「ひとりね」の話(1)
今、古文書の教室で「ひとりね」っちゅう江戸時代の随想を読んでるさ。書いた人はだれかっちゅうと、柳沢淇園っちゅうだよね。知らんさね、そんな人。わたしもいっさら知らなんださ。柳沢吉保は知ってるらもの。その柳沢吉保の筆頭家老の次男坊さ。吉保は江戸での仕事ん忙しくていっさら甲斐国へ来れんから、この筆頭家老が全部甲斐の国のことは任されただよね。そのくれえ信頼されてたから本当の名字は「曽根」っていうだけんど「柳沢」をなのっていいこんになってたっちゅうわけ。
これは国立国会図書館の「ひとりね」っちゅう本の表紙さ。これを書いたのが24歳のときだっちゅうからすごいもんさ。ちっくいころからエリート教育をうけて、博学で多芸多才、武芸百般にも通じてたっちゅうから、ほらすごいじゃん。学問はあたりめえで、詩・書画・篆刻・煎茶・琴・笛・三味線・医術・仏教とか、剣術・槍術・弓術・馬術とか何でもかんでもできちもうだって。レオナルドダビンチのような人じゃんね。
そんなかに甲斐国の地誌とか、甲州弁のこととかも書いてあるだよね。淇園ののお母さんの言ったこんも書いてあってさ、「余が母などは甲斐に住ぬる時、常に猿などに物いふようにおそろしく覚えて居しとかや」だって。山梨県人が聞いたら怒るよね。山梨に住んでる時は、ずっと猿と話をしてるようで恐ろしかったっちゅうだから。まあ、「甲斐の山猿」ってよく言 われてることは確かだけんどね。
本人もこう言ってるさ。「甲斐の国は珍しき辞をつかふ所也」「かわりし言葉共有。咮啼(しゅちょう)にちかし」って。山梨じゃあめずらしい言葉を使うよ。まるっきり鳥の鳴き声みたいで何を言ってるかわからんよってね。
そういうこんでこれっから、この人ん調べとう甲州弁について調べてみるから、読んどくんなって。
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