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2016年2月27日 (土)

『繭びな・あい竹びな作り』ワークショップ

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今日は『繭びな・あい竹びな作り』ワークショップを開催しました。
朝からたくさんの方に参加していただき、それをNHK甲府局が取材してくれました。

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繭びなは一人20分くらいで作ります。あい竹ひなも同じくらいです。今日はボランティアの方も2人参加していただき、とても助かりました。

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製作に参加した方はとても満足していました。また、12時のローカルニュースでも放送されたので、午後も参加者は多く、3時までは大変でした。

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明日も頑張って対応じますので、ぜひ皆さん参加してください。

2016年2月25日 (木)

資料館で猫あつめ

Photoこんにちは、まゆこです。

一昨日は富士山の日でしたが、そのちょっと前の222日は猫の日だったそうです。世の中は猫ブームなんですって

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 常設展示室内にある囲炉裏の間には、黒い招き猫がいます。

この猫さんのように左手を挙げている招き猫は、「人を招く」のだとか。

当館にぴったりの猫さんです。

ちなみに、この黒い招き猫はかつてお商売をしていた館長の家に小さい時から置いてあったのを寄贈したもので、陶製でずっしりと重く、しっかりした顔立ちの猫です。

まゆこもお猫さまは大好きですよ。だって、お蚕さんの守り神なんですもの。

お蚕を飼っていると、ネズミがやってきておかいこを捕って食べてしまうので、昔の人はネズミを捕まえてもらうために猫を飼ったんですって。養蚕農家では、猫神さまといって信仰し、蚕室に猫の絵を貼ったりもしました。

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当館には、ネズミを封じ込めるために「鼠」という字を「猫」と「鬼」の文字で囲んで封じ込めようとした面白い護符もあります。

こちらは中央市豊富地区で、江戸中期築の塚田家住宅が解体された際、天井裏の柱にくくりつけられていた多数の護符の中から見つかりました。

Dsc_3390 ←猫火鉢はいわば、蓋つきの火鉢のようなものですが、布団をかぶせた形が猫が丸まっているようにみえることから、その名がついたそうです。昭和の初期に売り出されたというこのタイプのものは、朱色の地に美しい模様が細かく施されていてきれいですね。

Dsc_3392 ←こちらのタイプはシンプルですが、猫火鉢と同じく、猫炬燵・猫行火とも呼ばれる行火炉の一種です。土製の覆いの中に炭を入れた器をいれ、さらにその上から布団をかけて使います。

 今日は資料館の中にある猫に関連する資料をちょっとだけ集めてみましたが、昔から猫は縁起物だったり、神様だったり、生活道具にその名を込めたり、身近な動物だったのですね。

黒い招き猫さんはどこにいるかな~?こんど当館にいらしたら、探してみてください!意外とみつけられないかもしれませんねぇ 。猫はすました顔して隠れているのも上手いですからね♪

まゆこ

2016年2月24日 (水)

大麦が寒さに耐えている

Tomiko

 富子だけんど、今日はくもりっぴだねぇ。夜中はえらい風ん吹いたじゃんね。せっかくちっとぬくとくなったと思ったら、また寒くて。まあ、春ん来るも簡単じゃあないね。

 寒いけんど大麦は元気だよ、雪ん降っとうときにゃあ、雪かきをしてくれとう衆が、雪を大麦の上にのっけてくれたから、えらい目にあっちゃったけんど、それにもめげず元気だよ。

Img_8853jpg2 今日の大麦

 ね、葉っぱがもしゃもしゃ生えてるら?これん大麦と小麦のちごうとこだって。

Dscn6892 去年の今頃の小麦

 これん去年の今頃の小麦さ。葉っぱは長いけんど、ぴらぴらしか生えていんじゃんね。大麦は葉っぱの幅が広くて短いさ。葉っぱの色も緑が濃いよね。いかにも大麦のほうが強そうじゃんね。麦の粒はどっちも同じくれえの大きさだけんどね。

