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2015年11月27日 (金)

稲わらの道具

Photoこんにちは、まゆこです。

今朝、甲府盆地に初霜がおりました。資料館の水がめにいる金魚ちゃんも水底にじっとして、寒そうです。

 

さて、おとといから玄関脇ウィンドウディスプレイを模様替えしました。テーマは「冬の農家のワラ仕事」です。

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稲わらは、ビニールなどの化学製品が登場する昭和3040年代までは、日々の暮らしに使われる道具の素材として多く利用されてきました。

稲わらが生活素材として多く使われるようになったのは、78世紀頃からといわれています。

それまでは、収穫方法が石包丁などを用いた「穂刈り」だったので、7世紀位から鉄製の鎌での「根刈り」がはじまり、数々の生活必需品に生まれ変わるようになったそうです。

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藁の構造は中空のストロー状です。

そのため、空気を多く含み、吸湿性、保湿性、断熱性、クッション性などの特徴を持ちます。

なおかつ、藁選り、藁打ちなどの工程をくわえると柔らかくなり、織ったり曲げたり加工しやすいのに折れにくくなります。

また、束ねて綯うとさらにとても強い素材になります。

その独特の強さ・しなやかさを利用して、私たちはたくさんの道具を生み出してきました。

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実用品以外にも、藁は古来から神聖な意味を持ち合わせていて、正月行事や祭りなど神との交流場面によく使われました。

聖と俗の区分をするしめ縄、呪いや身代わりのための藁人形、神社のさまざまな儀式や装飾用具として、厄除けの役割も果たすものも多くあります。

 

←藁馬(小正月のどんど焼きに連れて行く)

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 藁は葉にあたる「ハカマ」、幹にあたる「カン」、実の付いていた先端部の「ミゴ」に部位を分けて、利用されます。

「ハカマ」は布団や靴、人形などの詰め物になります。肥料や牛馬のエサにもなります。

「ミゴ」は束ねてほうき(石臼周りの粉集め用、糸取用など)にしますが、わら細工(小正月の藁馬の尻尾やたてがみ部分など)等にも使います。

「カン」は、綯う・編む・織るなどして、大変たくさんの道具の素材に使われます。

←藁という素材ひとつでさまざまなタイプの履物を作っちゃう昔の人はすごいねぇ!

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さて、当館常設展示にある稲わらの道具をざっとあげてみましょうか。

藁を加工するための道具として、千歯扱き(藁選り)、打ち台・槌・杵(藁打ち)、俵編み機、ムシロ編み機、縄綯い機。

 

藁を使った生活用品としては、米俵、建て前用の小俵(中に杉やひのきの葉っぱと「祝」と書いた餅や紅白餅を入れて上から撒いた)、てれん(農作業などで収穫した芋を入れて運んだりする入れ物)、藁沓・草履各種、ムシロ、蓑、藁のお櫃入れ、みご箒、正月のしめ縄、神棚の飾り。

←「莚編み機(むしろあみき)」

養蚕に関わる道具としては、藁製蔟各種(蚕に繭をつくらせる道具)、上蔟網と作り器、藁製の蚕座。

みなさんも来館されたら、藁でできた道具がいかに多いか、展示資料の中から探して実感してみてください.

米作りの副産物である稲わらは、その他、桟俵、干し柿作り用の切り藁、藁縄、藁屋根、物を包む、ブドウなど運搬につかうなど、たくさんの用途がありました。

Dsc_3014_2←「俵編み機(たわらあみき)」

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もみ殻と糠も生活にいろいろと利用しましたから、昔の米作りでは、ほんとうにゴミがひとつも出ないのだなぁと感心させられます。

まゆこ

 

←石臼の周りの粉をあつめる「みご箒」

2015年11月25日 (水)

綿打ち(2)

Tomiko

 富子だけんど、今日は寒いじゃんね。今っから雨ん降るっちゅうよ。11月になってから天気がいっさらぱっとしんじゃんね。きっぽし(切り干し芋)でも作らっかと思ってるに、だめどうね。干し柿も専門家がやっても、カビん生えて、落っこちちもうって新聞に書いてあったね。せっかく吊してもそれじゃあ困るじゃんね。なんぼう(いくら)農業はお天気次第とは言っとうってさ。

 うちじゃあ今年は和綿がよくとれたけんど、洋綿があんまりよくなかったさ。天気がぱっとしんから、うまくほけんだよね。

Dscn8242jpg2 洋綿の緑色

 これん洋綿の緑色だけんどね。うちでとれた綿4種類の中で一番やっこいね。ちっとも腰っちゅうもんがないさ。ホントに猫の毛より綿菓子よりやっこいじゃねえかな。外っかわ(外側)は白っぽくても中の方は緑が濃くてきれいなもんさ。

Dscn8239jpg2 綿打ちをした緑綿

 そろえるとこんな感じになるさ。この塊をもって糸を引くだけんど、他の綿じゃあそんなことはねえに、手にくっついちもうだよね。そのくれえ繊維が細いっちゅうこんだとおもうね。

Dscn8259jpg2 洋綿の白

 これはみんなもよく知ってる、洋綿の白。これも和綿に比べるとホントに腰がなくてやっこいさ。繊維も長いね。繊維が長いからゴミも絡まりやすくて、なかなか葉っぱのかけらなんかがくっついたら取れなくて困るさ。

Dscn8262jpg2 綿打ちをした白の洋綿

 そろえるとこんなになるさ。毛皮みたいでいいじゃんね。

Dscn8261jpg2 カーダーで綿打ち

 こうするにゃあ写真に写ってるカーダー(犬や猫の抜け毛をとる道具に似てる)でそろえるだけんど、それこそ「綿ぼこり」が舞ってえらいこんだよ。マスクをしてゴーグルでもしてやらんと大変なことになるさ。髪の毛まで白くなっちもうさ。昔お母ちゃんが布団に綿を入れるのを手伝ったこんがあるけんど、部屋中の綿ぼこりを、お茶柄を撒いて掃除してたのを思い出すよう。

