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2016年7月27日 (水)

乾繭しようとしたら、黒縞の成虫がいたの!

Photoこんばんは、まゆこです。

去る、723日(土)のことですが、その日は虎蚕(とらこ)を蔟から外して毛羽取りし、冷凍庫に保管してある黒縞(くろしま)と黄白(おうはく)の繭と合わせて乾繭しました。

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最初に、暴れん坊で飼育にてこずった虎蚕の繭を収穫していた時のことです。

館長が「あ~こんなところに黒縞の繭を取り忘れだ~!」と叫びました。

とんで行ったまゆこは、繭の上にのっているかわいらしい黒縞ちゃんの成虫に会うことができました。

意図していなかった出会いですが、なんて、かわいらしいんでしょう♪

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大きな黒い目に、においを感じるという触覚が立派です。鳥の羽のようでもありますね。

からだの細さからいって、お腹に卵を持っていないようですし、オスをひきつけるためのにおい(性フェロモン)を発する黄色い袋をお尻の先から出していないので、メスではないようです。

 

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でも、この黒縞ちゃん以外、成虫になる前にすべて冷凍庫に入ってしまったので、交尾することはできません。

蚕は飛ぶことができませんので、このまま蚕棚の一角にいてもらっています。

まだ2・3日は生きているので、機会がある方は見に来てください。

 

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夏蚕の乾繭は、平成28年7月23日から24日にかけて行いました。

例の乾繭装置がまた活躍しました。

今回は白色で小粒の黒縞の繭、薄黄色の虎蚕の繭、黄白(オスが白、メスが黄色)の繭の3種類を同時に乾燥させました。

なんだか、色合いがきれいですね。

同じ黄色でも、品種によって色味がずいぶん違うことが判ります。

蚕って不思議ですね。

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では、ここで、最新の蚕飼育展示状況をお伝えしましょう。

本日、蚕棚には、昨日到着した3齢1日目の錦秋×鐘和(きんしゅう×しょうわ)と、虎蚕(とらこ)の卵がのっております。

虎蚕は明日7月28にふ化する予定です。

8月の半ばに向けてぐんぐん大きく成長していきます。

たくさんの人に観に来てもらいたいです。

うんとかわいいんだからっ♪

まゆこ

2016年7月24日 (日)

もうすぐ小豆の収穫

Tomiko

富子だけんど、えらい久しぶりじゃんね。たっしゃだったけ?やたら暑かったり寒かったりして、いっさらはっきりしんじゃんね。

その間に資料館の小豆があとちっとで穫れるようになっちゃっとうさ。早いもんじゃんね。

Img_9102jpg2 小豆の種

 小豆を植えとうは5月12日だよ。まだ2ヶ月しかたっちゃあいんさ。みんな小豆はしょっちゅう食ってると思うけんど、どうやって穫れるかなんて知らんよね。あんパンとか、まんじゅうとか、ぼた餅とか、あんみつとか甘党にゃあ必須のアイテムだよね。

 自分でも育ててみたかったら、普通にスーパーで売ってる小豆を蒔いても大丈夫。きびだの麦だのは皮を剥いて、芽を取っちゃてあるからスーパーで売ってるのじゃあ芽が出んけんど、豆はその点いいよね。

Img_9290jpg2 小豆の花

 小豆の花は黄色くてちっくくてかわいいもんさ。エンドウとかスイトピーとかの花に似てるだよね。

Img_9311jpg2 花と鞘

 花が咲いたあとに鞘ができて、そん中に小豆の実が入るさね。

Img_9348jpg2 鞘が色づいた

 今日見たら、鞘が茶色くなってとうさ。中で小豆が熟してきたっちゅうこんだね。まだまだ緑の鞘もいっぺえあるから、茶色くなって乾いてきた順に収穫していいだって。昔畑で作ってとうころにゃあ、そんな手間はかけられんから、だいたい茶色くなったら引っこ抜いて、むしろの上で乾かしたと思うよ。ほうして登場するのが、いつもの横槌っちゅうわけさ。たたいて実を落とすだね。

 北杜市じゃあ7月30日に小豆ぼうとうを作るらしいけん、うちの方じゃあそういう文化はなかったなあ。間に合うかどうかわからんけん、小豆ぼうとうは作ってみたいじゃんね。

2016年7月23日 (土)

カミキリムシは五円だった

Photoこんにちは。今日、虎蚕の繭掻きをする予定のまゆこです。

夏休み中で当館では、ミニブックのクイズに答えると、小中学生の入館が無料になりますから、子どもたちと一緒に出来たらうれしいのにな♪と思います。

127「五円虫とり」子どもたちによる一斉カミキリムシ退治(田富町誌より)。

むかし、養蚕農家の子どもたちは、夏休みにとっても頑張って働いたんです。

136←桑園ひろがる豊富村(昭和50年代・豊富村誌より)

