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2016年3月31日 (木)

サクラ情報9 山ノ神千本桜入り口とシルクの里周辺

昨日、今日と暖かい日差しが「シルクの里公園」に降り注いでいます。桜も一気に満開へと突き進んでいるようです。資料館周辺の桜の様子を見てみましょう。

P3312073 公園のふわふわドーム

P3312070 公園のさくらは満開

P3312074 大福寺観音堂のさくら

P3312076 山ノ神入り口の一本ザクラ

P3312079 山ノ神入り口のさくら

山のさくらも一部は咲き初めているようです。
今年は葛篭折れの桜並木がみられるとよいですね。ちなみに下の写真は笛吹土手から王塚のさくらと伊勢塚のさくらを写したものです。台地の上のさくらがよくわかります。また、高部の新道の桜並木もきれいですね。

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2016年3月30日 (水)

大鳥居の霊柩車の移動

先日の大鳥居の霊柩車が、地区の了解が得られたので、3月30日の午前10時より、地域の皆さんとともに資料館へ移動することになりました。

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時間になると関係者の人や、龍光院の子供たちが集まり、ちょっとしたお祭りです。軽自動車の荷台に乗せて、車3台を連ねてサクラ咲くシルクの里公園へ向かいます。

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資料館の前に到着し、慎重に下して、屋外展示場に運び入れました。立派な霊柩車ですね。昭和47年に新調し、平成11年ころに共同祭祀場ができてから使用されなくなったと言いますから、16年くらいはお蔵入りしていたことになります。移動作業に参加した方に伺うと、皆さん先代の当主の方の葬儀には、この霊柩車を使ったと言っていました。
龍光院の近くの方から写真をお借りしましたが、実際に行われた葬儀の様子がようわかりますね。

601228169 左の写真は昭和60年の写真で、今の大福寺の前を墓地に向かって進む葬儀の人々と霊柩車です。

サクラ情報8 王塚のさくら

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毎日桜を見るのも大変です。でも、日々開花していく様子は楽しみでもあります。王塚のさくらは三分咲きですかね?あと2~3日はかかるかな満開まで。今日は暖かいという天気予報なので、一気に咲くかもしれません。今週末が最高かな~ いつも同じような写真でごめんね~

2016年3月29日 (火)

「ひとりね」の話(3)

Tomiko

 富子だけんど、久しぶりじゃんね。公園のさくらもぼつぼつ咲いてきたよ。今っからがいい季節だね。

 今日は「ざる」「かご」のこんを書くじゃんね。『ひとりね』にゃあ「いかきをイザルというなり」って書いてあるさ。「いかき」っちゅうを調べてみると「笊籬」っていう字を書いて、「関西地方の古い呼び方で、竹で編んだ籠や笊のこと」だって。籠と笊の違いは深いか浅いからしいだけんど、厳密には区別できんね。広辞苑で調べてみたら、「いざる」っていうのもちゃんと載ってて「𥫱」とか「篅」とかっちゅう字をあてて、「竹で編んで作った器、ざる」って書いてあるさ。やっぱり古語だけんどね。

Img_8960jpg2 何にでも使える便利なイザル

 つまり「いざる」は方言じゃないっちゅうこんだよね。ほんだけんど方言になっちゃったのは、へえ使われん古語をずっと使ってたからだよね。山に囲まれてほかとあんまり行き来をしん所じゃあ古い言葉が残るだよね。山梨はその典型みたいなとこだね。

Img_8976jpg2 農業用の籠

 「いざる」じゃあまだいいけんど、これが「いじゃる」とか「いじゃーる」ってなるとホントに方言だね。わたしがちっくいとき、うちのお母ちゃんが、近所の人に「そこのいじゃーるを取ってくりょう。」って言われたときにゃあ、「ざる」のこんだなってわかったけんど、「そこの『こんどし』を取ってくりょう。」って言われたときにゃあ、なんのこんを言ってるだかいっさらわからなかったさ。

Img_8985jpg2 「こんどし」と言われる小さい笊と味噌こし

 「こんどし」は広辞苑には載っちゃあいんけんど、『豊富村誌』にゃあ載ってるよ。「小さいざる。大きいざるは『いじゃーる』」ってね。「こんどうし」っていうのがほんとの発音らしいけんど、字はどう書くずらね。

Img_8983jpg2 茶碗籠

 『甲斐の落葉』には「笊のごとき、甲府にてはイザルといえど、甲府在にてはコンドシといえり」って書いてあって、『甲斐の落葉』を書いた人は、イザルとコンドシを同じもんだと思ってるね。

Img_8984jpg2 ご飯を入れた飯籠

Img_8981jpg2 畚(もっこ)と呼ばれる籠

 そういうこんで、今日は山梨にゃあ古語が今でも生きてるよっちゅうこんの1例を書いてみたさ。

2016年3月27日 (日)

「H28浅利与一公安産まつり」開催のお知らせ

Photoこんにちは、まゆこです。

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 源平合戦で活躍した弓の名手「浅利与一公」の子どもの誕生にまつわる「産守玉(安産石)」の、御利益を分かつために、ことしも「浅利与一公・安産まつり」を開催します!

