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2016年5月31日 (火)

初めて見た蛾

Tomiko

 富子だけんど、今日はいい天気だねぇ。きのうは雨っぷりだったから、ちょうどいいと思って、モロコシとオクラの苗を植えたさ。サツマイモはおかげさんでみんなついたし、草もよく伸びてたね。資料館の勝手にはえてきたソバも、ハエがたかったようにちっと黒くなったから刈り取って干したよ。勝手に春ソバだね。

 今日は外で作業をしてたら、外展示の鬼瓦に変な蛾がたかってるじゃん。ここにいるといろいろな虫が見れるけんど、こんな蛾は初めてでさ。めずらしいから写真を撮って調べて見たさ。ほうしたらそんなにめずらしいもんじゃあなかったけんど、きれえだからみんなに見せてやらっかと思ってブログにしてみたさ。

Img_9207jpg2 緑の模様が美しい

 確かに蛾だけんど、蛾のくせに、きれえだよね。濃い緑と薄い緑の柄が何とも言えん芸術品だよね。頭のとこは緑色のビロードのようで、あんまりこういう蛾はお目にかからんよ。蛾にはでかい触角がつきものだけんどそれも目立たんし。

Img_9199jpg2 頭はすべすべした感じ

 調べてみたらスズメガ科のウンモンスズメガだって。北海道から九州までどこにでもいるし、5月から8月頃まで雑木林の周辺にいるらしいよ。夜は灯火に集まってくるだって。羽を開くと6~8cmくれえになるっちゅうから、けっこうでかいだよね。幼虫はケヤキの葉っぱを食うだって。この鬼瓦のあるとこはケヤキの木の下だから、もしかするとここで育ったやつかもしれんね。石や縁石にずっととまってるとこがよく見られるらしいけんど、確かにずっととまってたね。ほんでも昼間見に行ったら、へえいなんだから、2~3時間とまっててどっかへとんでっちゃっただね。

Img_9209jpg2 体のカーブもおもしろい

 この体のカーブもなんとも言えんじゃんね。チョウチョのようには頭・胸・腹がはっきりしんよね。このケヤキにゃあサクラに来るのと同じ毛虫がいっぺえ来て、フンもいっぺえ落っことすだけんど、そいつはまだ来ちゃあいんようだね。

2016年5月30日 (月)

お蚕さんに初めての桑のプレゼント

昨日29日に到着した3齢あけのおい蚕さんに、今日は休館日ですが桑を与えにきました。まず消石灰をぱらぱらふるって蚕たちにかぶせます。これはまだ寝ている蚕が、表皮を乾かして脱皮しやすくするためです。網をかけて、刻んだ桑の葉を置くと眠(みん)から覚めた蚕たちは、たちまち上に上がってきました。眠から覚めて、よほどおなかがすいていたのでしょう。

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昨日起き出して、桑の葉を与えた蚕は、まだ乾いた葉にしがみついて、すぐには上がってきませんでしたが,まもなく新しい桑に惹かれて,少し上がってきました。
500頭の蚕を大切に育てるぞ~と、決意を新たにしたところです。後ろから「ほんとに500頭?」という声も聞こえますが、そのうち数えてみたいと思います。

2016年5月29日 (日)

H28春蚕(春嶺×鐘月)が来たよん!

Photo こんにちは、まゆこです。

今朝9時、とうとう春蚕の第1弾、「春嶺×鐘月(しゅんれいしょうげつ)2齢眠がやってきました。

まだほんとに小っちゃくて、1㎝くらいの体長ですが、ご覧いただくことができますよ♪

 

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 人工飼料にまみれて、まだちょっと見る限りでは、埃のかたまりのように見えますが、

じ~とみていると、わさわさうごめいています。

顔を近づけると、「う~ん、懐かしいおぼこさんのにお~い!」

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館長は500頭分けてもらったというけれど・・・、う~ん1000頭くらいいると思うのは、まゆこだけでしょうか?

