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2016年8月31日 (水)

今日の黒縞とウィンドウ展示、そしてラヴィちゃん

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こんにちは、まゆこです。

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まずは今日の黒縞ちゃんたちを見てください。

 

だいたい脱皮が終わって2齢になってきましたが、頭が白っぽい1齢の蚕もまだいます。

明日明後日を無事に過ごせれば、今週末位には3齢になると思います。

今のところ人工飼料育でやってみようと考えています。

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そして、当館入り口のウィンドウ展示作業を終えました。

Dsc_0639花嫁さんが履いた畳表の付いた黒塗りの下駄も展示しましたよ。鶴が描かれています。

正確にはあと、「嫁入りの秋」という題字を館長に書いてもらって完成です。

Dsc_0649館長が書いているところ。

花嫁衣装は二週間おき位で、違うものに変えていく予定です。どうぞご覧になってくださいね。

 

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そしてここで、かつて繭の妖精キャラであったはずのまゆこからお願いがあります。

いま、南アルプス市の土偶キャラ子宝の女神ラヴィちゃんがミュージアムキャラクターアワード2016にエントリーしているんですって!

そして現在なんと2位!

頑張ってほしいわねぇ~♪

思い返せば2年前、まゆこが2014年にエントリーした時の順位は9位だったの。

ラヴィちゃんには是非1位になってもらいたい。

まゆこも毎日投票してるわよ。

みんなもこのブログの左の列にあるリンク集の「ミュージアムアワード2014」のから簡単に入れるから、ラヴィちゃんに投票してあげてね!

まゆこ

2016年8月30日 (火)

これらの花嫁衣装を着た人を捜しています

Photoこんにちは、まゆこです。

8月もあと一日で終わりです。

当館ウィンドウ展示の「夏の思い出」も台風が来る前に館長がサッサと片づけてしまい、いまはただの畳部屋になり、寂しさがつのります。

「さぁ、まゆこよ、次はいかようにも好きにディスプレイしなさい」と館長に云われたけれども、「うー、9月に入ってからでいいよね、秋は」とジタバタしている今日のまゆこです。

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でもテーマは決まっていて、「嫁入りの秋」ということで花嫁衣装をメインに展示しようと考えています。

かつて結婚式は、農閑期に入った秋の大安の日を選んで行われるのが普通でしたから。

ただし、正直なところ、収蔵品の内のどの衣装をメインに飾ろうかまだ迷っています。だってどれも豪華で美しいんだもの♪

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豪華な黒振袖や打掛け、明治の終わり頃から昭和30年くらいまで庶民の花嫁衣装として主流だった江戸褄(留袖)、角隠しのついた高島田の鬘、かんざし類など、花嫁グッズが当館では豊富にあるんです。

松に鶴を配した格調高い黒振袖。

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では、その中でも、豊富地区で昭和30~40年代に使用されたとみられる着物をご覧になって!

以下①~④の4枚は、地域の方々が結婚式をする際に貸し出していたもので、着た人には大変思い出深い着物だというお話を聴いています。

以前、まゆこも来館者のおばあちゃんに直接その話をうかがったことがあります。

← ①絢爛豪華な金ぴかの打掛け 御所車が印象的(着た記憶のある人、知らせてください!)

しかし、その際、まゆこは「実際にこれを着た時の結婚式の写真を今度みせてください!」などと頼むことができませんでした。

「あら懐かしい、私はこれを着て、お色直しにこれを着た」なんて会話も耳にしたのに・・・・・。なんだか、タイミングが合わずに、この絶好の機会を逃してしまいました。

たぶん昭和30年代に花嫁になった方々と思われる(70・80代くらいのおばさま方)だった。

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これらの①~④の打掛け・振袖の詳細その他、思い出をお持ちの方がいらっしゃいましたら、まゆこにいろいろ教えてくれませんでしょうか?

その娘さんかお孫さんで、豊富地区に嫁いだおばあちゃんの結婚式の写真をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか?

←②とても質の良い絹織物に鳳凰の刺繍が施された打掛け。(着た記憶のある人、知らせてください!)

Dsc_0602←③この空色に鶴舞う着物は平成18年に収蔵した記録がございますが、寄贈者もお亡くなりになり、もう、誰が着たものかなどの詳細はわかりません。(着た記憶のある人、知らせてください!)

Dsc_0596 ←④こちらは振袖。お色直しに着たのかもしれない。(着た記憶のある人、知らせてください!)

③以外の3枚は旧資料館建物時代(25年以上前)から収蔵していたようで、当館所蔵以前に、どこでだれが保管していたものか詳細記録がありません。

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 こんなにも美しい花嫁衣装をいくつも収蔵する当館ですが、これらの資料に関わった人々のストーリーが不足しています。 

←花嫁が着た江戸褄(留袖)。裏地は目の覚めるような美しい緋色。留袖は明治の終わり頃から昭和30年くらいまで庶民の花嫁衣装として主流だった。

Dsc_0609 ←細かい文様の刺繍が全面に施された超豪華な打掛け。どんなお大尽の家のお嫁さんが着たんだろう。

花嫁衣装は9月から当館入り口横でウィンドウ展示いたしますので、ご覧になって、何か思い出しましたら、どうぞ、まゆこにお力を!