家族一丸となって働かねば、乗り越えられない養蚕繁忙期には、たとえ子供であっても、養蚕仕事の大事な役割を担いました。

春蚕のひきひろいの時期には学校が農休みになりましたし、普段から日々の桑切りや忙しい祖父母に変わって家事や子守をするなど大活躍。

さらに、現在では考えられませんが、豊富の子どもたちにとって、夏休みはまるでお蚕の世話のためにあるようなものだったそうですよ。

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また、ちょうどお盆に当たる815日前後は、初秋蚕の飼育期と重なるため、楽しみにしている盆行事も夏まつりも「ひと月と十日遅れ」で行われました。

ひと月と十日遅れで行われたお盆にくりだす浅利諏訪神社の神輿。バックには桑畑がひろがる(昭和50年代・豊富村誌より)。

さらに、桑の海を駆け回りながら、桑の木の害虫であるカミキリムシ(五円虫)を駆除するのも大切な仕事のひとつでした。

桑の害虫である「五円虫」とは、カミキリムシのことです。樹皮に穴をあけて侵入し、木を枯らしてしまいます。

子供たちは、カミキリムシ1匹を捕まえて地区の集会所に持っていくと5円もらえたので、五円虫と呼んでいました。

74128 ←箱に集めたカミキリムシ(噛まれないように、頭と体を切り離して箱にいれたそうです(田富町誌より)。

子どもの生活も養蚕とともにあったのですね。タブレットをもって、うろうろしている今の人たちとは、ぜんぜん違うね。

「本日13時~虎蚕の繭かきと毛羽取りやりますよ!こどもたち、待ってるよ!!」

まゆこより

2016年7月22日 (金)

夏休みの小中学生はクイズに参加で入館無料!

Photoこんにちは、まゆこです。

中央市内の小中学校も今日が終業式、明日から夏休みが始まります。そこで、小中学生の皆さんに耳寄りなお知らせです。

Minibukku_181当館では、831日(水)まで、受付でこのようなミニガイドブックを小中学生が来館された場合にお配りします。

このミニガイドブックには「昔のくらし、探ってみよう!」をテーマにクイズが5問ありますので、館内を巡って展示品から答えを見つけ出して答えてもらいます。

再び受付に戻り、答え合わせをすれば、入館は無料となります。(答えが間違っていてもこのクイズに参加した人はみんな無料になりますから安心してね)

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このガイドブックは表示通りにハサミで切り込みを入れて折ると、こんな風にポケットに入りやすいサイズになります。

夏休み中何回来てもOKですよ!

ミニガイドブックは4種類あるから大丈夫なの。

 

Dsc_0362このうちわは紙の代わりに○○○が吐いたいとでできています。

Dsc_3720この鳥の羽って何に使うの?

Dsc_3725天井からベタベタする紙を吊るして何してるのかぁ?

Dsc_3715これって何の動物の靴だろう?

Dsc_3713この自在鍵には火事にならないようにある生き物の飾りがついているよ!

 以上のような問題の答えは、館内の資料をじっくり見れば、わかります!

自由研究の題材のヒントにもなると思うので、どうぞ来てください。(市内外、世界中すべての小中学生に参加資格があります!)

お待ちしています♪

まゆこ

2016年7月21日 (木)

突き上げ屋根の養蚕家屋

Photoこんにちは、まゆこです。

昨年、山梨県甲州市下小田原にある上条集落が文化庁から「重要伝統的建造物群保存地区」と認定されました。

江戸時代中期から昭和にかけて建てられた養蚕を生業の主体とした地域独特の形式をもつ民家や蚕室がまとまって保存されていると評価されたのです。

甲州で多く見られる「突き上げ屋根の家屋」は、明治中頃から大正時代に多く建てられた、養蚕を行うのに適した家屋です。

Dsc_3502当館のある中央市豊富地区でも、集落を歩いてみると、この突き上げ屋根の養蚕家屋に出会うことができるんですよ!

←豊富地区大鳥居の突き上げ屋根の養蚕家屋

さあ、ここで、世界遺産に登録された群馬県の養蚕家屋(田島弥平宅・高山社跡)と比べてみましょう。

180文久3年(1863)築の田島弥平宅は、蚕室とする2階部分の屋根の棟頂部の端から端までを「ヤグラ」が乗るように突き出させた住宅です。

181また、同じく世界遺産に登録された高山社跡蚕室の建物は、2階部分の屋根に3カ所の換気用の「天窓」が突き出ています。(群馬県企画部世界遺産課発行のパンフレット「絹の国ぐんまを知る 世界遺産とぐんま絹遺産周遊ガイド」より)、

いずれも、蚕を育てる屋根裏部屋の日当たりと風通しを良くするためですが、甲州の場合は、作業しやすいように天井の高さをキープするため、かやぶき屋根の中央付近に群馬のようなヤグラや天窓などというレベルではなく、さらに大規模な「突き上げ屋根」と呼ばれるせり出した部分が設けられました。

Dsc_3329 ←豊富地区大鳥居のリフォームされた突き上げ屋根の養蚕家屋

 現在でもわずかですが、豊富地区内では、突き上げ屋根の形とスタイルを変えずに、かやぶきの部分にトタンを張ったり、新しい素材に屋根をふき替えたりして、今も人の住む民家としてその姿を見ることができます。

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そして、シルクの里豊富では昭和30年以降に多く建てられた住居と分離した大型蚕室も多くみられます。

 

さらに、昭和50年代以降に建設された多段循環式壮蚕飼育機を導入した最新養蚕機器配備の蚕室もあるんです!