 ←今日やってきたお蚕さんを目当てに、来館してくださったお姉さん。「蚕って、すごくかわいいよねぇ~♪ 4齢、5齢のムチムチしたからだがいいよねぇ」と盛り上がってしまった。

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何頭か起きているようですが、まだ眠っている蚕もいるので、成長をそろえるため、今日はなにもせず、明日の朝になったら消毒のための石灰を降ってから蚕網をかけて、桑付けしたいと思います。

あ~明日が待ちきれないくらい楽しみだなぁ~♪ 

でも、明日は休館日なので、この桑付けを行う幸せは、まゆこが独り占めさせていただきまっす!

お腹のすいた蚕たちがはじめての本物の桑を食べるため、網の目をかいくぐって、一生懸命上ってくる姿は、キャー、涙が出そうなくらいかわいいんです。 

 今年は68日に「黄白(おうはく)」という品種100頭、610日には「虎蚕(とらこ)」の蚕種200頭分がやってきます。

これから、とにかくがんばります!

まゆこ

2016年5月26日 (木)

企画展「最後の養蚕家と豊富」

Photoこんにちは、まゆこです。

平成28年第2回企画展のご案内です。

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●企画展名「最後の養蚕家と豊富」

●会期 平成28618日(土) ~ 25日(

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山梨県中央市の豊富地区は昭和30年代後半から、全国に先駆けて近代化された大規模養蚕を行い、その名を知られるようになったシルクの里です。

しかし、この地で最後の養蚕家が昨年の4月に亡くなりました。

豊富の養蚕の歴史は、黄金期であった昭和4050年代を経て、平成26年度の生産を最後に閉じられたのです。

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資料館では、シルクの里豊富で最後の養蚕農家であった中込文義さんの仕事を、過去2年間にわたり3回の養蚕期間、取材しました。

その記録と当館所蔵資料を駆使し、豊富の養蚕の歴史を、最後の養蚕家の生きた時代と重ね合わせてお伝えします。

そして、今後どのように先人たちの生き様を語り継ぐのか、考える機会としたいと思います。

●展示解説日 平成2861819日(土・日)と81314日(土・日)

展示解説を随時行い、来館者の入館は無料となります。

豊富をシルクの里と言わしめた先人たちの誇り高き生き様を、生き証人として語り継いでこられた中込文義さん。その亡きあと、いまこれから、養蚕の伝統を私たちは後世にどのように伝えていけるのでしょうか? 悩みながら、この企画展を準備しています。

まゆこ

2016年5月24日 (火)

ミニ企画展「昔も今も変わらぬ相棒 文房具」 (1)

 平成28年度第1回ミニ企画展 「昔も今も変わらぬ相棒 文房具」 が始まりました。

Img038jpg2 文房具展チラシ

 5月もなかばを過ぎ、新しい学年や学校・職場などにそろそろ慣れたことでしょう。新しい年度を迎えるに当たって文房具を購入した人も多いことと思います。

 人が文字を発明してから今まで、文房具も時代とともに変化をしています。コンピュータ時代の今、文字を綴るのはキーボードでという方も多いでしょう。

 でもやはり文房具は変わらぬ相棒です。変わったようでいて、実はそんなに変わらない、長い相棒の文房具たちをごらんください。

Img_9135jpg2 文房具展の全体

Img_9137jpg2 小井川遺跡の硯

 今回の文房具展では、中央市小井川遺跡の硯や、明治から昭和の初めまで小学生が文字の練習や計算に使った石盤や石筆、硯箱・筆箱・矢立・ガラスペンや、大正12年の雑誌に載った文房具の広告などを展示しています。また参考資料として明治20年代の教科書と現代の教科書を比べて展示しました。どうぞご覧ください。

 

2016年5月22日 (日)

明治時代の「貿易銀」と「一厘銭」の寄贈

先日、常連の山梨市のKさんがおいでになり、桑の服をお持ちいただきましたが、そのほかに、明治時代の「貿易銀」と「一厘銭」を寄贈していただきました。
「貿易銀」は、明治初期に外国貿易の取引に使われた大型銀貨で、19世紀後半にアメリカや日本、イギリスにおいて通常の大型銀貨とは別に作られたものです。日本においては、明治8年~10年(1877)に発行された「貿易銀」と表記された銀貨です。