よろしくお願いたします。

まゆこ

2016年8月28日 (日)

ミニ企画展「帽子 ~暑い!まぶしい!さて何をかぶろうか?」(3)

日本の帽子の歴史

江戸時代

 江戸時代に男女ともによくかぶられていたのは笠でした。イグサやワラなどの草を編んで作られたものですが、その流行はめまぐるしく変わったようです。特に農作業や旅には笠は必需品でした。笠は日除けにもなり、雨や雪よけにもなるからです。

Img_9333jpg2 縫って作った菅笠

 展示している笠は菅笠と三度笠といわれる旅笠です。菅笠は縫い笠とも言われ、スゲの葉を糸で縫って作っています。もちろん土台は竹です。それに反故紙を貼って柿渋を塗ったものが常設展にあります。菅笠に防水性を加えたものでしょう。

 三度笠には男性用と女性用があり、展示しているものは「五徳」がついている深い形のものなので男性用でしょう。女性用は「丸輪」がついているようです。竹で編んであるので編み笠の分類に入ります。三度笠もスゲで作ったものが多く、軽いことが魅力だったのでしょう。

Img_9322jpg2 漆に金の家紋入り武家陣笠

武士の屋外活動には陣笠というものが使われました。陣笠というのは、戦国時代は雑兵などが貸与・支給された代用兜のことをさしますが、江戸時代には、漆塗りで、家紋などを入れた武士のかぶりものをさします。

展示されている陣笠は、文久4年2月(1864年、あと4年で明治元年)と書かれた反故紙を重ね合わせて作られた袋に入っていました。そのためほとんど使用しなかったと見られ、大変美しい状態で資料館へやってきました。江戸時代も後期になると端を反らせた頭に密着する形の陣笠になっていきますが、これは丸いだけの陣笠です。

Img_9354jpg2 内側が金の武家陣笠

常設展に展示されている陣笠も同じ作りです。こちらは漆がだいぶ傷んでいますが、裏側(内側)は金色がきれいに残っています。

Img_9357jpg2 揚げ帽子が角隠しに変化

 布で作った頭巾は主に男子のかぶりものとされ、帽子はもっぱら女子のかぶりものでした。頭巾はともかく、江戸時代の帽子といわれても想像がつかないと思いますが、結婚式で和装の花嫁さんがつける角隠しは、揚帽子(あげぼうし)が変化したもので、武家や庶民の上流階級の女性が外出などの際に用いたものです。同じく花嫁さんの綿帽子は、髷が結われるようになると、被衣(かつぎ)が変化したものとして、使われるようになったものです。そのほかには輪帽子と呼ばれる前髪の上にのせて共布の紐を後ろに回してしばる帽子もありました。 

江戸時代は、道路が舗装されていないため砂ぼこりがひどく、頭髪につけた鬢付け油に砂ぼこりがつきやすいので帽子が必要とされたそうです。

Img_9159jpg2 こよりで作った韮山笠

幕末から明治維新にかけて、農民が西洋式の兵隊として戦闘に加わりますが、農民兵は韮山笠をかぶって戦いに臨みました。韮山笠と言われるのは、韮山代官の江川担庵(反射炉を作った人)が農兵を組織し、この帽子をかぶらせて軍事調練を行ったことから来ています。山梨でも農兵が幾組か組織されたようなので、そこに入った人の持ち物だったのでしょう。山野をかける時の便を考え水に強く、半分に折れるため携帯に便利でした。なんと「こより」(和紙を細く切ってねじったもの)で作ってあり、それに漆がかかっています。

2016年8月27日 (土)

初秋蚕(錦秋×鐘和)の収繭と虎蚕の玉繭作り

Photoこんにちは、まゆこです。

 去る823日に7月下旬から飼育展示していた錦秋×鐘和の繭の収繭、乾繭を行いました。虎蚕は営繭中でした。

この日の午後は、大学生3名を公務実習生(インターンシップ)として受け入れることになっていたので、業務や館の概要などを説明した後、これも運と思ってもらい、虫嫌いでもなんでも養蚕実習を経験していただくことにしました。

  Dsc_0578  ←実習生が繭掻き棒で回転蔟のマス目から繭を押し出しているところ。 ザクッザクッという音がします。

Dsc_0577 ←館長が回転蔟を枠から外しているところを物珍しげに見学する学生たち。この時、枠を直立させている台は、この後繭掻き棒で押し出すときの蔟の置き台にもなる優れモノなのだ!

 公務員の業務としては一般的ではありませんが、当館では、このような変わった仕事も行うことで、市民の皆様にご愛顧いただいているということを知っていただけたと思います。

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 さて、お次は虎蚕の上蔟ですが、今回は前回の失敗を教訓にして、回転蔟ではなく折藁蔟で営繭させることにしました。

虎蚕は営繭中はとても気難くなり、人間に触れられたり、蔟を動かしたり振動させたりすると、作りかけであった繭から抜け出し、別の場所を探そうとするようなのです。

ですから、動かない蔟にしました。

おかげさまで今回の営繭は快調です。

Dsc_0629 ←まだ拡げていない折藁蔟。昔は農閑期に大量に作っておきました。

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 ←折藁蔟を作る器械はこれ! 二角式蔟折り器です。

この道具、簡単に藁を蛇腹に折りたたんでくれる優れものですが、使用後に写真みたいに藁が詰まったまんまにしておかないと、次の蔟が作れないという落とし穴があります。

使い方を知りたいマニアックな方は、当ブログ「まゆこのつぶやき」カテゴリーを昔にさかのぼって20141221日(日)『折藁蔟をつくってみた!』の記事を読んでみろし♪

