フォト
無料ブログはココログ

にほんブログ村

« 2015年12月 | トップページ | 2016年2月 »

2016年1月31日 (日)

中央市大鳥居地区の霊柩車

P1311704

霊柩車なんて縁起でもない、と怒る方もいるかもしれませんが、人間の一生の最後の行事には、どうしても必要なものですね。今は高級車の霊柩車がありますが、昔は棺桶を担いだもので、寝棺になると、神輿状の台の上に乗せて担いだり、皆で持ち上げて運んだものです。最近ではリヤカーの上に立派な御殿が乗り、この中に寝棺を入れて運びました。昔は土葬ですから、寺から墓場までは長い行列をつくり、旗を立てて親族や親戚、関係者が野辺の送りをしたものです。

P1311705

さて、今日は朝からの電話で、古い霊柩車を倉庫から出したので、見てほしいという連絡がありました。中央市大鳥居・中村地区の倉庫に久しく眠っていた霊柩車です。私が到着した時には、公民館の庭に引き出されており、一目でその立派さに驚きました。唐破風の屋根に、4面は漆に鳳凰文様が彫刻され、花頭窓が造られています。後ろの観音扉を開けると、両脇に2本のレールが引かれ、寝棺をスライドさせて奥に入れる構造になってい

P1311706

ます。内面に昭和47年5月8日の墨書があり、今から44年前に造られたものと判明しました。
電話をいただいた龍光院の住職さんは、火葬場ができて以来、この霊柩車は使用しなくなったのでは?と言っていました。
荘厳な文様を持つこの霊柩車を資料館の資料とするか?保管スペースはあるか?いろいろ悩ましい問題が出てきました。当面はそのまま保管をお願いしましたが、いずれは判断しなければならないでしょう。

2016年1月29日 (金)

雪でも、団体様で大賑わいなの♪

Photoこんにちは、まゆこです。

Dsc_3345
←雪に埋もれたままのシルクの里公園の「おっぱい」ではなく、正しくは「繭の丘」という巨大トランポリン。

 ただいま当館は、団体見学で連日にぎわっております。

 2月末までの平日はほとんど毎日、山梨県内のどこかの学校が見学にいらっしゃいます。

3月になるまで予約がないのは、226日(金)だけなんですよ♪ありがたいことですねぇ~。

 中には、午前は職員の解説をじっくり聴き、午後からは体験学習をするというように、朝9時から午後3時までずっと館内で過ごす学校もあります。

 また土日は、ひな人形展を目当てにいらっしゃるデイサービス利用者の皆さんの他、山梨県立博物館で開催されているシンボル展に関連して、そのゆかりの地をめぐるツアーの参加者がご来館くださいました。

Dsc_3362

←山梨県立博物館シンボル展「天の虫のおきみやげ」(平成28229日まで開催)に関連したツアーで来館されたお客様に、「富子の部屋」(昭和30年代の養蚕風景について)を観ていただいているところ。

Dsc_3381←この学校は体験学習で稲の千歯扱きと座繰り器を使っての糸取り体験をしました。

Dsc_3346

 さて、今日こちらでは朝から雨が降っています。雪でなくてよかった!

 でも、資料館向かいにあるシルクの里公園内の遊具周りにはまだ残雪があります。

←先の土日はお客様が雪の積もった公園内をソリで滑ったり、楽しそうでしたよ。

Dsc_3379_2


 見学にお弁当をもって来てくれる学校もありますが、雪のために外の公園で食べられない場合もあります。

←先日来館した学校も、エントランスホールでお雛様を眺めながら食べましたが、なかなかない体験を面白がってくれたようで幸いです。

 子どもたちには、雪や雨が降っていても楽しめるシルクの里公園に、今度は家族と一緒に来てもらえるとうれしいですね♪

まゆこ

2016年1月27日 (水)

ミニ企画展「ちょっと変わったお金たち」 (2)

今日は絵銭といわれるものを取り上げてみます。絵銭という名がついていますし、コインのカタログにも載っているのですが、決して流通することをめざしたお金ではありません。

絵銭

 

 「厭勝銭(ようしょうせん)」(えんしょうせん・あっしょうせんとも読む)は銭をかたどったお守りの一種です。災いを避け、幸運を願うため所持するもので、貨幣として流通するものではありません。

 表面は通常の通貨を模しますが、「千秋万歳」「天下太平」「長命富貴」といった吉祥語が書かれ、背面にはやはり縁起のいい北斗・双魚・亀蛇・龍鳳などの絵が描かれます。

 厭勝銭は中国で盛んに鋳造され、時代が下がるにつれ趣味品としての性格も帯びていきます。日本に伝来すると絵銭・画銭として珍重され室町時代から江戸時代にかけて親しまれました。

