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2015年10月29日 (木)

ミニ企画展 鉄瓶 ~実用の美~ (2)

鉄瓶、その実用の美しさ

鉄瓶には表と裏があります。注ぎ口を右向きにして見た側が表です。茶席で湯を注ぐ際、向かい合った客人が見る面になるからです。茶道具に起源を持つ鉄瓶には、そのような折り目正しさがあるのです。

Dscn7828jpg3 鉄瓶の表

鉄瓶は鋳物ですから、最初に川の砂に粘土を混ぜたもので鋳型を作ります。鋳型に流し込むのは摂氏千四百度の溶けた鉄です。一分もしないうちに鋳型に刻まれた通りの肌を持つ鉄瓶が出来上がります。花や木、動物や鳥などの文様が鋳出されたり、霰と呼ばれる小さな点が規則正しく並んだり、無紋だったりとさまざまです。鋳型に霰の文様を付けるのには名人でも三日もかかるのだそうです。

Img_0003jpg2 霰文様の鉄瓶

形に注目してみるとどうでしょう。胴の部分だけでなく、つまみや鉉の形などが鉄瓶の美しさを決める要素です。

胴の形は、丸型や富士山型、棗型、南部型などさまざまです。上から見ると八角形をしたものや四角形のものなどもあり、鋳物師がデザインにこだわったことが感じられます。裾広がりの大きな鉄瓶の形は、主に囲炉裏で使われました。鉄瓶の表面が煤で汚れないようにと考え出されたのです。

また、つまみも本体の文様に合わせてデザインされ、動物や木の実、瓢箪などイメージしていて、つまみやすさも考えられており、機能と遊び心が詰まっています。

Dscn7840jpg3 八角柱の鉄瓶

鉉にも秘密があります。ていねいに作られた鉉の内側に、よく見るとわかる合わせ目があります。つまり中は空洞なのです。鉉は鉄をたたいて少しずつ丸めて作ります。鉉を作るのはそれ専門の「鉉鍛冶」と呼ばれる人で、鉄瓶作りの盛んな盛岡にも現在はたった一人しかいないそうです。中が中空なおかげで、軽くて熱くなりにくいのです。これも実用を重視した美しさです。

鋳型から取り出した鉄瓶は、もう一度九百度くらいに赤熱します。これは内部に酸化皮膜をつけるためで、これが不十分だと金気の出る鉄瓶になってしまいます。その後漆を焼き付けて着色をし、その上をお歯黒(鉄さびとお茶の混合液)で掃きます。これは色を整えて独特の風合いを出す効果もありますが、それだけではなく、漆と化合して赤錆を防ぐ効果も高めます。この最後の仕上げで鉄瓶の風合いが決まるうえ、沸かしたお湯の味も決まるのです。

Img007jpg3_2鉄瓶のすごいところ(大きくして見てね)

毎日使い込めば使い込むほど、肌の色合いも良くなり、使い込まれた色になっていく鉄瓶。鉄瓶の名品は使い続けた本人だけが作れるものなのだそうです。

延命山貴蔵院の本堂解体

昨日の10月27日から始まった中央市東花輪の貴蔵院本堂の解体作業があると聞いて、写真を撮りに行きました。すでに本堂の中は空っぽで、がらんとしていました。しかし、須弥壇の置かれていた場所や、壁には様々な紙が貼られており、昨日までの寺院の活動が残されていました。

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境内では重機が周辺の整地作業を行い、解体した部材を運ぶのに都合よく、準備をしていました。
Pa271364ちょうど住職さんがおられたので、寺の来歴をうかがうことができましたが、このあたりは洪水の常襲地帯でもあったことから、たびたび洪水により寺院の施設が破壊されたようです。また、屋根裏には養蚕道具がたくさん置かれていましたので、戦後は農地解放のためか、養蚕も盛んに行ったという話です。