Dsc_0571 ←2頭で一つの繭をつくっている虎蚕。うまくいけば玉繭となり、真綿作りの格好の材料となります。

 それから、昨日、晩秋蚕期として育てる黒縞の種が孵化しました。 今年の当館の養蚕はこの黒縞の飼育展示で終了となります。

これから9月下旬まで私たちを楽しませてくれる予定です。どうぞ黒地に白い線が美しい、ストライプ模様のかっこいい黒縞に会いに来てください。

まゆこ

2016年8月25日 (木)

小豆ぼうとうを作った

Tomiko

 富子だけんど、台風がまたUターンして日本をねらってるじゃんね。困ったもんどう。あっちこっちで冠水して、畑や田んぼも、収穫できんていってるじゃんね。ただでさえ国産の農作物は貴重品だっちゅうに。

 今日は小豆の続きを書くね。ダイズは漢名の「大豆」からきてるのはすぐわかるじゃんねぇ。アズキは漢字じゃあ「小豆」って書くけんどダイズと同じように読めば、ショウズじゃん。つまり、アズキは大和言葉(和名)なんだね。文字で書くようになるより前に言葉があっただね。言葉があったっていうことは、アズキそのものもあっただね。

Img_9397jpg2 地粉をぬるま湯でねる

 小豆をきれいにしたから、今日は小豆ぼうとうを作ってみたさ。小豆を煮て、ほうとうを短めに作ってその中に入れて煮るだけだから、簡単だけんどね。時間はかかるね。アズキを水につけてひやかしたり、ゆでこぼしてあくをとったりね。

Img_9398jpg2 のし棒でのす

 汁粉には餅が入ってるもんだとばっかり思ってたから、ちっくい頃、小豆ぼうとうっちゅうもんがあるって知って、ショックだったね。なんでうどんを甘い汁で食うずらって。うどんは醤油か味噌でなきゃあって。

Img_9401jpg2 包丁で切る

 小豆ぼうとうは「汁粉ぼうとう」って呼ぶ人もいたね。山梨ばっかじゃなくて、長野とか埼玉でも作るらしいよ。赤は邪気を払うハレの日の食べ物で、おごっそうだったってわけ。味噌で煮るほうとうは平常食だけんどね。山梨の若神子じゃあ「ドンドン火祭り」ていう7月30日のお祭りで収穫を祝って神さんにお供えするだね。ほかのとこじゃあいつが小豆ぼうとうのシーズンかちょっとわからんけんど、県外じゃあ、七夕やお盆のおごっそうっていうところもあるらしいさ。

Img_9404jpg2 できあがり

 アズキは、ビタミンCを含んでいて抗酸化作用があるだって、疲労回復・肩こり・筋肉痛にも効果があるし、高血圧や高脂血症の予防にもなるだって。すごいじゃんね。昔の人の知恵っていうのは、何百年っていう実験の結果だからだね。

2016年8月24日 (水)

蚕の種がやってくる(昭和30年頃)

Photoこんにちは、まゆこです。

前回、昭和初期までの蚕種の通販について書いたので、今回も蚕種に関連する昭和30年の資料をご紹介したいと思います。

豊富村では、昭和初期から集落単位で製糸会社と特約契約を結んで繭の出荷をすることがはじまりましたが、昭和24117日に集落単位に19の養蚕組合が設立され、蚕種の共同購入や災害等に備えた共済基金の積み立てなどを行うようになりました。

当館には、その東八代郡豊富村養蚕農業協同組合の昭和30年の写真アルバムが収蔵されています。きょうは、それらの写真から読み取れる当時の蚕種の分配について、ご紹介したいと思います。

豊富村の組合長会議で蚕の飼育開始日(掃き立て日)が決まると、その日に合わせて蚕種業者から「掃き立て紙」を挟んだ「ばら種容器」が豊富村組合本部に届きます。

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←業者から届けられた蚕種が組合建物の軒下に並べられている。2万粒の種が「ばら種容器」1枚に入る。

Dsc_0557 ←ばら種容器:当時は2万粒(10g)の種が入っており、輸送用の容器として使用された。大正6年頃から使われ始めた。

069 ←注文した蚕種を引取りに来た養蚕家たち。蚕種業者が「皆様、追加注文はありますかね』と声をかけているとの記述あり。

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 ←アルバムによると、昭和30年当時に豊富村が取引していた蚕種業者は、山梨蚕種、南信社大井出張所、大竜社山梨出張所、信濃蚕業豊富出張所の4社です。

集落ごとに特約契約をしている製糸会社から指定された蚕種を使用する場合も多く、来館された南信社関係者から聞いた話ですが、当時は「太平×長安」という大粒の繭ができる品種をよく納入したそうです。

066 ←蚕種が大きな風呂敷に包まれ、背負われている。豊富の各家で大量に掃き立てていたことが判ります。

072 ←我が家に届いた蚕種を囲んで。今日からはじまる蚕の飼育に、届いた蚕種を囲んだ家族の表情からは、わくわく感が伝わります。 

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 ←以上の写真はすべてこの昭和30年につくられた貴重な養蚕組合のアルバムに納められたものです。

ただいま開催中の「最後の養蚕家と豊富」という企画展準備の際に、近辺に資料収集のお声掛けをしていたところ、古民家を解体することになった水上家より発見され、素晴らしいタイミングで寄贈いただきました。

このアルバムの中の養蚕風景は50点以上ありますが、その後の養蚕技術の進歩に伴い、昭和50年代以降とかなり違っています。

昭和30年当時の養蚕の実態や技術を知ることのできる貴重な資料をいただきました。

企画展が終了した後も、当館に収蔵されている蚕具と合わせて養蚕技術の進歩をわかりやすく紹介できるよう、展示に生かしていきたいと考えています。

もちろん、こちらのブログでも順次ご紹介していきますからね♪

まゆこ

2016年8月21日 (日)