Dscn8565jpg2 絵銭が並ぶ様子

厭勝銭が成立した背景には、貨幣経済の浸透という社会情勢があり、貨幣の持つ一種呪術的な力が銭という形に仮託されたと考えられています。

 日本での絵銭は、お守り・縁起物という以外に、玩具(めんこ・石蹴り)でもありました。室町時代に自作した銭を子どもに分け与えたという記録が残っており、これが日本の絵銭の元祖と言われますが、どのような銭だったかはわかっていません。

22jpg2 駒挽き銭と呼ばれる絵銭

 絵銭はその制作年代や製作地を特定できるものが少なく、「鏡屋銭」と呼ばれるものも、その銅の性質を分析してみると京都の鏡職人が製作したと推測できるだけで、裏付けは難しいのだそうです。また、裏面が「寛永通宝」にそっくりなものがありますが、それらは銭を作る「銭座」の人たちが作ったものではないかと想像されています。謎は多いのですが、明治・大正時代までせっせと作られていたことは確かです。

26jpg2 双魚と呼ばれる絵銭

 おもしろいことに貨幣ではないのに、小型の穴あきの絵銭は寛永通宝の「銭さし」に紛れて通用することもあったそうです。

28jpg2 大黒様が描かれた絵銭

 「富本銭」という銭は江戸時代から知られていましたが、いつの時代の銭であるかはわかっていませんでした。ところが、戦後平城京跡や藤原京跡から出土し、平成11年には飛鳥京跡の飛鳥池工房遺跡から製造途中で廃棄された富本銭が発見され、「和同開珎」よりも古い貨幣であるとわかりました。これにより富本銭を日本最古の流通貨幣であるとする説が出されますが、絵銭とする説もあります。これについては、確かなことがいえる資料がそろっていないので、まだ決着はついていません。

2016年1月23日 (土)

ミニ企画展「ちょっと変わったお金たち」 (1)

豊富郷土資料館の常設展には、古いお金のコーナーがありますが、寄付していただいたときのままのかたちを崩さず展示してありますので、これまでキャプションなどをつけることもなく展示されてきました。

今回、入館者の人気があるにもかかわらず、あまり研究してこなかった古いお金について調べてみると、お金と言ってもさまざまで、変わりものもたくさんあることがわかりました。それで、普通に流通していたお金ではなく、ちょっと変わったお金たちを取り上げてミニ企画展としました。

渡来銭・絵銭・藩札・軍票というお金のようでお金ではないもの、外国のお金なのに国内で何百年も使われたお金についてこれから解説します。

 

渡来銭

 

平安時代半ばから江戸時代の初めまでの約650年間、日本では全国統一の通貨が発行されることはありませんでした。10世紀に「皇朝十二銭」の発行が停止されると、日本ではいったん貨幣による取引がなくなります。そして11世紀になると、米や絹などの物品貨幣に逆戻りしてしまいます。それまで流通していた銭の多くはつぶされ、銅の地金になってしまったようです。

Dscn8564jpg2 渡来銭の展示の様子

平安時代の終わり頃になると、平氏が勢力を伸ばしますが、平清盛は瀬戸内海の制海権を得て、九州へ手を伸ばし、中国との貿易を進めました。そして「宋銭」に注目し、日本の貨幣として流通させようとしました。朝廷は禁止しましたが、武士階級や庶民階級の経済活動が活発化して、米や絹による取引は時代に合わなくなり、勝手に流通していきました。そしてこの流れは鎌倉時代になるとますます加速します。

01jpg2 千年ほど前の北宋の皇宋通宝

 渡来銭は1枚1文という「計数貨幣」として使われます。これは素材そのものの価値で取引される「秤量貨幣」と異なり、権威と信用の上に成り立つ貨幣です。当時の中国は超大国ですから、中国のお金は質もよく、国際通貨ともいえるほどの信用力を持っていたというわけです。

08jpg2 明の時代の永楽通宝

 宋では毎年60億枚もの銭を発行しました。日本での十円硬貨の発行が年に2億枚だそうですから、ものすごい数です。これらの銭は宋の国にとって重要な輸出品でした。日本は砂金を輸出して宋銭を輸入したのです。宋銭はアジア各国・インド・中央アジア・アフリカにまで輸出され流通しました。

10jpg2 清の時代の乾隆通宝

 14世紀に入ると、銭貨は各地で壺などに入れて大量に埋められるようになります。その理由としては貯蔵・貯蓄、戦争や災害時の緊急避難、まじないなどの宗教的な埋納など、さまざまな説があります。埋められた渡来銭が発見されることで大量の渡来銭が流通していたことがわかるわけです。

10jpg2_3 乾隆通宝の裏側には満州文字

 江戸時代になり「寛永通宝」が発行されると幕府は渡来銭の回収を進め、寛永通宝以外の銭を使うことを禁止しますが、百文の銭さしの中には渡来銭が紛れて使用されていました。その上新たな中国銭も長崎での貿易の支払いに紛れて輸入され、使用されました。明治政府は渡来銭を1厘として使用を認めたので、昭和初期の廃貨まで納税代金などとしてその命を保ちました。

Dscn8640jpg2 古銭のお菓子のお年玉

 お金の展示とお正月にちなんで、古銭のお年玉を差し上げていますが、とても好評で、そろそろなくなりかけています。どうぞ早めにご来館ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

銭さし(96枚で100文)

 
 
 
 

 

2016年1月22日 (金)

鬼どもよ、「招福除災鬼大打豆」で退治してやる!