Dscn8246jpg2 白洋綿で糸引き

 前に、突然目が痛くなって目医者に行ったこんがあったさ。ほうしたら目の中に綿の繊維が入ってとうだって。目医者さんも何でこんなもんが入ったか不思議がってたけんど、実は綿繰りやら綿打ちやらをしてとうだよね。それで目にへえっちゃっとうだね。

 綿弓で綿打ちをしていた昔の職人さんたちはけっこう肺を悪くした人が多かったらしいよ。おっかないじゃんね。

 次の時にゃあ糸にしたのを見てもろうじゃんね。楽しみにしててくりょう。

2015年11月22日 (日)

ミニ企画展 「鉄瓶 ~実用の美~」 (6)

鉄瓶との遭遇

 鉄瓶の展示が始まってから、偶然鉄瓶にお目にかかることがありましたので、現在も活躍中の鉄瓶を紹介したいと思います。

 一つ目は甲州市の天目山栖雲時です。そこで年に一度の宝物のお風入れ展が行われたので、行ってみました。有名な宝物や庭園はこちらへ置いておいて、鉄瓶は庫裏で使われていました。その日は囲炉裏カフェというおしゃれなイベントも行われていたので、普段は火を入れないだろうと思われる囲炉裏や火鉢に火がおこされ、その上で鉄瓶がシューシューと湯気を上げていました。

Dsc_2230jpg2jpg2 囲炉裏にかかった鉄瓶

 栖雲寺の庫裏は織田信長によって焼かれましたが、文禄元年(1592年)に再建され現在に至っているという県指定の文化財です。甲州市の民家の原点として貴重なものだそうです。

Dscn8202jpg2 大きな火鉢の上の鉄瓶

 二つ目は山梨市の海涌山清白寺です。こちらは国宝の仏殿がチク600年を迎えたことを記念して、仏殿の中を一般公開する催しでした。仏殿のすばらしさはやはりこちらへ置いておいて、鉄瓶を紹介します。こちらも元禄2年(1689年)頃に再建されたという国の重要文化財の庫裏に鉄瓶がかかっていました。

Dsc_0032jpg2 囲炉裏の上の鉄瓶(奥の火鉢の上にも鉄瓶)

 当日は家族総出で参観者の案内をしていましたので、火は入っていませんでしたが、茅葺きの屋根を守るために、住職がしょっちゅう囲炉裏に火を入れていると檀家の人が話してくれました。囲炉裏の上には大きな鉄瓶が自在鉤かかっていました。自在鉤の横木は、魚の抽象彫刻みたいでなかなかかっこよかったです。この魚のことを何と呼ぶのだろうと思って調べたら、なんと「小猿」というのだそうです。「小猿には魚を彫ることが多い」っておもしろいですね。

Dsc_0034jpg2 この横木は味わい深い

 現役の囲炉裏と鉄瓶はとてもきれいでしたが、その奥にある火鉢と鉄瓶はほこりにまみれてしまっていてどんな鉄瓶か皆目わかりませんでした。「助けて・・・」と言っている声が聞こえるような気がして、わたしにきれいにさせてもらえれば、と密かに思いました。

 実はその日は笹子の骨董市にも行ったのですが、そこで見たのが亀文堂の鉄瓶。写真は撮ってきませんでしたが、ごてごてとした彫刻と銅の蓋、鉉には銀の象眼もありました。蓋と本体に亀文堂の印がついていました。いい値段でしたが、私に骨董趣味がないのが残念でした。(以上、鉄瓶シリーズを終わります)

 

 

2015年11月21日 (土)

のらぼこちゃん(クワコ)の成虫

Photoこんにちは、まゆこです。

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昨日の夕方、「のらぼこさん(クワコ)」の成虫がはじめて姿を見せてくれました!

毎年、のらぼこさんの幼虫はたくさん見かけるのですが、なかなか成虫にはお目にかかれませんでした。

地元で「のらぼこさん」と親しみをこめてよばれている昆虫は「クワコ」という名の蛾です。

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カイコは、中国で5000年以上も前にこのクワコを改良して生み出されたと言われています。

いわばカイコの祖先です。

まゆこはその野性的なビロードの羽を図鑑などで見て、おかいことはまた違う魅力を感じていました。

昨年は、のらぼこさんの成虫の姿をどうしてもこの目で見たくて、切ってきた桑の葉に紛れていたのを何度か室内の箱の中で育てましたが、金色の繭から成虫が出てくることはありませんでした。

Dsc_0780そんなわけで、今年は、見つけたのらぼこさんは、資料館玄関わきで増殖用に鉢植えした桑の木に移していたのです。それでも、いままで資料館周辺で成虫を見かけることはありませんでした。

Dsc_0781のらぼこさんはカイコと違って鳥などの天敵に襲われるので、擬態がうまい!体が小さいときは鳥の糞みたいな模様。もうちょっと大きくなると、桑の枝の色にそっくりな模様になります。(桑の枝そっくりな姿は20149.18.「猫神出現」ブログ内に写真があります

Dsc_19341のらぼこさんはカイコと違って自分でえさを探さなくてはいけないので、足が強くて、移動するのが速いです。

Dsc_1918 ←のらぼこさんの金色の繭

11月も下旬に入り、まゆこは「あ~、ことしも羽のあるのらぼこさんには会えなかった~」とあきらめていたのでした。

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ところが、突然のご訪問! 