大正・昭和の蚕種通信販売(蚕種注文葉書と郵送用紙筒)

Photoこんにちは、まゆこです。

きょうは、明治から昭和初期頃までの養蚕家が、蚕種(蚕の卵)をどのように手に入れていたかを物語る資料をご案内します。

当館には、大正9年に豊富地区の養蚕家に蚕種屋から届いた注文用の往復はがき3通を収蔵しています。

落ごとに一括して注文するようになる昭和初期までは、家ごとに蚕種屋から注文用のはがきが届いていたようなのです。

3通とも大鳥居水上の水上豊次郎さん宛に夏秋蚕期用の蚕種販売のために出されたものです。 そのうち1通は返信用の注文書に記入したものの、切り取られていないことから、結局注文しなかったことが判ります。

T9188蚕種注文用往復ハガキ①裏:大正9年に、蚕種屋である中巨摩郡二川村の笛水館芹澤保次郎からとどいたが、返信しなかったもの。

T9187蚕種注文用往復ハガキ①表:水上豊次郎さんは注文書に記入したものの、切り取らずに返信しなかった。


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蚕種注文用往復ハガキ②左:はがきを送った蚕種屋は、東八代郡石和町の甲信館末木幸太郎。

蚕種注文用往復ハガキ③:蚕種業者は東八代郡富士見村の富士見館小林徳一。

また以上の3通それぞれの文面を読むと、この年の春蚕期は大凍霜害があったこと、販売蚕種の種類には様々あり、繭の色も白の他に黄色のものがあったりと、大正時代までは各戸自由に選択・注文して育てていたことも知ることができます。

以上3通の蚕種注文はがきは、現在開催中の企画展「最後の養蚕家と豊富」で展示中です。

 

 

さてもう一つ、蚕種屋は注文を受けると、どんなふうに蚕種を発送したか?という問題ですが、それはこちらの容器、「蚕種郵送用紙筒」を見てください。

Dsc_0528ありがたいことに、この資料はつい最近、寄贈していただいたものです。

はがき注文により蚕種屋から発送される際、蚕種を付着させた紙を丸めて紙筒の中に収納し、郵便で発送したもようです。

この紙筒は蚕種発送用に上田市紺屋町の業者が特別に作っていたもののようですね。

紙筒(小)に記されていた差出人の住所長野県更級郡力石村(現千曲市)は調べてみると、かつて蚕種の産地でした。

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蚕種郵送用紙筒(小)外径75㎜、長さ248㎜の厚紙製。届け先の宛名「東筑摩郡日向村上井堀 飯森美澄 殿行」差出人「長野縣更級郡力石村七十一番地 蠶種製造業 山崎善太郎」その他表書き「蠶種二枚在中」「昭和三年七月一日発送」「長野縣上紺屋町 森川製造」、蓋表書き「蠶」「水火高温ニ御注意・・・」「(農産物種子)」

蚕種郵送用紙筒(大)外径95㎜、長さ250㎜の厚紙製。届け先宛名「東筑摩郡日向村上井堀 飯森美澄 殿行」差出人不明、その他表書き「(農産物種子)」「蠶種四枚」「長野縣上田市紺屋町 中村式蠶種輸送器製造 中村紙器製造所」、蓋表書き「至 水火高温ニ御注意ヲ乞フ 急」

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この2つの蚕種郵送用紙筒に記載されている内容は興味深いものばかりで、これらの情報をもとに、蚕種屋さんや注文した養蚕家の足跡を追って、現在の長野県千曲市や上田市に出かけたくなります。

今のところ、残念ながら山梨県内を経由した蚕種郵送用紙筒を当館では収蔵できていませんが、富士山の風穴で保存していた蚕種は、隣町の中道地区にある右左口局を発送起点として大量に郵送されたという文献があるので、今後の資料発掘に望みをかけたいと思います。

ところで、現在でも、繁殖用の蚕種は第四種郵便「植物種子等郵便物」として発送できるそうですよ。

これも現代に残る、日本養蚕史の歴史の一つですね。

まゆこ

2016年8月20日 (土)

日の本式両面製蔟織機の使い方を教えてもらった

Photoこんにちは、まゆこです。

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先日、長野県の駒ケ根シルクミュージアムさんで開催されている企画展「蚕と蚕具の歴史―先人の知恵に学ぶー」にお邪魔して、針金で縛るタイプの改良藁蔟(かいりょうわらまぶし)製造器について、教えてもらいました。(蔟とは、蚕に繭を作らせる場所となる道具です)

実際に動くところを見せてもらえる展示は、ほんとうに素晴らしく、感動しました!

駒ケ根シルクミュージアムは長野県駒ケ根市にありますが、養蚕、製糸の歴史から最新のカイコの研究に至るまで幅広い視点でシルクをとらえたすばらしい博物館です。

まゆこが3年ほど前に伺った際に、ここの館長でいらっしゃる関先生と竹内学芸員とお話しさせていただく機会を得ました。

その後、我が館養蚕部門の展示研究活動において、日頃からご教示いただいたり、様々な相談にのっていただいたりとお世話になっています。

今年はじめて飼育した虎蚕と黒縞の蚕種をわけてくださったのも駒ケ根シルクミュージアムさんなんですよ。

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今回は、当館でも展示している改良藁蔟織機の一種を実際に使用してみることに成功したというお話を聞き、さっそく観に行ったわけです。

駒ケ根シルクミュージアムの企画展示室で関館長とこの器械のメンテナンスをおこなった細田さんが実際に藁蔟を織って見せてくれました。

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右手のレバーを手前に倒すと、タテに何本もセットされた藁束に針金が巻きついていくのですが、途中、一定の間隔で横に藁を通してやると、梯子段のように編みあがるという仕組みです。

そして、これを蛇腹にたたんでクセをつけておくと改良藁蔟が出来上がるわけです。

←駒ケ根シルクミュージアムにて。関館長と細田さんが実演してみせてくれている(関館長が横藁を通している)ところ。 ここまで動かせるようになるまでに、大変な試行錯誤と労力がかかったそうです。きっとこの成果は、これから全国の同資料を持つ館の職員の役に立つはずです。スゴイ!