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帰ってきて、『田富町誌』を紐解くと、次のような記載がありました。
・本寺 歓盛院末 ・本尊 観世音菩薩 ・創立 元和元年(1615) ・開山 喜州舜悦和尚 ・建造物 本堂 木造 トタン葺 32坪 納屋 10坪 鐘楼 瓦葺9坪 八人地蔵堂 6坪
また、(覚)参考として、本堂梁間5間、桁間6間半 是は慶応2年寅年8月流失に付き再建不仕候 庫裏 梁間4間半 桁間8間 箱慶応4年ーという書上げがありました。また、このほかに由緒書きがあり、流出した本堂の代わりに庫裏が使用され、現在に至ってることもわかりました。なお、本院は地蔵信仰でも有名で、霊験あらたかであり、月例会には多数の信者が訪れるとも言われています。

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こうした記録から、本寺院が江戸時代になって創られ、寺請制度の中で集落の重要な管理施設として認められてきたことがわかります。
寺院の新築は何時になるのか聞き漏らしましたが、新しい本堂の落慶法要が楽しみですね。

2015年10月28日 (水)

H27正月飾り・凧作り教室

Photoこんにちは、まゆこです。

今年ももうこんなお知らせをする時期になったのですね~♪

平成27年度親子体験教室「正月飾り・凧作り教室」開催、申込み方法のお知らせです。

 

ことしの「親子正月飾り作り教室」と「親子凧作り教室」への参加申込みは11月10日(火)から受付け開始です。

 

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開催日時:平成27年12月6日(日)

午前9時~正月飾り作り(材料費700円当日納入)

午後1時~凧作り(無料)                                  {どちらか一つでも参加できます} 

場所:中央市豊富郷土資料館 エントランスホール中央市大鳥居1619-1シルクの里公園内 

参加対象者:各教室 児童とその保護者15組(30名)

材料費:正月飾り作りは700円

持ち物:正月飾り作りは剪定ばさみとペンチ

講師:正月飾り作り(田中正八 先生 元豊富郷土資料館館長)

    凧作り(渡辺高一 先生 風林火山凧の会代表)

申込み:平成27年11月10日(火)~12月4日(金)の期間に、電話で中央市豊富郷土資料館055-269-3399まで申し込んでください。(ただし定員になり次第締め切ります)

 

 豪華な正月飾りとよく飛ぶ凧をつくって、新年を迎える準備をしましょう!ご家族でのお申込みをお待ちしております。

まゆこ

2015年10月24日 (土)

黍の籾摺り

Tomiko

 富子だけんど、どおでぇ。元気けぇ。この頃資料館には小学生がいっぺえ見学に来てくれて、富子部屋を見て、名前をおべえて(覚えて)けえって(帰って)くれるぼこも多いようで、うれしいよう。

 めえに(前に)黍の脱穀をしたこんを書いたけんど、やっと籾摺りが終わったから書くじゃんね。

Dscn8125jpg2 すりこぎで擦る

 ちっとだから、すり鉢とすりこぎでやってみたさ。ゴリゴリ、すりこぎで擦るっちゅうと皮がどんどん剥けてくるだよね。これをやらんと米と一緒に炊いても、皮付きの黍飯になっちもうからさ。この仕事を「脱稃」とか「脱粰」と書いて「だっぷ」って読むだって。どの字も読みは「ふ」で、意味は「もみがら」だって。

Dscn8126jpg2 笊でふるう

 しばらく擦ってっから殻を風で飛ばして、「ふるい」でふるうと下にきれえになった黍が落ちてくるっちゅうわけ。ふるいのちょうどいいのんねえから、ステンレスの笊でやってみとうけん、黍が通る笊だと皮んむけていんのも通っちもうから、黍ん通らん笊でふるったら、丸ごとの黍だと通らんで、ちっと割れたりしてちっくくなった黍が落ちるさ。なかなかうまくいかんもんじゃんね。まあ、きれえな黍じゃあねえけんど、黍餅をつくくれえじゃあいいかと思ってるさ。

Dscn8129jpg2 脱粰終了

 上の写真がふるいでふるった黍さ。まあまあずら?

