ミニ企画展 「昔も今も変わらぬ相棒 文房具」 (3)
甲州雨畑硯
雨畑硯は、元禄3年(1690)に雨宮孫右衛門が早川で黒色の石を発見し、これを硯にしたのが始まりといわれています。天明4年(1784)に将軍に献上したことで名前が世に広まり、身延山参詣の土産として評判を呼びます。明治になり石の質や製法が中国の端渓硯に勝るとして、「雨端硯」と呼ばれるようになります。現在雨畑では「硯匠庵」のみが製造していますが、同じ石と製法で富士川町でも製造しています。
雨畑硯(小さいのはかな文字用)
硯に使う石は粘板岩という石ですが、雨畑硯に使われる石は粘板岩の中では質がよく、きめが細かく、ねっとりした感じがします。雨畑石と呼ばれるこの石は、埋蔵量が少なく、一時は別の石で作った硯を雨畑硯として売っていたそうで、本物の雨畑硯には、「雨畑真石」と書いてあります。
雨畑真石の文字が彫ってある
小井川遺跡の硯(山梨県立考古博物館蔵)
中央市の布施にある小井川遺跡は、新山梨環状道路建設工事にともない、県の埋蔵文化財センターが調査しました。この遺跡からは室町時代から戦国時代のものと思われる大きな建物のあとなどがみつかりました。
遺跡全景(小井川遺跡報告書より)
そこから出てきた多くの硯や、墨で文字が書かれた土器などから、高度な知識と教養を持った僧侶たちによる修行や写経道場として使われていた建物と考えられます。
小井川遺跡硯と雨畑硯
この建物のあとからは、12点の硯が出土しました。多くは火災による熱で割れたり、色が変わったりしています。
形は長方形のものがほとんどですが、頭部がドーム型をしているものや、撥型のものもありました。また、鯉と流水の模様を彫刻したものもあります。大きさは比較的小さく、幅が4~5cmのものが7つもあり、細筆で細字を書くために使われたと考えられます。現在も写経用やかな文字用の硯は小型のものが使われています。
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