 日本の大麦は、春に撒くのも秋に撒くのもどっちも「春撒き型」だって。「秋撒き型」は寒さを受けんと発芽しんちゅうからすごいね。

Img_8855jpg2 強そうな大麦

 まゆこさんちと、振興公社で農業指導をしている人が、「センチュウ対策」に大麦を撒きたいから種をちょうだいというので、余った種をやっただけんど、すくすく育ってるらしいよ。ただ、調べたら、センチュウ対策には、マリーゴールドやエン麦がいいらしいさ。センチュウっていえばマツクイムシ(マツノザイセンチュウ)が有名だけんど、大根だの芋だのに穴をあけちもうセンチュウがこの辺の畑で活躍してて困ってるだって。

Img_8859jpg2 キンセンカ

Img_8857jpg2 パンジー

 寒いとはいっても、2月もあとちっとで終わりじゃんね。資料館のプランターの花もがんばってるよ。上は、キンセンカだけんど、つぼみがふくらんでるじゃんね。下はビニールトンネルの中のパンジーだけんど、花んどんどん咲いてるさ。近いよ春も。

2016年2月23日 (火)

器の中の富士山

Photoこんにちは、まゆこです。

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←お椀の蓋裏に描かれた富士山

本日、223日は富士山の日ということで、山梨県にあります中央市豊富郷土資料館は無料入館日となっておりました。

Dsc_3402平日にもかかわらず59名のお客様が来てくださいまして、感謝いたしております。

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そこで、富士山グッズはないかなぁと常設展示室をぐるっと見まわしましたら、器の中にかわいらしい富士山をいくつかみつけることができました

Dsc_3401 結婚式の三々九度に使われる「重ねの杯」に描かれた富士山。

小さな器の中に、本来は大きな大きな富士山を描いて見せているところが面白いですね。他にも収蔵庫にいろいろあると思うんですが・・・。来年の富士山の日までにもっといろいろ見つけておきますね。

あっ、そうそう、「今日が無料入館できる日なんて、知らなかったぞ! もっと早く知らせてくれよ。」と思った読者の方、ごめんなさい。 でも安心してください!!

今月はあと2回、無料入館日があります!

平成28227日(土)と28日(日)はひなまつりイベントを行いますので、どなたさまも入館無料となりま~す♪ かわいい繭雛とあい竹雛をつくるワークショップもありますので、ぜひ遊びに来てくださいね。

まゆこ

2016年2月20日 (土)

はて、これはなんでしょうか? コーンシェラー

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この写真の物体はなんでしょうか?
じつはもう5年も前に、この道具が倉庫に転がっていたのは知っていたのですが、なんだかわからずに、そのまま放置していました。ところが最近中央市農業振興公社の玄関に、似たような道具が置いてあるではありませんか。担当者に聞くと、モロコシの脱粒機だということでした。そこでもしかしたらと思い、かっての道具を探し出したのです。

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詳細に見ると、たしかにモロコシを入れるところと、イボイボのついた円盤があります。モロコシ脱粒機であることが判明しました。

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P2201842 甲州モロコシです。乾燥させてカチカチになっている粒を脱粒するのですね。 これで脱粒したモロコシは粉にして利用するのでしょう。モロコシの里とよとみにふさわしい道具でした。

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さて、カタカナで「チクマ」とありますが、どこの会社でしょうか。インターネットで検索すると、長野県松本市にある株式会社チクマスキという会社です。ホームペイジには、手動式のチクマコーンシェラー1型の写真がありました。これはまさしく資料館のモロコシ脱粒機と同じです。これは箱のふちに取り付けて使うそうです。
この会社は昭和3年の創業ですが、資料館のコーンシェラーがいつから作られていたのか調べてみたいと思います。わかりましたら、次回報告します。

2016年2月19日 (金)

資料館に金貨がやってきた

Tomiko

 富子だけんど、今日はぬくといじゃんね。このまんまぬくとくなればいいけんど、明日は雨だっていうし、月曜日ころには又寒くなるらしいね。

 せんころ、よく資料館にきてくれるおじさんから電話があって、「資料館に金貨をやりたいだけんど。中銀の資料館にも1個しか飾ってねえ金貨だよ。」っていうから、「えっ、そりゃあすごいじゃん。もしかして甲州金?」と思ったけど、2・3日してっから、持ってきてくれたのは、3枚もの江戸時代の金貨だったさ。すごいじゃんね。ただで資料館にくれるだから。