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明治から昭和終わりに至るまでの、養蚕技術の進歩とともに、この地域の特徴であった大量生産体制にそくした養蚕建築の変遷が、現在でも集落内に見ることができるのは、わが「シルクの里豊富」の全国的に見ても稀有な特徴だと思います。

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実はね、まゆこは密かに、秋になって涼しくなったら、豊富の集落内の養蚕遺産の調査を兼ねたウォーキングでもしてみたいと目論んでいるのら。

 

まゆこと一緒にお付き合いくださる方がいらしたら、大歓迎です。

声を掛けてくださいな♪ 

まゆこ

2016年7月20日 (水)

ミニ企画展 「帽子」 始まりました

八月十日は、ハットの語呂合わせで制定された「ハットの日」です。日本で帽子が広くかぶられるようになったきっかけは文明開化です。断髪令が施行され、髷(まげ)を切り帽子をかぶるようになったのです。

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 ではそれ前に日本に帽子はなかったのかというと、そんなことはありません。古墳時代の埴輪(はにわ)には帽子をかぶった人の埴輪がありますし、奈良時代には烏帽子をかぶるようになります。江戸時代にも笠や頭巾をかぶりました。帽子の歴史は長く、男女ともに帽子をかぶらなくなるのは第二次大戦後です。日常的な服装から真っ先に帽子が切り捨てられてしまったわけですが、最近はまた「おしゃれの切り札」として帽子が流行してきています。

 

Img_9325jpg2_2 展示の様子

 資料館に収蔵されたさまざまな帽子から、その歴史を探ってみましょう。

 

Img_9331jpg2_2 文久5年の陣笠

 

2016年7月19日 (火)

手作り乾繭装置始動!

Photoこんにちは、まゆこです。

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←h28年6月29日に繭かきして毛羽取りした春蚕(春嶺×鐘月)

実は、今年から、新たに手作りした乾繭装置が始動しています。

昨年まで、収穫した繭はいったん冷凍した後、平かごに広げて天日で干して乾かしていたのですが、日数がかかるのと、場所をとるのが悩みの種でした。

 とくに今年の飼育は5月から10月までエンドレス状態で行う予定もあり、乾繭作業を強化する必要がありました。

そこで、まゆこの「こんなの欲しい!」という、かなりアバウトなお願いを聞いてくれた館長が、市販の布団乾燥機と段ボール、金網をつかって、いままでより短時間に多くの繭を乾かすことのできる装置をつくってくれたのです。

Dsc_0146 うちの館長ってほんとにエライっ!!すごいでしょ!

まずは箱の大きさに合わせて金網を切って、折り曲げて、縁の始末を丁寧に行う館長。

もうすでに、6月の終わりに収繭した春嶺鐘月約500粒はこの装置で一気に乾繭したので、性能は実証済みです。

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←箱の側面に乾燥機の風を送り込むためのパイプを差し込む穴を開けます。

次は黒縞と虎蚕の繭の乾燥に使用します。

そして、なんと、7月26日には初秋蚕の飼育がはじまり、錦秋鐘和の2齢眠が500頭くらい?やってくるので、これからこの当館特製乾繭装置はフル活用される予定なのです。

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繭をのせる金網を装着!

いままでは、天日干しによる紫外線などの影響のため、黄色繭の脱色や糸の劣化が起こっていましたが、これで改善できます!

 館長が館長らしくなくいろいろと細々したことを器用に手作りしてくれるおかげで、どんどん当館の養蚕環境が良くなってきています。

また、蚕種や道具の調達、飼育技術に関して、困ったときにお教えくださる県内外の蚕糸関係施設や団体、研究者の方々にご協力いただく機会も増えました。

Dsc_0153一歩ずつですが、山梨の養蚕文化・技術を伝える拠点として、さらに環境を整えていきたいと思います。

布団乾燥機のセット完了!

 当館のように、お金のない施設にぴったりの、身近なもので作れる手ごろな乾繭装置!1回で蚕種1蛾分の500粒程の乾燥ができました。

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←いよいよ乾繭開始。

念のため、収繭の後冷凍して殺蛹してからの乾燥です。

約500粒の春嶺鐘月の乾繭は2時間タイマーで5回行ったので、計10時間ほどかけました。

でもたぶん、7時間ほどで蛹の水分も抜けてしまっているようでした。重さ2グラムほどの繭が、1グラム位になれば、中のさなぎまで乾燥できているそうですよ。

Dsc_0345春嶺鐘月乾繭終了後の保存状況。 現在は、通風のよい所に網袋にいれて下げてあります。

ここ数年の懸案であった乾繭問題を解消して大満足のまゆこです。

館長に感謝♡

まゆこ

2016年7月18日 (月)