 これで黍餅をついてみっかと思って、試しに買っとう黍でやってみたさ。

Dscn8121jpg2 もちつき

 ちっとばっかだから、パン焼き器で作ったさ。餅米3合に黍50gでやってみたさ。

Dscn8123jpg2 できあがった黍餅

 出来上がっとう餅をのして切ったら、厚いのし餅になって、贅沢なもんだったよ。黍ん少なかったからかもしれんけんど、あんまし胸焼けはしなかったさ。うまくてあっという間になくなっちゃったね。

 プランター4個で黍200gがとれたから、雑穀を自分で作って食ってみてえ人はやってみるといいかもしれんね。

2015年10月20日 (火)

ミニ企画展 「鉄瓶 ~実用の美~」 (1)

鉄瓶で沸かしたお茶はおいしいといわれます。また、鉄瓶で沸かすと体に鉄分が摂取できるともいわれます。かつては囲炉裏の自在鉤に下がってどこの家にもあった鉄瓶。農家の日用品のように思われ、煤で煤けて黒くなった湯沸かしというイメージしかわかないのではないでしょうか。その鉄瓶の起源は茶道具にあるといったら、驚きです。

 

それでは、鉄瓶の秘密をこれから見ていきましょう。

Dscn6767jpg2 囲炉裏にかかる鉄瓶

鉄瓶の誕生

 

鉄瓶は江戸時代に現在の岩手県盛岡市で誕生しました。盛岡市の周辺では、古くから良質の砂鉄がたくさん採れ、その砂鉄を使った鋳物作りが盛んに行われていました。

 

江戸幕府が成立し、平和な時代が到来した四代将軍家綱のころ、茶の湯に造詣の深かった南部藩主が、自分の領地から良質の鉄が産出するのに着目し、茶の湯釜の製作を思い立ったといいます。万治2年(1659年)京都出身の釜師小泉仁左衛門を召し抱え、茶の湯釜を作らせたのが、南部釜の起源です。さらに1750年頃三代目の仁左衛門が使い勝手の良い「湯沸かし」をと考え創作したのが鉄瓶の始まりです。そう言われて見てみると、茶の湯釜を小型にし、注ぎ口と鉉をつけたものだとわかります。五徳の上に乗せて火鉢で使ったり、吊り鉤にかけて囲炉裏で使ったりします。中国や韓国にはこのような鋳鉄製の湯沸かしはないので、日本独特のもののようです。

Dscn7833jpg2 丸型の鉄瓶

 鉄瓶は主に東日本の囲炉裏の発達した地域に普及したようで、形も富士山型や丸型などいろいろあります。

鉄瓶の産地と言えば現在も岩手県で、岩手県で作られた鉄器を南部鉄器と呼んでいますが、明治になり藩の庇護が受けられなくなった鉄器産業は一時期衰退します。しかし、展覧会で入賞するなど名声を得ると各地から注文が来るようになります。大正天皇が皇太子の時代東北を回った際には、小泉仁左衛門が鉄瓶の製造を実演して見せて話題を呼んだことで、県や市でも南部鉄器に力を入れ始めました。そして大正時代には鉄瓶が爆発的に普及することとなります。        

Img006jpg2_2

 第二次大戦中は軍需関連品以外の製造が禁止され工場を続けられなくなり、終戦後はアルミニウム製品に押されて需要が減るという苦難にも立たされましたが、現在はその芸術性の高さと、健康志向から再び人気が高まっています。

2015年10月17日 (土)

ワタの実収穫中

Tomiko

 富子だけんど、寒くなってきとうじゃんね。ぬくとい布団になんぼでもくるまっていたい季節になったねぇ。風邪なんひいちゃあいんけ?