Img_8852jpg2 展示室の金貨

 さっそく館長が飾る台を作って展示室に飾ったさ。写真の真ん中でピカピカしてるのが金貨だよ。

Img_8846jpg2 二分金貨

 一番左のでっかいのが「明治二分判金」っていって、明治の元年と2年に鋳造されたもんだね。これ2枚で小判1枚の価値があるだって。

 江戸時代にこういう金貨を作っていとうは、金座の後藤家で、徳川家康から小判や金貨を作る権利をもらった江戸時代の造幣局っちゅうわけさ。金貨に「光次」って書いてあるのは、「後藤庄三郎光次」っていう名前を名乗っていいっていうこんと、「五三の桐」の紋を使っていいっていうこんを許されたからだって。後藤家の屋敷は今の日銀本店のあるとこにあっただけんど、明治2年に造幣局の仕事も屋敷も明治政府に取り上げられちゃっただってよ。

Img_8848jpg2_2 二朱金貨

 これは真ん中ので、「天保二朱判金」っていって、これ8枚で小判1枚になるだって。天保から安政の1832年~1858年まで作られただって。下の方に「二朱」って書いてあって、上の方に「五三の桐」が描いてあるね。

Img_8850jpg2 軽い二朱金貨

 一番右のは「万延二朱判金」っていって、これも8枚で小判1枚になるだけんど、持ってみたらやたら軽いさね。ほうしたら同じ二朱でもこっちの方が金が少ないだよね。銀が混ぜてあるだけんど、その割合が多いっちゅうこんさ。ほんだから全体の重さも「天保二朱」のほうは1.62グラムなのに、「万延二朱」のほうは0.75グラムしかないだよね。カネがなくなってくるとどんどん材料のコストを下げて、金銀銅を節約するのは幕府の常套手段だからね。「万延二朱判金」は万延から明治2年の1860年~1869年に作られただって。幕府も力がなくなっちゃったときだから、節約するのもわかるよね。

 こういう金貨や銀貨を財布に入れているのは、今でいえば1万円札が1~2枚入っているのと同じ感じだって。江戸時代の中くらいの階層の人かな。

大蛇大活躍?

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本日は、地元の豊富小学校の子供たちが学習に来てくれました。学習の後、さっとく遊び道具で楽しんでいましたが、さすが男の子ですね。大蛇を引っ張り出して、遊び始めました。ところが、周りの子供は無関心です。怖くないのか知らんぷり。男の子もつまらなそうに、大蛇を巣へ戻すことになりました。

2016年2月18日 (木)

エントランスホールに大蛇がやってきた!

Photoこんにちは、まゆこです。

 みてみて!

Dsc_3376「ぼく、オロチ―といいます。今日から資料館のエントランスホールでみんなのこと待ってまーす!」

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先日、山梨市にお住いの佐藤さんが、手作りしたへびのおもちゃを当館に持って来てくださいました。

 

 

もともと当館職員製作の小さいへびが一匹いたんですが、それを見た常連の佐藤さんに、「おれの作ったもっとでっかいやつを今度持って来てやるよ」と言われていました。

 

 

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そして、とうとう、2匹の大蛇を「子どもんとうに、あそばせてやってくれ」と持って来てくれたのです。

竹でできているので、一番大きいヘビは小学生にはちょっと重たそうですが、両手でもってクネクネさせると、迫力満点です。

大きく開いた口の中には3枚もある真っ赤な舌がガラガラ揺れて怖さを倍増させます。

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中くらいの大きさの蛇と小さな蛇は片手で持てるので、両手に持って遊べます。

 

そうしたら、非常に愉快な気持ちになってきて、我を忘れて激しくクネクネさせて楽しんでいましたら・・・、館長に「蛇が揺れすぎて写真が撮れないよっ」と怒られてしまったまゆこです。

 

 

本日より、エントランスホールで人気のおもちゃ、竹の蛇が大・中・小3匹揃って、遊んでくれるお客様を今か今かと長い舌をベロベロさせて持ち構えております。

子どもでなくても、とても愉快な気持ちになれる蛇さんたちですから、どうぞ皆様、逢いにいらしてくださいね!

 ちなみに、今週の土曜日、平成28220日(土)は中央市が誕生して20年の節目の市制祭の特典として、当館入館料がどなた様も無料になります。

お待ちしていま~す!

