

 それから奥さんの一人が、『今日は、「高部」の上の方でも吹き流しを立てておまつりをしているよ』と教えてくれました。ラッキー!

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 では、さっそく坂を上って探しにまいりましょう。

高部の丘を登りきったあたりで、赤と白の鮮やかな吹き流しが見えてきました。

あそこが、農耕の神様として豊富村誌に記されている「お天白さん」でしょうか。

近づいてみると、天白社の石祠にしめ縄が張られ、収穫感謝のお祭りの準備がされていました。

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豊富村誌によると、

『お天白さんの御神体は白狐で、秋になって米が獲れると、お赤飯(煮強飯にっこわめし)を炊き、桟俵に盛ってお供えした』のだそうです。

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気持ちの良い秋風を受け、鮮やかな吹き流しがひらひらと舞う農村風景はとても美しいものでした。

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収めておきたいふるさとの風景をまた一つ記録できました。

今日歩いて、ほんとによかったと大満足のまゆこなのでした。

まゆこ

↓天白さんの祠から笛吹川方面を望む

2016年11月 8日 (火)

紅猪口と紅皿

Tomiko

 富子だけんど、今日は寒いね。昨日タマネギの苗を植えたから、雨ん降ってくりょうばちょうどいいにゃあいいけんど。

 資料館の奥の方のケースに展示されてるもんが、あんまし分類されていなかったから、ちっと並び変えたさ。ほうしたら、おもしろいもんがけっこうあってね。今日はそん中から、紅猪口と紅皿のことを書くじゃんね。

 紅猪口って言ったって、酒を飲む猪口じゃあねえよ。口紅が入って売られてた猪口だよ。

Dscn9068jpg2 紅猪口の内側

 汚れてるように見えるけんど、これは汚れじゃあなくて、紅がちいっとだけ残ってくっついてるってわけさ。外側はどうなってるかっちゅうと、

Dscn9069jpg2 外側のプリント柄

 青でプリントされた磁気だね。柄は紅花と摘み籠とチョウチョだね。こういう柄はけっこう使われたらしいね。これがちゃんと箱に入っていて、

Dscn9070jpg2 箱に入った様子

 箱の大きさは一辺が4.5cm。中の猪口は直径が3.8cmだから、ホントに猪口だね。箱には「愛京紅」っていう商品名が書いてあって、商品名の横には「毎日使用、百日無尽」ってあって、製造元の名前が「近藤太陽堂」ってあるさ。

 この紅猪口に入っている紅の量なんてのは刷毛で猪口の内側に一塗りされてるだけだからわずかなもんだよ。なんでかっていえば、今の口紅と違って、紅花の花びらに1%だけ含まれてる赤の色素を集めて作るからってわけさ。「紅一匁は、金一匁」って言われるくらい、高価だってわけ。

Dscn9074jpg2 別の紅猪口

 資料館にある紅猪口や紅皿は、大正時代頃のもんらしいから、庶民にも買えたかもしれんけんど、江戸時代にゃあ無理だったっちゅうよ。この紅花の紅はまたすごい紅で、塗ると赤どころじゃあなくて玉虫色に光るだって。

 今でも「伊勢半」ていう化粧品会社じゃあ昔ながらの紅を作って、紅猪口で売ってるだって。博物館もやってるっていうから見に行ってみたいねぇ。「キスミー化粧品」の会社だよ。

Dscn9076jpg2 箱入りの紅皿

 これは紅皿だね。直径は8cmだから、猪口よりたくさん紅がついてたかもしれんね。箱にゃあ、「寒製小町紅」って書いてあるさ。「小町紅」っていうのは、紅花から作った最高級紅をさす商品名だったらしいけん、だんだんこういう紅一般を指すようになったらしいね。じゃあなんで「寒製」かっていうと、冷蔵庫なんかなかった昔、大量のきれえな水を使って紅を作るにゃあ、寒い時じゃないといいのができなかったわけさ。ほんだから寒い時に作った紅は、最高級品ていうわけさ。この紅皿の頃は大量生産品になってるから、どうだかわからんけんね。

 寒中の丑の日に売られる紅は「口中の虫を殺す」「唇の荒れを防ぐ」「血をきれいにする」なんていう薬効があるって信じられてただって。

 資料館には猪口が二つ、皿が二つあるけん、結婚式のときとかに、こういう紅を付けてもらったのかなあ。見てみたかったね。

2016年11月 6日 (日)

おめでとう。郷土学習コンクール大賞受賞!

