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2016年7月18日 (月)

ミニ企画展 「昔も今も変わらぬ相棒文房具」 (6)

 大正12年の文房具広告

『文具界』という文房具専門雑誌に掲載された90年も前の文房具の広告です。雑誌本体は残っていませんでしたが、常設展に展示されていました。調べてみると、現在に続く文具メーカーもありました。 

Img_9050jpg2 大正12年の広告 

田口商会「墨の元」

現在の開明株式会社。明治のなかば、岐阜県の山村の小学校教員だった田口精爾さんが、習字の時間に墨を摺るのに時間がかかり、文字を書く時間が足りないことをなげき、なんとかしたいと、東京職工学校(現在の東京工業大学)に入学。油煙と膠の研究をし、練り墨「開明墨」(墨の元)を開発しました。

その後理想の液体墨「開明墨汁」を明治31年(1898)に発売します。現在も墨汁メーカーとして製造販売を行っていますので、ほとんどの人が彼の恩恵をこうむっているといえます。

Img_9315jpg2 おなじみの墨滴

 

「サンエス万年筆」

明治末に万年筆の輸入に携わった人々が万年筆の国産化に挑みました。スワン、オリバー、プラトンなどのメーカーになりますが、細沼四郎さんもその一人で、大正9年(1920)に万年筆の製造販売を始めました。

Sun Sea Star から、サンエスという社名をつけ、戦前にはパイロット並木、スワンと並ぶ万年筆メーカーだったそうです。

 

「プラトン万年筆」

大正8年(1919)、日本文具製造株式会社(プラトン文具株式会社ともいう)からプラトン万年筆が売り出されました。社長は中山太一さんという実業家で、政治家でもありました。

 中山太陽堂という会社からは、「クラブ洗粉」「クラブ化粧品」を売り出していたので、万年筆の広告といっしょに化粧品の広告が掲載されているところがおもしろいですね。「プラトン出版」という出版社も経営するなど幅広い事業を展開していました。

Img_9057jpg2 90年前は万年筆が最先端

 

石川ペン先製作所「ゼブラペン」

現在のゼブラ。明治30年(1897)に日本初の国産鋼ペン先の製造に成功し発売しました。大正3年には商品名をゼブラと変えます。

昭和38年(1963)には社名を現在の「ゼブラ株式会社」へ変更し、ボールペン、シャープペンシル、マーカーなどの製造販売を行うようになりました。ボールペンは三菱、パイロットと並ぶシェアを誇っています。ゼブラの筆記具は芯を替えることで経済的に長期間使えるというコンセプトをもっています。

Img_9316jpg2 ちょっと探すとこんなにゼブラ

 

カーボンペーパー株式会社「ユニオン複写紙」

現在の「ユニオンケミカー株式会社」。明治38年(1905)和式カーボン紙の生産を始め、大正になってからは洋式カーボン紙の生産も行いました。昭和46年からは、コンピュータ用端末リボンやタイプライターリボン、インクロールなどの製造を行い、昭和41年に現在の社名に変わります。現在はインクジェットインクの製造も行っているそうです。

 

長い相棒たち、作り手が変わったり、作っている商品が変わったりしても、わたしたちは長いおつきあいをさせてもらっているのですね。

 

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