まゆこ

2016年2月17日 (水)

開かずの金庫が開いた!

Tomiko

 富子だけんど、お久しぶりでごいす。おぼこさんの説明で忙しくてさ。いっさら書かんで、わりかったじゃんね。
 昨日はお客さんも多かったけんど、金庫も開けてもらったから、何はともあれ書かねえきゃあと思って。

Dsc_3331jpg2 まずダイヤルに油をたっぷり

 資料館のテラスにゃあ、でかい金庫がどんと置いてあるさ。まさかこんな古い金庫だし、開くとは思わなかったけんど、館長が開けてみたいようって、挑戦してみたさ。中に何がへえってるか、知りたいじゃんけ。ほんだけんど、ダイヤルの番号はわかっても、全然うまくいかなかっただって。

 そこで元館長が登場するってわけさ。元館長は昔、豊富村役場に勤めていて、出納室でしょっちゅう金庫を開けたり閉めたりしてただって。つまりこれは豊富村の役場で使っていた金庫っちゅうこんさ。

Dsc_3335jpg2 ダイヤルを回す手に力が入る

 ほんだけんどさ、ずっと開けたり閉めたりしていなかった金庫じゃん。そう簡単には開かんさ。せえせえ油をくれて、何回も何回もダイヤルを回しちゃあ、取っ手を動かすけんど、いっさら開かんさ。ダイヤルも錆び付いてるらしく、硬くて、元館長の手にもついつい力が入るさね。

 何回試したか、6回も7回もやってみたと思うよ。見てる方が「へえやめればいいに。」って思うくれえね。「番号に端数があった気がするよう。」って元館長も言うから、「やっぱり番号が違ってるずらか。」と思ったけんど、その瞬間

 「開いた!」っていう声がして、金庫が全開してたさ。

Dsc_3339jpg2 「開いた!」

 立派なもんずら?扉の分厚いこと。「これだけの金庫だから、何んあっても大丈夫だよ。」っていうから、「ほうですよね。金庫ごと持って行くにはクレーンが必要ですよね。」って言ったら、「ここへ持って来るときにもクレーンを使っっとうだよ。」だって。確かにほうだよね。人間の手じゃあ運べんよね。

Dsc_3344jpg2 中はピカピカ

 金庫の外側は、鉄板がむきだしになっちゃって、漆のような塗装ははげちゃってるけんど、中はこんねんピカピカだよ。豊富出身で、事業に成功した、川崎市の村松盛忠さんという人が寄付してくれたもんだって。いつもらったかは書いてないからわからんね。備品のラベルにも「豊富村出納室」っていうことは書いてあるけん、取得年月日は書いてないさ。

 金庫は発明奨励会っていうところで作ったもんらしいさ。文字が右から左へ書いてあるし、旧字体だから、戦前のもんかもしれんね。調べてみるじゃんね。

Dsc_3345jpg2 油をやってメンテナンス

 残念ながら宝物は入っていなかったけんど、次に開けるときのために、あっちこっちに油をさしといてくれたさ。ありがたいじゃんね。

2016年2月14日 (日)

2014年2月14日、資料館は雪に埋もれた

Photoこんにちは、まゆこです。

今日はなんだか気持ち悪いくらいに暖かいですね。

館内よりも、外気温の方が高くなっているようで、エントランス付近の床が結露しています。一昨年の214日のことを考えると、まったくねぇ、ウソのようですよ!

Dsc_00622014年214日、その日はお昼頃から、どんどんどんどん雪が降り積もっていき、午後3時から休館することにしたのでした。

そして19日まで、休館せざるをえませんでした。

今考えても、甲府盆地が陸の孤島になる様な、もうあんな大雪はまっぴらですよ。

Dsc_0064←この写真は18日にやっと出勤できて撮った写真です。でも、今から見ると、何だか美しい光景でもありますねぇ。

Dsc_3329←こっちは今日2016214日(日)の様子。一枚目写真と同じアングルです。見比べてください。

Dsc_00662014215日の甲府の積雪は114㎝だったそうです。

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今年は、1月の半ばに一度雪かきをしただけですけれども、今後このまま無事に何事もなく春を迎えることができるでしょうか?