Photoこんにちは、まゆこです。

Dsc_1054 本日は、最近一番感激した出来事をご紹介します。

去る111日(火)に山梨県教育委員会「ふるさと山梨」郷土学習推進会議が主催する郷土学習コンクールの受賞者の表彰式が行われました。

そこで、昭和町西条小学校の相原君が小学校の部で大賞を受賞しました!

研究課題名は「羽ばたけ蚕!消えるな!山梨の文化遺産」です。

受賞式当日には、相原君による研究発表も行われたようです。

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彼は4月から当館を何度となく訪れ、常設展示や蚕の飼育展示、企画展を隅々まで見学し、自宅でも蚕を飼って、糸繰り、織物作りまで行いました。

蚕の生態を知るだけでなく、繭の利用方法、養蚕農家の実態、養蚕に関わる民俗、山梨の産業史の側面からの考察、養蚕の将来性など、幅広い視点から捉えた研究内容となっていました。 すばらしいです。

当館には、毎年、小中学生が養蚕研究のアドバイスを求めて、夏休みを中心に数名来館されるのですが、実際に自分で蚕を飼う前に調べに来てくれる人は少ないです。

夏に開催した「お蚕さんセミナー」にも参加してくださり、これだけ詳しく私たちの解説を理解して聞いてくれた人はいないのではないかと思うほど熱心に学習してくれ、学芸員冥利に尽きました。

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相原君、ありがとう。研究のまとめ、感想として、書かれていた養蚕文化の継承を訴える文章が、また当館スタッフを泣かせます。

受賞研究はそのうち、山梨県立博物館に展示されたり、「ふるさと山梨」ホームページからも見ることができるようになるそうです。

相原君の大賞受賞は当館の誇りです!!

本当におめでとうございました。ありがと~う! 

 (授賞式を前に、相原君が大賞が決定した研究成果を見せに来てくれた時の写真です)

まゆこ

2016年11月 5日 (土)

コンニャクを掘ったよ

Tomiko

 富子だけんど、今日はいい天気だね。3日の中央市ふるさと祭りもいい天気で良かったよう。その日はヴァンフォーレも残留が決まってめでたい日だったね。ちょうど資料館には新潟の人が来てくれていて、名古屋出身の職員もいたりで、3つとも残留争いのチームだっただよね。甲府と新潟が残って名古屋は落ちちゃったけんさ。1位を争うくれえになりてえもんじゃんね。

 せんころコンニャクを掘ったさ。いよいよ葉っぱが黄色くなってきたからね。

Dscn9041jpg2 プランターのコンニャク

 コンニャクを農作物として栽培して常食してるのは日本くれえのもんだってよ。この頃外国でもパスタの代用品として人気があるらしいけんね。要するにダイエット食品だね。あんまり食い過ぎると具合が悪くなるから気をつけた方がいいよ。米粒のかっこうをしていて米に混ぜてたくっていう手もあるらしいね。

Dscn9054jpg2 掘るというより抜く?

 日本にゃあ仏教と一緒に6世紀の半ば頃、薬っちゅうこんで伝わってきたっていう話があるけんど、よくは分からんらしいね。「砂払い」っていって、整腸剤だって。庶民が食うようになったのは江戸時代で、水戸藩の専売品だっただって。

Dscn9056jpg2 まわりの土をとった

 粉にしてとっとけるようになってから、1年中食えるようになっただって。コンニャク糊っていうもんもあっただってよ。今もお茶を作るときに使ったり、建築用の塗料に使ったりしてるらしいさ。小千谷縮の糸の加工にも必要だったし、紙衣(かみこ)っていう紙で作った着物にはコンニャク糊を塗って、強くしたり防水したりしただって。コンニャクもなかなかやるもんじゃんね。

Dscn9060jpg2 洗うと芋がよく見える

 芋のところを洗ってみたら、にょきにょき子芋がくっついてるさ。これは生子(きご)っていって、来年の春これを植えるっちゅうと秋に1年玉になって、それをまた次の春植えると秋に2年玉になって、それをまた次の春植えると秋に3年玉になって、ようやっとコンニャクを作るにちょうどいいでかさになるさね。気の長い話ずら?昔は畑の「くろ」(まわりのすみっこ)に植えてたから、長くかかっても気に病むことはなかったずらね。

2016年11月 2日 (水)

