フォト
無料ブログはココログ

にほんブログ村

« フキノトウを見つけたよ | トップページ | 「繭雛」と「あい竹雛」を作ろう! »

2016年2月 5日 (金)

ミニ企画展「ちょっと変わったお金たち」 (3)

今日は江戸時代の「札」について取り上げます。江戸時代の紙幣ですが、現在で言う「地域通貨」であり、「商品券」のようなものです。

Dscn8563jpg2 藩札展示の様子

 

藩札・私札

江戸時代には、全国に流通する紙幣はありませんでしたが、藩や豪商などが独自に発行した紙幣がありました。少額の貨幣が大量に必要となった時や、藩の財政難の解消をするために発行したようです。(藩という言葉は明治になって廃藩置県を行ったときに作った言葉ですので、江戸時代の人はただ単に「札」とか「はがき」「切手」と呼んでいました)

01jpg2 伊勢津藩大和飛び地の藩札

伊勢の御師がその高い信用力と宗教的権威を背景に発行した「山田羽書」(1610年)は、日本最古の紙幣と言われています。そこから近畿地方を中心に有力商人が発行した私札が流通して行きましたが、金貨・銀貨・銭貨の三貨に統一したかった幕府は神領の山田羽書を除いて、私札への規制を強めたので17世紀後半には姿を消し、かわって全国各地で藩札が発行され始めました。最初の藩札は越前福井藩が寛文元年(1661年)に発行した銀札であると言われています。

幕府の対応は二転三転し、宝永4年(1707年)には藩札の使用を禁止しますが、享保15年(1730年)には再び解禁します。藩札無しには藩の経済がまわっていかなくなっていたのでしょう。その後も新規の藩札発行を禁じるなど取り締まりは続きますが、財政難に苦しむ諸藩は発行を続けました。

幕末には危機的な財政を藩札発行で賄おうとしたため、新規に発行する藩が続出し、明治政府はこれらの藩札を負債として引き継いだため、その解決には明治12年までかかりました。

08jpg2 三河旗本松平氏は札発行権を持っていてあちこちの札を作った

藩札は信用の上に成り立っているので、偽造や変造への対策が必要とされました。その工夫は用紙と印刷の二つの面からなされたのです。用紙の製法は秘密にされ、盗難に遭わないよう厳しく取り締まりました。(現在の紙幣も材料の配合について公表されていません)用紙は厚く、着色したり、泥を入れたり繊維を漉き込んだりしてあります。透かしを入れることもしました。文様の部分が白く透ける「白透かし」でした。(現在の紙幣に使われているのは文様部分に繊維が多くなる「黒透かし」です)

当初は紙に墨で手書きし、これに印判を押したものを発行しましたが、大量生産に無理があり、木版印刷にかわります。木版印刷の場合は版木を分割して保管し、勝手な増刷ができないようにしました。銅版印刷も行われるようになりますが、細かな図案は偽造防止に効果的だったようです。オランダ語や梵字、神代文字などを隠し文字として印刷することもありました。

13jpg2 大和の松塚村と有井村は自治体で札を出した

山梨県内でもこのような札が発行されましたが、村札・宿場札・商人札と呼ばれる私札で、ほとんどは明治になってからのものです。

長沢村(現富士川町)飯野村(現南アルプス市)青木村(現韮崎市)小淵沢村・村山北割村・上手村(現北杜市)隼村(山梨市)藤木村・小屋敷村(現甲州市)で村札を、勝沼宿(現甲州市)で宿場札を、甲府と韮崎で商人札を発行しています。山梨中央銀行の金融資料館に展示してあるこれらの札を見ると、墨書きあるいは木版印刷の非常に簡単な作りのものばかりです。

« フキノトウを見つけたよ | トップページ | 「繭雛」と「あい竹雛」を作ろう! »

企画展・ミニ企画展」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1875313/63805558

この記事へのトラックバック一覧です: ミニ企画展「ちょっと変わったお金たち」 (3):

« フキノトウを見つけたよ | トップページ | 「繭雛」と「あい竹雛」を作ろう! »