最近の当館では、午前中は小学生の団体見学でにぎわい、午後はデイサービスの皆さんや個人でいらしたお客様が静かに「ひな人形展」・「ちょっと変わったお金たち展」を楽しんでおられることが多いです。

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雪が降っても降らなくても、館内は暖かでゆったり過ごせますから、どうぞ遊びにいらしてください。お待ちしています。

まゆこ

2016年2月13日 (土)

ミニ企画展「ちょっと変わったお金たち」(4)

最後は軍用手票についてお話しします。昨年は戦後70年ということでさまざまな企画があちこちでありましたが、70年たっても終わっていないことはご存じの通りです。軍用手票というお金のように使われたものを通しても、戦争の別の面を見ることができます。

 

軍用手票(軍票)

 

軍用手票は戦争時において発行される疑似貨幣です。軍隊は食糧などの物資を現地調達しますが、近代以降の戦争では軍票によって物資を購入するという形を取るようになりました。軍票は領収書であり、債務支払いを約束する手形のようなものです。給与の支払いなどにも使われ、現地のみで使用できるものでした。このような軍票をはじめて発行したのは、英仏戦争のイギリスで、1815年のことでした。

Dscn8562jpg2_2 日本政府発行の軍票

 

日本で最初の軍票は、西南戦争の時に発行された「西郷札」だそうです。1877年のことでした。通用期間は3年、通用は管内限りという紙幣です。寒冷紗を和紙で挟んで貼り合わせ、漆墨で印刷された丈夫な札です。

その後日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦などの対外戦争で発行しており、日中戦争や太平洋戦争では、中国および東南アジアの占領各地で使用されました。中国戦線で使用した日本円以外にも、フィリピンのペソやインドネシアのギルダー、ビルマ(ミャンマー)のルピーなどさまざまな通貨単位の軍用手票が各占領地で発行されました。対ソ戦を想定してルーブル表示の軍票も試作しましたが、実際に使われることなく敗戦を迎えました。

軍票は戦争が長引けば戦費が激増するため、第二次世界大戦中の日本軍は、大日本帝国政府発行の軍票を乱発することになりました。終戦後には通貨と引き替えることを保証したものでしたが、敗戦により紙幣としての価値を持たなくなってしまったので、経済混乱を招くことになりました。

01jpg2_2 明治37年発行の日露戦争の軍票

日清戦争軍票

1895年に勃発した日清戦争では、清国の通貨単位である「両」を単位とした軍票を発行しました。予想よりも早く戦争が終結したため発行数が少なく、ほぼ全量が回収されました。

 日露戦争軍票

1894年、日露戦争開始直後に発行されました。清国や朝鮮で使用するため、裏側にはハングルの記載があります。流通量は多かったのですが、戦後回収して交換しています。

09100jpg2_2 赤線で日本銀行の文字を消してある

 日中戦争軍票

 1937年に日華事変(日中戦争)が勃発し、全面戦争となったため、日本軍は戦争の進展につれてさまざまな軍票を発行しました。

乙号券 当時の日本銀行兌換券の文字を抹消して「軍用手票」と大きく印刷して発行。

丙号券 日本銀行の文字を印刷してない紙幣に「大日本帝国政府軍用手票」の文字を印刷して発行。

丁号券 日本銀行券からの流用をやめて、鳳凰や龍の軍票用のデザインに変更。

 太平洋戦争軍票

 1941年以降、日本軍が占領したアジア太平洋地域の各地で軍票が発行されました。これまでの軍票は日本のお金の単位の軍票でしたが、各占領地に合わせて通貨単位もそれぞれの地域の単位を採用しました。またその地域にふさわしい絵柄がデザインされたりしています。ジャパニーズガバメントという英語や大日本帝国政府の文字が入っているので日本軍の軍票であるとわかります。

0910jpg2_2 日本政府発行の10ドル札

 日本軍が発行した軍票は敗戦により紙切れと化しました。軍票に対する日本政府の支払い義務は、連合国がサンフランシスコ講和条約で請求権を放棄したため、消滅したとされています。現地の人々は戦争で被害を受けた上、物資を収奪され軍票というただの紙切れを残されることになってしまいました。