 資料館のプランターのワタもどんどんほけてきて、収穫の時期になったさね。めえに(前に)花はのせたけんど、それっからの様子がのせてなかったから、今日見てもろうじゃんね。

Dscn7814jpg2 ワタの実

 これは8月の終わりに撮った写真だけんど、花が終わって、実がついてきたとこさね。これは和ワタだから、花も下を向いて咲くけんど、実も下を向いてつくだよね。和ワタは茎が紫色をしていて、萼も紫色だね。今年は和ワタがよくできて、木もでかいし、実もたいへんついたさね。去年と比べると大違いさ。

Dscn8048jpg2 茶色のワタが熟した

 9月の終わりから10月にかけて、実が熟してきてね。これは和ワタの茶色さ。和ワタは下を向いて実が付くから、茶色のワタなん、みのってぇてもいっさら気づかんだよね。こうして持ち上げてみれば実がついてるのんわかるけんどさ。ほんだから資料館に来てワタがうわってるって見てくれる人も多いけんど、茶色のワタの実なん気がつく人は少ないと思うよ。

Dscn8049jpg2 和ワタの白い実も熟した

 これも和ワタの白。和ワタでも白は目立つから、子どもんとうも珍しくて、ワタを引っ張っていたずらをしてくさね。見てもろうために植えてあるだから、引っ張ってもいいけんどさ。

Dscn8087jpg2 洋ワタの白い実がやっと熟し始めた

 これん洋ワタの白。上を向いてるから写真写りもいいよね。まだ洋ワタは白も緑もあんましほけていんだよね。どうも和ワタのほうが成長が速いみたいさ。10月になって、畑に植えてあるのも、和ワタはほとんどほけてるに、洋ワタはまだ全然ちゅうくらい堅いまんまさ。

 資料館の緑のワタは今年は葉っぱを食う虫にやられて、葉っぱがみんなだめになっちゃとうさ。オクラの葉っぱを食う虫とおんなしで、葉っぱを巻いてそんなかに卵を産んでるみたいだね。緑ワタだけがやられて、隣の和ワタと洋ワタの白はいっさらやられていんとこが不思議じゃんね。

 今年のワタは、また来年の干支のお猿さんを作るのに活躍してくれそうだし、茶色のワタで糸を紡いでみたいと思ってるさね。

2015年10月15日 (木)

ソバの刈り取り

Tomiko

 富子だけんど、いいやんばいの天気が続いていいじゃんね。山もちっと赤くなってきたとこがあって、出かけるのん楽しみだね。せんころサツマイモをほっとうけんが、今年は暑さと長雨であんましできが良くなかったねぇ。芋農家でもそう言ってたから、うちばっかしじゃあねえようだよ。

 雨ばっか降ってたから、ソバんころんじゃって、手んつかんようになっちゃったし、また天気予報で雨ん降るって言ってたから、思い切って刈っちゃたさ。

Dscn8107jpg2 ソバの実(まだ白いところもある)

 こんなんで刈っていいずらかって思っていたら、種をくれた水上さんがたまたま用事で来て、『ハエが3匹たかったら、刈っていい』って言う言い習わしがあるよって教えてくれたさ。「えっ、ソバってハエがたかるだけ?」って聞き返したら、「ソバの実は花のかたまりの下の方から実になって、それが黒くなるとまるでハエがたかっているように見えるからそう言うさ。」って詳しく解説をしてくれとうさ。

Dscn8109jpg2 刈り取ったソバ

 確かにハエがたかってるように見えるよね。ソバの茎は、水っぽくてちょっと折るとすぐポキッとなっちもうだよね。ほかの植物みたいに茎が堅くなるっていうこんがないみたいだね。ほんだから成長が速いだかもしれんね。