「産守玉(安産石)」は、ふだんは常設展示室ガラスケース内で大切に展示されており、いつもは触れることができないのですが、郷土に伝承されてきたエピソードにちなんで、是非この機会にそのご利益を皆で分かち合えると良いと思います♪  

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「産守玉(安産石)」の由来:今から850年前の424日、浅利与一公が源平合戦において、その強弓で活躍していた時、敵の石弓から放たれた石弾が、与一公の乗った舷側を突き破った。

戦の後、この石を持ち帰ると、不思議なことにちょうどその時に与一公の妻が玉のような子を産んだことが分かった。

以来、この石を「産守玉」と呼び、安産の守り石として近隣近在の人々にも貸し出され、大切にされたという

日時:平成28422()24() 午前9時~午後4時半

 ①母子健康手帳持参の方は無料入館できます。 

Dsc_1900②母子健康手帳持参の妊婦さんは、「産守玉(安産石)」を触っていただき、安産をお願いできます。

Dsc_1724③安産祈願をした妊婦さんには、大鳥居の山之神社で祈願した繭をつかった御守りを差し上げます(先着順で限定50個)。

おまつり当日は、エントランスに「産守玉(安産石)」を展示し、母子健康手帳提示の妊婦さんに「産守玉(安産石)」に触れていただく予定です。 一般入館者で家族の安産祈願を願う方も触れることができます。

※多くの方が触れるので、「産守玉(安産石)」に触れる前には手を消毒していただきます。 

※展示は特殊なアクリルケースで囲い、1か所の穴から手を入れて触れることができます。

Dsc_3330 昨年の安産祈願に来てくださったお母さんのお腹から6月に産まれた双子の女の子が、ひな人形展に来てくれたんですよ!(双子さんを身ごもっていらっしゃる妊婦さんには、お守りを2つ差し上げますからご安心くださいね)

昨年からはじめたおまつりですが、言い伝えのごとく、初日から妊婦さんが列をなしてこの「産守玉(安産石)」を触りに来てくださったのでした。

その後、秋ごろからつぎつぎと、お母さんが無事に誕生した赤ちゃんを連れて見せにきてくれました。ほんとにうれしいです♪

Dsc_3326 館長と対面した双子ちゃんが、 「このおじさんの声、生まれる前にも聴いたきがするよねぇ~♪」と、顔をみ合わせて、二人でお話しているようでした。

また今年も、たくさんの妊婦のみなさんとご家族のご来館をお待ちしております。

まゆこ

 

 

2016年3月26日 (土)

サクラ情報7 王塚と周辺 ついでにイノシシ情報

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今日の朝は曇り空、サクラの開花は進んだろうかと、宇山平に登りました。しかし、王塚のさくらは昨日と同じくらい。まだまだ時間がかかりそうですね。

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来る途中に、浅利集落の南端に湧水があり、水神様がまつられています。この道路反対側のしだれ桜が三分咲きとなりました。毎日通るのが楽しみです。

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資料館の隣の大福寺観音堂のさくらも二分~三分咲きになりました。ここのさくらは冬の間は太陽が当たらないのに、周囲の公園のさくらと合わせて咲くなんて、本当にけなげですね。

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そうそう、昨日の帰り道、道路を横切る一頭の獣がいました。短い脚と丸い胴体は、イノシシです。車を止めて行先を眺めていると、大鳥居の上手集落の一軒の門に堂々と入っていきましたが、途端に犬が激しく吠え出し、イノシシはあわてて出てきました。道路で今後の方針を考えているのか、立ち止まっているところを、ようやく写真に撮りました。その後、道路をすたすた歩いて見えなくなりましたが、夕方に村中を歩いている人と遭遇したら、大変なことになったかもしれません。どこへいったのやら・・・

2016年3月25日 (金)

サクラ情報6 王塚のさくら

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25日の朝、王塚に行って、サクラの様子を見ましたが、まだ1~2分咲きというところです。南アルプスや八ヶ岳の嶺には白く雪が輝いているので、サクラが咲けば美しいと思います。

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当然これに菜の花があれば120点の景色となるでしょうが、なかなか良い場所に菜の花畑はありません。また、畑が綺麗に耕作されているので、立ち入ることは遠慮しなければなりません。道路への駐車と畑への立ち入りは、絶対しないように、写真家の皆さんも注意してください。

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講演会「新府城と真田氏」開催情報

Photoこんにちは、まゆこです。

平成28年度第1回歴史文化講座のご案内です。

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●平成28年度第1回歴史文化講座

講演会:「新府城と真田氏」 

 

 日時:平成28年4月17日()   午後2時~3時半

 

講師:八巻與志夫 

(釈迦堂遺跡博物館副館長・新府城整備検討委員・元山梨県埋蔵文化センター所長)

 

場所:中央市豊富郷土資料館シアタールーム 

 

申込み不要・ 聴講者は入館料無料となります。

 

主催:中央市豊富郷土資料館(中央市大鳥居16191 ℡0552693399

 

共催:中央市文化協会郷土研究部

 

 『甲斐における真田氏の活躍と、新府城築城を命じられた真田氏の築城技術と新府城の構造を学びます』

 

 

皆様のご来場お待ちしております。

 