しかも、玄関の自動ドアにず~ととまってくれているので、ゆっくり写真は撮らせてくれるし、ガラスの裏からのらぼこさんのお腹の模様もじっくり見れます♪ 

のらぼこさんはカイコと違って空を飛べるのに、今日の朝もまだ玄関ドアガラスに留まっています。

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この子はオスかなぁ、メスかなぁ? 交尾して卵を産み終えたのかなぁ? 

のらぼこさん、姿を見せてくれてありがとう。

←お腹側からみた模様もステキね!

まゆこ

2015年11月20日 (金)

「あの世」のことを考える

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こんにちは、まゆこです。

 きょうは、甲府市下曽根にあるお寺に「大八車仕立ての霊柩車」が保管されていると聞き、見せてもらいに行きました。

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 この情報は中央市歴史文化ボランティアの会会員の松野さんからいただいたものです。

平成5年落成の専用車庫に納められたその霊柩車は、屋根も黒塗りで、ガラス窓が施された立派なものでした。

座棺用ではなく、寝棺を運ぶための車です。

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いまはもう使われることはないようですが、セレモニーホール等が普及するまでは、地区ごとにこのような霊柩車が配備してあり、出棺の際に皆で連なって墓地に向かったそうです。

S41838_2写真は豊富村閉村記念誌にある昭和41年の葬送風景です。

葬送儀礼に関わる貴重なものをみせてただき、先人たちの「あの世」に対する接し方について、今後いろいろと考えてみたいと思いました。

さてその帰り道、すぐ脇の甲斐銚子塚古墳からなにやら太鼓と鈴の音が聞こえてくるではありませんか♪

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やや、これは!

なんと古墳の上で、古代の衣装を身にまとい、鏡を奉納する儀式を体験する行事が行われていました。

かっこいいー!! 

 まゆこも衣装着て奉納の舞を一緒に踊りたくて仕方なかったのだけれども、仕事中なので我慢して帰ってきました。

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同じ曽根丘陵づたいにわが中央市も王塚古墳を擁しているので、いつかこんな面白そうな企画ができたらいいなぁとも思いました。

あ~そういえば、古墳も豪族のお墓。死者を葬った建造物です。

鏡やヒスイ、武具などの副葬品がたくさんあります。

きっと「あの世」のことを深く考えて、死者とともに石室に納めたのでしょう。

おかげで、きょうは、「あの世」について考える日になりました。

いつか「あの世展」みたいなやつできないかなぁと思っているまゆこです。

まゆこ

2015年11月19日 (木)

大麦の芽が出た

Tomiko

 富子だけんど、この頃ホントに天気がすっきりしんじゃんね。今日はうれしいことに、大麦の芽が出たさ。その写真を載っけるじゃんね。

Dscn8267jpg2 大麦の芽が出た

 ほら、かわいいら?11月10日に蒔いたから、今日で9日だね。昨日は見ていんからわからんけんど、きっと昨日のうちに土から顔を出していとうずらね。

Dscn8270jpg2 露を頭に乗せている

 ほうしていつもの通り頭に露を乗っけているとこなんかほんとけなげだねえ。これっから寒くなるっちゅうにそれを覚悟で芽を出すだからさ。

Dscn8278jpg2 パンジーも植えて枯れ葉をかけた

 館長がみだましいパンジーの苗を買ってきてくれたから、今日はそれも植えて、枯れ葉の布団をかけてやって土ん凍らんようにしてやったさ。これで霜ん降るようになったら、ビニールハウスにしてやらっかと思ってるけんね。

 大麦は過保護にしちゃあいけんから、もうちっとでっかくなったら枯れ葉の布団はかけてやるけん、それ以上のことはしんよ。

 枯れ葉をかけてるときに、葉っぱが動くからびっくりして見たら、蛾だったさ。あわててカメラを取りに行ったけんど、飛びたっちゃったから、追いかけたらドウダンツツジの枝にとまったさ。こんなとこにとまっちゃあ目立つじゃんね。

Dscn8274jpg2 枯れ葉にそっくりな蛾

 パンジーの布団にした枯れ葉にそっくりじゃんね。これじゃあ葉っぱと思ってだれも気にしんよね。葉っぱじゃあない証拠に脚が生えてるから見てくりょう。

Dscn8276jpg2 脚が出ているのが見える

 おもしれえじゃんね。この蛾はアケビコノハっていうだって。幼虫の時はアケビの葉っぱや茎を食うらしいよ。飛び立った時に中の方の羽が見えたけんどオレンジと黒の紋があってすごい鮮やかだったね。残念ながら飛んでる時の写真は撮れなかったさ。調べたら幼虫はものすごいグロテスクであんまり見たくはないね。幼虫の時は怖がらせて身を守って、成虫になったら葉っぱそっくりになって身を守だって。

2015年11月18日 (水)

おかいこセラピー

Photo こんにちは、まゆこです。

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 きょうはまず、最近よく来館してくださる帝京科学大学アニマルサイエンス学科アニマルセラピーコースの学生さんの話題を。

 先日は飼育中の蚕を連れてきてくれましたよ。

 蚕を使ったアニマルセラピーについて、実際に豊富地区にある高齢者福祉施設において実証実験を行い論文作成に向けて頑張っておられます。

 彼女とは、実験開始前に蚕の飼い方、養蚕という生業について勉強しようと当館に来てくれたのが最初の出会いです。

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 ちょうど晩秋蚕飼育展示中で、上蔟作業を手伝ってもらいましたっけ。

その時「こんな研究をしています」と、とても熱心に話してくれました。

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 当館でも、回想法という高齢者の脳を活性化するための療法の一環として、ここ数年多くのデイサービス施設や高齢者施設のご利用が増える中、「おかいこパワー」の可能性を強く感じていました。

そんなわけで、彼女の研究にとても賛同しています。

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 蚕は5000年以上も前から、人間が飼いやすいように改良し生み出してきた改造昆虫です。

そのため、人間が手厚く世話をしてあげないと生きていくことできません。

養蚕の衰退とともに蚕の運命はこれからどうなっていくのでしょう?