211jpg2_2 日本政府発行の1ペソ札

 上の写真はフィリピンで使われた1ペソ札です。フィリピンでは戦後民間団体が軍票を集め、所有者に受領書を渡し、軍票にはスタンプを押して管理し日本政府と交渉して通貨と交換することを計画しましたが、結局紙切れとなってしまいました。その時のスタンプがこの札の裏側には押されています。

2016年2月10日 (水)

第8回「県政トークGO TO 知事が行く」が開催されました

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先日の2月3日に、本資料棺において、「ガイドによる地域観光資源を活かした観光振興について」というテーマで、意見交流会が開催されました。参加者は県内の観光ボランティア(甲府峡中地域・富士五湖地域・峡南地域)の方々17名と、後藤知事・広聴広報課長・観光振興課長・観光企画ブランド課長さんで、午後2時から4時まで、熱心な意見交換が行われました。
ボランティアの方々からは、それぞれの活動の紹介や、さまざまな要望が出されました。県として対応できることや、市町村が中心となって行うべきこと、他部局との協議を行うべきことなどですが、この会議の最大のメリットは、参加された方も述べておられましたが、知事さんに直接観光ボランティアの活動を知っていただいたこと、県が進めている観光ボランティア要請講座や隠れた観光資源の掘り起こしなどの事業を知ることができたこと、地域の観光団体との連携の端緒が得られたことなどでした。

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今後は地域のボランティア活動をさらに推し進めるとともに、県や地域との連携を深める必要があり、そのためには県との協力や情報の緊密化が大事であるということになりました。
資料館で、このような会議を開催していただき感謝しています。当資料館の場所がわかりにくいという指摘もありましたが、多くの方に本館の良さを見ていただいたことは、私どもにとっても大きな収穫でした。

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知事さんをはじめ、関係の皆さんにお礼を申し上げます。

2016年2月 9日 (火)

そのとき狸は何してた?(たぬきの糸車貸出セット)

Photoこんにちは、まゆこです。

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小学1年生の国語の教科書に「たぬきの糸車」というおはなしがでてきます。

罠にかかったところを助けてくれたおかみさんに恩返しするため、たぬきが冬の間に「キーカラカラ、キークルクル」と糸車をまわして糸を紡いでいたというおはなしです。

ちょうど3学期に、一年生の皆さんがこの「たぬきの糸車」をお勉強するようで、当館には、いま、市内外から一年生担当の先生方が糸車を借りにいらっしゃいます。

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糸車の実物があれば、たぬきが糸車をどのように「キーカラカラ、キークルクル」と回していたのかがわかります。

そして、授業で先生が、どんな風に糸が作られていくのかを本物の糸車を使ってやってみせることもできます。作品への理解がさらに深まりそうですね。

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 当館では、職員数の関係で、糸車の実演や解説を学校に出向いて行うこと(出前授業)はお受けしていませんが、

たぬきの糸車貸出セット(民具資料の糸車と紬糸・子供たちが実際に動かせる体験用ミニ糸車・綿に種が入った状態の木綿・すぐ糸が紡げる状態にした木綿・初心者でも紡ぎやすい化繊の綿・木綿栽培の解説と写真)をご用意しています。

(その他、当館には綿の実から種を取り出す道具(実繰り器)もありますが、館内での解説のみに対応しています。)

Photo_2 ←子供たちが実際に使用できる体験用ミニ糸車は、当館館長特製です。

Dsc_3346 ←糸車貸出セットに入っているもの(すぐ糸が紡げる状態にした木綿・まだ綿の種が入った状態の木綿・初心者でも紡ぎやすい化繊の綿・先人が糸車で作った紬糸)

Dsc_1545 ←安心してください!先生方には、糸車で綿から糸を紡ぐという作業を職員がレクチャーいたします。教室で子供たちの前で実際に先生がやってみせると、とても反応がいいようです。

 糸車を音読大会の小道具としてお使いになる場合もあるようですが、

Dsc_3347資料館では、綿から糸を紡ぐということ、また、その綿が植物や蚕の繭からつくられたものだということも、発展理解してもらえたらいいなと思っています。

←当館で栽培した綿の実

 中央市にある豊富郷土資料館には、子供たちの探求心をくすぐる実物資料がまだまだたくさんあります。県内の先生方には、ぜひ授業に役立てていただきたいと思います。

授業で使用するための写真撮影もOKですので、お気軽にご相談ください。

まゆこ

2016年2月 6日 (土)

「繭雛」と「あい竹雛」を作ろう!