まゆこ

 

2016年3月24日 (木)

大正時代の腕用ポンプ消防車展示

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屋外展示の消防車は3台あります。いずれも大正~昭和初期の消防車ですが、このうちの上質な1台を、室内展示することにしました。

P3231996 「甲府丸茂本店度量衡部保険」

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P3232000 大正四年一月新調

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午前中は屋外展示場所から下して、Mさんが清掃・水洗いなどを行いました。午後は教育委員会の若手3名の力を借りて、室内への移動です。ちょうど通りかかった地元新聞社のI記者さんも手伝ってくれましたが、手が足りずに写真も撮れず、展示室に無事収まってしまいました。ちゃんとした記録が取れなくて、また、まゆこさんや富子さんに叱られる~

P3232003 手前が龍吐水、左が腕用ポンプ甲号

室内の展示では、龍吐水と腕用ポンプ(甲号)と腕用ポンプ(乙号)が並びました。いずれも国産で、龍吐水は江戸~明治初期のものだと思われ「江戸神田三河町二丁目龍土師天野半七」と焼印がおされています。箱には明治二八年と墨書されています。

腕用ポンプ甲号は明治二五年新調と書かれています。元はフランスから明治8年に輸入したものを、国産化したものです。これらは吸引水量が一分間に270~288リットル、水力は高さ27mあったと言います。破壊消火から注水消火へと消防の方法が大きく変わった、画期的消防ポンプです。これも荷車に乗せて運んだものでしょう。

今度展示室に移した腕用ポンプ乙号は専用の荷車に乗せて機動的となりました。これはドイツ製の腕用ポンプを参考に国産化したもので、吸引水量は234リットル、水力は高さ23mで、甲号より能力は低いのですが、安価で量産が可能となり全国に普及したものです。龍吐水は明治17年ころに廃止されたましたが、箱は当地域では併用されていたのですね。

こうして展示室に収まると、移動してよかったと、心より思いました。綺麗にしてくれたMさんありがとう。

冑欲っちい病再発

Photoこんにちは、まゆこです

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先日、山梨県立考古博物館風土記の丘研修センターでの企画展を館長とともに見せていただきに参ったおり、まゆこは「古代衣装を着てみませんか」コーナーに見つけてしまいました!

その名は「まびさし殿」!

 

当館のある中央市豊富地区にたいへんゆかりのあるお品でございます。

さっそく、「まびさしどの、我がかしらにちとお乗りいただいてもよろしゅうございますか?」とことわって、目的外であることを悟られる前に、さっさと館長に写真を撮ってもらいました。

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「嬉しそうだね~」(byカンチョ―)そりゃそうですとも!

かの東京国立博物館には「伝豊富村出土」として、本物の眉庇付冑(まびさしつきかぶと)と衝角付冑(しょうかくつきかぶと)が保管されていますが、

これらは豊富地区大鳥居宇山平にある王塚古墳出土といわれています。

王塚古墳は埴輪や副葬品から五世紀中頃の築造と推定される、全長61m・後円部径40m前方後円墳です。

まゆこはいままで衝角付冑の復元品を山梨県立博物館と山梨県立考古博物館で観たことがあります。

108_2 ←豊富村誌より「眉庇付冑」

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豊富村誌より「衝角付冑」

もちろん、被ってみたことなどありませんでしたが、今回、透かしの入った庇がおしゃれな眉庇付冑を被る体験ができて幸せでした。

111山梨県立考古博物館第12回特別展「古墳時代の甲冑」図録より 「衝角付冑」

112 ←山梨県立考古博物館第12回特別展「古墳時代の甲冑」図録より 「眉庇付冑」

 前々から思っていたけれど、ウチ(当館)にもみんなが被って王塚古墳の主の時代を想像できるような冑が欲っちいよ~!!

 眉庇付きの「まびさしどの」と衝角付きの「しょうかくちゃん」の二つも望むのは贅沢ですか?

 来年度の秋ごろの企画展に向けて!?お金は無いが・・・、富子さんと鋭意手作り製作計画を模索中です。 できるかなぁ~♪ 

簡単に作れるアイデアをくださったり、手助けしてくれる方も募集中です!お願いしまっす!!

まゆこ

2016年3月23日 (水)

サクラ情報5 シルクの里公園のさくらは咲きました

昨日のことです。公園に来たら桜の木がピンクに輝いているではありませか。サクラが咲き始めていたのですね。昨日は1本の木の花が咲き始めていたのですが、今日の朝はさらに本数が増えていました。いよいよ桜のシーズンです。ただ、心配事もあります。それは、山ノ神千本桜です。昨年はあまりよくなかったのですが、今年はどうでしょうか?また、4月16~17日のお祭りには花が咲いているでしょうか?心配事はなくなりませんね。

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2016年3月21日 (月)

ミニ企画展「春・花・かんざし ~髪をかざる~」(2)

