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2015年10月20日 (火)

ミニ企画展 「鉄瓶 ~実用の美~」 (1)

鉄瓶で沸かしたお茶はおいしいといわれます。また、鉄瓶で沸かすと体に鉄分が摂取できるともいわれます。かつては囲炉裏の自在鉤に下がってどこの家にもあった鉄瓶。農家の日用品のように思われ、煤で煤けて黒くなった湯沸かしというイメージしかわかないのではないでしょうか。その鉄瓶の起源は茶道具にあるといったら、驚きです。

 

それでは、鉄瓶の秘密をこれから見ていきましょう。

Dscn6767jpg2 囲炉裏にかかる鉄瓶

鉄瓶の誕生

 

鉄瓶は江戸時代に現在の岩手県盛岡市で誕生しました。盛岡市の周辺では、古くから良質の砂鉄がたくさん採れ、その砂鉄を使った鋳物作りが盛んに行われていました。

 

江戸幕府が成立し、平和な時代が到来した四代将軍家綱のころ、茶の湯に造詣の深かった南部藩主が、自分の領地から良質の鉄が産出するのに着目し、茶の湯釜の製作を思い立ったといいます。万治2年(1659年)京都出身の釜師小泉仁左衛門を召し抱え、茶の湯釜を作らせたのが、南部釜の起源です。さらに1750年頃三代目の仁左衛門が使い勝手の良い「湯沸かし」をと考え創作したのが鉄瓶の始まりです。そう言われて見てみると、茶の湯釜を小型にし、注ぎ口と鉉をつけたものだとわかります。五徳の上に乗せて火鉢で使ったり、吊り鉤にかけて囲炉裏で使ったりします。中国や韓国にはこのような鋳鉄製の湯沸かしはないので、日本独特のもののようです。

Dscn7833jpg2 丸型の鉄瓶

 鉄瓶は主に東日本の囲炉裏の発達した地域に普及したようで、形も富士山型や丸型などいろいろあります。

鉄瓶の産地と言えば現在も岩手県で、岩手県で作られた鉄器を南部鉄器と呼んでいますが、明治になり藩の庇護が受けられなくなった鉄器産業は一時期衰退します。しかし、展覧会で入賞するなど名声を得ると各地から注文が来るようになります。大正天皇が皇太子の時代東北を回った際には、小泉仁左衛門が鉄瓶の製造を実演して見せて話題を呼んだことで、県や市でも南部鉄器に力を入れ始めました。そして大正時代には鉄瓶が爆発的に普及することとなります。        

Img006jpg2_2

 第二次大戦中は軍需関連品以外の製造が禁止され工場を続けられなくなり、終戦後はアルミニウム製品に押されて需要が減るという苦難にも立たされましたが、現在はその芸術性の高さと、健康志向から再び人気が高まっています。

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