 蚕は人間に絶対に危害を加えるようなこともないし、病原菌もないし、飼育期間が短く計画的に飼育ができること、そして何より明治、大正・昭和と国を挙げてお蚕を育てた歴史・文化を持つ日本ならではのセラピーになるのではという予感がします。

 

当館では、蔟をお貸ししたり、余っていた人工飼料の提供をしたり、飼育に関してお悩み相談したり、彼女を応援しています。

頑張って!オタギリちゃん!!

まゆこ

 

2015年11月17日 (火)

ミニ企画展 鉄瓶 ~実用の美~ (5)

焼夷弾で作った鉄瓶

これまでは本格的な鋳物の鉄瓶について紹介してきましたが、今回は戦後70年と言うことで焼夷弾で作った鉄瓶を展示しています。収蔵庫から「私も展示して!」という声がきこえたので、出してみると、資料館に入れられた訳が書いてある紙が貼ってありました。

Dscn8103jpg2 蓋はなくなっている焼夷弾の鉄瓶

そこには「これは米軍が甲府に落とした油脂焼夷弾で作った鉄瓶です。昭和21年頃に作られたものだそうです。」ということが書かれていました。焼夷弾の弾筒を一度広げて伸ばし、作りたい鉄瓶の形に切って注ぎ口の方で重ね合わせてつないでいます。本体の胴と底には、焼夷弾の六角柱の折り目に当たっていたところがくっきりと残っており、その幅は4cmで、実際の焼夷弾の六角柱の幅と同じです。焼夷弾を鉄瓶に作り替えてしまうその技もすごいですが、資源の不足していた様子や、制作者の複雑だっただろう気持ちも伝わってきます。見に来てくれた方が言っていましたが、なにしろ鍋・釜まで供出させられたのですから、どんな鉄だって使わざるをえなかったのでしょう。

Img_0001jpg2 斜めに入った線が焼夷弾の痕跡

豆知識

鉄瓶・土瓶・薬罐・急須・ティーポットの違い

 注ぎ口の付いた入れ物は、縄文時代からあります。資料館にも縄文時代の大きな「注口土器(ちゅうこうどき)」があります。

Dscn8140jpg2 縄文時代の注口土器

 鉄瓶はもちろん鉄でできた湯沸かし、土瓶は陶器でできています。鉄瓶より古くから使われていますが、薬を煎じるために直接火にかけて使っていたようです。今ではお茶を入れるための「つる」のついたものを土瓶と言います。

Dscn8143jpg2 陶器の土瓶

 薬罐は薬を煎じるために直接火にかけて使った金属製のものを言います。銅などでできています。漢方薬は奈良時代頃に伝わりました。お茶ももともとは薬として飲まれていたので、厳しく分けることはできないかもしれません。

Dscn8144jpg2 金属の薬罐

 急須は茶を入れるもので持ち手が横に付いているものをいいます。ティーポットはわっか状の持ち手が横に付いています。急須は陶器磁器どちらでも作りますが、ティーポットは磁気で作られます。どちらも直接に火にかけるということはありません。

Dscn8145jpg2 茶碗とセットの急須

Dscn8146jpg2 模様は和風だがティーポット

2015年11月14日 (土)

綿打ち

Tomiko
 富子だけんど、今日は土曜日だっちゅうに、おあいにくの天気だね。雨でもみじ(紅葉)んみんなちっちもう(散ってしまう)じゃんね。

 今年は和綿ん成績がよくてけっこう穫れたから、糸引きをしてみっかと思って、種を取ったり、綿打ちをしたりしたさ。穫れたのは和綿の茶色と白、洋綿の緑と白だから、比べてみるとおもしれえじゃんね。

Dscn8249jpg2 綿繰り器で茶綿の種を取る

上の写真は和綿の茶色いのうだけんど、綿繰りきにかけると、ぽろぽろ造作もなく種が取れるさ。これん洋綿じゃあ、ほうはいかんからね。ほうして、どういうわけだか種ん多いだよね。実がちっくいくせに、やたら種んへえってるさ。

Dscn8250jpg2 綿繰り器から茶綿が出てくる

 綿繰りの裏っかわを見ると、羊の毛を刈っとうように綿ん出てくるだよね。

Dscn8252jpg2 種を取った茶綿

 ほれを集めてみるとこんな具合さ。さわった感じは、わりと腰があるっていう感じだね。綿というより、動物の毛に近いかもしれんね。毛の1本1本に縮れがある感じさ。

Dscn8266jpg2 繊維をそろえた茶綿

 カーダーで繊維の方向をそろえてやると、こんな感じになるね。こうしておかんと、糸車にかけられんからね。

 おんなしように白い和綿もやってみるっちゅうと

Dscn8258jpg2 種を取った白の和綿

 種を取っただけの綿は、もこもこしてるだけだけんど、カーダーで繊維をそろえると、

Dscn8264jpg2 繊維をそろえた白の和綿

 ほら、いい感じずら?うさぎの毛のようじゃんね。和綿は洋綿と比べて、茶色も白も毛が短くて、縮れていて、ぽこぽこした感じだね。それに比べて洋綿は、緑も白も猫の毛のように柔らかくて腰がないさ。毛も長くて、ふにゃふにゃしてるね。だけんど強いよ。

 次の時に洋綿の写真を載せるから、楽しみにしててくりょう。

2015年11月13日 (金)

いろいろ吊るして干してる

Photoこんにちは、まゆこです。

Dsc_2957←柿の奥には甲州もろこしが干してある。

いま、当館では吊るして干す作業をよくしています。

Dsc_2951昨日は「甲州百目」という柿をいただいたので、皮を剥いて吊るしました。

Dsc_2954 今年は熱湯消毒もしてみた。

Dsc_2960_2白菜や大根の漬物作りに備えて、甘味料になる柿の皮も捨てずに干しましたよ!