今日は展示品の中から櫛を紹介したいと思います。

櫛と聞いて思い浮かべるのは、髪を整え、髪の汚れを取る実用品のイメージでしょう。日本では縄文時代の遺跡から木製や竹製の漆塗りの櫛が出土しています。しかし、出土した櫛はどれも縦長で、歯の数も少ないのです。おそらく髪をとかすだけでなく、まとめた髪にさす飾り櫛のような、実用と装飾を兼ねたものだったと推測されます。これを縦櫛(たてぐし)といいます。古墳時代の人物埴輪からも「まげ」を安定させるために縦長の櫛をさしている様子がわかります。奈良時代になると、今日とほとんど変わらない横型の櫛が使われるようになります。平城宮跡出土の木製の櫛も、正倉院の象牙の櫛も現代のものと少しも変わりません。これを横櫛(よこぐし)といいます。

Dscn8629jpg2 漆の下地に色とりどりの花柄の櫛

 「櫛」という言葉は「串(くし)」と語源が同じで、「奇び(くしび)」「霊び(くしび)」に通じ、霊妙なこと、不思議なことを意味します。神様に捧げる「玉串(たまぐし)」が神の依り代とされるように、日本では古来先のとがった細い棒には霊力が宿ると考えられてきました。これを髪にさすことで霊力をさずかったり、魔除けとしたりする呪術的な意味が込められていたと思われます。

Dscn8623jpg2 美しい貝殻で飾った櫛と笄のセット

 『古事記』や『日本書紀』には、イザナギがイザナミに追われた時、櫛を取って投げるとタケノコになって、これを邪神が食べている間に逃れる話や、ヤマタノオロチを退治に行くスサノオがクシナダ姫を櫛に変えて髪にさしていく話など載っています。これらの物語からも、邪神を払うまじないとして櫛が用いられたことがわかります。

中央市の上窪(かみくぼ)遺跡の平安時代の墓には、「斎串(いぐし)」とともに下駄が足もとに、櫛が胸の上に副葬されていました。これも同じように魔除けの意味があったのではないかと考えられます。

Dscn8621jpg2 シックな船と花が描かれたセット

平安時代からは、垂髪(たれがみ)の時代となるので、櫛はすき櫛ばかりになりますが、江戸時代になり結髪(ゆいがみ)の時代となると、櫛は再び髪を飾るようになり、さまざまな素材で作られるとともに、さまざまなデザインがほどこされるようになります。

現在、整髪にはヘアブラシが使われることが多くなりましたが、柘植(つげ)などの木の櫛で髪をとかすと、髪の艶がよくなるということで、木の櫛が見直されています。

Img_8797jpg2 セルロイド製と思われるセット

 公家や大名などの美術品のような櫛があるわけではありませんが、農村の女性たちが精一杯のおしゃれを楽しんだ様子をぜひ見に来ていただきたいと思います。ブログは(3)へ続きます。お楽しみに。

2016年3月20日 (日)

「ひとりね」の話(2)

Tomiko

 富子だけんど、おとといは「武田二十四将」展に行ってきたさ。あの頃の古文書がいっぺえあったけん、読めんだよね。くやしいよね。あたしのおばあさんちゅう人は、明治の生まれで読み書きはできなかったらしいだけんど、くやしいっていって、野良仕事の合間に読み書きを独学したらしいさ。えらいもんだよね。昔の人は根性がちごうね。

 今日は、『ひとりね』のなかの一番不思議に思ったこんを書くじゃんね。200年もめえの(前の)言葉だから、今は使っちゃあいん言葉んあってもしょうがねえと思うけんど、方言も進化するっちゅうこんを改めて気づいたさ。ほうしたら料理もほうだったさ。

 「索麺(そうめん)をゆうめんと言い、又にうめんとも言うなり。ひや麦に味噌汁をかけて食う。これを名付けてにかけと言うなり。珍しき料理なり。」っていうとこさ。「にかけ」なんていう料理は『山梨の郷土食』っていう本にも出てこんし、今まで聞いたこんもなかったからね。古文書の教室の人たちも「知らん」て言ってたしね。

 ほれで他の本も調べてみたさ。『裏見寒話』っちゅう本と、『甲斐の落葉』っちゅう本さ。ほうしたら出てたね『裏見寒話』に。「冷や麦などの類に、ナス・ササゲ・タケノコを入れ、入れたる汁に浸して食するを言う」と書いてあったさ。ところが『甲斐の落葉』にゃあないだよね。「ホートヲ」と「アズキボートヲ」は載ってるけんどね。そういうわけで、「妄想にかけ」を作って見たさ。

Img_8946jpg2 妄想して作った「にかけ」

 ただ、タケノコとナスは今だから一緒の汁に入れるこんができるけんど、江戸時代じゃあ無理だよね。採れる季節がちごうだから。ほんだから野菜はタケノコとナスとササゲじゃあなくてもよかったじゃあねえかなって思うさ。ネットで「にかけ」を調べたら三河地方に「にかけうどん」ていうのがあって、かまぼこ・油揚・ほうれん草・花鰹・刻みネギなんかをどっさり乗せて熱い汁をかけて食うらしいさ。だけんど、麺類の食い方からいうと邪道らしくて、一部の地域でしか食わんようだね。