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ところが、今回寄贈された貨幣は、明治7年の試鋳品で、極めて珍しいものですが、模造品などが多く、本物はきわめてまれであるということです。そこで銀貨の裏に書かれた420グレーン(27.22グラム)と900FAIN(銀900グラム)の表示、本物の直径38.6mm、などのデーターをもとに調べてみると、重さや直径が異なることが判明しました。恐らくレプリカではないかと思います。銀の含有量は調べてありませんが、鋳造の粗さなどもレプリカの可能性が高いと思われます。
この銀貨は、明治時代の生糸貿易に使用されたもののレプリカとして展示し、参考資料とすることにしました。

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また、「1厘銅貨」2枚は、明治8年と17年のもので、明治時代の最小単位として貴重な貨幣と思われます。

2016年5月21日 (土)

大麦を刈ったよ

Tomiko

 富子だけんど、明日は30℃になるっちゅうじゃんね。急に暑くなっちもうね。体んついていけんよね。みんなんは大丈夫け?

Img_9077jpg2 大麦刈り取り1週間前

 もうすぐ夏だけんど、麦にとっちゃあ「麦秋」だからね。芒がすっと伸びて、きれえだねえ。だいぶ茶色くなったから、おととい麦刈りをしたさ。

Img_9115jpg2 5月19日麦刈り

 去年の11月10日に種まきをして、それっから6ヶ月たっただねぇ。大麦は主要な穀物の中でも一番成長が早いだって。去年の小麦は11月6日に蒔いて5月26日に麦刈りをしたから、確かに小麦より早く実ってるねぇ。

Img_9122jpg2 全部刈り取った

 大麦は日本にゃあ弥生時代に伝わっただって。奈良時代には日本全国で作られてただっちゅうよ。麦飯を食うようになったのは平安時代だっていうから、奈良時代や平安時代の人たちがやった方法を見つければ、特別の機械がなくても食えるっちゅうこんだよね。これっからそれを探すさ。

Img_9123jpg2 しばらく乾燥させよう

 大麦は米や黍や小麦と違って鳥に食われなかったことがびっくりさ。鳥も芒が邪魔をしてるのと、殻が簡単にゃあ取れんこんが原因で食えんずらかね。

 この麦は「六条大麦」っていう麦で東アジア在来の大麦はみんな六条大麦なんだって。二条大麦っていうのも穂には6列に実がならぶだけんど、稔るのが2列だけなんだってさ。六条大麦は6列全部が稔るっていうこと。実の大きさは二条大麦の方がでかいけん、収穫量は実の多い六条大麦の方に軍配があがるだって。

 さて、まずは脱穀だね。まゆこさんちからも大麦が届くから楽しみだよう。

2016年5月20日 (金)

H28春蚕の飼育展示はじまります

Photoこんにちは、まゆこです。

皆さま、お待たせしました!

 

本日は、とうとう始まる、平成28年春蚕(はるこ)の飼育展示のご案内です。

 

 

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ことしは、平成

28529(日)午前9時より、春蚕の様子がご覧いただけます。

 

2齢眠の状態で、当日の朝8時半ころ届く予定です。

今回も春蚕は「西湖いやしの里根場」様のご厚意により提供いただけることになりました。

その後も、6月8日前後に山梨県蚕糸協会様より3齢眠の蚕100頭、610日前後に、駒ヶ根シルクミュージアム様より珍しい品種の蚕種200頭分、7月下旬には、再び西湖いやしの里根場様より2齢眠蚕をご提供いただける予定になっております。

もともと、当館での蚕の飼育展示は、平成25年より、地元養蚕家の中込文義さんから少量の蚕を分けていただくことからはじまったのですが、中込さん亡き後も、多くの方々のご厚意による協力をいただき、昨年もそして、今年も継続することができそうです。たくさんの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。

Kai

「いつから蚕がみられるの?」というお問い合わせを今年はたくさんいただいています。最後の養蚕家がいなくなった、ここシルクの里豊富にある当館で、「蚕を飼う」ということの重要性をひしひしと感じます。

単なる「虫」の生態展示ということに終わらず、「養蚕」とはどういう仕事か、良い繭を出荷するための飼育技術とはどんなものか?といった点にも注目していただけるような展示解説ができたらなぁと思っています(目標はいちおう高くね!)。

さぁこれから、おぼこさんたちがやってくる前に、蚕具の石灰液消毒を済ませておかなくてはなりません。天気もよさそうだから、明日からがんばるぞ~!

