「ひとりね」の話(5)
富子だけんど、日中は暑いくれえになったねえ。山はだんだん濃い緑になってきたじゃんね。山梨はまわりがみんな山だから、まわりを見回せば目にへえる(入る)もんはみんな緑だよね。
今日は「ひとりね」の最後だよ。まだ半分くれえしか読んでいんから、まだ山梨のこんが出てくると思うけん、そんときは、続「ひとりね」の話が書けるかもしれんね。
今日のはすごいよ。
「女も、北山・積水などの女は猿の如し。一里へだてて城下の町は、言葉もあまりあまり江戸に変わらぬ所あれども、ひびきにあじなる所多し。奈良田・あめばたの人は山中にて、ものいひおかしきやうなれど、又左にてもなし。女坂・かしやう坂・庄司・もとすの人は、すべて羅刹の如く、男女の見分け成りがたしといふほどの事。御嶽女・市川男といひて、此二所はうまれつきのよき人あり。」
甲府市羽黒方面
甲府の北山筋っていえばこの辺だけど、「女は猿のよう」だって。もっとすごいのが次さ。
旧上九一色村古関
「女坂・迦葉坂・精進・本栖の人は鬼のようで、男女の見分けすらできない」って。確かに北山筋は甲府じゃあ外れのほうで、今もときどき熊や猪がでる話も聞くし、女坂から本栖湖のへんは今だって山梨の辺境地帯だけんどさ。自分ばっか江戸や甲府のお城で文化的な暮らしをして、人のことを猿だの羅刹だのって言っていいのかね。あんたの暮らしを支えているのは猿や羅刹なんだけんどね。
柳沢権太夫の墓
自分の父ちゃんと母ちゃんの墓はその北山筋にあるだけんどね。「柳沢権太夫」っていう父ちゃんは、甲府城の西っかわに5千坪もあるでっかい屋敷があって、そこに住んでたんだよね。お墓は武田神社の北にある増福山興因禅寺っていうお寺の裏にあるだよね。子孫の曽根さんちゅう人が管理をしてるみたいだね。柳沢権太夫はもともとは曽根権太夫保各だからね。
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