Photoこんにちは、まゆこです。

Dsc_3330ふぅ~、今月末に行う豆まきイベントで、参加者にお配りする豆袋の準備が昨日やっと終わりましたよ。

Dsc_3329

平成28年13031(土・日)の午後1時半と2時半の全4回行うので、道の駅とよとみで地元産の大豆をたくさん買い込み、「招福除災鬼大打豆」と印した自家製袋に小分けしました。

220袋以上つくりましたよ!

そのうち福引きの当たりが入った豆袋は28ありますから、当日に各回ごとに7つの当たり豆袋を混ぜます。

Dsc_3332

豆はもちろんすべて中央市豊富産です。

大粒白大豆に彩りのきれいな青豆を半々で混ぜ込みました。

本当は投げてしまうがもったいないようなよい大豆なのですけどね。

Dsc_3334館長が「ネズミサシ」という鬼の嫌いなトゲトゲ葉っぱの木の枝を山から採ってきて、竹竿の先に縛りつけた目駕籠に刺してくれました。

Dsc_3339これで「節分イベント」の準備は万端です。

さぁ、かかってこい、鬼どもよ! 目駕籠に依りついたところを、「招福除災鬼大打豆」で退治してやる!

まゆこ

2016年1月21日 (木)

シルクの里の雪のあと

Photoこんにちは、まゆこです。

P1161676ひな人形展がはじまっています。

Dsc_332218日に降った雪は、ここシルクの里公園から望む盆地や山々の風景をさらに美しくみせてくれます。

Dsc_3298250体以上のひな人形を飾るのに、今回もまた中央市歴史文化ボランティアの皆さんにたいへんご協力をいただきました。

Dsc_3304_2

玉諸神社の氏子でもいらっしゃるボランティアの青柳さんには、「雛様(ひなさま)」の展示にご協力いただきました。

子どもの天然痘や麻疹除けの神様である「雛様」は玉諸神社に伝わるものです。弱くて魂の不安定な子どもの身代わりとして、病を請け負う「形代(かたしろ)」であったと考えられます。

ひな祭りやひな人形の起源に迫る民俗事例として、ご紹介しています。

P1161678お雛様が出ているこの時期は、デイサービスの団体見学の方々にも好評です。車いすも3台常備していますよ。

 

Dsc_3327当館までの道と前庭やロータリーの雪はきれいによけてありますから、どうぞ安心してお出かけください!

 まゆこ

2016年1月19日 (火)

目駕籠に向かって豆をぶっつけよう!

Photoこんにちは、まゆこです。

平成28年「節分の豆まき」イベント開催をお知らせしま~す♪

Dsc_1497

 資料館では、小正月が終わり、いまは節分イベントに向けて豆袋などの準備に追われています。

今年は、23日節分の直前の週末は1月末になってしまいます。

なので、今回の「節分の豆まき」イベントは、130日(土)と31日(日)に行います。

 

028

節分の豆まき

 「鬼のまなこをぶっつぶせ~!」

 

日時:平成28130()午後1時半と2時半

 

                131()午後1時半と2時半

 

参加者(入館無料)

 

当日資料館前庭に集合し、豆まきを行います。

 

参加者には、福引きがあります。

 

いまでは、ほとんど行われなくなった甲州の節分行事を再現します。軒先に立てた長い竹竿の先端に、目駕籠(めかご)をしばり付け、このカゴに向かって、豆を投げます。カゴの目が鬼の目で、この目をたくさんつぶすと、一年の災いや不幸が減少するという信仰があったからです。

 

Dsc_1510

昨年からはじまった企画ですが、昭和30年代まで盛んに行われたこの節分行事。

記憶のあるご年配の方々にはとても懐かしく、知らない子供たちには斬新な豆まきに思えて、面白かったようです。

 

 

おかげさまで昨年はとてもたくさんの来場者がありました。

 

Dsc_1516

ことしも福引きをご用意してお待ちしています。

「みなさん、青空をバックに、屋根より高く据え付けた目駕籠に向かって豆を投げ、悪い鬼の眼をぶっ潰しましょう!」

天高く思いっきり豆を投げ上げることで、心と体の中に潜んでいる悪い鬼も追い出すことができてしまうような気がします。

気分爽快になることまちがいなしですよ!