ミニ企画展 「昔も今も変わらぬ相棒文房具」 (6)

 大正12年の文房具広告

『文具界』という文房具専門雑誌に掲載された90年も前の文房具の広告です。雑誌本体は残っていませんでしたが、常設展に展示されていました。調べてみると、現在に続く文具メーカーもありました。 

Img_9050jpg2 大正12年の広告 

田口商会「墨の元」

現在の開明株式会社。明治のなかば、岐阜県の山村の小学校教員だった田口精爾さんが、習字の時間に墨を摺るのに時間がかかり、文字を書く時間が足りないことをなげき、なんとかしたいと、東京職工学校(現在の東京工業大学)に入学。油煙と膠の研究をし、練り墨「開明墨」(墨の元)を開発しました。

その後理想の液体墨「開明墨汁」を明治31年(1898)に発売します。現在も墨汁メーカーとして製造販売を行っていますので、ほとんどの人が彼の恩恵をこうむっているといえます。

Img_9315jpg2 おなじみの墨滴

 

「サンエス万年筆」

明治末に万年筆の輸入に携わった人々が万年筆の国産化に挑みました。スワン、オリバー、プラトンなどのメーカーになりますが、細沼四郎さんもその一人で、大正9年(1920)に万年筆の製造販売を始めました。

Sun Sea Star から、サンエスという社名をつけ、戦前にはパイロット並木、スワンと並ぶ万年筆メーカーだったそうです。

 

「プラトン万年筆」

大正8年(1919)、日本文具製造株式会社(プラトン文具株式会社ともいう)からプラトン万年筆が売り出されました。社長は中山太一さんという実業家で、政治家でもありました。

 中山太陽堂という会社からは、「クラブ洗粉」「クラブ化粧品」を売り出していたので、万年筆の広告といっしょに化粧品の広告が掲載されているところがおもしろいですね。「プラトン出版」という出版社も経営するなど幅広い事業を展開していました。

Img_9057jpg2 90年前は万年筆が最先端

 

石川ペン先製作所「ゼブラペン」

現在のゼブラ。明治30年(1897)に日本初の国産鋼ペン先の製造に成功し発売しました。大正3年には商品名をゼブラと変えます。

昭和38年(1963)には社名を現在の「ゼブラ株式会社」へ変更し、ボールペン、シャープペンシル、マーカーなどの製造販売を行うようになりました。ボールペンは三菱、パイロットと並ぶシェアを誇っています。ゼブラの筆記具は芯を替えることで経済的に長期間使えるというコンセプトをもっています。

Img_9316jpg2 ちょっと探すとこんなにゼブラ

 

カーボンペーパー株式会社「ユニオン複写紙」

現在の「ユニオンケミカー株式会社」。明治38年(1905)和式カーボン紙の生産を始め、大正になってからは洋式カーボン紙の生産も行いました。昭和46年からは、コンピュータ用端末リボンやタイプライターリボン、インクロールなどの製造を行い、昭和41年に現在の社名に変わります。現在はインクジェットインクの製造も行っているそうです。

 

長い相棒たち、作り手が変わったり、作っている商品が変わったりしても、わたしたちは長いおつきあいをさせてもらっているのですね。

 

虎蚕の暴走パラリラパラリラ~

Photoこんにちは、まゆこです。

きょうは、虎蚕の上蔟について報告します。

卵を68日に常温に出した虎蚕は620日にふ化しました。そして、627日に3齢となり、72日に4齢、7月7日に5齢、7月13日に上蔟となりました。

 

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 ←回転蔟に上蔟した虎蚕(とらこ)たち。

ここまでの虎蚕ちゃんは、同じシマシマ蚕でも先に営繭した黒縞ちゃんに比べ、上蔟までは実用蚕品種とさほど変わりはない感じで、育てやすい「いい子ちゃん」だったんです。

成長度合いが揃っているし、5齢になるともりもり桑葉を食べてくれてよく太り、「これは繭の出来が期待できるぞ!」と思っていました。

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そして、13日午後までに回転蔟への上蔟作業が終わったところまでは、「明日の朝どれくらい繭をつくりはじめているか楽しみだわ~ん♪」なんて、わくわくして帰宅したのでした。

翌朝のその惨状を目の当たりにするまでは・・・・。

↑上蔟前の優等生だった頃の虎蚕たち。

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14日の朝、出勤してすぐに回転蔟を見に行くと、あれぇ~?蔟の枠の中はスカスカです。

なんと、虎蚕のほとんどが蔟から脱走し、さらに上を目指して蔟を吊り下げている横木の上に登って背伸びしていたのです。

何ともすごい虎蚕の上昇性!