この道具は大手蚕具メーカーが昭和初期から戦前位まで全国に販売していたものと思われ、旅行先の民俗系資料館や博物館でよくみかけますし、当館にも展示してあります。

しかし、実際の取り扱い方法がわかりませんでしたし、部品の一部が錆びついていたり、ゴム部品が劣化していたりと、動かしてみることさえできませんでした。

Dsc_0555 ←我が豊富郷土資料館収蔵の「日の本式両面製蔟織機」 残念ながら当館資料には、横に藁を通す部品が欠損していることが判明した。

Dsc_0552 ←当館収蔵の「日の本式両面製蔟織機」のレバー。これを手前に引くと(写真では左に引くと)、何個もの歯車が同時に回転して針金が藁に巻きつけられていく。

 口や文章でうまく説明できないのがもどかしいのですが、実際にこれを使って、ガチャンガチャンと藁が織りあがって改良藁蔟が出来上がっていく様を観るのは面白いです。

特別にまゆこも操作をさせてもらって大感動!

道具の動態展示は重要だなぁと改めて感じ入った次第です。レバーひとつでいくつもの歯車が連動する様はとてもメカニックな感じもしますが、「歯車がこう動いて、こんな風に作用するのね」とすべての動きや仕組みがみてとれ、すぐに理解できるところがアナログ的な感もあり、とても面白かったです。大変勉強になりました。

 無理を言って動画も撮らせてもらい、使い方はばっちり理解できました。今後の展示解説の生かしていきたいと思います。

関館長、竹内学芸員、細田さん、お世話になり、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

(竹内学芸員の書いている駒ケ根シルクミュージアムさんのスタッフブログはとっても興味深くて面白いですよ♪是非ごらんあれ!)

まゆこ

2016年8月18日 (木)

とまちゅうバスで来館

Photo こんにちは、まゆこです。

きょうは、中央市が主催したイベントが行われ、市内を循環しているとまちゅうバスを利用して、15名のお客様が当館に来てくださいました。

P8183583今日は特別に中央市の名産トマトの妖精「とまちゅう」が資料館前でお出迎え。

Dsc_0525やってきてくれたお客様と握手を交わす「とまちゅう」

Dsc_0523今回は養蚕について詳しく学ぼうというテーマなので、館長が富子さんの部屋の前で詳しく説明しています。

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1階に降りてきて虎蚕の生態展示をを観察したり、糸取り等の体験もしました。

このほか、当館隣りの施設の「しるくふれんどりぃ」にて温泉に入ったり、食事をとったり、目の前にある「シルクの里公園」の繭形のトランポリンで遊んだりと、思い思いに楽しんでいただけたようです。

今後もたまには、とまちゅうバスを使って、遊びに来てほしいです。ゆっくりのんびりできますよ!

まゆこ

2016年8月17日 (水)

小豆の脱穀

Tomiko

富子だけんど、久しぶりでごいすよ。台風が困るじゃんね。うちの方は、いいおしめりで良かったけんど、関東・東北の方じゃ大変だったねぇ。

Img_9384jpg2 収穫した小豆

小豆は根っこから抜いて収穫するのが普通だけんど、プランターで作ってる程度じゃあ、熟した実から収穫してった方がいいだって。ほんだからここ2週間くれえ茶色くなってる実を見つけちゃあ取ってきてただけんさ。小豆の木も枯れてきて、葉っぱもどんどん落ちて、へえ収穫する小豆もなくなったから、脱穀をしたさ。

Img_9386jpg2_2 小豆の脱穀

 シートの上で横槌で叩いていくと、殻が割れて中から赤い小豆が転がり出すさ。そのあとふるいにかけて殻をとって、水で洗ってごみを取ってきれいにしたさ。小豆の脱穀は他のもんと比べると手間がかからんで楽だね。

Img_9388jpg2 小豆がとれた

 もうひとつ小豆のこんで実験したこんがあるだけんどさ。インゲン豆は鞘が緑のうちにゆでたり煮たりして食うとうまいじゃんね。ほんだから小豆も鞘が緑のうちに食ってみたらどうずらと思ってやってみたさ。鞘が緑の小豆の鞘をむいてみると、緑の豆が入ってて、インゲンと変わらんじゃんね。小豆も若いうちは赤じゃなくて緑だね。

Img_9366jpg2 若い小豆

 ほんだからゆでてマヨネーズをつけて食ってみたさ。「なんだか、甘い感じがする。」「鞘が口の中でこそこそする。」「やっぱりインゲンの方がうまい。」っていう感想で、やっぱり小豆は固い豆にしてっから食うのがいいっていうことになったさ。

 

2016年8月16日 (火)