まゆこ

2016年1月17日 (日)

講演会「サル年を迎えて」ーサル神と庚申信仰ー

1月11日午後1時半より講演会「サル年を迎えて」を開催しました。今年はサル年ですが、干支(えと)の申年は、どのように決められたのか?干支はどのように利用されてきたのか?また、サルはどのような信仰の対象になったかなどの話と、中央市内に残るサルの絵や石造

P1111671_2

物の紹介をしました。
サルは日吉大社では神の使いとして猿神と崇められました。また、猿神は富士信仰の御札でも現れますが、富士山が庚申の年に出現したという言い伝えから、信仰の対象になったとのこと。また、猿と馬は関係が深く、馬小屋には猿がつながれて守り神になったり、東北地方では厩猿として猿の頭蓋骨が、厩に置かれたことなどの説明をしました。

Photo 市内で最も古い三猿

Photo_2 灯篭にほられた猿

Photo_3

Photo_4 珍しい竿に乗る青面金剛と三猿

Pb261497 高部の庚申塔(青面金剛と三猿)

Photo_5 猿田彦大神

Pb221479_2 妙泉寺の鐘楼に描かれた猿

また、庚申信仰はサルの信仰としては最も知られた信仰で、平安時代から宮中では『守庚申』行事としておこなわれていましたが、これは中国の道教の信仰が日本の民間信仰と結びついて特に江戸時代に発展したものです。
庚申信仰とは、60日に1回巡ってくる庚申の日に、寝ている人の体から三尸虫が抜け出し、天の神のその人の罪悪を告げ口するのを防ぐために、一晩中眠らず芸能や飲食をする行事です。告げ口されると、大きな罪科は300日、小さな罪悪は3日間寿命が縮んでしまうと言われ、これを避けるため徹夜する信仰です。その中心となる仏は「青面金剛」で、その足元には三猿が描かれることが多いのは、三尸虫が「見たり聞いたり」したことを告げ口しないよう諭すためです。
猿田彦大神も道祖神にも使われますが、庚申塔にも多く利用されたものです。
また、方位として使われているのは、布施の妙泉寺の鐘楼の申の絵です。鐘楼の周りに十二支の絵があります。

今年はサルを探しながら散歩するのもよいかもしれませんね。

2016年1月16日 (土)

中央市歴史文化ボランティアの会清掃活動と懇談会

今日は快晴、でも本格的な冬となり、寒いですね。しかし、午前10時から清掃活動を行うことにしました。県指定文化財の浅利与一層塔は、鎌倉時代の造立で、浅利与一公の墓所と伝えられています。普段は大福寺さんで管理されていますが、私たちの会でも今日はこの場所から始め、観音堂、薬師堂などの文化財の保管されている場所を掃除しました。

P1161678与一公の層塔前

P1161684 みんなで記念写真

P1161687 観音堂

P1161696 薬師堂

汚れているところはあまりありませんでしたが、それでも落ち葉を集め、ほこりや砂を掃き出すと、なんだかすがすがしくなりましたので、一同とても気持ち良くなりました。お寺の住職さんがお茶やミカン、お菓子を差し入れてくれました。御馳走様でした。

P1161700

清掃活動の後、ふれんどりぃのレストランで昼食を取りながら懇談会を行い、和気あいあいとした中で、午後1時頃解散となりました。今後もこのような会を持ちたいものです。

大田和のどんど焼き

Tomiko

 富子だけんど、今日はいい天気だねぇ。寒いけんどね。

 せんだって、十四日正月(じゅうよっかじょうがつ)は、休みに合わせて日を変えるとこん多いって書いたけんど、毎年ちゃんと14日にやるとこもあるさね。

 たまたま14日の日に、ボランティアさんが、身延線に沿って南へ下って行ったら、どんど焼きの「お小屋」がいっぺえ(たくさん)建ってて、「ワンダーランドだねぇ!」って興奮しながら報告に来てくれたさ。14日に飾り付けがしてあるとこは、14日に小正月の行事をするとこってことだよね。
 大多和のどんど焼きは、前の日に諏訪神社の境内に「お小屋」が建ってたから、14日にやりそうだなと思って、写真を撮りにいったら、その通りで、6時から儀式があって6時半に「お小屋」に点火することになってるだって。

Dscn8567jpg2 点火前のお小屋

 大田和には道祖神さんが2ヶ所にあるけんど、それぞれ別の集落の人たちが祀っているわけじゃあなくて、二つで一つの道祖神さんだってよ。男の神さんと女の神さんだって。道祖神に男と女があるなんて初めて聞く話だよね。双体道祖神ていうのはあるけんど、べつべつで一つだからね。そのことを教えてくれた人も、「俺も最近知っただけんどね。」って言ってたさ。

Dscn8568jpg2 男の神様と女の神様

203dscn4144jpg2 大田和の道祖神

212dscn4146jpg2 斜め向かいに立つもう一つの道祖神

 点火の前には獅子舞もあって、太鼓に合わせて舞ってたさ。それが終わるといよいよ点火で、子どもの代表が4人で、「お小屋」の四隅に点火するさ。点火するっちゅうと後は早いよ。あっという間に炎が高く上がって、小屋が火に包まれちもう。そりゃあ迫力萬点さ。藁でできてるからね、燃え尽きるのもあっという間だね。獅子舞や点火の役をした子どもんとうは、でっかい袋に入った「おぶっく」をもらってたよ。