↑横木の下の虎蚕暴走族はもう移動不能なので、そのまま営繭してもらうことに。「もう~、君たちはアメリカシロヒトリじゃないんだから、ちゃんと蔟の中で営繭しなさいよっ!」

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←蔟が回転する軸付近に営繭してしまっているものもいます。

これでは蔟を回転させることができないではないか。

確かに、上蔟させた直後の昨日は回転蔟が回る頻度がいつもより多いなとは感じていました。

それは虎蚕の上昇活動が活発なため、蔟の重心移動が頻繁に起こっていたからに他なりません。

しかし、夕方帰宅する頃には、それぞれなんとなく枠に収まりつつあるように見えたので、尖り繭防止のため横軸で止まるように蔟を固定して帰ったのがいけなかったのでした。

蔟の回転が止まった途端、虎蚕たちは枠から出て、上へ上へと登りはじめたようでした。

まゆこ痛恨のミス!!

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「キャー!どうしたらいいんだ~」と叫でいる暇などありません。

虎蚕たちの黄色の美しい糸を少しでも無駄にしないために、急いで富子さんは脚立を持って来て蔟装置の上の蚕たちを拾い、まゆこが下で捧げもつお盆の中に入れていきます。

そしてお盆がいっぱいになったら飼育籠の上に平らに置いた区画蔟の枠に一頭ずつ入れて上から蓋をして閉じ込めてしまいました。

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暴走する虎蚕たちの動きを止めるにはもうこの方法しかありませんでした。

途中まゆこが「あ~!この惨状を写真に収めておくべきだったのに~」とくやしがったら、富子さんが「無理だね、そんな暇ないよ」と言っていました。

虎蚕飼育の教訓として、「育てやすい蚕は上蔟後に気をつけろ!」 

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おとなしくてよく食べるほんとに良い子たちだったので、上蔟した時点でやれやれと気を抜いてしまいました。

ヨーロッパ種の虎蚕の上昇パワー恐るべし。

次回飼育への教訓としたいと思います。

←次の日の脱走蚕の営繭状況。虎蚕の繭は黄色でした。

まゆこ

2016年7月17日 (日)

桑の抜根機が寄贈

昨日市域の方から桑の抜根機1台とアセチレンライト2点が寄贈されました。もう一点はほうろく状の鉄鍋で片口のものです。ここでは、桑の抜根機を紹介します。

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木枠が二股の脚立状に作られ、片方に歯車が3個組み合わさり、頂部に滑車が取り付けられて、そこからフックが掛けられています。木枠の高さは155cm、下の足の幅は66cmです。大きな歯車とフックは太いワイヤーで結ばれ、中歯車と小歯車はギアにように大歯車に直列しています。ハンドルは各歯車の外側の軸に付けられるようになっていて、小歯車を動かすと、最小の力でフックを引き上げることができるようになっています。

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桑の木は、根が張って、しかも直根が深いので、こうした道具が改植などには大きな働きをしたものでしょう。しかし、この道具は重たいので、一人の作業はとても重労働だったと思います。この抜根機は昭和20年頃まで使用されていたと言われ、こののちは三脚を使用したチェーンブロックを使い、さらには重機になったのでしょう。

今ではとても貴重で珍しい資料を、ありがとうございました。

2016年7月16日 (土)

お蚕(ぼこ)さんセミナーinとよとみ

Photoこんにちは、まゆこです。

きょうは、お盆休みの時期に開催するイベントのご案内です。

豊富郷土資料館では、現在開催中の企画展「最後の養蚕家と豊富」の関連イベントとして、813日と14日に親子で学ぶお蚕さんセミナーを開催します。

178★「親子おぼこさんセミナーinとよとみ」

 日時:平成28813日(土)・14日(日)午前10時~113010時エントランスホール集合

対象:市内外小中学生親子あわせて20

参加費:一人100円(入館無料日)

申込方法:電話で豊富郷土資料館(055-269-3399)まで 

内容:当館の養蚕展示室を解説付きで巡ったあと、繭と絹織物を使った工作や蚕とのふれあい体験などを行い、親子で蚕と人間の深いかかわりを学びます。

タイムスケジュール

10:00「シルクの里豊富の郷土資料館へようこそ」

10:05「繭誕生・おかいこってどんな生き物?」2階シアタールームにて映像資料で学習

10:25「蚕の幼虫が一万倍になったら?繭って?生糸ってどんなもの?」養蚕資料室で蚕の実物大成長過程模型、繭、生糸の実物資料の見学

        「富子さんの家を見せてもらおう!」再現した養蚕家屋内を徹底解剖!おじいちゃんおばあちゃんの子どもの頃の養蚕の様子がわかるよ

        「繭から糸をどうやってとるのかな?」富子さんの家の縁側を借り、昔の道具を使って解説します。

11:00「本物の繭と絹織物に触れてみよう」1階にて繭と絹織物を使った作成実習を行います。繭を使ったマスコット「おぼこちゃん」か、絹の古裂をつかった「ストラップ」のどちらかを作ることができます

Dsc_0262 「繭で「おぼこちゃん」を作ろう!」当館育ちの蚕の繭を使って、かわいい蚕のマスコットをつくりますDsc_0258「絹の古裂でストラップを作ろう!」きれいなストラップを作って、蚕の恵みを感じよう。