 実は、みんなに見えない倉庫内にはもっといろいろ干しているのだDsc_2963収穫して殺蛹済みの繭、来月の初めに行う「正月飾り作り」に使う稲穂つきの藁など・・・。

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正月飾り用に使う藁は青々とした色を残しておきたいので、日に当てないようにして乾かさないといけません。

 もうすでに里芋の茎(ずいき)と館長の採ってきた「コウタケ」という香りの良いきのこは干しあがっています。

昔の人は干すという作業で驚くほどたくさんの保存食を作ってきた歴史があるので、まゆこも見習いたいと思っているんです。

Dsc_2959_2

 これから、富子さんが「干しイモ」作りに挑戦するようなので、とても楽しみです。

 まゆこも負けずに、ダイコンに白菜に・・・、あと何を干そうかなぁ♪

 

まゆこ

2015年11月12日 (木)

ミニ企画展 「鉄瓶 ~実用の美~」 (4)

関西の鉄瓶

昭和初期の国内の鉄瓶生産は、岩手と大阪が二分していました。岩手県で生産された鉄瓶は主に関東・東北方面へ、大阪で生産された鉄瓶は関西方面へと販売されました。

関西では他に京都や近江にも鋳物の歴史があり、高級な鉄瓶が作られました。関西の鉄瓶は茶の湯釜の形態を踏襲したためか、蓋が銅で作られています。全部が鉄でできた鉄瓶を見慣れていると、蓋を紛失してしまったのかと思ってしまいますが、そういうわけではありません。豊富郷土資料館の鉄瓶の中には、関西で作られたと思われる鉄瓶もいくつもあります。

Dscn7821jpg2 蓋が銅でできている

龍文堂の鉄瓶

江戸末期から昭和33年頃まで8代続いた京都の鉄瓶屋です。初代四方龍文は享保20年(1735年)の生まれで、丹波亀山の藩士で、製銅に詳しく、蠟型で鉄瓶を鋳造することを創案しました。蠟型鋳造というのは、蠟で原型を作り、回りを鋳砂で覆いかため、蠟を溶かしてその中空になったところへ鉄を流し込むやり方です。明治から大正にかけて高級な鉄瓶を製作し、さまざまな展覧会で受賞しています。京都本家の鉄瓶には、蓋だけでなく鉄瓶本体の腰にも「龍文堂」の銘が入っています。

Dscn7832jpg2 蓋の裏には「龍文堂」の銘

亀文堂の鉄瓶

明治から昭和にかけて鉄瓶を作っていました。初代波多野正平は文化13年(1816年)に京都で生まれました。弟の秦蔵六といっしょに龍文堂の四方安平に師事し、その後独立し、鉄瓶の名品を多く残しているそうです。亀文堂の鉄瓶には「日本亀文」とか「亀文堂造」という刻印が本体の背面や底に入っています。「日本琵琶湖東北幡住」という刻印から近江に工房があったことがわかります。

Dscn7828jpg3_2 形も文様もおもしろい

金龍堂の鉄瓶

明治時代に名人上田照房と言われる人がいて、立体的な鉄瓶などを作ったことはわかりますが、どのような由緒か、それ以上はよくわかりません。蓋に金龍堂の銘があり、底には作者名の刻印があるものもあります。

その他に京都の光玉堂や金寿堂なども知られています。

Dscn7841jpg2 八角柱の鉄瓶

鉄瓶について書かれた資料はほとんどなく、関西系のこれらの鉄瓶の製作工房については調べてもよくわかりませんでした。骨董趣味が一人歩きし、作品はネットオークションでもたくさん見られるのですが、日常雑器の悲しさでしょうか。美術品として価値は高いのですが、研究はあまりなされていないようです。

2015年11月11日 (水)

回転蔟の亜流品?

Photoこんにちは、まゆこです。

先月、豊富地区内で解体予定の古民家の整理中に見つかったという回転蔟を寄贈していただきました。

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しかしちょっと変わっていて、内側の格子部分はボール紙製ですが、外周には紙ではなく薄い木板が貼られており、そのつなぎ目は畳のへりに使われるような厚手の布で繋いであります。

しかも、広げると、長方形ではなく正方形なのです。

ですから、この蔟を吊り下げるための外枠の形状も現在のものとは規格が違うはずです。

Dsc_2526_2

 

昭和4年に販売開始された回転蔟の元祖、斎藤式特許上蔟器とは、明らかに異なるものなのです。

実はこの蔟」を見た瞬間、まゆこには心当たりがありました。

835_2 「わぉー、これはもしやあの写真の蔟ではないか?」と・・・。これがその問題の写真です。ほら、よく見ると正方形の蔟が頑丈そうな枠にはまって吊り下げられているでしょ?