 そういえば山梨の「ほうとう」も具がこれでもかっちゅうくれえ入ってるよね。これも麺類の食い方からしたら邪道だから、カルチャーショックを起こす人も多いよ。『裏見寒話』には「これは溫飩を味噌汁にて煮て食す」って書いてあって、『甲斐の落葉』には味噌汁の中へうどんを打って大根・ニンジン・牛蒡などと入れ煮たるを言う」と書いてあるから、今でもそのとおりだよね。

Dscn8690jpg2 具が山ほど入った「ほうとう」

 「にかけ」はそういうこんで、今じゃあ言葉からはそれらしいもんは見当たらんだけんど、「煮麺(にゅうめん)」て言うのが近いような気もするし、「おざら」が近いような気もするし。山梨じゃあ「お吸い物」には一番下にそうめんを入れて、その上にほうれん草だのかまぼこだのゆで卵だのを入れて汁をかけるからそれにも近いかもしれんね。要するに、「おざら」でも「蕎麦」でもつける汁にゃあ具がたいへんへえってるのが山梨の麺さ。よその県の人にゃあびっくりだと思うけんどね。

 ちなみに『裏見寒話』は享保9年に甲斐国に来た甲府勤番士が書いた本で、『甲斐の落葉』は明治19年に甲府教会に来た牧師さんが書いた本さ。どっちもよその国から来た人だから山梨とほかの違いがよくわかるっちゅうこんだね。

2016年3月19日 (土)

サクラ情報4 シルクの里公園のさくらはつぼみがパンパン

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午前中で雨が上がり、とても気温が高くなっています。桜の様子が気になるので、公園に出かけてみると、枝のつぼみははちきれそうです。割れたつぼみの先から、ピンクの花びらがバルーンのようにはみ出してきています。

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公園には子供も出てきました。春ですね~ 来週末には満開?かもね。

法被(はっぴ)のお出かけ

Photoこんにちは、まゆこです。

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甲斐風土記の丘研修センターエントランスホールでの当館資料3点の展示。

 

 ただいま、常設展示室にあった消防団と職人さんの法被、粉屋さんの前掛けがお出かけ中です。

 

出張先は山梨県立考古博物館風土記の丘研修センターです。

Dsc_3482「風土記の丘の草木と染色の世界」が410日(日)まで開催されていて、その展示に当館染め物製品資料が使われています。

 

 古代の染色材料として活用されていた植物の数々が、甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園内には現在でも生育しているそうで、この展示では、植物と染色をテーマにその歴史や素材、方法などを紹介してくれます。どの植物からどんな色が出るのか?染色素材のにおいを嗅いだりできるコーナーもあり、まゆこも楽しんできました!

Dsc_33481貸し出しする前には、一応サッと水洗いもしましたけどね。

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 ←館長が外階段に付いてるアンテナに無理やり吊るして干してくれたおかげでしっかり乾き、埃のついていないきれいな状態で貸し出すことができました。

 展示を観に行くと、普段は大工道具や消防団の道具、酒徳利の奥にひっそりとたたずんでいた法被や前掛けが、ドンと大役を演じておりました。

当館リピーターのみなさん、甲斐風土記の丘に遊びに行ったら、研修センターのエントランスにも是非、足をお運びください。(会期は410日までですよ!)まゆこ

 

  

2016年3月18日 (金)

さくら情報3 スモモの雄花が咲きました。

資料館に来る途中、枝全体が赤く色づいている木がありました。これはスモモの授粉用の木で、一面にピンクの花が咲いて、それは見事な花木となるのですが、今日、枝先に数輪の花が咲きました。

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暖かいので、たちまち花が開くでしょう。

P3161935 サクラの木のつぼみ

P3310476 2年前の4月のさくら

しかし、サクラはまだです。近くの桜の花芽は緑に膨らみ、つぼみの先端からピンクの花びらが覗いているようですが、まだですよね。参考に、シルクの里公園の桜が咲いたときの写真を添付しておきます。

2016年3月15日 (火)

油菜のつぼみが出た

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 富子だけんど。昨日はいちんちじゅう(一日中)つべてえ(冷たい)雨ん降って、さぶかった(寒かった)じゃんね。それに比べたら今日はやたらいいお天気で、これだから具合ん悪くなる人も多いさね。みんなんは大丈夫け?

Img_8935jpg2 南アルプス方面の山

 今朝回りを見渡したら、盆地の回りの山はみんな雪をかぶってるじゃん。富士吉田とか北杜とかがえらく雪ん降ったって言ってたから、こうなるらとは思ってたけんさ。ホントに回りはみんな雪山だよね。ほんだから風が吹くっちゅうとつべたい(冷たい)さ。

 つべたいけんど、桜の芽もどんどんふくらんでるじゃんね。公園のこぶしの花は満開だよ。

Img_8948jpg2 シルクの里公園のこぶし

Img_8951jpg2 白くてりんとしている

 ねえ、きれえじゃん。これっからどんどん花ん増えてくよ。

Img_8939jpg2 油菜のつぼみ

 油菜のつぼみもでかくなって、あとちっとで咲くよね。今年は間引きをうんとしたから、茎が太くて、花もいい花ん咲くと思うよね。ほれに大麦も背が伸びてきたさ。せんころ写真を載せたときにゃあ、まだ広がって地面にへばりついてる感じだったけんど、こんだ背伸びをしてるみたいに見えるね。