お蚕情報ー初秋蚕の飼育状況

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初秋蚕の錦秋×鐘和の7~800頭は人工飼料の70頭が8月11日頃、予定通り上族をはじめました。上族とは蚕が糸を吐いて繭を作り始めたので、蔟(まぶしーぞく)に入れてやることです。13日には本格的になり、ちょうどお蚕セミナーに来ていた子供たちが、目を光らせながら熟蚕を蔟に入れてくれました。
しかし、13日の夕方になってもまだまだ桑の葉を食べている蚕と、糸を吐き始めた蚕が混在していたので、桑の葉の上に回転蔟を置いて帰りました。14日は、大部分の蚕が蔟へと移り、繭をつくり始めたのですが、桑の葉の中で作ってしまったものもいました。本当は一晩中面倒を見られたらよかったのですが、夕飯と晩酌の都合で、ちょっと手荒な方法をとってしまいました。勘弁ね~

P8163568 回転蔟へ移動

P8163569 2頭が一緒に繭づくり

P8163570 まだ散歩中の蚕

P8163559 わら蔟で繭を

本日16日になると、ほとんどが回転蔟の中に入りましたが、まだ散歩している蚕もいます。蔟をよく見ると、2頭の蚕が一つの繭を作っているところもありました。玉繭ができそうです。
散歩しすぎで体力の落ちた蚕は、わら蔟に移しました。小さい繭を作ったり、まだうろうろしているものもあります。どうなることやら、秋の蚕は気難しいのかも・・・

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もう一つ虎蚕も次第に成長しています。7月18日に冷蔵庫から出して、催青(卵から目覚めさせること)を開始しました。孵化は7月29日でした。今は5齢となっていますが、大きさでいえば5cm位になったものと、小さいものでは2cm、中くらいでは4cmのものが入り混じっています。どうしてこんなことになったかはよくわかりませんが、孵化の時間差や、脱皮の時間差などがさまざまに影響して、揃えられなかったことが原因かもしれませんね。繭を作る時期も当然バラバラになるでしょうが、長い期間、蚕を入館者の方々に見ていただくにはよいかもしれません。

負け惜しみだ~

2016年8月13日 (土)

「お蚕さんセミナー」大盛況です

本日、13日の午前中に開催されたセミナーに県内外から15名の家族が参加してくれました。最初に集合してスケジュールを確認した後、「繭のできるまで」というビデを見てもらい、蚕が繭を作る一生を学んでいただきました。

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続いて、蚕の成長がわかる模型と絹糸の展示室を見学し、富子さんの家のジオラマのまえで、昭和30年代の養蚕農家の暮らしや道具の説明がされました。
そのあと、企画展「最後の養蚕家と豊富」の解説や蚕神さんの説明をして、いよいよ、糸取体験とクラフト体験です。

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糸取体験は古い糸繰機を使いゆでた繭から糸を取り出します。糸は1000m以上あります。クラフトは繭を使った「おぼこさん」と、絹の端切れを使ったストラップ作りです。親子でそれぞれ作って、乾かす間に、今度は生きた蚕への桑の餌やりです。

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かわいがって背中をなでる子や、手のひらに乗せる子がいました。ちょうどこの時に、お蚕の一部が繭を作る態勢になり始めました。子供たちも、蚕の肌の色や口から糸を吐いている様子を観察しながら、繭づくりの準備ができた蚕を、回転蔟へと運んでいれてくれました。
このイベントを生放送していたYBSのスコーパーのYさんも、恐る恐る蚕に触って、黄色い声をだしていました。子供たちもその姿を見て大喜び?でしたよ。

明日もセミナーを開催します。参加希望の方は、朝9時半までに電話(055-269-3399)でご連絡ください。

2016年8月10日 (水)

第3回歴史文化講座『地方病終息宣言20年』を開催します

来月の9月10日午後1時30分より、当館において表題の講演会を開催します。

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本年は地方病終息宣言20年となります。
地方病の正式な名称は「日本住血吸虫病」と言いますが、古来より「原因がわからず、腹が膨れてやせ細り、やがて死に至るこの病」は『水腫張満』と呼ばれていたそうです。
明治14年(1881)8月27日のこと、当時の東山梨郡春日居村の戸長(村長)と衛生委員が連名で、当時の県令(現在の知事)であった藤村紫朗に提出した『御指揮願』は、「多くの村人がこの病気にかかり、悲嘆に耐えられないので、発生地域の地図をもとに、実地検査をお願いしたい」というものでした。今を去ること135年前です。

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しかし、その病原菌について長い間不明で、奇病・魔病として恐れられていたのですが、大正2年(1913)にミヤイリガイを中間宿主とする日本住血吸虫が体内に侵入することが原因であることが特定されました。
昭和町西条新田の杉浦医院の杉浦健造とその娘婿三郎は、特定条件で皮膚感染をする寄生虫病であることを住民に伝えるとともに、予防が重要であり、私財を投じてミヤイリガイ撲滅への活動を始め、やがて全県下に広まり「山梨県地方病撲滅期成組合」の結成へとつながったのです。
昭和51年、渡り鳥の楽園として知られた旧・田富町の臼井沼も、一面のアシ原でしたが、ミヤイリガイの生息地として埋め立ての要望が強まり、同年6月29日の県議会の決議を経て、ふるさと公園や学校敷地へと生まれ変わりました。埋め立て決議から40年の歳月が流れたことになります。

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永い間、地域の人々が苦しみ、杉浦医師などの奮闘のおかげで、今は安全な地域となった甲府盆地南部の歴史を、現在の『昭和町風土伝承館杉浦醫院』館長中野良男先生のお話を伺い、学びませんか。申し込み不要、入館料免除となります。

2016年8月 9日 (火)

ミニ企画展 「帽子 ~暑いまぶしいさて何をかぶろうか?~」(2)