835_3その名は「丸亀式自動回転上蔟器」。

当時、甲府市八日町にあった山梨県最大手の蚕具屋、「丸亀商店」のオリジナル商品として発売されたようです。

写真は山梨県内で昭和19年まで発刊されていた養蚕情報誌の広告ページに掲載されていたものです。

この丸亀式自動回転上蔟器なるものは昭和172月号~広告が掲載されはじめます。

しかし、これはやはり、斎藤式特許上蔟器の亜流品といいますか、「ズバリニセモノ」なのでしょうね。

実際、この亜流品を使ったことのある人に聞くと、吊り下げるための枠が本物よりかなり重くて、使い勝手が悪かったそうです。

同じ時期に同じ雑誌に掲載の斎藤式特許上蔟器の広告には、『模造品ニご注意』として『近時模造セルモノ単ニ回転蔟ト称シ販売セルモノアリ 是ヲ使用シ迷惑セルモノ多数アリト聞ク 模造品ノ購入ハ数回ノ試験ノ後ニセラレタシ』と載せてあります。

山梨県では昭和8年以降ぐらいから続々とボール紙でできた斎藤式特許上蔟器(回転蔟)の亜流品が発売されたもようです。同じ雑誌の広告掲載ページに注目してみると、その他にも北巨摩郡竜岡村に製作所のあった「横内式自然上蔟器」甲府市飯田にあった「富国上蔟器」などのボール紙製区画蔟の広告が掲載されています。

Dsc_2731_2さらに最近、当館では「丸亀式自動回転上蔟器」と同一規格なのに「新興自動回転上蔟器」と刻印されたものも見つかり、収蔵しました。

戦前の山梨県では、まだ特許制度を楯に厳密に取り締まるようなことはせず、おおらかだったのでしょうか。

いずれにせよ、「回転蔟」という革新的な道具が早い段階から養蚕家垂涎の的の商品だったことが判ります。

なるほど、戦後になり、「斎藤式特許上蔟器」は、農林省による農村復興のための特許公開の要請により他社にも製造を認めたことで、全国に爆発的な普及をしていきます。Dscf5087わが豊富地区にも「渡辺回転蔟製作所」があり大量に生産販売していました。

「回転蔟」ってやっぱりすごいなっ! 

まゆこ

2015年11月10日 (火)

大麦の種まき

Tomiko

 富子だけんど、資料館の裏の山がいいあんばいに紅葉して山全体がきれえだよ。今日は曇ってるからだめだけんど、晴れたらうんときれえだと思うよ。

 今日は11月10日で大麦の種まきのピークっちゅうから、種を蒔いたさ。大麦の種はちっとだけ買っっとうさ。六条大麦っていう種類で、よく麦茶になってるやつさ。

Dscn8231jpg2_2 大麦の種

Dscn5632_3 小麦の種

 上の方の写真が六条大麦の種さ。下が小麦の種の写真だけんど、小麦は殻をかぶっちゃいんだよね。脱穀するときに殻も取れちもうからね。大麦は殻が取れんから、脱穀した後が大変ちゅうこんさ。

Dscn8223jpg2 種が見えますか

 何はともあれ蒔いてみたさ。畝のあいさは30cmくれえ開けるらしいけん、プランターじゃあそうもいかんから20cmくれえしか開けられなかったね。

Dscn8224jpg2_2 種まき終了

 いつもの看板を立ててこれで芽がでてくればOKだね。まゆこさんが大麦を家の家庭菜園に蒔きたいっちゅうから残った種をやったけんど、畑の土にいる線虫退治をするためだって。大麦はそういう役もするだね。

Dscn8228jpg2 ロータリーの紅葉

 資料館のロータリーの紅葉もきれえな秋に種を蒔いて、穫れるのは来年の5月頃の麦の秋さ。麦飯・麦こうせん・麦茶ができればうれしいけんど、欲のかきすぎかな。

2015年11月 8日 (日)

板額御前の史跡を巡ってみませんか?

Photoこんにちは、まゆこです。

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シルクの里周辺はいま紅葉が見頃です!

そんな色づく木々の下、

中央市ゆかりの武将浅利与一の妻「板額御前(はんがくごぜん)」の足跡をたずねるウォーキングが開催されます。

 中央市教育委員会の主催ですが、案内をするのは、当館を拠点に活躍している中央市歴史文化ボランティアの会会長の加藤正之さんと会員の皆様です。 837
9回ふるさとウォーキング~板額御前を訪ねて~

日時:平成271128(土)※雨天中止

 集合:シルクの里公園大駐車場(豊富郷土資料館近く)915時解散予定)

案内:加藤正之氏(中央市歴史文化ボランティアの会)

持ち物:弁当・飲み物

募集人員25

コース:大福寺→石橋八幡神社→板額坂・板額塚→帯石→藤垈の滝→賀茂春日神社(バスで移動しながらウォーキングします)

申込み:119日(月)~27日(金)の期間に、

   教育委員会生涯学習課055-274-8522まで。

 

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浅利与一ゆかりの大福寺を出発して板額御前に関わる史跡のある笛吹市をバスを使って巡ります。

晩秋の風景と合わせて楽しめそうですね。当館館長も参ります!! 

ぜひご参加ください!

 

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(※申し込みは、当館ではなく教育委員会生涯学習課℡055-274-8522にお願いしますね)

まゆこ

 

2015年11月 7日 (土)

石うすでソバを粉に挽く

Tomiko

 富子だけんど、いよいよ寒くなったね。のど(喉)んいてえ(痛い)って言ってるしゅうが多いけんど、だいじょぶ(大丈夫)けぇ?

 千石で風選したソバを、石うすで挽いたさ。

Dscn8190jpg2 石うすでソバを挽く

 上に乗っかってるのが、ソバの実で、下に落っこちてるのが挽いた粉と殻だね。プランターで穫れたソバのうち180gだけを挽いてみたさ。

Dscn8191jpg2 1回目の様子

 下に落っこちた粉をよく見ると、皮だけ剥けたソバも落ちてるさ。「蕎麦米」だね。これを拾えば蕎麦米として使えるじゃんと思って、篩(ふるい)でふるった後で拾ったさ。

Dscn8195jpg2 2回目の様子

 ふるって残ったソバをもう1回石うすで挽いたら、こんだ(今度は)粉と皮しか落ちちゃあこんさね。実はみんなつぶれて、粉と皮ばっかになったってこんだよね。

Dscn8196jpg2 篩でふるった粉

 篩にかけてふるったのがこれさ。1番粉も2番粉も全然区別がつかん感じで挽けたさね。180gのソバから、1番粉が75g、2番粉が70g、蕎麦米が5gとれたさ。殻は30gっていうことだね。計算してみると83%が食える部分だったっちゅうこんさ。ロスは少ないように思うけんどどうずらか。