Img_8943jpg2 大麦も伸び始めた

 麦もやたらたくさんは種を蒔かなんだから、茎ががっしりしてるさ。いい麦になってくりょうばいいじゃんね。

2016年3月13日 (日)

「ひとりね」の話(1)

 

Tomiko

富子だけんど、明日はまた雨だか雪だか降るどうっちゅうじゃんね。なんだかこのごろホントに天気がぱっとしんねぇ。

 今、古文書の教室で「ひとりね」っちゅう江戸時代の随想を読んでるさ。書いた人はだれかっちゅうと、柳沢淇園っちゅうだよね。知らんさね、そんな人。わたしもいっさら知らなんださ。柳沢吉保は知ってるらもの。その柳沢吉保の筆頭家老の次男坊さ。吉保は江戸での仕事ん忙しくていっさら甲斐国へ来れんから、この筆頭家老が全部甲斐の国のことは任されただよね。そのくれえ信頼されてたから本当の名字は「曽根」っていうだけんど「柳沢」をなのっていいこんになってたっちゅうわけ。

Img025jpg2_2  「ひとりね」下巻の表紙

 これは国立国会図書館の「ひとりね」っちゅう本の表紙さ。これを書いたのが24歳のときだっちゅうからすごいもんさ。ちっくいころからエリート教育をうけて、博学で多芸多才、武芸百般にも通じてたっちゅうから、ほらすごいじゃん。学問はあたりめえで、詩・書画・篆刻・煎茶・琴・笛・三味線・医術・仏教とか、剣術・槍術・弓術・馬術とか何でもかんでもできちもうだって。レオナルドダビンチのような人じゃんね。

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 そんなかに甲斐国の地誌とか、甲州弁のこととかも書いてあるだよね。淇園ののお母さんの言ったこんも書いてあってさ、「余が母などは甲斐に住ぬる時、常に猿などに物いふようにおそろしく覚えて居しとかや」だって。山梨県人が聞いたら怒るよね。山梨に住んでる時は、ずっと猿と話をしてるようで恐ろしかったっちゅうだから。まあ、「甲斐の山猿」ってよく言 われてることは確かだけんどね。

 本人もこう言ってるさ。「甲斐の国は珍しき辞をつかふ所也」「かわりし言葉共有。咮啼(しゅちょう)にちかし」って。山梨じゃあめずらしい言葉を使うよ。まるっきり鳥の鳴き声みたいで何を言ってるかわからんよってね。

そういうこんでこれっから、この人ん調べとう甲州弁について調べてみるから、読んどくんなって。

ブログアクセス数が10万件を超えました

P3310416 リバーサイドのさくら H26

朝一番にカウンターを見ると100027件になっていました。とうとうやりました。苦節3年、この長く苦しい日々が、やっと日の目を見たのです。最初の一年は、毎日10~50件でしたが、最近は150~250件と伸びてきました。富子さんの甲州弁やまゆこちゃんの細かな報道や資料紹介、館長のパッとしないレポートなど、どれが効果をもたらしたのかわかりませんが、とにかく義務で書いているのではなく、道楽で書いているのがよいのでしょうか?
今日は帰ったら祝い酒です。それぞれまゆこちゃんや富子さんもお茶で乾杯かな?

2016年3月11日 (金)

裏山は雪です

家を出るときは雨だったのが、資料館に近づくと雪が盛んに降ってきました。南側の山を見ると、もう真っ白です。恐らく標高400~450mあたりから上は大粒の雪に違いありません。天気予報では、平地は積もることがないとのこと。それでも不安ですね。

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公園の上の山は雪景色で、隣のふれんどりぃにも雪が盛んに降り注いでいます。外に出ての写真は躊躇したので、車の中から写しましたが、それが失敗でした。フロントガラスの水滴まで写り、楽をしたことが一目瞭然となってしましました。もう、雪は遠慮したいですね。

2016年3月10日 (木)

お金の展示ケースをリニューアル

Tomiko

 富子だけんど、今日は今年最後の小学校の団体見学があってさ、おぼこさんのことを「かわいい、かわいい」って言って見てくれたさね。いいぼこんとうだったよ。

 お金のミニ企画展が終わったところで、展示ケースをリニューアルしたさ。今まではもらったまんまの状態で、額縁に入ったまんまとか、紙に貼り付けたまんまとかになってたさ。お金の種類もばらばらに並んでたし。それじゃあ困るじゃん。ほんだからちっと整理するこんにしたっちゅうわけ。

Dscn7905jpg2 これまでの展示ケースの様子

 今までは上の写真みたいな感じさ。縦横もばらばらだしね。これじゃあ困るじゃんね。

Img_8904jpg2 リニューアルした展示ケース

 こんだ、こうなっとうさ。ちったあ見やすくなったと思うよ。今日お金に詳しいボランティアの松野さんが見に来てくれて、「今も使えるお金がわかるようにするともっといいよ」って言うから、それもやってみっかと思ってるさ。大正時代の札で使えるのがあるだってよ。びっくりだよね。その上、展示ケースにないお金をくれるっていうさ。ありがたいこんじゃんね。

