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2015年11月12日 (木)

ミニ企画展 「鉄瓶 ~実用の美~」 (4)

関西の鉄瓶

昭和初期の国内の鉄瓶生産は、岩手と大阪が二分していました。岩手県で生産された鉄瓶は主に関東・東北方面へ、大阪で生産された鉄瓶は関西方面へと販売されました。

関西では他に京都や近江にも鋳物の歴史があり、高級な鉄瓶が作られました。関西の鉄瓶は茶の湯釜の形態を踏襲したためか、蓋が銅で作られています。全部が鉄でできた鉄瓶を見慣れていると、蓋を紛失してしまったのかと思ってしまいますが、そういうわけではありません。豊富郷土資料館の鉄瓶の中には、関西で作られたと思われる鉄瓶もいくつもあります。

Dscn7821jpg2 蓋が銅でできている

龍文堂の鉄瓶

江戸末期から昭和33年頃まで8代続いた京都の鉄瓶屋です。初代四方龍文は享保20年(1735年)の生まれで、丹波亀山の藩士で、製銅に詳しく、蠟型で鉄瓶を鋳造することを創案しました。蠟型鋳造というのは、蠟で原型を作り、回りを鋳砂で覆いかため、蠟を溶かしてその中空になったところへ鉄を流し込むやり方です。明治から大正にかけて高級な鉄瓶を製作し、さまざまな展覧会で受賞しています。京都本家の鉄瓶には、蓋だけでなく鉄瓶本体の腰にも「龍文堂」の銘が入っています。

Dscn7832jpg2 蓋の裏には「龍文堂」の銘

亀文堂の鉄瓶

明治から昭和にかけて鉄瓶を作っていました。初代波多野正平は文化13年(1816年)に京都で生まれました。弟の秦蔵六といっしょに龍文堂の四方安平に師事し、その後独立し、鉄瓶の名品を多く残しているそうです。亀文堂の鉄瓶には「日本亀文」とか「亀文堂造」という刻印が本体の背面や底に入っています。「日本琵琶湖東北幡住」という刻印から近江に工房があったことがわかります。

Dscn7828jpg3_2 形も文様もおもしろい

金龍堂の鉄瓶

明治時代に名人上田照房と言われる人がいて、立体的な鉄瓶などを作ったことはわかりますが、どのような由緒か、それ以上はよくわかりません。蓋に金龍堂の銘があり、底には作者名の刻印があるものもあります。

その他に京都の光玉堂や金寿堂なども知られています。

Dscn7841jpg2 八角柱の鉄瓶

鉄瓶について書かれた資料はほとんどなく、関西系のこれらの鉄瓶の製作工房については調べてもよくわかりませんでした。骨董趣味が一人歩きし、作品はネットオークションでもたくさん見られるのですが、日常雑器の悲しさでしょうか。美術品として価値は高いのですが、研究はあまりなされていないようです。

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