Dscn8110jpg2 ソバはしばらく干す

 水上さんが言うには、刈り取っても干してる間にまだソバの実には栄養が行ってるから、葉っぱや茎が枯れてきたらたたいて実を落とせばいいだって。水上さんもソバの皮をむいただけの『そばこめ』を作ってみたいだけんど、うまくいかんらしいさ。粉にするじゃあ例えちっとでも挽いてくれるとこがあるだって。皮のついたまんま石うすで挽いて、ふるいでふるうのを繰り返せば、粉は取れそうで楽しみだよう。

 経験者の言うこんはためになるねえ。これからもいろいろ教えてもらいたいよう。

2015年10月13日 (火)

田富地区南部を歩いた研修会

Photoこんにちは、まゆこです。

去る104日(日)におこなった中央市歴史文化ボランティアの会研修会について報告します。

Dsc_2675 大輿神社では地元小学生の素晴らしい浦安の舞を見せていただいた。

晴天にも恵まれ、朝9時に集合した参加者は15時過ぎまでたわわに実った黄金の稲穂の道を行き来して、田富地区南部の文化財や神社の秋の祭礼の様子を見学しました。

 

Dsc_2581長徳院・内藤清右衛門墓(甲斐国志編纂者)

コースは、田富南小出発→長徳院・内藤清右衛門墓→内藤家→八幡大神社→鈴鹿神社→永正寺→JA忍支所(昼食)→宝珠院→今福真明の碑→今福丸→富士講の碑→大輿神社(浦安の舞・川除け神輿見学)→JA支所で解散 でした。

Dsc_2615 鈴鹿神社内にある祠の前で。

いつも通る道から少し脇道に入っただけで、わくわくするような発見がいっぱいでした。

 Dsc_2629 幕末明治の剣豪「今福真明」の碑

Dsc_2637 水害避難船「今福丸」

Dsc_2663 大輿神社の浦安の舞は、踊った経験のある中学生が小学生に教え伝えていくそうですが、当日も後輩に付きっ切りでお世話をしたり、勇気づけたり、指示する姿はとても頼もしく、気持ちの良い光景でした。
Dsc_2720 浦安の舞が終わると、川除けの神輿が神社から出て、巡り木祠に向かい神事が行われました。田んぼの真ん中にポツンと立つ杉の大木の周りを大人と子供の神輿が巡ります。

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大輿神社の祭礼を見学させていただいた私たちにも、祭りの手ぬぐいや地域の方々が手作りのお赤飯などを配ってくださいました。

ありがとうございました。

ごちそうさまでした。

参加者の皆さんからも「近所にこんなにもたくさんの面白い文化財があったなんて知らなかった」「来年の大輿神社の秋の祭礼もまた観に来たい」などの感想をいただき、まる1日を使っての長いコースでしたが、楽しんでいただけたようで何よりでした。

いままでに豊富地区、田富地区北部、玉穂地区南部、田富地区南部と地域ごとに研修してきましたが、この流れから行くと、来年のコースは玉穂地区北部になるでしょうか?

次回の研修会もご期待くださいね!

まゆこ

 

2015年10月12日 (月)

昭和30年の豊富村養蚕農業協同組合アルバム

昨日表紙だけ紹介したアルバムの見どころを紹介しましょう。
表紙の東八代郡豊富村養蚕農業協同組合は、正確には東八代郡養蚕協同組合豊富支部のことだと思います。昭和39年になると、村内の19の集落ごとの養蚕組合が合併して、豊富村養蚕農業協同組合を創ります。したがって、この時点では田草川支部長さんが一番偉い方です。最初の上段写真は旧豊富農協で、現在の農協の前身建物です。

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養蚕を始める前の消毒や蚕種配布、上蔟、出荷、桑苗・肥料販売などの写真もあり、当時の養蚕業の姿を大変よく知ることができます。甲府駅北口に在ったサクラシルクへの繭の出荷や、長野県への出荷の様子も面白いですね。水上養蚕組合の繭袋(油単)も今回収蔵することができました。

2015年10月11日 (日)