 ほれと石うすはなかなかたいしたもんだなあと思ったね。もっと粉の中に殻が挽かれちゃって分けられんと思ってたけんど、ちゃんと殻は入らんで粉だけ挽けたもんね。

Dscn8197jpg2 石うすで殻がとれた蕎麦米

 ほうして上の写真が拾った蕎麦米だけんど、5gじゃあ何にもできんから、ちゃんと剥く方法も試してみんとね。

2015年11月 6日 (金)

里芋の茎(芋がら・ずいき)を干す

Photoこんにちは、まゆこです。

先日、ボランティアの水上さんのお母様から、美味しいものをいただきました。

それは、「芋柄(いもがら)」または「ずいき」と呼ばれる里芋の茎です。

 

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以前いただいた水上家お手製の巻きずしの具に、甘辛く煮てあるのが入っていて、そのおいしさに、まゆこはとても感動しました。


そのことを憶えていてくれたお母さんが、わざわざ持ってきてくれたのです。

しかし、調理すればほっぺたが落ちるくらいトロリとおいしかった記憶のある芋がらも、このままでは食べられません。

処理の仕方をお母さんに聞いてやってみました。

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まずは皮を剥きますが、収穫してから三日ほど「ほっぽらかしておく」と表面が「しなしな」として手で剥きやすくなるそうです。

 里芋には茎が緑色の「青がら」と赤色でアクの少ない「赤がら」の2種類があるのですが、今回いただいたのものは茎が赤色でアクが少なくておいしい「セレベス」という品種の里芋のものです。(もちろん親イモもおいしくいただきましたよ)

Dsc_2862一本の茎を3等分くらいの長さに切って、皮を剥いていきました。切り口は水をたっぷり含んだ状態のスポンジのようです。

Dsc_2864手で簡単に剥けますが、素手でやると爪のすき間にアクがこびりつきますので気にする人はご注意を!

Dsc_2879皮を剥いた後は、干しやすいように縦に割ってだいたい同じ大きさになるようにそろえました。
Dsc_2881さぁ、次は館長が紐で縛ってつなげて、資料館玄関わきの食糧干場?!に仕掛けます{どうやって縛っていけばよいかまゆこが悩んでいたら、館長の手がササ―と伸びてきて、今回もまた上手になんとかしてくれましたよ(笑)}

Dsc_2885干し始めたばかりの「赤がら」。

Dsc_28913日ほどたって水分が抜けてきた状態。

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もう少し干して、「カラカラ」になるまでになったら取り入れる予定です。

このあたりの巻きずしには、「かんぴょう」ではなく、「芋がら」を入れるのが定番だったそうです。

美味しく煮えたら、またご報告しま~す!

まゆこ

 

2015年11月 5日 (木)

ミニ企画展 鉄瓶 ~実用の美~ (3)

南部四家

南部鉄器の「南部」は盛岡藩主「南部氏」に由来します。盛岡で最も有名な鋳造品、上ノ橋の擬宝珠は初代藩主の時代である慶長年間(1600年頃)に作られました。これは、南部氏が甲州を本拠とした時代から仕えてきた有坂氏の鋳造したものと伝えられています。

Img_0004jpg2 霰文様の南部鉄瓶

ここで「南部氏」と甲州の関係を少し説明します(平成南部藩のホームページより抄出)。南部氏の遠い祖先は、新羅三郎義光で、兄は源氏の嫡流八幡太郎義家です。義光の次男義清はその子清光とともに甲斐に移り、勢力を伸ばして甲斐源氏の発展の基礎を作りました。

清光の嫡男光長は逸見氏を名乗り、次男は武田信義と称して甲斐守護となります。そして三男遠光は加賀美郷や小笠原郷を領し、加賀美次郎遠光と名乗りました。遠光は源頼朝の平家追討の合戦に参加し、鎌倉幕府の中で確固とした地位を築きました。南部氏の初代の光行はこの遠光の三男で富士川右岸の南部領が所領であったため、南部氏を名乗るようになりました。

南部光行が奥州藤原氏攻めで手柄を立て、その功績で奥州糠部郡を源頼朝から拝領したと伝えられています。それが事実であるかどうかは明らかではありませんが、南北朝の頃には確かに八戸や三戸に南部氏の子孫が領し、戦国時代を経て江戸時代に盛岡藩の藩主になったのです。鎌倉時代から明治維新まで同じ所領に居続けることができたのは南部氏の他にはごく少数なのだそうです。

Dscn7834jpg3八重桜文様の南部鉄瓶

盛岡の鋳物の歴史は、有坂家と鈴木家、藤田家、小泉家の歴史と重なるといわれます。現在その歴史の全容を明らかにすることは難しいようですが、日用品から大砲まで、藩の鋳物の御用はこの四家が中心となって担っていました。四家の歴史をひもといてみましょう。

Dscn7837jpg2 拓本をとると「南部盛岡」と読める

有坂家

最初に上げられるのは有坂氏です。初代は京都の人で、7代目の時甲州に下り、明徳年間(1390年頃)に南部氏に仕え、陸奥へも随行したと伝えられています。甲斐在国中からの鋳物職人でした。奥州には、良質の砂鉄・川砂・粘土・漆など鋳物作りに必要なものがそろっていますから、存分に力を発揮できたのではないでしょうか。その技量が認められて鋳物師の棟梁になって梵鐘などの大きなものを作っている人もいます。明治・大正時代には盛んに生産を行っていたと思われます。