Img_8900jpg2 1文銭と「ぜにさし」

 それと「ぜにさし」を作ったさ。まあ、作ったのは私じゃあなくて、いつもの通り館長だけんどね。寛永通宝の1文銭を96枚集めて、資料館にあるのだけじゃあ足らなかったから、ボランティアの渡辺さんに20枚ばかりもらって96枚にしたさ。100文なのになんで96枚かっていうとさ、4文は「ぜにさし」を作る人の工賃だね。つまりは館長の取り分ていうこと。96枚で100文の価値があるわけだから、ばらしては使わんだよね。ばらしたら96文にしかならんだから損しちもうじゃん。ほんだから100文以上の買い物に、束にしたまんま使うっちゅうわけさ。まあそういうわけだから中に絵銭が紛れ込んでいたり、渡来銭が紛れ込んでいたりするってわけさね。こん中にも紛れてるかもしれんよ。

Img_8901jpg2 江戸時代のお金たち

 「ぜにさし」の紐は何で作ったかっちゅうと竹で作ったさ。竹を叩いて糸のようにほぐして、それを縄のように綯って作っとうだから手が込んでるら?ほんだから4文工賃をもらってもいいさね。おかげさんで江戸時代のお金の展示もこぴっとなったさ。

2016年3月 9日 (水)

サクラ情報2 桜に似た?花の開花

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出勤途上、遠くの土手に、見事に咲いたピンクの木を見つけました。早咲きのさくら?かもと思い、近づいてみるとどうやら梅のようです。でもきれいですよね。まだヒガン桜も早いかもしれません。
がっかりしての帰り道の脇に、今にもつぼみが開きそうな木を見つけました。よく見ると1輪花が咲いています。どうやら八重のハナ桃のようです。今年は桜も桃もいっぺんに咲くのでしょうか?

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まだまだ桜の開花は遠いかもしれませんが、あちこちうろうろして、桜の開花をお知らせします。

2016年3月 8日 (火)

ミニ企画展「春・花・かんざし」のお知らせ

 いよいよ春めいてきました。春の花たちもつぼみを大きくふくらましています。

 小さい頃、春の野山でつんだ花を、かんざしのように髪に挿したことを覚えていますか?芽生え、花開き、ぐんぐん成長するものを髪(頭)に飾るということは、その植物たちの力をエネルギーとして取り込もうとする行いだったのではないでしょうか。櫛やかんざしについて調べてみると古代の人たちはまさにそのように考えていたことがわかります。私たちも知らず知らずのうちに古代の人たちの思いを受け継いでいるのでしょう。

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 そのように思い起こしてみると、髪を整え飾る櫛やかんざしは、春にふさわしい品々といえます。資料館には、江戸時代から昭和の初め頃までの櫛や笄やかんざしが数多く収蔵されています。さすがに公家や武家の女性の持ち物はありませんが、豊かな農村だったことを反映して、蒔絵や螺鈿をほどこしたものもあります。NHK朝ドラでも女性たちが束髪に髪飾りをつけていますが、同じような束髪用の髪飾りもあります。

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 洋服を着て、髪も短くなってしまっている現在櫛や笄・かんざしなどが目にふれる機会は少なくなってしまいましたが、今から100年ほど前のおしゃれな髪飾りを楽しんだ女性たちを思い描きながら、展示されている櫛・笄・かんざしをご覧ください。

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 おしゃれな挿し櫛ばかりでなく、貴重なイスノキの櫛も展示しました。これはなんと平安時代の櫛で、中央市上窪遺跡から発掘されました。平城宮からも多く発掘されていて、宮中で使われたのと同じ素材のすき櫛です。山梨県内には自生しない樹木ですので、わざわざ遠くから運ばれてきたものです。この素材は現在でも手に入りにくい非常に貴重な最高級品です。

2016年3月 7日 (月)

精麦機 

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資料館の外展示にあります。あまり聞いたことのない道具ですね。
お米を精米する機械は精米機ですが、麦を精白する機械を精麦機と言います。
麦や裸麦の外皮は厚く、硬く、しかも溝条も深いので、搗精(搗いて精麦)するのは,精米用の普通の搗き臼では、1俵1日もかかったと言われています。
この機械はもともと豊富農協事務所に置かれていたもので、大麦や裸麦を精白して麦飯にするための丸麦を得る道具です。

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とても大きくて高さは220cmほど、幅は140cmほどで、二つの石臼の中に、先端がらせん状の鉄棒が上から下がり、上部にはベルトをかける車輪がついています。
モーターで回転している軸にベルトをかけ、縦の鉄棒とスクリューを回転させて、石臼に入れた麦の外皮をとる精白作業に使われたものです。
麦の外皮は厚く硬いために、精白作業には大麦5~7%、裸麦4パーセント程度の水を加えて外皮を柔らかくしながら精白作業を行うそうです。それでも摩擦熱で相当熱くなったと言います。
石臼の下には穴が開けられており、鉄の扉がついています。精白された麦と削られたフスマをこの窓から取り出して箱に入れ、更に、ふるいにかけてフスマを取り除き、次に挽き臼で挽いたものが挽き割り麦となります。
今では麦飯は健康志向の方などに食されるだけですが、昔は米2割、麦8割の割合で食べられていましたが、次第に米3、麦7、そして5分5分、戦後は米7.麦3へと比率が逆転したようです。私も戦後の幼いころは麦を混ぜたごはんでした。
麦飯は健康によく、徳川家康や昭和天皇は生涯麦飯だったとも言われています。