寄贈された古い御札

近所の方から古い御札をいただきました。もってきていただいた方は、私たちの「中央市歴史文化ボランティアの会」会員さんです。自宅の解体準備中なので、いろいろなものが運び出されているようです。こうした中で、今回の御札も持ち込まれたものですが、最初は紙くず同様だと思っていましたが、一枚一枚を補修して並べてみると、興味深いことが出てきたので、ここで紹介したいと思います。

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左上の2枚をよく見てください。「豊富靖国神社」「豊富護国神社」とあります。「護国神社」は昭和14年3月15日に内務省令によって、全国の「招魂社」を「護国神社」に改称する法律が定められたものです。戦後はGHQにより「護国」の名称を使用することが禁じられましたが、GHQ撤退後は、再びこの名称が使用されるようになりました。全国各県出身の戦没兵士を祀っているのが各県の「護国神社」です。
さて、「靖国神社」は戦争で失われた国内の兵士だけでなく、国家のために殉難した人々の魂を祀る場所としてまつられた神社です。「豊富靖国神社」は戦後間もなくの一時期に、こうした名称が用いられたのかもしれません。
右下の甲州善光寺の御札は、「蚕児菩薩」とあり、桑の葉を光背にした菩薩坐像が描かれ、その前には蚕が2頭描かれています。善光寺の文字を囲うのは繭の形ですね。

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また、一冊のアルバムもとても興味あるものでした。それは昭和30年に編集・印刷された養蚕組合のアルバムです。今回は表紙だけの紹介になります。中身は当時の養蚕業の盛んな様子が写真で紹介されています。乞うご期待です。

2015年10月10日 (土)

平成27年度第3回ミニ企画展 「鉄瓶 ~実用の美~」 のお知らせ

 いよいよ温かいものが恋しい季節になりました。そこで資料館では、湯気の立つ鉄瓶を懐かしんでもらえる「鉄瓶 ~実用の美~」というミニ企画展を行います。

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 鉄瓶で沸かしたお湯で入れたお茶やコーヒーはおいしいといわれます。また、体に鉄分を補うことができるともいわれます。

 かつては囲炉裏の自在鉤に下がってどこの家にもあった鉄瓶。農家の日用品で、そのイメージといえば、煤けて黒くなった湯沸かしでしょうか。ところが鉄瓶はもともと茶道具である茶釜にその起源があり、煎茶が登場した江戸時代の中ごろに発明されたものなのです。

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 煎茶が登場し、手軽にお茶が飲めるようになると、使いやすい湯沸かしの道具が必要とされ、茶の湯釜を小さくし、取っ手と注ぎ口を付けた鉄瓶がたちまち全国に広まりました。

 茶道具に起源を持つことから、鉄瓶には茶道具の心が宿り、その意匠には遊び心があります。 

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 また、鉄瓶と言えば南部鉄瓶が有名ですが、そのルーツはなんと甲州にありました。南部四家といわれて江戸時代に活躍した南部藩お抱えの鋳物師のうち三家は甲州から南部に移り住んだ人たちの子孫です。

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 今、渋い味わいが再び見直されている鉄瓶ですが、その美しさは実用を追求したことによる美しさです。今回のミニ企画展では、その秘密に迫りたいと思います。

2015年10月 7日 (水)

H27「秋まつり」のご案内

Photoこんにちは、まゆこです。

 ことしで3回目の開催となる豊富郷土資料館の「秋まつり」のご案内です。

 今回の「秋まつり」では、むかしの秋ならではの作業(千歯扱きで稲の脱穀)を体験したり、竹でおもちゃを作ったり、江戸時代の古銭に触れたりと、来館者の皆さんが気軽に郷土資料に親しむことのできる機会になったらいいなと思っています。

 より多くの市民や県民の方に体験してもらうため、開催二日間を入館無料とすることになりました。

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日時:平成27年1031(土)・111() 午前10時~午後4

 

場所:資料館前庭・エントランス

 

期間中の入館料他:入館無料・体験料無料・事前予約不要

 

体験のメニュー

 

 千歯扱き体験(前庭)

 

 1030分・1130分・1330分・1430分・1530分の15回行います。

 

体験希望者に時刻に合わせて前庭に集合してもらい、手渡した稲穂から千歯扱きでモミをとる体験です。採取した稲モミは小袋に入れて持ち帰ることができますよ!