Img_8583jpg2 火に包まれたお小屋

 「お小屋」が燃えてるときにゃあ、近くに寄れんけんど、中央市消防団の人たちが火を中心に寄せてくれると、いよいよ団子を焼く番さ。最近は家で作らんで、近所のスーパーに売ってる「どんど焼きの団子」っていうセットを買ってくる人も多いようだね。その上、木の枝にさして飾るこんもしなんで(飾ることもしないで)、アルミ箔に団子だけ包んで、焼き芋のように灰の中に突っ込んで焼いてる人も多かったのにゃあびっくりした。

 あと、灰を持ってく人は昔はいたけんど、今はいなくなっちゃただって。持ってっても小豆がゆも作らんから、撒けんらしいだね。

Img_8597jpg2 団子を焼く人々

世話役をやってる人に、「これだけの小屋を作るのは大変だっつらね。(大変だったでしょうね)」って聞いたら、「長老に教えてもらわんと、俺んとうだけじゃあ作れんだよね。」って言ってたさ。昔の人の技っちゅうのはすごいよね。それを伝えていってくれてる大田和の人たちに応援したいよね。

 写真を撮らせてもらいにいっただけのもんに、甘酒を振る舞ってくれたり、「おぶっく」だからってミカンやお菓子もくれたりしてありがたいじゃんね。

 来年も1月14日の6時っからやるから、ぜひ見に来ておくんなって。

2016年1月15日 (金)

豊富地区「高部の百万遍講・石尊講」と「中村のどんど焼き」

Photo

こんにちは、まゆこです。

Dsc_3241 110日から14日は、中央市内でもいたるところで小正月行事が行われました。

 豊富地区の高部と角川では、10日に「百万遍講(ひゃくまんべんこう)」がありました。

 地域の人々が集まって念仏を唱えながら大数珠を回して、疫病退散や家内安全を願う行事です。

 

残念ながらいつも当館で行う小正月イベントと重なってしまい、まゆこたちは取材に行けません。ですから、今回は豊富地区高部の「百万遍講」の写真を撮ってきてもらうよう、ボランティアさんに頼みました。

Dsc_3289
百万遍講の道場となる公民館の天井には、縄張りがされ、おしんめい(お注連)が飾られます。

後世に是非伝えていきたいこの飾り付け方法や作り方は、地域の方が平成13年に詳細に書きとめ、まとめています。

当館もその資料をいただいて保管していますが、高部集落の小正月行事がとても分かりやすく詳細に記載されていて、すばらしいものです。

←『うぶすな第52001・1』に記載されている百万遍講の飾りについての図。 その他、天蓋の作り方などわかりやすく記されている。

Dsc_3250

太鼓と鉦(かね)が「ドンドンドン、トントントン」と交互に打ち鳴らされる中、大数珠を手に持ち、丸座になった人々が「ナーナミダ」と唱えながら左に大数珠を順に送っていきます。

ところどころに入っている大きな珠が自分のところに廻ってくると、自分の額に近づけて拝礼するそうです。

Dsc_3266数珠廻しが終わると、天井に吊るされている飾りをおろし、お札と洗米を付けて、輪になるように仕立てて、各戸に分けて持ち帰ります。

Dsc_3261百万遍を終えると、つづいて、近くの七覚川河川敷にある大きな欅の御神木の下に集まり、「石尊講(せきそんこう)」も行い、雨乞いのお祈りをします。

 まゆこは取材してきてくれたボランティアさんたちの高揚した話しぶりに接して、地域で守られてきた伝統的な祭りや行事が私たちの心にいかに説得力を持って迫ってくるか、分かるような気がしました。今年も地域の伝統行事の情報日時を得たら、なるべくたくさんの場所に取材に行きたいと思います。

Dsc_3279_2

 

 仕事が終わって資料館を出ると、豊富地区大鳥居中村のどんど焼きが行われていました。

車を止めて写真を撮らせてもらったまゆこは、ちゃっかり、焼けた「繭玉団子」と「おぶっく(お菓子)」もいただいてしまいました。

さぁ、これで一年は風邪をひかず、元気に過ごすことができるはずです。

 どんど焼きの熱い火を、親切で優しいみなさんと一緒に囲みながら、もっと地域の方々と仲良くなって、たくさんのことを教えていただける一年になるよう、頑張りたいと思いました。

まゆこ

2016年1月14日 (木)

一升餅のお祝い

Tomiko

 富子だけんど、寒くなったじゃんね。まあいつもの冬になったっていうことだと思うけんど。

 今日は孫が初誕生祝いで、一升餅のお祝いをしたから、その様子を書くじゃんね。

Img_5468jpg2 親が子どもの名前を書いた餅

 一升餅っちゅうのは昔っから、一歳の誕生日や還暦のお祝いとか建て前のお祝いに使われただって。子どもの一歳の誕生日のお祝いの時は「一升」と「一生」をかけて、一生食べ物に困らんようにっていう意味があるだって。