Photoこんにちは、まゆこです。

きょうは、当館のひなまつりのご案内です。

平成28227日(土)と28日(日)に「繭雛とあい竹雛」をつくるワークショップを行いますよ!

 

Dsc_3420 繭雛(まゆびな):小学校高学年(5年生)以上向き  材料費:100

 

Dsc_3423_2あい竹雛(あいたけひな):どなたでもできます。

 

 

ワークショップ「繭雛(まゆびな)・あい竹雛(たけびな)」を作ろう!

 

日時 : 平成2827日(土)・28日(日)

 

 午前10時~午後3時の間いつでも参加できます。(各50セット)  

 

申込み不要・入館料無料

材料費:繭雛は100円・あい竹雛は無料(材料がなくなりしだい終了)

 

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 山梨県中央市豊富地区は、平成のはじめまで品質の良い繭を多く生産する「シルクの里」として有名でした。

当館では、4月から9月の間、蚕の飼育展示を行っており、昨年にひきつづき、このワークショップでは、当館育ちの蚕たちがつくった繭を使って雛人形をつくります。

 さらに、古くから天然の万能素材として先人が利用してきた竹を組み合わせることで、左右にゆらゆらと揺れるかわいらしい「繭雛」になります。 

 

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 また、二つに割った竹の内側に雛を描く「あい竹雛」は小学生低学年の皆さんにも作りやすいです。

 

 

 先人たちの生き様も学びながら、春の休日のひとときを資料館のお雛様作りで、お楽しみください!

 

まゆこ

2016年2月 5日 (金)

ミニ企画展「ちょっと変わったお金たち」 (3)

今日は江戸時代の「札」について取り上げます。江戸時代の紙幣ですが、現在で言う「地域通貨」であり、「商品券」のようなものです。

Dscn8563jpg2 藩札展示の様子

 

藩札・私札

江戸時代には、全国に流通する紙幣はありませんでしたが、藩や豪商などが独自に発行した紙幣がありました。少額の貨幣が大量に必要となった時や、藩の財政難の解消をするために発行したようです。(藩という言葉は明治になって廃藩置県を行ったときに作った言葉ですので、江戸時代の人はただ単に「札」とか「はがき」「切手」と呼んでいました)

01jpg2 伊勢津藩大和飛び地の藩札

伊勢の御師がその高い信用力と宗教的権威を背景に発行した「山田羽書」(1610年)は、日本最古の紙幣と言われています。そこから近畿地方を中心に有力商人が発行した私札が流通して行きましたが、金貨・銀貨・銭貨の三貨に統一したかった幕府は神領の山田羽書を除いて、私札への規制を強めたので17世紀後半には姿を消し、かわって全国各地で藩札が発行され始めました。最初の藩札は越前福井藩が寛文元年(1661年)に発行した銀札であると言われています。

幕府の対応は二転三転し、宝永4年(1707年)には藩札の使用を禁止しますが、享保15年(1730年)には再び解禁します。藩札無しには藩の経済がまわっていかなくなっていたのでしょう。その後も新規の藩札発行を禁じるなど取り締まりは続きますが、財政難に苦しむ諸藩は発行を続けました。

幕末には危機的な財政を藩札発行で賄おうとしたため、新規に発行する藩が続出し、明治政府はこれらの藩札を負債として引き継いだため、その解決には明治12年までかかりました。

08jpg2 三河旗本松平氏は札発行権を持っていてあちこちの札を作った

藩札は信用の上に成り立っているので、偽造や変造への対策が必要とされました。その工夫は用紙と印刷の二つの面からなされたのです。用紙の製法は秘密にされ、盗難に遭わないよう厳しく取り締まりました。(現在の紙幣も材料の配合について公表されていません)用紙は厚く、着色したり、泥を入れたり繊維を漉き込んだりしてあります。透かしを入れることもしました。文様の部分が白く透ける「白透かし」でした。(現在の紙幣に使われているのは文様部分に繊維が多くなる「黒透かし」です)