まゆこ

2016年5月18日 (水)

桑服を探してー富士川町民俗資料館へ

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先日寄贈された大人の桑服が、他にもないかといろいろ探したら、県内の南巨摩郡の富士川町民俗資料館にあることがわかり、さっそく今日の朝訪問し、調査してきました。
館長さんに案内していただき、2階に登ると、かわいい男の子のマネキンが、肩から雑納をかけ、カバンを背負って、立っていました。

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「この服が桑の服だよ。私たちも皆で桑の枝から皮を剥いて集めたものだ。」と館長さん。
「子供の服ですか?」
「昭和18~19年頃、小学校5年生の頃か?クラスに3~4枚の服が配られると、子供たちが黒板に書かれたくじを引いて、あたったものに服が渡されたんだ。いくらかお金を払った」

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「触ると柔らかいけど、洗濯すると硬くなってね、痛かったよ。すぐに破れると、最初は裏からつぎを当てて、大きくなると前から大きなキレを当てて繕ってもらった」と、館長さんの話がつづきました。
子供の服のボタンに4文字刻まれています。「共存同栄」と読めましたが、辞書を引くと「共存共栄」と同じです。「大東亜共栄圏」と同じ意味?でしょうか?時代を反映していますね。

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となりに写真が2枚置かれていて、これがまたとても良い写真でした。
1枚は子供たちが桑の皮をむいているところ、もう1枚は桑の皮を学校に集めて出荷するところです。こんな素晴らしい写真は見たことありませんでした。
恐るべし富士川町民俗資料館ーですね。
いずれ、写真をお借りして、資料化したいと思います。
豊富郷土資料館の大人の桑服と,富士川町民俗資料館の子供の桑服は、どちらも貴重なものですね。

2016年5月17日 (火)

スイレンの開花

ふらりと玄関先に出てみると、スイレンの鉢に白い花が2つ咲いていました。今年もきれいな花が咲いて、ほっとしました。鉢の中の赤い和金魚も、10cmほどの白い花を見て、紅白目出度い・目出度いと喜んでいるかもしれません。

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スイレンは和名はヒツジグサですが、午後の羊の刻、すなわち午後2時頃に咲くことから、『羊草」とよばれています。時計を見るとまさに2時でした。律儀な草の開花に2度びっくりです。もう一つつぼみがあるので、明日はこれも開くかもしれません。

2016年5月15日 (日)

桑の繊維の服が寄贈されました。

今日は山梨市の方から、とても珍しい服を寄贈していただきました。今から70年ほど前には、桑の樹皮の繊維で服を作ったという話を聞いたことがありましたが、どんなものなのか実物は目にすることができませんでした。

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ところが今日、その珍しい服に出会うことができたのです。お持ちいただいたKさんは、、甲府空襲で焼け出されて、山梨市移転していましたが、復員してくる父親のために、終戦の年あるいは翌年、旧豊富村木原の親戚の桑畑で、桑の皮を5貫目(約20キロ弱)剥いて学校に持参し、この服と替えてもらったそうです。終戦当時は物資が無く、しかも甲府の家が焼かれたために、復員してくる父親が着るもののが無いと困ると思い、頑張ったそうです。実際は着るものが入手できて、この桑の服は着ることが無かったそうですが、K さんは捨てられずに70年間大事にしまっていたそうです。
それでも最近になって、戦後70年を契機に、私どもの資料館へ寄付することを決意したと言っていました。直接この服の原料が豊富のものではないかもしれませんが、幼少のKさんが豊富で手を真っ黒にしながら、桑の皮をむいて手に入れた貴重な衣服です。しかも新品同様でしっかりしています。
恐らく県内でも桑の繊維の服は、これだけでしょう。大切に保存・展示しなければと思います。

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服の繊維は麻布より粗くごわごわしています。全体を緑に染色してあるようです。ボタンも木で作られたものを染色しているようです。裏から見ると麻服のように透けています。
近々に展示しますので、どうぞ見学にお出でください。