11:20「おぼこさんの飼育実習」
Photo_2飼育展示中の本物の蚕にエサの桑をあたえます。

11:30「おぼこさんの成長を願って蚕影大神様に祈ろう」養蚕農家の願いを知ります。

終了解散後、希望者には企画展「豊富と最後の養蚕家」の解説をいたします。

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お申し込み状況によっては、親子だけでなく、祖父母との参加や小学校高学年から中学生なら単独での参加も受けつけたいと考えています。

 夏休みの自由研究の題材にもなりますし、お盆はご先祖や自分のルーツに想いをはせることが多いはず、蚕や養蚕、かつて盛んであった郷土の産業を知る機会として、里帰りしているご家族ともども、豊富郷土資料館に足を運んでもらえたらうれしいです。

まゆこ

 

2016年7月15日 (金)

ミニ企画展 「昔も今も変わらぬ相棒文房具」 (5)

ボールペンのひみつ

油性ボールペン

ボールペンは1884にアメリカで発明されました。しかしそのボールペンはインク漏れがひどく、とても文字がかけるようなものではありませんでした。その後ハンガリー人のラディスラオ・ピロがインクに粘性を高める素材を入れ、細い管に入れることで漏れを防ぐ方法を考案し、1943年に今のボールペンを作ることに成功したのです。

日本にボールペンが入ってきたのは、第二次世界大戦後米軍が持ち込んだのがきっかけと言われています。すぐに国産ボールペンが出回るようになり、昭和45年(1970)年以降は最も一般的な筆記具となっています。ボールペンは当初高価で普及せず、書いた後時間がたつとインクがにじんでしまい、公文書に用いることも認められていませんでした。しかし、メーカーの努力で品質の改善が図られるとともに安価となりました。

現在ボールペン製造技術は日本がダントツで他国を大きく引き離しています。

Img_9080jpg2 日本の携帯用筆記具「矢立」

Img_9081jpg2 墨と筆が内蔵されている

水性ボールペン

日本のオート社で、昭和39年(1964)に開発されたのが始まりです。昭和47年(1972)には実用的で耐久性のある商品が販売され、日本より欧米で評判を呼びました。油性ボールペンに比べ長く書くことができず経済性は悪いのですが、インクの粘度が低いため、線の濃さや手への負担が軽いのが特徴です。

中性ボールペン

ボールペンの歴史の中で最も新しく、伸びているのが中性ボールペンです。別名ジェルボールペン(ゲルボールペン)ともいいます。昭和59年(1984)にサクラクレパスから発売されました。油性ボールペンの使い勝手と水性ボールペンの書き味のよさ・発色性のよさを併せ持っているのが特徴です。インクがゲル化して紙面に付く性質を利用して、消しゴムで消せるボールペンも存在します。

Img_9045jpg2 日本で発明されたガラスペン

Img_9042jpg2 インクをつけて書く

万年筆のひみつ

万年筆の原形は中世ヨーロッパで広く使われた羽ペンといわれています。しかし、羽ペンは折れやすく、摩耗しやすかったので、イギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュがペンを取り付けた金属パイプの軸にインクを貯え、それをペン先に送り出す筆記具を発明しました。1809年のことです。同じ年ジョセフ・ブラマも同じようなペンを作りファウンテンペンと名付けました。

その後アメリカのルイス・エドソン・ウォーターマンによって毛細管現象を応用したペン芯が発明され、万年筆の原理的な構造と外形が確立しました。

万年筆が日本に入ってきたのは、明治になって横浜のバンダイン商会がアメリカ製のコース針先泉筆を輸入したときと言われています。これはウォーターマンの万年筆とは違い、先端部分に針状のものが付いているペンです。その後、丸善が日本における代理店として「ウォーターマン」や「ペリカン」「オノト」の輸入販売を開始し、一般の人に広まって行きます。

国産万年筆は明治44年(1911)に阪田製作所がセーラー万年筆を開発したのが始まりです。苦心の末、欧米に負けない製品となりました。次いで並木製作所がパイロット万年筆を作りました。パイロット万年筆はスタート時点ですでに輸出を念頭に置いていたそうです。またプラチナ万年筆は後発ですが、カタログ通信販売で業績を伸ばしました。

Img_9150jpg2 長い相棒たちを集めました

 

マーキングペンのひみつ

マーキングペンは、1946年にアメリカで開発され、内田洋行の社長がアメリカ視察から持ち帰ったものを、寺西化学が製品化し、「マジックインキ」の名前で発売しました。

発売当初はキャップを閉める習慣がなかったので、ペン先が乾いて書けなくなってしまったというクレームが多かったそうです。ようやく売れるようになったのは昭和31年(1956)頃で、街頭選挙速報などにマジックインキが使われるようになり、徐々に世間に受け入れられていきました。マジックは今も油性マーキングペンの代名詞に使われています。

油性マーキングペンの欠点を改良したのが水性インクを使ったサインペンで、ぺんてるから発売されました。このペンは、アメリカで好評を博し、世界中に広まっています。

 

2016年7月13日 (水)

黒縞ちゃんの繭

Photoこんにちは、まゆこです。

いろいろとバタバタしているうちに、ウチのシマシマ蚕ちゃんたちがもう上蔟となりました。

レポートが薄くて、申し訳なかったです。

今回はとりあえず、平成28710日にアップしようと思っていて、できていなかった写真をみてください。 

 

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←黒縞のH28 79日の様子

つい最近発行された「シルクレポートNO.49の横山先生のシルク豆知識」に書いてありましたけど、黒縞ちゃんは、メラニン色素が生まれつき皮膚に溜まっているから黒いんですって!