当初は紙に墨で手書きし、これに印判を押したものを発行しましたが、大量生産に無理があり、木版印刷にかわります。木版印刷の場合は版木を分割して保管し、勝手な増刷ができないようにしました。銅版印刷も行われるようになりますが、細かな図案は偽造防止に効果的だったようです。オランダ語や梵字、神代文字などを隠し文字として印刷することもありました。

13jpg2 大和の松塚村と有井村は自治体で札を出した

山梨県内でもこのような札が発行されましたが、村札・宿場札・商人札と呼ばれる私札で、ほとんどは明治になってからのものです。

長沢村(現富士川町)飯野村(現南アルプス市)青木村(現韮崎市)小淵沢村・村山北割村・上手村(現北杜市)隼村(山梨市)藤木村・小屋敷村(現甲州市)で村札を、勝沼宿(現甲州市)で宿場札を、甲府と韮崎で商人札を発行しています。山梨中央銀行の金融資料館に展示してあるこれらの札を見ると、墨書きあるいは木版印刷の非常に簡単な作りのものばかりです。

2016年2月 3日 (水)

フキノトウを見つけたよ

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朝、庭掃除をしていると、掃いた落ち葉の下から、緑の小さなつぼみが顔を出しました。フキノトウです。今年最初の春に出会った気持ちです。節分も間近で、先週の土日に「節分の豆まき」行事を行ったので、あわててフキノトウも顔を出したのかもししれませんね。

2016年2月 2日 (火)

本当に悪い鬼は、目にみえないものよね

Photoこんにちは、まゆこです。

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去る平成28130日と31日に、甲州の節分の豆まきを再現するイベントを行いました.

おかげさまで大盛況でして、1日目89名・2日目191名の参加者がありました。

Dsc_3383イベント当日の朝、給湯室で独り鰯を焼く館長。門口に焼いたイワシの頭と尻尾をヒイラギの枝に刺して飾るためです。悪い魔物や災いなどを黒焼きにするという脅かしの意味があります。

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また、イワシの頭を焼くときは、農作物に対して悪さをする虫や鳥、獣などの名をあげて、「○○の口焼き」と唱えながら唾を吐きかけて黒くなるまで焼きます。

ついでに近所の口うるさいおばさんなんかの名前も言ったりするそうなのですが、この顔の館長は絶対に身近な人の名を言ってますね。

Dsc_3407口焼きが済んで、心もすっきり満足そうな館長。

さて次は、豆まきの様子をご覧ください。

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甲府盆地一円で行われていた節分は、このように軒先よりも高い竹竿の先に目駕籠や竹の手すくい等を縛り、そこにネズミサシ・ヒノキ・スギなどの枝を刺して庭に立てます。

カゴの目は鬼の目で、このカゴに鬼が依りついてくるので、豆を投げつけます。

そうして、災いを撃退し、悪いものの芽(目)が出ないように、一年の厄災を払うのです。

一年の初めの春の節分は、春に目覚めた悪いものを撃退し、福を呼び込むための行事なんですよ。

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屋根より高い目駕籠に豆をぶつけるには、相当思いっきり豆を投げ上げないと当たりませんから、みなさん気合が入ります。

「鬼は外、福は内、鬼の眼をぶっつぶせ~」の掛け声の後、皆でそろって豆を高く投げ上げると、「ばちばちばちばちー」と目駕籠に命中した豆が今度は頭上に降ってきます。

キャー!! みんな楽しそう♪

 小さな子供たちは通常よりも低く仕立てた目駕籠に向かって投げました。

この豆まきには、目にみえる鬼は登場しませんけど、自分の心の奥底に潜んでいた鬼をすっかり退治できたような気がして、気分が晴れやかになるから不思議です。自分にとって、本当の鬼や悪いものは、実際には目に見えないモノだということを教えてくれているようです。

 そうそう、この豆まきイベントが始まる直前に、取材にいらしたテレビ局のカメラマンさんが、「カメラアングルを考えたいので、鬼が登場してくる場所を教えてください」と質問してきたときには、館長と笑ってしまいました。

 そして、二人でニタニタ笑って、「甲州の豆まきには、目に見える鬼は出てきませんのよ!本当に怖い鬼は、目にはみえないものなんですねぇ~♪」とちょっと意地悪く答えてしまいました。(反省)

 

まゆこ


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