2016年5月12日 (木)

公園にナンジャモンジャの木

Tomiko

 富子だけんど、熊本城の櫓の映像を見たけんど、びっくりしたねぇ。石垣がそっくりなくなっちゃって、一番隅の石垣だけがまるで柱のようになってて、その上に櫓がのっかってるだもんさ。あの柱みてえな石が崩れたら、櫓も落っこちちもうよね。まったくみんなで支えてやりてえよね。

今日は公園のナンジャモンジャの木のこんを書くね。

Img_9090jpg2 ヒトツバタゴの木

 せんころこの木に気がついてさ。あれっなんずら?って思って今日写真を撮ってきたさ。ほうして図鑑で調べたら、ヒトツバタゴの木さね。自生してる木は少なくて、絶滅危惧種Ⅱ類になってるだってよ。何年か前に、わざわざこの木を見に岐阜県の方まで行ったこんがあったけんど、こんねん(こんなに)近くにあったとはね。雪が降ったみたいに木が真っ白くなるほどたくさん花が咲くのがすごいね。公園のは散った花が下草の上に雪みたいに積もってたよ。

Img_9088jpg2 ヒトツバタゴの花

 きれえな花じゃんね。秋には黒い実がなるっちゅうから楽しみだね。ナンジャモンジャって呼ばれるわけは、「その土地には珍しくて、だれも名前を知らない植物のこと」をいうだって。ほんだから山梨にゃあ、リョウメンヒノキをナンジャモンジャって呼んでるとこがあるよ。ヒトツバタゴが明治神宮外苑にあって、誰もその木の名前を知らなんだから、ナンジャモンジャって呼ばれるようになっただって。分布が不連続っていうとこが名前を知らん原因だね。

 ヒトツバタゴっていう名前になったのは、タゴ(トネリコ)っていう木に似ているけんど、葉っぱが1枚だったからついただって。

 実のことを言えば、この木のすぐ近くのサクラの木に実がなってたよ。ソメイヨシノは同じ木の花粉を受粉しても実はつかんだって。ほんだから何か違うサクラの木の花粉がついただね。公園のサクラは観賞用のサクラだから、このサクラの実は食えないけんど、鳥とかは楽しみにしてると思うね。

Img_9100jpg2 サクラの実

 好奇心旺盛な人は食ってみても毒じゃあないらしいけんど、毛虫を退治するにけっこう薬を撒いたからどうかねぇ。

 じつはあたしもちっくいころ「サクランボ」なんて買ってもらえんから、このサクランボを食ったよ。たぶん渋くてまずかったと思うね。それですぐお母ちゃんに「ヒマシ油」を飲まされた気がするさ。ヒマシ油って下剤だっただね。お母ちゃんは食えんと思っていたっていうこんだよね。それでも毎年きれえなルビーみたいな色で実ると、食ってみたい衝動にかられたね。今は果実酒を作ってる人もいるらしいから、ほうすれば、見るだけじゃなくて食う楽しみがあっていいじゃんね。

2016年5月11日 (水)

「のらぼこ」がでっかくなった

前にも紹介したけど、鉢植えの桑の木に、野生のお蚕が生まれていたのを、継続して観察していました。昨日見た時には、とんでもなく大きくなっていて、びっくりしました。今までの、蚕の飼育中にも「のらぼこ」はいたけど、5cmにもなる「のらぼこ」を見たことがありませんでした。野生の蚕は、やはり野生の生活が、発育によいのでしょうか?まもなく繭を作りそうです。

P5112708 桑の木の幹とそっくり

P5112711 花にしがみついてどうするの?