2016年3月 6日 (日)

まだ早い桜情報 1

まだ早いですよね~

さすがに桜は咲いていません。

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でも、サクラのつぼみは、この頃の暖かさで、大きく膨らんできています。

この様子では、3月のお彼岸過ぎには咲くのでは、と、期待も膨らみます。

しかし、早く咲きすぎると、山ノ神の祭りの4月16・17日には、サクラは葉桜になるかも。

シルクの里公園もいつが見頃か、宇山の王塚は?

心配の種は尽きません。

そこで、以前に撮った中央市の桜の名所の写真をとりあげて、

「はるよこい、はやくこい~」と、歌いながら日々を過ごしたいと思います。

P3310449 王塚のさくら

P4020554 王塚のさくら 後ろは南アルプス連山
P3310456 伊勢塚のさくら

なお、サクラ情報は今後もだしますよ。

2016年3月 4日 (金)

久しぶりにお雛さんを飾った

Tomiko

 富子だけんど、やっとぬくとくなったじゃんね。うれしいよう。

 せんころ、孫のために久しぶりにお雛さんを飾ったさ。娘のお雛さんだから、30年以上前のお雛さんだけんど、ずっとしまってあったから、そうそう古ぼけてもいんさね。

Img_8880jpg2 今は少なくなった七段飾りのお雛様

 お内裏さんの冠がちっとこわれてたから、そりょう直して、あとはやっぱし毛氈が虫に食われてたね。毛氈だけはにいしい(新しい)やつを買った方がいいかもしれんね。ちょうどお人形さんでかくれちゃってよかったけんさ。

Img_8882jpg2 左大臣は持ち物も多い

 一番やっかいだったのが、この左大臣に冠をかぶせるこんだったさ。日本人の男は若いうちは髭をはやさないだけんど、老人になるとこうやって髭をはやすだよね。髭の下を通して紐をまわして結ばなきゃあならんから、ホントにやっかいだね。しかも紐が細くてくしゃくしゃなってるからしばるのも容易じゃあないさ。手のでかさに比べると人形はちっくいしね。

Img_8884jpg2 山日新聞テレビ欄が出てきた

 お雛さんを出してたら、そりょう包んでた新聞紙が出てきたさ。昭和63年と平成3年と4年と9年の山日新聞さ。残念ながらテレビ欄ばっかだったから、ニュースは載っていなんだけんどね。ちゅうこんは、平成9年にはお雛さんを飾ったっちゅうこんだね。こんだ勉強したから薄用紙でも手に入れて包まっかと思うけんど、新聞紙が出てくるのもおもしれえよね。

Img_8885jpg2 小さい菱餅を供えた

 山梨県に本社があるうちの近所のスーパーは、季節ごとの商品の品揃えがよくていつも感心してるし、よく利用させてもらってるだけんど、今日は菱餅を売ってたさ。私が子どもの頃にゃあ、食紅と餅草を入れて菱餅も作っただけんど、今じゃあ「ずく」がなくて作らんからさ。ちっくい菱餅だったけんど、お雛さんにゃあちょうどいいよね。

 1年間の昔ながらの行事の伝統を引き継いでいく力としちゃあ、こういうスーパーの努力もでかいよね。ぜひこれっからも続けてもらいたいもんじゃんね。

2016年3月 2日 (水)

三珠館村松製糸場内の写真発見

Photoこんにちは、まゆこです。

きょう、富子さんが「まゆこの見たい写真がみっかったよ!」と家から持って来てくれました。その写真はいまから24年前、富子さんが小学校の先生をしていた頃に撮影したもので、社会科見学で子どもたちを製糸場に連れて行った時のものだそうです。

H3039_2ニッサンHR型自動繰糸機が装備されていたようです。

平成31128日の日付の写真が13枚ありました。

その製糸場とは、現在の市川三郷町で平成15年頃まで操業していた「三珠館村松製糸場」です。

H3036←生徒さんがライトテーブルで繭の選別をする体験をしたようですね。

H3038←繰糸機の下部には湯がはられており、そこにすき間なく浮かんでいるクリーム色の箱のようなのが給繭器です。
H3042←平成311月の三珠館村松製糸場では、日本産とブラジル産の繭をミックスして繰糸していたようです。

H3046←出荷するための荷姿は長手造りの「括(かつ)」で、生糸商標が付されているのもわかります。

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←当館所蔵の「三珠館村松製糸場の生糸商標」

 貴重な資料を得ることができて、富子さんには感謝です。

 山梨県では、この有限会社三珠館村松製糸場が平成15年頃に操業停止した後、平成22年に旧春日居町にあった吉岡製糸場も操業停止したことで、県内には製糸場は一か所もなくなりました。

 昨年のいまごろ、まゆこは生糸商標展の準備で市川三郷町の人々にお世話になったので、今回これらの写真が見つかったことをお知らせしたいと思います。

まゆこ

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