 それと丸い餅だから、「一生丸く長生きできるように」っていう意味もあるらしいよ。

Img_5552jpg2 ほぼ泣いていた1歳児

 一升餅は子どもの名前とか、「寿」っていう文字を書いた餅を、風呂敷とか餅袋とか最近はリュックサックとかでしょわせて(背負わせて)、子どもが立てなくて困ってるのを見守るっていう行事だって。まあうちの孫たちは、しょう前っから泣いてえて、手はつかなかったけんね。

Img_5537jpg2 手を離すとひっくり返る

 餅をしょわせたら、へえ、ごろんごろんのたうちまわっちゃって、やっとこさっとここの写真が撮れたけんど、見てわかるとおり、両側から転ばん(転ばない)ように支えてるさね。転ぶところを見て、一生の重みを感じてるって親たちは思えばいいらしいよ。だから簡単に立って歩いちゃあだめだってさ。わざと転ばすところもあるっちゅうからね。

Img_5582jpg2 立ち直れない1歳児

 一升餅には太陽の神様が宿るだって。だからお祝いに使った餅は将来の円満を願って鏡開きをして食べるだってさ。うちじゃあ二つだったから一つは片方のおじいちゃん・おばあちゃんのうちへ持ってって食べてもらったさ。縁起のいい食べ物だからね。

Img_5683jpg2 笑った写真は1枚だけ

 本人たちの名誉っちゅうもんもあるから、ちゃんと撮れた写真ものっけとくじゃんね。

2016年1月11日 (月)

小正月の一幕

Tomiko

 富子だけんど、早いもんじゃんね。ついせんだって正月になったばっかだと思ってたら、へえ小正月じゃん。14日正月(じゅうよっかじょうがつ)っていうくれえだから、ほんとは14日にやるもんだと思うけんど、今じゃあ土曜とか日曜に合わせてやるから、今年は10日にやるとこが多かったねえ。ちゃんと昔っからのひにちにでやるとこもあるようだけんど、すくねえ(少ない)よね。

 うちのとこじゃあ、朝っから子どもがお獅子になって、全部のうちをまわってくれるさね。朝っから太鼓の音が聞こえて、にいやかだよ(にぎやかだよ)。昔は子どもん大勢いたから、いくつもの組に分かれて獅子舞ができたけんど、今は子どもん少ないから、組がたくさん作れなくて、一つの組で大変のうちをまわらなきゃあならんから、子どもんとうがえらい(疲れる)だって。ほんだから大忙しさ。来たと思ったら、すぐけえっちもう(帰ってしまう)よ。
ほんだけんど、ごむしんをいって写真を撮る間ちょっと待ってもらったさ。

Img_5747jpg2 ぼくもかんでもらった

 お獅子は子どもの頭をぱくぱくとかんでくれて帰っていったさ。うれしいこんだね。

Img_5749jpg2 わたしもかんでもらった

 夕方はどんど焼きがあって、それぞれのうちで木の枝にさした団子を持ってきて焼くさ。この団子を食うと一年中風邪をひかんていうからね。たき火で焼くだから焦げるよ。炭になってるとこもあるけん、どんど焼きの団子だからね。食ったっていいさ。

Img_5759jpg2 団子を焼くどんど焼き

 どんど焼きに来るに団子を持ってくるのはあたりめえだけんど、ここいらじゃあ、他にバケツを持って来る人も大勢いるだよね。

Img_5758jpg2 バケツと移植ごて持参

 何をするかっちゅうと、どんど焼きの灰をバケツに入れてうちへ持ちけえって、明日の朝そん中に(その中に)、小豆がゆをたいた湯を入れて混ぜたのを屋敷の周りへ撒くさ。

 「蛇もむかでもどけどけ、俺は鍛冶屋の婿どんだ。鎗も刀も持ってるぞ。ちっとでもさわるとぶっ切るぞ。」って言いながら撒くさ。うちんなけへ(中へ)、やあなもんがへえってこんようにする(いやなものが入ってこないようにする)おまじないだね。

Img_5765jpg2 藁の灰をバケツへ取っていく

 冬のどんど焼きじゃあ、藁を燃やして、夏のどんど焼きじゃあ、むいから(麦藁)を燃やすだって。ほんだけんど今じゃあ麦を作らんから、夏のどんど焼きはむいからを燃やせなくなっちゃったねえ。

2016年1月10日 (日)

さる、るるる~♪

Photoこんにちは、まゆこです。

Dsc_32761

豊富郷土資料館では平成2819日から11日まで小正月イベントを行っています。

今日10日は「ゆらゆらゆれるお猿をつくろう」というクラフト体験を実施、

明日11日は館長による講演会「サル年を迎えて」を開催します。

Dsc_3276

昨年のヒツジちゃん作りにも参加してくれた小学生ちゃんが一番乗りで参加してくれました!