P5112714 木の枝そっくりだけど、怖い顔してるね

P5112716 なんかにらまれた。

P5112719 擬態ていうのかな、木に化けている。

2016年5月10日 (火)

「ひとりね」の話(5)

Tomiko

 富子だけんど、日中は暑いくれえになったねえ。山はだんだん濃い緑になってきたじゃんね。山梨はまわりがみんな山だから、まわりを見回せば目にへえる(入る)もんはみんな緑だよね。

 今日は「ひとりね」の最後だよ。まだ半分くれえしか読んでいんから、まだ山梨のこんが出てくると思うけん、そんときは、続「ひとりね」の話が書けるかもしれんね。

 今日のはすごいよ。

 「女も、北山・積水などの女は猿の如し。一里へだてて城下の町は、言葉もあまりあまり江戸に変わらぬ所あれども、ひびきにあじなる所多し。奈良田・あめばたの人は山中にて、ものいひおかしきやうなれど、又左にてもなし。女坂・かしやう坂・庄司・もとすの人は、すべて羅刹の如く、男女の見分け成りがたしといふほどの事。御嶽女・市川男といひて、此二所はうまれつきのよき人あり。」

Dscn8084jpg2 甲府市羽黒方面

 甲府の北山筋っていえばこの辺だけど、「女は猿のよう」だって。もっとすごいのが次さ。

20140413_17jpg2 旧上九一色村古関

 「女坂・迦葉坂・精進・本栖の人は鬼のようで、男女の見分けすらできない」って。確かに北山筋は甲府じゃあ外れのほうで、今もときどき熊や猪がでる話も聞くし、女坂から本栖湖のへんは今だって山梨の辺境地帯だけんどさ。自分ばっか江戸や甲府のお城で文化的な暮らしをして、人のことを猿だの羅刹だのって言っていいのかね。あんたの暮らしを支えているのは猿や羅刹なんだけんどね。

Dscn8734jpg2 柳沢権太夫の墓

 自分の父ちゃんと母ちゃんの墓はその北山筋にあるだけんどね。「柳沢権太夫」っていう父ちゃんは、甲府城の西っかわに5千坪もあるでっかい屋敷があって、そこに住んでたんだよね。お墓は武田神社の北にある増福山興因禅寺っていうお寺の裏にあるだよね。子孫の曽根さんちゅう人が管理をしてるみたいだね。柳沢権太夫はもともとは曽根権太夫保各だからね。

2016年5月 8日 (日)

ミニ企画展「春・花・かんざし ~髪を飾る~」(5)

簪(かんざし)

簪は装飾性が高く、髪飾りの代表のように思われますが、櫛と同様に除魔・護符の役割がありました。

日本における簪の始まりは、縄文時代にまでさかのぼることができます。古代の日本人は、先のとがった細い棒には霊力が宿ると信じており、それを髪にさすことで魔を払うことができると考えていたようです。さらにそれを束ねたものが櫛になります。

Dscn8811jpg2_2 平打ちかんざし

また、簪という言葉は「挿頭花」「花挿し」からうまれたといわれています。梅・桜・ショウブなどの花や、サカキ・松などの常緑樹には自然の生命力が宿り、悪魔を払うと考えられて髪にさしました。この習俗は現在も葵まつりの「葵のかざし」に残っています。魔除けですから、女性だけでなく男性もつけています。

奈良時代には中国から髪飾りも伝わってきましたが、平安時代に入ると「垂髪」と呼ばれる長く垂らした髪が主流になり、簪はすたれてしまいます。江戸時代になりやっと髷をつくるようになると髪飾りは隆盛を迎え、髪飾り専門の飾り職人が技術の粋をこらした平打ち簪・玉簪・花簪・びらびら簪などさまざまな種類の簪を、さまざまな素材で作りました。簪に描かれたものもさまざまですが、やはり花や植物をはじめとして、おめでたい図柄が好まれました。

Img_8805jpg2_2 玉かんざし

展示品の中にひとまわり大きなかんざしがあるのですが、これはなんと馬の爪で作られたかんざしです。鼈甲の代用品として使われました。明治になるとセルロイドのかんざしも作られるようになるのですが、これはそれより前のものです。鼈甲は普通の人たちには手の出ない高価な品だったので、このような代用品が使われたのです。馬爪(ばず)のかんざしは花魁などが使うことが多く、このように大きなかんざしは大きな髷を結っていた人のものだったようです。