 

 古銭の拓本をとる体験(エントランスホール)

 

 資料館収蔵の江戸時代等の古銭(天保通宝・絵銭など)の拓本をとり、しおりに仕上げてお持ち帰りできます。

 

 ぶんぶんゴマ作り(エントランスホールにて子供のみ

 

竹製のぶんぶんゴマを作って持ち帰れます。コマにはマジックで自由に彩色してくださいね!

 

Dscn6465_2←千歯扱き作業の様子

 どうぞぜひ、晴れて澄み渡った秋空の下、資料館の「秋まつり」をご家族そろって楽しみに来てください!!

 お昼はとなりのシルクの里公園で、ピクニックランチするのもいいと思いますよ(^^

まゆこ

2015年10月 5日 (月)

中央市極楽寺地区の秋祭り

旧玉穂地区の極楽寺で、3日の夜に祭りが行われることを、山梨新報の記者さんから聞いて、さっそく夕方に行ってみました。祭りは伊勢神社と村守(イモリ)社の祭りを合わせたもので、村中の人々が公民館に集まって盛大に飲食をとるとのこと・・・

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極楽寺地区に伊勢社があるとは知らないでいましたので、夕方に玉穂ケアセンターの裏に行くと、川のそば、畑の真ん中にぽつんと白い小さな建物がありました。川沿いの道を入って、建物の正面に出ると、「御伊勢大神」の提灯が2つ下げられており、祠が2基ありました。写真を撮っていると、山梨新報さんが来て2人で観察しましたが、供物は6時半ごろ役員さんが備えるということでした。

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村中に行くと浄光寺前の石祠2基にしめ縄が張られ、やはり「村守祭」と記された提灯が二つ下げられています。これがイモリ明神だそうです。このイモリ明神は、市内では見ることができないし、県内でも類例はないのではないでしょうか?村の長老方に伺うと、その由来ははっきりしないようですが、伊勢社の方は江戸後期に伊勢参りをした極楽寺の松村只七という人物の道中記があるので、江戸時代からの伊勢講の講社だったと思われます。イモリ社は今後由来を調べる必要があるかもしれませんね。

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さて、地域の祭りは、文化祭も兼ねていました。彫刻や絵画、絵手紙、書、手芸などが公民館に並べられています。知りのテントでは焼きそばが造られていました。新しい公民館には広間いっぱいに宴会の準備がおこなわれ、食べ物や飲み物が並べられています。大宴会の様子を前にして、私も空腹になり、のども乾いたので引き上げることにしました。この後どんな祭りになったのでしょうか、きっと、大盛会だったのでしょうね

2015年10月 2日 (金)

宮方商店が作った和紙繭貯蔵袋

Photoこんにちは、まゆこです。

 先日、山梨の蚕糸包装材料一式製造販売していた会社「宮方商店」で作られた和紙製の繭貯蔵袋3枚を寄贈いただいたので紹介いたします。

Dsc_2489_84150 山形から届いた3枚の和紙繭貯蔵袋 

 この和紙でできた繭袋(油単ゆたん)は運搬用ではなく、製糸場での貯蔵用につくられた紐のついていない袋です。大きさは84㎝×150㎝、平成27912日に山形県在住の方より寄贈していただきました。

Dsc_2484 山梨に製造工場のあった宮方商店のラベルがついている。

 この袋を製造した宮方商店の関係者にお聞きすると、「和紙製繭袋は岐阜県から特注品の紙を仕入れ、山梨の工場で職人が手でよく揉んで柔らかくしてから糊で貼り合わせて作っていた」といいます。