Dsc_1463ちなみに去年のヒツジちゃん♪

Dsc_3209昨日のNHKニュースでも取り上げられたこともあり、今日も100人以上の来場者がありました。

Dsc_3207竹と繭でつくる、ゆれるお猿さんも簡単に作れるので好評でした。

Dsc_3212作る人それぞれ、みんなお猿の表情に工夫を凝らして、楽しんでおられました。
 明日も入館無料日ですので、講演会と合わせてたくさんの方に来館いただきたいと思います。

まゆこ

2016年1月 9日 (土)

小正月の繭玉はシラカシに飾る

 

Photoこんにちは、まゆこです。

Dsc_3248
今日から小正月イベントがはじまり、「ゆらゆら揺れるサル作り」にたくさんのお客様がいらしています。

イベント会場のエントランスホールには、小正月気分を盛り上げようと、繭玉飾りをつくって飾りました。

Dsc_1390

本来、この繭玉飾りは家の大黒柱にくくりつけます。

 

当館のある豊富地区では、どんど焼き用に持って行って焼く繭玉団子は手で持ちやすい大きさに切った梅の木に刺しますが、家の中に飾る繭玉は青い葉がきれいなシラカシの木を切ってきて飾り付けるそうです。

去年、地元のおばあちゃんに教えてもらったやり方で、まゆこもおだんごをつくって、繭玉飾りをこしらえてみました。

 

←このお二人のつくった繭玉飾りがまゆこのお手本です。

Dsc_3213_2まず米粉を熱湯で練って小分けにしてまとめておきます。

Dsc_3218お湯でぐらぐら10分ほど煮ます。

Dsc_3221取り出してすりこ木でつぶしてから練って、繭玉などの形に成形します。

Dsc_3259黄色い繭と桃も豊作にな~れ! その他桑の葉もつくって飾りましたよ。

Dsc_3272

このお飾りはどんど焼きが終わった翌日の朝にお味噌汁に入れてたべます。

おいしいから、まゆこはそれもまた楽しみにしているんです。

まゆこと館長のつくった繭玉飾りは、11日までの小正月イベント中ご覧いただくことができます。

今日から三日間は無料入館できますので、みなさんぜひ猿作りとあわせてお楽しみください。

 

まゆこ

2016年1月 8日 (金)

H27年度「ひな人形展」

Photo_3こんにちは、まゆこです。

春の恒例「ひな人形展」が116日(土)よりはじまります。

026

当館自慢の、江戸中期の雛をはじめ昭和にわたる250体を超えるひな人形コレクションを一堂にご覧いただきます。

農村庶民の素朴な雛もあれば、豪華な雛も数多くありますし、内裏雛の周りに飾られた個性豊かな雛たちにも是非、目も向けてみてください。

一部が紙で作られた質素な人形でありながら、快活で愛嬌あふれる表情を持つ「横沢びな」は、まゆこの大好きなお雛様です。

明治大正期に甲府の雛問屋で多く作られ、甲州の農村庶民に愛された在地びななんですよ。

Dsc_1562

今年のひな人形展では、豊富地区でおこなわれていたちょっと昔の雛祭りのようすもご紹介します。

←43日の野遊びに持って行った「雛重」の中身を再現してもらいました。

リアルに桃の花咲く43日に、子どもたちだけでお重を持って野遊びに興じた思い出を聞き取りました。

ほんのちょっと昔、昭和40年代くらいまでこの地で行っていた「なによりうれしいひなまつり」の記憶を後世に少しでもつないでいけたらいいな・・・と思います。

Dsc_1574

豊富地区長田家で今も大切に飾られている「横沢びな」

まゆこ

2016年1月 7日 (木)

せっせと真綿をつくるのは

Photo

明けましておめでとうございます。まゆこです。

Dsc_3189
←角真綿

 

これからの1月の後半から2月のおわりにかけて、20校ほどの小学校が社会科見学に訪れます。

この時期はちょうど3年生が「昔の暮らし」の学習をするので、見学学校が集中するのです。

Dsc_3183

その前に、まゆこはせっせと角真綿をつくってストックしておきます。

蚕の繭からつくる真綿が生活の中でどのように使われたかを説明するときに、実物をみて触れてもらうためです。


できた真綿を干しているところ

Dsc_3174

生糸(きいと)とは異なる、真綿からつくる紬糸(つむぎいと)の説明もします。

さいごには、昔の人がお布団を手作りしたときのように、真綿を皆で引っ張って拡げてしまうので、見学学校のクラス数分の真綿が必要です。

←繭は重曹を入れて1時間ほど煮ます。

Dsc_1407 ←ふっくらと煮えた繭は中のさなぎが透き通ってみえます。

Dsc_1417
←繭を破って中からさなぎを取り出し、4個分を重ねて四角い枠に伸ばします。

真綿は、繭を煮て、一つ一つを広げ重ねてつくるので、手間がかかりますけど、真綿を拡げたときの子どもたちの驚きと歓声と笑顔を思うと、励みになります。

今回は、半日で15枚できました。

まだ足らないので、今年度分用にもう1回真綿づくりをしなくてはいけませんね。

まゆこ

2016年1月 6日 (水)