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←黒縞 h28 79日の様子。

 黒縞ちゃんの営繭までのあゆみを記すと、68日卵を常温に出す→618日にふ化→71日に4齢になる→7月6日に5齢桑付け→7月10日上蔟となりました。

Dsc_0279黒縞の営繭。

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 はじめて中国種である黒縞ちゃんの飼育を終えたまゆこの感想としましては、春嶺鐘月や錦秋鐘和のような実用蚕品種を育てる感覚とは違うということです。

考えていた以上に、美味しいもの好きで桑の鮮度に厳しかった上、4齢からの日数が少なく上蔟となったので、体が小さくてちょっと小ぶりな繭をつくりました。

しかも体色が黒いので、体の色があめ色になるという上蔟のサインを外見的な観察で分かりづらく、困りました。

黒いシミなどの出現で察知できる蚕の病気も発見しにくいとも感じました。さすがに真っ白いお蚕さんの方が飼っていて不安が少ないですね。

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 ←でも、3齢くらいになるとはっきりしてきた模様は、ビロードのように美しい真っ黒の地に、白ストライプのボーダーが際立ち、とても魅力的でした。

まゆこなんて、黒縞ちゃんの飼育籠の前を通るたびに、一日に何度も思わず手がのびて、その体をなでなでしてしまうほどでした。

来館者の皆さんとも一緒になって「う~ん、ベルベットのような肌触り~」とか言ってうっとり触ったり、「黒縞のつくる繭もシマシマだといいのにね」とよく話しましたが、残念ながら繭の色は白です。

 でも、黒縞ががんばってつくった白色の繭は、ちょっとまん中がくびれてかわいらしい形ですよ。平成28721日前後に収繭予定です。さて、何個くらいの上繭がとれるでしょうか?お楽しみです。

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ところで最新情報ですが、

白地に黒ストライプの虎蚕の方は、本日

713日の午前に上蔟しました。

撮った写真を整理して、明日虎蚕の成長と上蔟の記録をお伝えしますね!

←虎蚕5齢4日目

まゆこ

2016年7月 9日 (土)

ミニ企画展 「昔も今も変わらぬ相棒文房具」(4)

えんぴつのひみつ

えんぴつの起源は古く、今から2千年くらい前のギリシャ・ローマで、鉛を円板状にして書いていたことにさかのぼります。今のようなえんぴつができたのは1795年のことで、フランスのニコラス・ジャック・コンテという人が、粘土と黒鉛を混ぜて高温で焼き上げて作りました。

日本にえんぴつが輸入され始めたのは明治になってからです。日本人による最初のえんぴつは、1881年(明治一四年)に井口直樹によって試作品が作られ、明治20年に真崎仁六が量産化に成功したことで世の中に広まりました。この真崎仁六は、「真崎鉛筆製造所」を創業し、その後「三菱鉛筆株式会社」となりました。「三菱鉛筆株式会社」と「三菱グループ」とは何の関係もありませんが、文字もロゴマークも同じだったので、戦後の財閥解体や三菱商品の不買運動などで勘違いされたそうです。

Dscn8814jpg2 木製筆箱(ふたにはペンや本の絵)

Dscn8815jpg2 スライドして開ける

えんぴつの芯は黒鉛と粘土でできています。黒鉛は中国・ブラジル・スリランカから輸入しています。粘土はドイツ・イギリスから輸入しています。えんぴつに使う軸木は主にアメリカのインセンスシダーというヒノキの仲間の木を使います。

えんぴつの濃さは粘土と黒鉛の割合で決まります。粘土の割合が多いほど芯はかたく、色はうすくなります。えんぴつに付いているH・F・Bなどの記号は、Hはハード、Bはブラックを表し、Hの数字が多いほどかたい芯を示し、反対にBの数字が多いほど濃く柔らかい芯を示します。Fはファームという意味でしっかりとしたという意味で、HとHBの中間のかたさをもった芯のことです。

Img_9083jpg2 硯箱は筆箱の元祖?