Img_8813jpg2_2 馬爪のかんざし

着物を着る機会が少ない現在では簪を日常的に使うことはありませんが、ほかの人と少し変わったおしゃれを楽しみたいという人は、髪をまとめるのに簪を使ったりしています。

Img_8786jpg2_3 琵琶がデザインされたかんざし

今回の展示のために、この辺の人たちがいつまで日本髪を結っていたのかわかる写真はないかと、収蔵庫の中をさがしました。撮影年代のわかる写真でみてみると、明治の終わり頃にはすでに束髪を結っている人もいましたが、日本髪の人もいました。でも大正時代になると日本髪の人は見当たりませんでした。ですから資料館のかんざしは江戸時代のものか明治時代のものと考えられます。特に櫛と笄のセットなどはそういえると思います。山村に残っていたかんざしですから、大名家や公家、豪商のものとはちがい、豪華なものがあるわけではありませんが、それでも精一杯のおしゃれを楽しんだ姿が浮かび上がってくる髪飾りたちでした。

 

 

2016年5月 7日 (土)

豊富最新モードは浅利の「つるや」で!

Photoこんにちは、まゆこです。

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 山梨県中央市豊富地区にある浅利諏訪神社参道入口脇に店を構える「つるや」さん。

シルクの里豊富村で最初の洋品店として、戦後間もなく開店したそうです。

 仕事着からお洒落着まで全身コーディネートできる、豊富な品揃えです。

地元中学校の制服などもここで購入できます。

 店先には季節ごとに、店主一押しコーディネートがディスプレイされ、通りを行き交う人々の興味を引きます♪ 

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 ←店主はこの方、お生まれは横浜鶴見区だそうですが、戦争による空襲でお父様から受け継いだ洋品店を失ってしまったので、戦後になり、お父様の実家のあった豊富村で「つるや」を開業したそうです。

とても働き者でチャーミングな『つるや』のおじいちゃんは、お話上手で楽しい人です。

たまに、会話のキャッチボールがうまくいってないかも?!と思う時もあるけれど、毎回、「あ~楽しかった」というお話ができます。

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まゆこが「つるやさんは毎日休まず開店してくれているので助かります」というと、

「うちは近所で葬式がでた時しか休みませんよ!」とおじいちゃん。

また、洋品店なのに、養蚕が盛んなころは、近所で頼まれて「ひきひろい」という養蚕作業を手伝ったそうです。

 現在では、昼間、近所のお母さま方がお茶を飲みながら、この店奥の茶の間スペースで楽しく集っていらっしゃる様子をよく見かけます。

おじいちゃんも言っていましたが、『つるや』は近所のお年寄りの憩いの場としての機能もはたしているんですって。

まゆこ「へ~、浅利地区の昔の話を聞くには、これからここに来ればいいんですね!」

つるやさん「そうさぁ~、こんど話を聞きにいらっしゃい」とうれしいお言葉をいただきました。

 

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ここに写っているのは、店内にある婦人服部門のほんの一部です。その他にも男性用衣料、作業着、学生服や学用品、かいまき等の寝具に至るまで豊富な品ぞろえで店内はいっぱいです。

 

 まゆこは、個人的に、養蚕作業着として必須の「もんぺ」の品揃えが豊富なのもお気に入りなんです。

また、お直しなども奥にあるミシンでササッとしてくれるので、仕事の行き帰りに品物が受け取れてとても便利に利用させてもらっています。

「シルクの里豊富の最新モードは『つるや』で決まり!」なのです♪

まゆこ

2016年5月 4日 (水)

「新府城と武田の里ウォーク」やります

Photoこんにちは、まゆこです。

平成28年度第2回目の歴史文化講座のおしらせです。

今回は資料館を飛び出して、韮崎市に出かけますよ!

武田勝頼が真田氏に命じて築城した新府城や、武田の里・武田八幡神社をめぐる他、浅利与一の長兄である武田信義の足跡を探ります。

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1 日時  平成2812() 少雨決行

 

      午前9時 田富庁舎集合―午後4時 田富庁舎解散

 

2 参加者 参加費無料・申込み必要・中央市民優先

 

 25名  (小学生以上で、1時間30分程度のハイキングが可能な健康な方)

 

 定員になり次第締め切ります。

 

3 主な見学コース

 

 中央市田富庁舎からバスで9時に出発 →

 

  韮崎市民俗資料館・アンの家 →

 

