何でも国策だったんだねぇ
また台風が近づいてるっちゅうけんど大丈夫ずらか。うちの方も堤防が壊れるようのこんがあっちゃあ困るよぅ。
今日は資料館の品物じゃあねえけんど、70年たって土の中から顔を出したもんがあるから、見とくんなって。
土の中から出てきた謎の物体
何だと思うじゃんね。長い方が5cmくれえで、短い方が3.5cmくれえのラグビーボールをちっと平にしたようの形をしてえて、穴がたくさんあいてるさ。粘土で作って素焼きをしてあるね。型に入れて作ったようで、字もへえってるさ。
こっちっかわにゃあ(こちら側には)登録実用新案て二文字ずつ横書きに書いてあるさ。横書きだけんど右側から書いてあるから、戦後のもんじゃあねえね。
コクサクと書いてある
反対っかわにゃあコクサクって片仮名で書いてあってその下に灰っていうように読める字が書いてあるさ。「えっ、国策灰?」。これで戦争中のものと言うことはわかったけんど、「灰?」は相変わらずなぞさね。ネットで調べてもヒットしんし。娘が灰っていう字だけやけに平べったいから、上にまだなんか書いてあるかもしれんよ。っていうので、「国策炭」かなあと調べてみたら、あったさ。
戦争中に10個90銭とかで袋に入って売ってて、炭だの豆炭だのと一緒に使うと、炭が長持ちするっちゅう燃料節約の品物だっただって。
「代用炭」っちゅうことだね。戦争中はなんでもかんでも代用品だっただね。よく考えたもんだよ。
登録実用新案と書いてある
考古博物館の企画展で、甲府城のお城の石垣から出てきた代用炭が展示されてたらしいけんが、見に行かなかったから、今更ながら惜しかったなぁ。見に行った人にどんなだったか聞いたけんど、記憶にない人ばっかだった。残念。
この炭は、うちの2歳の孫が公園でちっと顔をのぞかせてるのを見つけて、どうしても掘るっていうから、娘が一生懸命回りを掘って取り出しただって。その公園ちゅうのが武蔵野中央公園で、戦争中は中嶋飛行機の武蔵野製作所があったとこさ。中嶋飛行機は何回も何回も空襲にあって、工場は壊滅的な破壊をされたたしいけん、その土地から70年ぶりに代用炭が出てきたっちゅうこんは、なんだか「当時のこんを忘れちゃあ困るよ。」って言ってるようの気がするね。
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