鈴木家

次に登場するのは、鈴木氏です。京都で金工技術を取得し、甲州から下って寛永年間(1630年頃)に藩に召し抱えられた、鈴木家綱を祖とします。梵鐘や灯籠、幕末には大砲鋳造の命も受けています。江戸時代後期からは鉄瓶も多く製作しました。現在でも鈴木主善堂と鈴木盛久工房が繰業を続けています。

小泉家

そこで登場する小泉氏は、京都出身の小泉清行を祖とします。藩内で茶の湯釜を製作するために万治2年(1659年)南部藩に召し抱えられました。3代目のとき使い勝手の良い湯沸かしをと考え創作したのが鉄瓶です。小泉氏の釜作りによって藩内の茶道文化が発展し、さらには茶の湯釜が贈答品として用いられるようになり「南部」の名を印象づけました。現在は鋳物メーカー「岩鋳」の工場内に「御釜屋」という工房を持ち、親子で操業中です。

Dscn7834jpg2jpg2 八重桜文様の拡大

藤田家

その後、鈴木家と同じく甲州の出身での藤田家がお抱えとなります。鍋類の鋳造を主とした町の鋳物職人でしたが、品質が良かったため、藩のお抱え鋳物師になります。宝永6年(1709年)のことです。梵鐘や灯籠を作ると同時に鉄砲師も拝命しています。幕末の頃からは豪華な鉄瓶を製作し「鍋善もの」と呼ばれ評判を取りました。

Dscn7850jpg2 切り株の形をした鉄瓶

 南部町誌や富沢町誌・身延町誌などを見てみると、南部氏が奥州へ移りその地に根を下ろす様子は詳しく書かれていますが、甲州出身の鋳物師たちが活躍して南部鉄器の隆盛をもたらしたことにはまったくふれられていません。逆に南部鉄器のことを書いた本には、甲州出身の鋳物師たちが南部鉄器の歴史を築いていったことがはっきり書かれています。山梨の人間として、先祖が遠い奥州の地で活躍したことをもっと知ってもよいのではないかと思いました。

2015年11月 3日 (火)

ソバの脱穀と風選

Tomiko

 富子だけんど、今日は中央市じゃあ「稲穂まつり」をやってるさ。早いもんじゃんね。あとちっとで今年も終わりだよ。歳ばかとってこまりもんじゃん。

 今日はせんころやった、ソバの脱穀と風選のこんを書くじゃんね。ソバの茎もかなり乾いてきたとこで、叩いてソバの実を落としたさ。実を落とすにゃあ、竹を適当な長さに切って、その3分の1くれえをささらにして叩くといいだって。さっそく竹の棒を作ってもらって、それで叩いとうさ。

Dscn8165jpg2 竹の棒で叩く

Dscn8167jpg2 ソバの実が落ちてきた

 ほうするといい感じに実がパラパラと落ちるさ。プランター4個分にしちゃあけっこう実がついてたさね。

 ところが、実と一緒に葉っぱもこなごなになって落ちるっちゅうわけ。ほうなると、実と葉っぱが渾然一体となって、ちっとばっかの風じゃあ分けられんさね。

 そこで「唐箕(とうみ)」のやっかいになるこんにしたさ。唐箕は山梨じゃあ「千石」とか「千石通し」とか言うだよね。

Dscn8169jpg2 「千石」で風選する

 ゴミが散らからんようにセットして準備完了。ところがまた箱の置き方を間違えちゃったさ。途中で気がついてちゃんとしたけんどね。どうして間違えるずらか。困ったもんじゃんね。

Dscn8183jpg2 風選する前の様子

 ね、すごいら。ホントに実があるだけ?っちゅう感じだね。ほんだから「千石」の風で実も飛んじゃあ困るようと思いながら、ハンドルを回したさ。

Dscn8180jpg2 実だけになって落ちてきた

 ほうしたら、大丈夫。ちゃんとゴミだけ飛んで、実だけが箱に落ちてきたさ。よかったよう。

Dscn8187jpg2 穫れたソバの実

 こんねんきれえになったさ。「千石」の力はすごいもんじゃんね。これを発明した人はたいしたもんだね。プランターだけで320gのソバがとれたさ。種は100gもらったから残りは畑に蒔いたけんど、畑じゃあ1kgちょっと穫れたから、13倍に増えたってこんだね。

 ソバは実だけじゃあなくて、葉っぱもうまいっていうことを葉っぱがしおれてっから知ったさ。もっと早く知ってれば、葉っぱも食ってみたかったね。来年の楽しみにとっとくっちゅうこんだね。

 

2015年11月 2日 (月)

H27秋まつり終わりました!

Photoこんにちは、まゆこです。

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ことしの「秋まつり」は、10月31日と11月1日の二日間で

232名もの方にご来館いただきました。

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まつりの特別体験メニューとして、稲の千歯扱き体験、古銭の拓本をとる体験、ぶんぶんゴマ作りの3つをご用意しましたが、中でも千歯扱き体験は大人にも子供にも大人気でした。

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学校から社会科見学で来館したことのある子供たちが家族の方を連れてきてくれて、とてもうれしかったです。

当館に来てから、「千歯扱きってすごいなぁ、一度自分でもやってみたいなぁ」と思ってくれていたのだそうです。

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Dsc_2913天保通宝などの古銭で拓本を採ってしおりに仕上げる体験は大人の方にもたくさん参加していただきました。 

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ぶんぶんゴマ作りでは、完成したあと実際にうまく「ぶんぶん」いわせて回すことができないといけません。

エントランスホールでは、スタッフと一緒に回す練習をする子供たちの姿がみられました。

Dsc_2904今回の秋まつりは2日間の開催でしたが、お天気にも恵まれ、多くの皆様に郷土資料に触れて親しんでいただけたのではないか思います。

中央市歴史文化ボランティアの皆さんにもお手伝いいただき無事に終了することができました。ありがとうございました。

まゆこ

 

 

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