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2016年1月23日 (土)

ミニ企画展「ちょっと変わったお金たち」 (1)

豊富郷土資料館の常設展には、古いお金のコーナーがありますが、寄付していただいたときのままのかたちを崩さず展示してありますので、これまでキャプションなどをつけることもなく展示されてきました。

今回、入館者の人気があるにもかかわらず、あまり研究してこなかった古いお金について調べてみると、お金と言ってもさまざまで、変わりものもたくさんあることがわかりました。それで、普通に流通していたお金ではなく、ちょっと変わったお金たちを取り上げてミニ企画展としました。

渡来銭・絵銭・藩札・軍票というお金のようでお金ではないもの、外国のお金なのに国内で何百年も使われたお金についてこれから解説します。

 

渡来銭

 

平安時代半ばから江戸時代の初めまでの約650年間、日本では全国統一の通貨が発行されることはありませんでした。10世紀に「皇朝十二銭」の発行が停止されると、日本ではいったん貨幣による取引がなくなります。そして11世紀になると、米や絹などの物品貨幣に逆戻りしてしまいます。それまで流通していた銭の多くはつぶされ、銅の地金になってしまったようです。

Dscn8564jpg2 渡来銭の展示の様子

平安時代の終わり頃になると、平氏が勢力を伸ばしますが、平清盛は瀬戸内海の制海権を得て、九州へ手を伸ばし、中国との貿易を進めました。そして「宋銭」に注目し、日本の貨幣として流通させようとしました。朝廷は禁止しましたが、武士階級や庶民階級の経済活動が活発化して、米や絹による取引は時代に合わなくなり、勝手に流通していきました。そしてこの流れは鎌倉時代になるとますます加速します。

01jpg2 千年ほど前の北宋の皇宋通宝

 渡来銭は1枚1文という「計数貨幣」として使われます。これは素材そのものの価値で取引される「秤量貨幣」と異なり、権威と信用の上に成り立つ貨幣です。当時の中国は超大国ですから、中国のお金は質もよく、国際通貨ともいえるほどの信用力を持っていたというわけです。

08jpg2 明の時代の永楽通宝

 宋では毎年60億枚もの銭を発行しました。日本での十円硬貨の発行が年に2億枚だそうですから、ものすごい数です。これらの銭は宋の国にとって重要な輸出品でした。日本は砂金を輸出して宋銭を輸入したのです。宋銭はアジア各国・インド・中央アジア・アフリカにまで輸出され流通しました。

10jpg2 清の時代の乾隆通宝

 14世紀に入ると、銭貨は各地で壺などに入れて大量に埋められるようになります。その理由としては貯蔵・貯蓄、戦争や災害時の緊急避難、まじないなどの宗教的な埋納など、さまざまな説があります。埋められた渡来銭が発見されることで大量の渡来銭が流通していたことがわかるわけです。

10jpg2_3 乾隆通宝の裏側には満州文字

 江戸時代になり「寛永通宝」が発行されると幕府は渡来銭の回収を進め、寛永通宝以外の銭を使うことを禁止しますが、百文の銭さしの中には渡来銭が紛れて使用されていました。その上新たな中国銭も長崎での貿易の支払いに紛れて輸入され、使用されました。明治政府は渡来銭を1厘として使用を認めたので、昭和初期の廃貨まで納税代金などとしてその命を保ちました。

Dscn8640jpg2 古銭のお菓子のお年玉

 お金の展示とお正月にちなんで、古銭のお年玉を差し上げていますが、とても好評で、そろそろなくなりかけています。どうぞ早めにご来館ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

銭さし(96枚で100文)

 
 
 
 

 

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