  新府城 武田氏最後の居城 真田昌幸による城普請 12時に昼食→

 

  武田八幡神社 武田家の氏神で、天文10年(1541)、武田信玄による本殿造営の棟札に、4人の小檀主の一人として浅利虎在の名がみえる →

 

  願成寺 武田信義が京都から阿弥陀三尊を迎えて本尊とした。信義の墓がある→中央市田富庁舎に16時に到着

 

4  持ち物

 

  ① 歩きやすい服装と靴・帽子  ② 昼食の弁当・飲み物  ③ 雨具・その他

 

5 視察コースとタイムテーブル

 

 9:00 田富庁舎出発  

 

9:40 韮崎市民俗資料館着 10:30発 

 

10:40新府城着 12:00昼食 12:40発 

 

13:00武田八幡神社着・その他  14:00発 

 

14:10武田信義館見学 14:30

 

14:40願成寺着 15:10発

 

16:00 田富庁舎着

 

6 申し込み

 

 平成2810()31()までに、豊富郷土資料館へ電話で連絡。 ただし定員になり次第締め切ります。

 

  中央市豊富郷土資料館(月休)

 

 電話055―269―3399 FAX 269-3397

 

 主催 中央市教育委員会 生涯教育課

 

中央市豊富郷土資料館

 

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まゆこ

 

2016年5月 3日 (火)

「ひとりね」の話(4)

Tomiko

 富子だけんど、種を蒔いたり、苗を植えたりするにいい塩梅の季節になったねえ。あたしもきのう落花生の種を蒔いてみとうさ。モロコシは芽が出かかってきたよ。

 今日は『ひとりね』の話で、竈のこんだよ。本文の中にゃあ、「爐をまっこうぶちと云うなり。くどとも云うなり」って書いてあるけんど、「まっこうぶち」っていう言葉は『豊富村誌』にも載っちゃあいんし、あたしも聞いたこんがないだよね。

 本の中の注釈にゃあ「まっこは炉のこと」って書いてあって、「まっこうぶち」は「炉の縁のことで、そこから炉そのものをさす言葉になった」ってあるけんど、どこの方言ずらと思って調べたら、会津の方では使ってるらしいね。「まっこぶち」っていって「囲炉裏」のこんだって。群馬県の水上地方でもそう言ってるらしいさ。ほんだけんど山梨じゃあ聞いたこんがないねえ。

Img_8957jpg2 竈、「くど」・「へっつい」ともいう

 「くど」は言うよ。「竈(かまど)」っていう漢字は、「かまど」・「くど」・「へっつい」・「へつい」っていろいろ読み方があってさ。「へつい」っていうのは、「竈つ火(霊)」って書いて竈を守る神様のことだってさ。それが竈そのものをさす言葉になっただね。

 ほんじゃあ「くど」はどうかっちゅうと、「竈突」とか「竈処」って書いて、竈の後ろの煙出しのことを言うだって。それが竈そのものをさす言葉になっちゃっただね。どれも昔からある言葉っちゅうこんだよ。

Img_8958jpg2 竈の目隠し、もしきと薪が置いてある

 日本は高温多湿だから、家を腐らせたりシロアリに食われたりしないように、竈から部屋の中に煙を吐き出させて家や屋根を燻製にする必要があっただって。だから竈にはわざと煙突はつけなかったらしいよ。竈に煙突をつけるようになったのは明治になってからだって。奈良時代や平安時代にはあったけんどね。竪穴住居のころだね。

Img_8959jpg2 囲炉裏、「ひじろ」ともいう

東日本じゃあ竈よりか囲炉裏が重宝されただね。暖房にも照明にも煮炊きにも使えるしね。全部をひととこでできればエコだからね。

「爐」っていう字は、「炉」っていう字の昔の書き方だから竈も囲炉裏も炉なんだよね。『裏見寒話』にゃあ「囲炉裏」のこんを「ひじろ」っていうって書いてあったし、『甲斐の落葉』にゃあ「竈」のこんを「くど」っていうって書いてあったさ。どれもみんな「炉」だね。「へっつい」って言う人もいるよ。要するに方言ていうより古語がそのまんま変わらんで残ってるっちゅうこんだね。

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