そばがきを作ってみた

Tomiko

 富子だけんど、今日はくもっててちっと寒いよね。ほれにしても、今年はぬくといね。今日来たお客さんが、暮れのうちに梅の花が咲いて、へえ散っちもうって言ってたさ。冬あんまりぬくといと、畑の虫が死がん(死なない)で困るだよね。
 みんなんは年越しソバは食ったけぇ?ソバは体にいいだってねえ。タンパク質、ミネラル、食物繊維が豊富で、ルチンていう血管を強くするものも入ってるだって。ルチンは酸化防止作用もあるから、老化防止にも役立つだよね。すごいじゃんね。

Dscn8507jpg2 出来上がったそばがき

 ソバは縄文時代から作られてるだって。その頃はどうやって食ってたずらかね。「そば米」っていうのが一番原始的な形らしいから、それを煮て食ってとうずらか。「そば米」が縄文時代でも作れたじゃあ、私んとうにも作れると思うよね。

 「そばがき」は鎌倉時代ごろっから、石うすが使われ出すようになって始まった料理だって。江戸時代中ごろになるっちゅうと、今でいう「そば」が庶民に広がってきただって。薄く平らにのして、細く切ってゆでてそばつゆで食う、「そば切り」っていう料理だね。「そば切り」の発祥地っていうとこはいくつかあって、甲州市の天目山栖雲寺も発祥地って言ってるね。米の作れんとこだからね。ソバはすごいよ。栄養がなくても育つし、でかくなるのも早いからね。

Dscn8213 天目山栖雲寺の石碑

 そばがきは子どもでも作れるから、昔のおやつの定番だって。「椀がき」っていうのは、そば粉に熱湯をかけて混ぜればOK。「鍋がき」っていうのは、そば粉と水を鍋に入れて、加熱しながら練ればOK。醤油かそばつゆで食うだよね。

Dscn8505jpg2 鍋でそば粉を練る

 私んちっくいころは、お父ちゃんが鍋で作ってくれて、茶碗にわけて醤油をつけて食ってたさ。薬味なんちゅう洒落たもんはなかったね。

Dscn8508jpg2 つぶつぶしてるけどよく粘る

 今回は鍋で作ってわさびを薬味にして、醤油で食ったさ。いいにおいがしたよ。粘りがあって、粉のときにゃあ目立たなかった黒っぽい殻が見えてくるね。粗挽きだからね。いかにも石うすで挽いて作ったそばがきっちゅう感じで、うまかったよ。簡単だから、スーパーで売ってるそば粉でもいいから作ってみちゃあね。

2016年1月 1日 (金)

諏訪神社の歳旦祭

 明けましておめでとうごいす。富子だけんど、いいあんばいのお正月じゃんね。
 今年は約束通り、諏訪神社の歳旦祭に行ってきたさ。

Dscn8531jpg2  除夜の鐘をつく

 そのめえに(前に)11時半に起きて貴蔵院の鐘をつかしてもらいに行ったさね。暗い中懐中電灯をつけてあるいてったら、オリオン座がちょうど空のてっぺんに光ってて、誰も歩いてる人はいなくてさ。お寺に着いたら、鐘の音は聞こえるけんど、暗くて誰がついてるかわからなかっただけんど、よく見るとお坊さんがついてるさね。
 「つきますか?」って聞かれたから、喜んでつかせてもらったさ。かなり何回もついたさね。ほうしてるうちに人ん増えてきて、鐘をついちゃあ、お地蔵さんにお参りして、その後神社にも行くらしかったね。
 12時になると花火が上がって、神社の方からえらくにいやかな声んしとう。
 朝は6時に起きて支度をしてっから、諏訪神社に行ったさ。たき火が勢いよく燃えてえて、氏子総代の衆が法被を着て準備をしてとう。

Dscn8538jpg2  注連飾りを柱に巻く

 諏訪神社で気づいたこんは、氏子の人たちがしめ縄に「ひとがた」数枚つけたのを持ってきて拝殿のの柱に縛っていくこんだね。こりゃあ今まで気がつかなんだから、また調べてみてえけんど、「ひとがた」だから自分たちの身代わりかなあ。

Dscn8540jpg2  神主さんが祝詞をあげる

 7時になって神主さんも到着して歳旦祭が始まって、祝詞をあげたり、榊をあげたりお祓いをしたりでさ。その後互礼会をして解散になったけんど、人は3~40人来てたかなあ。帰りに御神酒とミカンを振る舞ってもらってけえってきとう。
 今年はいい年だといいじゃんね。

« 2015年12月 | トップページ | 2016年2月 »