 また、和紙でつくる繭袋は特別にこだわりのある製糸家が注文してくる商品で、当初から全体の2から3割くらいしか作っておらず、ほかはすべて木綿袋だったのだそうで、稀少品だそう。さらに和紙製は昭和40年初めぐらいで生産しなくなったとのことでした。

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←製糸会社の屋号がプリントされている。

 それから、販売先の屋号をいれて売ることは多かったそうですが、年号を入れたことは記憶にないといいます。ここにプリントされている年号については「その袋に入れた繭の仕入れ年を、製糸会社の方で後にプリントしたのではないか」というのが宮方商店で働いていた方の見解です。

 

寄贈品に記された屋号を調べてみると、山形県上山市長谷川製糸所(昭和46年まで操業)のものであることが判りました。経営者であった長谷川浩一氏(現蟹仙洞代表)に問い合わせ、まちがいないとの返事を得ました。○に漢字の「長」が書かれているといいます。

宮方商店には長谷川製糸所に生糸商標を販売していたという記録が残っていたので、調査に大いに役立ちました。

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← 宮方商店の社用封筒にも商品名が記載されていた。

 このたびは、以前に載せた「宮方商店」に関するブログ記事をみてくださった山形の方からのありがたいお申し出により、貴重な資料がまたひとつ当館所蔵資料となりました。

山梨にあった「宮方商店」の資料は販売先であった全国の製糸会社を通じて日本中に残されているものと思います。

改めて、「日本蚕糸業を支えた宮方商店、恐るべし!(館長談)」の実感を強くもちました。

現在、宮方商店資料の一部である、製糸会社に販売した生糸商標の見本帳を2冊お借りして、データ収集し、画像デジタルデータ化、製糸工場別リスト等の作成をすすめています。

全国216か所の製糸工場・総数817枚ものさまざまなデザインの生糸商標が見本帳の中に貼られており、販売年月日の記載もされている貴重なものです。

全国にある製糸場を有した地域の資料として活用しやすいように、どのようにこの資料を遺していくか?、宮方商店資料を受け継がれている御親族の方とともに今後検討していきたいと思います。

まゆこ

2015年10月 1日 (木)

郷土数学研究会の皆様に・・・

 先日郷土数学研究会の会員の方々が、計算道具展を見に来てくれました。数学の歴史を研究している方たちなので、和算やそろばん・算木などについて詳しい方たちです。

 私たちのささやかな展示を見に来てくださった上に、研究成果である資料もいただきました。

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 南アルプス市の神部神社の算額を復元したり、北杜市の熱那神社の算額を調査したりと、すばらしい成果を残しているグループです。

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 神部神社の復元算額をかわいい絵馬にしたものもいただきましたので、さっそくかざらしてもらいました。
 常設展示室にあるそろばんについても、大変古いものであるということを教えていただきましたので、紹介します。

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 壊れているところもあるので、今回のミニ企画展には出してなかったのですが、かなり大きいそろばんです。普通のそろばんと比べてみるとその桁違いな大きさがわかります。

 横の長さを測ってみると、普通のそろばんは39cm、大きい方は61cmもあります。桁数はどちらも27桁です。なんと桁違いではなく、桁数は同じでした。

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 五球は二つ、一球は五つで、球は手作りです。現在のように轆轤を使っていませんので、球の形は一つ一つ微妙に違いますし、そろばん球型というより、丸みを帯びてずんぐりしています。

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 桁には一十百千ではなく、石斗升合と書いてあります。

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 ひっくり返して裏側を見ると、底の板があったことがわかります。引き出し状になっていたと思われる桟があるのでわかります。写真と反対側の枠の方から底板を入れたようで、枠が一段低くなっています。

 このようなそろばんは、江戸時代も半ばまでさかのぼるものだそうです。資料館には本当にすごい宝物が眠っています。今回、それをさまさせてくれたことに感謝します。ぜひ展示に生かしたいと思います。

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