シャープペンシルのひみつ

シャープペンシルの元祖は、ねじの付いた心棒をまわして芯を押し出すタイプのものでした。その後アメリカでエバーシャープという名前のシャープペンシルを発表し、これが実用的な筆記具として使われる始まりだったようです。

シャープペンシルが日本に初めて輸入されたのは明治10年(1877)で、大正4年(1915)には早川金属工業株式会社(現在電機製品の会社として知られるシャープ株式会社)が国内の製造を開始し、早川式繰出鉛筆として発売します。そして昭和25年(1950)、今のようなノック機構を初めて誕生させます。

昭和35年(1960)に日本文具(現在のぺんてる)が、黒鉛と粘土の代わりに黒鉛とプラスチックを使って芯を作るようになると、芯も細く長くなり,人々に広く使われるようになっていきました。

Img_9243jpg2 明治時代の小学生の必需品石盤

Img_9244jpg2 石筆で書いて布で消す

2016年7月 6日 (水)

シルクの里界隈のカワイイもの

Photoこんにちは、まゆこです。

きょうはシルクの里豊富をぶらり歩けばたくさん出会えるカワイイものをご紹介します。

 ここ山梨県中央市豊富地区は、現在でも「シルクの里」と呼ばれている地域です。

 豊富郷土資料館のある「シルクの里公園」をはじめ、メインストリートにはシルクの里と記された看板ゲートが現在でも設置されており、さまざまな名称に養蚕関連のフレーズが使用されています。

 その他にも、繭と蚕と桑葉のデザインされたマンホールに、繭の形の街灯などを、あちらこちらに見ることができます。

Dsc_3729蚕と繭と桑がデザインされたマンホール。よく見ると、繭の中に糸を吐ききった直後のおかいこの幼虫がいます。まだ蛹になっていないので、「この繭は完成したばかり!」だということが判りますね。

Dsc_3732夕暮れ時、シルクの里豊富の小路をやさしく照らす街灯を見上げてください。かわいらしい繭の形をしています。桑の葉もついていますね。栄養分の高い桑を育て、品質の良い繭をつくってきたこの地の人々の誇りのあらわれです。
 しかし、実は「シルクの里」と言っても、ここ豊富では、繭から生糸を生産する製糸業はいっさい行っていませんでした。

品質の良い繭を多く出荷することに重点を置き、シルクの原材料である繭の生産に特化することで、高い養蚕技術を発達させていました。

Dsc_3735路面にはめ込まれた卵からかえったばかりの蚕のレリーフ

Dsc_1592シルクの里公園の人気遊具はおっぱいではなく、繭の形をかたどったトランポリンです

 他地域と異なり、昭和50年代になっても増産体制を維持していたここ豊富地区の養蚕に対する情熱のすごさは、ただいま開催中の企画展「最後の養蚕家と豊富」でご紹介しております。

どうぞ、機会があればいらしてください。

まゆこ

2016年7月 5日 (火)

15万人突破!

Photoこんにちは、まゆこです。

 あの~、先月の29日(金)のことなんですが・・・・・。

 当館では、平成6年の開館より22年の際月を経まして、入館者数が十五万人を突破しました。

 

そして、十五万人目の来館者となった中央市三村小学校3年生56名の方々に、手作りの記念品を差し上げました。

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 今回は社会科校外学習で来館された小学生の皆さんのうちの誰かが15万人目ということで、

3年生56名全員の方に記念品をお渡ししました。

Img_9131まずは桑の葉と繭の絵柄を施した絵皿を贈呈しました。

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感謝の気持ちを込めて、館長自らが描きまして、隣りの陶芸工房で焼いてもらいました。

学校で使っていただければと思います。

Dsc_0179児童の皆さん1人ずつには、当館で育てた蚕が作った繭と竹を材料とした、ゆらゆら揺れるお猿さん作りキットをプレゼントしました。 
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←こちらも職員手作りです。

ここシルクの里公園に開館してから22年、県内外から多くの方々にお越しいただきまして、感謝申し上げます。

長い間には、入館者が減り続けた時期もありましたが、過去5年間は、年間を通して数多くおこなう、イベントや企画展を目当てに、年々入館者が増加しています。

県内全域から社会科見学で訪れる学校団体、老人福祉施設も増えています。

次の20万人突破まではもっと加速するよう、職員一同、この調子で頑張ります!

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

2016年7月 2日 (土)

七夕祭り・七夕人形作り大盛況です

今日と明日は七夕祭りで、七夕人形作りの日です。大勢の方々が、朝10時から2時までの4回の講座に参加してくれました。とても上手に作れましたね。親子で協力して作った七夕様をぜひおうちで飾ってくださいね。

P7023287 さあ、10時の講座の開始です

P7023290 パパも一生懸命

P7023309 出来ましたね

P7023323 素晴らしいな

P7023333 11時の会の皆さんです

P7023341 午後1時の会の男の子、しっかり作れたね

P7023346 親子で素晴らしい七夕飾りをつくりました。

2016年7月 1日 (金)

今年もオオムラサキが来た

今年も7月早々にオオムラサキが来ました。資料館のエントランスに入って、ガラスにあたってバタバタしていたので、捕虫網で捕えて外に放してあげましたが、その前に写真を撮りました。

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つかんだ指を押しのけようとする、羽の力はとても強いものがあります。

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外に出ると、近くのケヤキの幹に止まり、ゆっくり羽を広げたり閉じたりしていました。羽の具合を確かめていたのかもしれません。近くをもう一頭のオオムラサキが飛んでいました。仲間を心配していたのかも・・・
今年も仲間を連れてきてね。

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