蚕糸関係資料を大量にご寄贈いただく

Photoこんにちは、まゆこです。

先月のことですが、甲府市の永井様より蚕糸に関する資料を大量にご寄贈いただきました。

大まかな整理作業を当館で行い、合計1310点を収蔵させていただきました。

Dsc_1037 永井様よりいただいた資料16箱分Dsc_1074

←当館で箱別・資料ごとに個体番号を付け、各箱に収納資料一覧をつけた。

内容は、蚕糸学関連学術雑誌・書籍の他、山梨県蚕糸課繭糸検査事務所に籍を置いておられた関係上、個人的に研究・資料収集されていた県内外の養蚕・製糸産業資料等16箱の他、玉糸座繰り製糸で使用されていたという繰糸鍋、木製丸形繭枡(一立)、全自動繰糸機に使用された繊度感知器など、充実しています。Dsc_1079

今後は資料一つ一つを精査する作業に移りますが、当館展示の充実にも大いに役立ちそうです。もしかしたら、県内蚕糸業史における新発見もあるかもしれません。

蚕飼育経過読取器。これは便利だ!

80歳代でいらっしゃる永井様ですが、研究雑誌はひとまとめにして分かりやすいように手書きのインデックスを表紙につけておられたり、まゆこが苦心しても集めきれていなかった統計資料も使いやすいように再構成してありますし、煩雑になりがちで散逸しやすい製糸機械・部品のパンフレットや県内各製糸場についての手書き詳細メモも関連情報ごとにまとめて、美しく閉じてありました。

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一箱一箱中身を開けるたびに、まったく、研究者の大先輩として頭が下がるばかりです。

また、山梨県内蚕糸資料をこれほどまとまった形で収集することは、今後かなり難しいと思います。

半月型の繰糸鍋と丸形繭枡

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長野県岡谷の有名な蚕糸関連機器メーカー増沢工業の古いカタログ。ありとあらゆる蚕糸関連機器や部品を網羅したさすがの品揃えで、絵図も美しくて感動するが、糸繰鍋の型式にもこれほどあったかと驚かされる。

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永井様は東京農工大学卒業後山梨県に来られて、蚕糸業の発展に尽くされてきました。その人生をも詰まったこのお宝資料を、日頃の当館の活動をご評価いただいた上で託してくださったこと、心より感謝申し上げます。

峡南蚕業指導所西八代・南巨摩繭増産協議会が蚕室にかけるように配った簡易温度計

今日はそのほんの一部をみていただきました。

今後、資料精査の進捗状況により、随時、こちらのブログでも、個々の資料紹介をして行く予定です。

まゆこ

2016年11月 1日 (火)

ツボの味噌汁

Tomiko

 富子だけんど、今日は雨っぷりだったけんど、午後から青空が出てきて、公園の紅葉がきれいに見えるよ。

 今朝はタニシの味噌汁を飲んできたさ。

Dscn9097jpg2 タニシの味噌汁

 ちっくい頃は稲刈りをした後の田んぼによくタニシを拾いに行ったもんさね。でっかいのからちっくいのまでごろごろ出てきとう。今じゃあ田んぼにタニシなんか見かけんじゃんね。田んぼに農薬を撒いたせいで、どんどんいなくなっちゃったらしいよ。

Dscn9105jpg2 稲刈りを終わった田んぼ

 今日の味噌汁のタニシは長野県に行って田んぼから拾ってきたもんさ。やたら人の田んぼで拾ってたら、持ち主が来て「なにょうしてるだ」っておこられたらしいけんが、結局来年も拾いに来ていいよって言われただって。今じゃあ長野県の人はタニシを食わんらしいね。ほんだから、長野県で養殖をして山梨県へ売ってるらしいよ。

Dscn9103jpg2 味噌汁に入れたので仲間が減った

 昔は日本中で食ってた大事なタンパク源だったけんど、魚や肉がいつでも食えるようになって、食う人がなくなっちゃっただね。山梨で残ってるのはすごいこんだよ。山梨の田んぼのタニシじゃあもっといいけんど。山梨でそうだったかどうか知らんけんど、「お見合いの席には欠かせない汁」だっただってよ。なんでお見合いずらね。

Dscn9102jpg2 触覚を伸ばしているタニシ

 山梨じゃあタニシのことをツボって呼ぶじゃんね。ツブって呼ぶとこもあってそれのなまったもんだと思うけんどね。ほんだからタニシの味噌汁は「ツボ汁」っていうだよね。「ツボ汁」の文化を残すために、タニシの生息できる田んぼにするけ?蛍を復活する活動はあっちこっちでしてるけんど、タニシを復活するっていう話は聞かんよね。前鯉のいる池に入れたら、全部鯉に食われちゃったことがあるから、農薬とか鯉はタニシには禁物だね。

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