日本の帽子の歴史

古墳時代

 帽子の前身らしいものはそれ以前にもあったと思われます。古墳時代の埴輪には、帽子をかぶったものがたくさんあります。

 写真の埴輪は群馬県の保度田古墳群で復元展示されている埴輪です。帽子の人は正装している感じです。もう1枚の写真は東京国立博物館に展示されているもので、これも正装の男子です。

Jpg2 保度田古墳群の埴輪

Img_9344jpg2_3 東京国立博物館の埴輪

奈良時代

 朝廷に属する官人が制帽として冠をつけるようになったのは聖徳太子の冠位十二階制ができてからと考えられています。冠位十二階が制定されると、冠の色は地位を示すものになりました。そして、儀式の時は冠をかぶり、ふだんは圭冠(はしばこうぶり)という帽子をかぶります。こうしたステータスシンボルから出発したかぶりもの着用は、やがて成人男子のあかしといえるような存在となりました。平安時代には庶民に至るまで頭にかぶりものをつけ、露頂を恥とする文化が生まれたのです。

平安時代

圭冠にかわって烏帽子(えぼし)が登場します。百人一首や絵巻物でおなじみのものです。

やはり儀式の時には冠をかぶり、ふだんは烏帽子をかぶりました。烏帽子は今も神社の神主の装束や相撲の行司の装束に見ることができます。

女性は外出するとき、被衣(かつぎ)というものをかぶりました。着物ですがかぶるために作られた着物で襟のつく場所が普通の着物と異なります。また市女笠(いちめがさ、またの名を虫の垂れ絹)をかぶることもありました。

Dscn5131jpg2_2 流鏑馬の綾藺笠

Dscn5110jpg2 流鏑馬祭りの神事

鎌倉時代から安土桃山時代

 烏帽子よりも日よけになり、手軽にかぶれる笠が外出や野外労働には欠かせないものになります。武士の狩猟や旅、流鏑馬などには綾藺笠(あやいがさ)と呼ばれる笠が使われました。髻(もとどり)を入れるために真ん中が高くなっています。南アルプス市で行われている流鏑馬では、綾藺笠をはじめとして、鎌倉時代頃のさまざまなかぶりものをつけた人たちが登場します。流鏑馬それ自体もすばらしいですが、装束などにも目を向けたいですね。

 戦場に出る時に兜をかぶれるのは身分のある人だけでしたが、萎烏帽子(もみえぼし)という柔らかい布で作られた烏帽子をかぶり、その上から鉢巻きを締め、さらに兜をかぶりました。しかしうち続く戦乱のために、徐々にかぶりものをつけない風がおこります。

女子の間には桂包(かつらつつみ)が行われました。

2016年8月 8日 (月)

名車スバル360「てんとう虫」きたる

8月6日の夕方、看板を取り込んでいると、不思議な車が目に入りました。あの名車「スバル360」です。とても綺麗で、ぴかぴかです。痛んだところは一つもありません。写真をとっていると、風呂上がりの男性がやってきました。話を聞くと探して購入したとのこと。三角窓を開けて、鈍い低音のエンジン音を残して走り去ってしまいました。かっこいい~

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スバル360は愛称「てんとう虫」と呼ばれ、1958年に製造開始され、1970年まで販売されたそうです。2016年に日本機械学会により機械遺産として登録されたのは、初代のスバル360です。
また来てくれるといいね~

2016年8月 7日 (日)

蚕(初秋蚕)の2種類が順調に育っています。

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7月26日に、西湖いやしの里さんから分けていただいたお蚕さんは5齢になって2日目ですが、食欲旺盛でぐんぐん大きくなっています。現在5.5cmです。8月11日ころから上蔟となりそうです。桑の葉を食べなくなり、繭をつくる体になりますので、回転蔟へと移す予定です。この種類は錦秋×鐘和という種類です。白い糸を吐いて白い繭を作ります。

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もう1種類は虎蚕(とらこ)と言い、白い体に黒い縞模様があります.。2cmほどの虎蚕は、まだ3齢ですが明日あたりから眠(脱皮のための眠り)に入ります。1日半ほどで起きて脱皮をすると4齢になります。虎蚕は黄色い繭を作りますが、原種なので、繭はあまり大きくはできません。

P8073483 虎蚕

今2種類は桑の葉と人工飼料の2つでそれぞれ育てています。人口飼料の方がむちむちしているようですが、蚕は一度桑を食べると、人工飼料には見向きもしないようになります。やはり新鮮な葉葉おいしいのですね。

P8073489 人工飼料の蚕

P8073485 虎蚕

美しいヤママユガがいました

資料館の玄関にはいろいろな人や動物、昆虫が現れます。最近はポケモン探索の人も多く、毎日2~3人~20人ほどが、公園を歩き回っています。噂によれば、10匹はいるようです。私はガラケイなので、見ることはできませんが・・・

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P8073474 顔はこわそうですね

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さて、今日はピィロティーの柱に、薄緑色の羽にオレンジのラインが入った大きな蛾を見つけました。いつのも茶色いヤママユガと少し違うので、さっそく写真を撮り、物差しでサイズを測りました。頭から羽の尾の先端まで9.5cm、羽の幅13cmです。大きいですよね。
インターネットで調べてみると、ヤママユガ科のオオミズアオという蛾でした。飛ぶ力が弱いのか、太陽の日差しが強すぎるのか、あまり活発ではありません。蛾は夜に動き回るものだからでしょうか?

