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2016年6月14日 (火)

ミニ企画展 「昔も今も変わらぬ相棒 文房具」(2)

書道用品のひみつ

筆・墨・紙・硯の四つの文房具は、「文房四宝」と呼ばれています。東洋の文化にとって大変重要であり、また大きく貢献してきたという意味でこう表現されています。これらはすべて中国で発明されました。

Img_9253jpg2 下の筆は硬い毛でできている

筆は5千年前頃に発明され、陶器に線を描き、彩色をしています。3千年前の殷代の甲骨片には筆で書かれた文字が見つかっています。最古の筆の現物は2千5百年前の楚という国の墓から見つかった「長沙筆」です。筆軸にウサギの毛を巻き付けて絹糸で縛り、漆で固めてあるそうです。

日本最古の筆は、奈良正倉院に所蔵されています。大仏開眼の時に使用した大筆と、実用の筆で、全部で18本あります。

Img_9252jpg2 資料館にはこんな大きな筆もある

中国漢代の墨は小さな墨丸といわれる粒状のものだったようで、硯には、摺り石がついており、この石で小さな墨丸をすりつぶしたようです。紙が発明されると、墨の消費量が増え、墨丸の墨では間に合わず、現在のような墨の形ができたと思われます。これらの墨は松煙墨といわれ、松を燃やしてできる煤に膠を混ぜてかためたものです。

墨が日本に伝わったのは推古天皇の頃で、僧の曇徴と法定が伝えたと言われています。平安時代になると墨の消費量も増え、需要拡大に伴い油煙墨が開発されます。油煙墨は植物油を燃やしてできた煤に膠を混ぜかためて作ります。

日本最古の墨はやはり正倉院にあり、唐の玄宗皇帝から贈られたといわれる「貞家墨」で、舟形の松煙墨です。

Img_9254jpg2 爆弾三勇士の墨

 上の写真の墨にはなにやら絵が描かれています。裏を見ると、「忠烈」「三魂」の文字が。調べてみると昭和7年の上海事変のとき、鉄条網を破壊して敵陣へ突入するために、点火した破壊筒を持って突入し、自らも爆発に巻き込まれて戦死した「爆弾三勇士」を表しているとわかりました。彼らは映画や歌になり、教科書にも取り上げられるほどもてはやされ、グッズもたくさん作られたので、その一つと思われます。こんなところにも戦争遺品があるのですね。

硯は中国の秦の頃にうまれたものとみられています。最初は摺り石を伴う形でしたが、漢代の終わりになると徐々に固形の墨を摺る形態に移っていき、隋・唐の時代になると墨をためる墨池が作られるようになります。現代のような長方形で墨池と墨堂が前後に分かれているような硯になるのは宋の時代になってからのことです。

Img_9257jpg2 筆と比べると大きいことがわかる硯

日本での最古級硯は福岡県の弥生時代遺跡から出土した焼き物の硯の破片で、朝鮮半島で焼かれたもののようです。その後平安時代までずっと焼き物の硯が使われます。円面硯といって、丸い墨堂の周りに墨池があり脚がついているものや、風字硯といって、手前の縁がなく「几」の字の形をしているものが定型の硯でした。その他に甕の破片や食器を再利用した転用硯も使われます。

日本各地で石硯が作られるようになるのは室町時代ころからで、桃山時代頃の遺跡からは石で作られた硯が多く出土しています。産地は全国に広がり、山口県宇部市の赤間石、宮城県石巻市の雄勝石、三重県熊野市の那智黒石、山梨県早川町の雨畑石などが有名です。

Img_9241jpg2 小学校時代を思い出す習字セット

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