8月~9月に孵化し、蛹になるまでの栄養で生きて、交尾し、卵を産んで死んしまい、冬は卵で越冬するようです。オオミズアオの繭はどんな繭なのでしょうね。

2016年8月 6日 (土)

H28学芸員実習終了

Photoこんにちは、まゆこです。

今年の学芸員実習生は1名で、726日から10日間のプログラムを都留文科大学の学生さんが行いました。

Dsc_0491鏡の拓本をとる実習生。この他、古銭の拓本もとった。

 

実習日程は下記のとおりです。

7月26日()資料館概要説明、館内案内、周辺文化財学習、養蚕資料取扱い(この日から館内で初秋蚕飼育開始) 

7月27日()養蚕資料学習と実習

7月28日()民俗資料取扱い・調査、ミニ企画展案準備

7月29日(金)養蚕資料取扱い・調査、見学希望学校へのガイダンス同行、こども祭準備

7月30日()こども祭運営 

7月31日()こども祭運営 

8月1日(月)休館日

8月2日()ミニ企画展計画作成

8月3日(水)刀剣取扱い、梱包実習、考古遺物取扱い、拓本実習 

84日(木)古文書取扱い、ミニ企画展計画作成

85日(金)ミニ企画展計画作成・発表

 

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館長より刀剣の手入れを学ぶ。

実習計画には、養蚕資料、民俗資料、考古遺物、刀剣、古文書の取り扱い等の講義ほか、資料調査に伴う実習、周辺文化財の学習、さらには、ミニ企画展の計画作成まで行いました。

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実習の間には、こども夏祭りも行われたので、ボランティアの皆さんの力をいただかないと成りゆかないイベント運営の実態についても経験してもらいました。多くの子どもたちとも接しました。

子ども夏まつりでヨーヨーの遊び方を教える。

彼女にとっては与えられる課題も多く、たいへんな十日間だったと思います。

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まゆこが担当した養蚕資料部門では、資料調査カードを作成したり、常設展ジオラマ解説の改善などの課題を一緒に取り組むことができて、彼女の視点はとても参考になりました。

←富子さんより古文書の資料調査、取扱を学ぶ。

当館での学芸員実習に来てくれる学生さんは、毎年、大学や学科が違うので、いまどきの

学生事情などが微妙に違い、休憩時間にお話しするのもまゆこはとても楽しかったです。

Yさん、ありがとう、ご苦労様でした。

まゆこ

2016年8月 5日 (金)

アマガエルの来訪

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早朝、館の玄関を開けると、小さな緑の塊がうずくまっていました。はてなんだろうと近づくとぴょんぴょんと跳ねて逃げ出すではありませんか。アマガエルでした。元気に4~5回跳ねると私から2mも離れていきます。急いで追いかけて、何度か失敗しながら捕まえて、館の脇に

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ある大きな水槽のスイレンの葉の上に置いてやりました。
スイレンとアマガエルの取り合わせは、とても似合いですね。急いで写真を撮っても、逃げようとしません。気に入ってくれたのかも?

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今日もにわか雨を期待している様子に、

   一句 「アマガエル 真の礼する 雲の峰」

2016年8月 3日 (水)

H28こども夏まつりも大盛況だったよ

Photoこんにちは、まゆこです。

本日は去る730日・31日に行い、猛暑にもかかわらず400名近いお客様に来ていただいた、こども夏まつりについて、お伝えします。

Dsc_0455←おまつりの最後にヨーヨー釣りのプレゼント。気に入ったのがとれたかな?

 

 今回の夏まつりでは、受付でエントリーした後、館内ウォークラリー→水てっぽうで2回的に当てる→魚を5匹釣り上げるゲーム→千歯扱き体験で米をゲットすると→最後に参加賞としてヨーヨー釣りができるというコースをご用意しました。

Dsc_0445まずは受付でエントリー。館内ウォークラリーの説明を真剣に聞く子どもたち。

Dsc_0447クイズの1問目に答える前に、展示室入口にあるお蚕展示コーナーにしばしひっかかる子どもたち。

Dsc_0449展示の中から答えを探すので、細かいところも観てもらえてまゆこはうれしい。

Dsc_0450途中で繭のにおいを嗅いだりして。「う~、くさい」 

Dsc_0460こちらは外で竹の水てっぽうに挑戦。ちょっとお腹のあたりがぬれてしまうのも、暑いから気持ちいい!

Dsc_0473 千歯扱き体験は親子で楽しんでもらえたみたい。

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←自分でこいだ稲モミは特製袋に詰めて持って帰ってもらいました。 

 

 たくさんの来館者の皆様に楽しんでもらおうというこのおまつり企画は、春、夏、秋と行いますが、当館職員3人ではとてもとても手が足りません。

毎回、中央市歴史文化ボランティアの皆さんのお力を借りて運営しています。

今年の夏まつりでは2日間で14名のボランティアさんと職場体験の中学生2名、学芸員実習の大学生1名のみなさんが手伝ってくださったおかげで、なんとか乗り切ることができました。

暑い中、昼食をとる暇もないくらいの忙しさに、申し訳ないほどでした。

 でも、たいした広報もできていないのに、当館のイベントを毎回楽しみに来てくださる親子リピーターも増え、楽しんでいただけたので、感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございました。

次回の秋まつりは、平成28年10月29日・30日に開催予定です。

どんなメニューで皆さまをお迎えできるか、これからが思案のしどころです。楽しみにしていてください。

さて、きょうも山梨は暑いですが、当館のお蚕たちは順調に成長しています。錦秋×鐘和は44日目、虎蚕は21日目をむかえています。観に来てね!

まゆこ

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