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2015年8月29日 (土)

日本人が愛した計算道具(3)

機械式計算機(きかいしきけいさんき)

 スコットランドのネイピアが対数の原理から計算の原理を考えたのが機械式計算機の始まりといわれています。その語歯車を組み合わせて計算を行う機械式計算機をドイツのシッカートが1623年に発明しました。1642年にはフランスのパスカルも歯車を使った計算機を発明します。

 その後さまざまな改良が加えられましたが、日本では大正時代に大本寅治郎によりオドネルの設計図に基づいた「タイガー計算器」が開発され、日本における機械式計算機の代名詞となりました。当時の機械工作の粋を結集した製品で、米英独でも特許をとりました。大正6年の販売時には、そろばんの100倍もの値段だったそうです。

Dscn7725jpg2 昭和31年発売日本計算機製SM-21

 その後「日本計算機」「パイロット」「東芝」などさまざまなメーカーが商品化します。シェアを分け合ったのは、タイガーと日本計算機で、昭和30年ころからは価格も同じ35,000円でした。会社や官庁でこの計算機を使ったという人も多く、予算を作る時期などは、順番待ちだったそうです。これ以外の計算方法は、そろばんか筆算しかなかったのですから。ところがコンピュータや電卓の登場で1970年前後には生産が一気に急落しました。タイガー計算機も1970年には製造を終了します。

Dscn7515jpg2 数字が並んでいかにも機械的

 タイガー計算機は事務機器のメーカーを経て、現在はタコグラフやドライブレコーダーを製造する会社へと変わり、日本計算機も電卓製造の過程でインテル開発にかかわるなどしながら、現在はコンピュータ部品製造の会社になっています。

電子卓上計算機(でんしたくじょうけいさんき)

 名前の通り電子回路によって計算を行う道具で、電卓と呼ばれて現在も愛用されています。1963年イギリスで世界初の電卓が開発されましたが、翌年には世界で初めて「シャープ」が商品化し、535,000円で販売しました。重さは15kgから20kgもあり、卓上にどっかと場所を占めていました。同じ年には「キャノン」が、その翌年には「カシオ」が電卓に参入し、機械式計算機の日本計算機も電卓を開発します。このころは名前も製品によって異なり、電子計算尺とか電子そろばんとか言っていました。

Dscn7730jpg2_2 卓上にどっかりと

 展示してある「ソニー」のソバックスは、1969年発売で重さは6kgとやや軽くなり、当時としては最も軽く小さい電卓でした。持ち運びができるということから取っ手が上部に付いています。それでも発売価格は228,000円です。数字は現在の表示方法とは異なり、0から9までの数字の形をした電球がそれぞれの桁に並んでいて、0の電球が光ったり、1の電球が光ったりすることで表示をします。ですから、数字によって奥行きが異なり、前のほうに見えたり、奥のほうに見えたりでこぼこしています。もう50年近くたつ電卓ですが、ちゃんと計算ができます。日本の機械はしっかりできていますね。

Dscn7729jpg2_2 数字が凸凹に並ぶ

 1970年ころからICを使った電卓となり、価格破壊が進み、個人が所有するツールへと変わっていきます。

Dscn7734jpg2 手のひらサイズとは言うけれど

 展示してある「シャープ」のエルシーは1971年発売のものですが、宇宙開発技術を応用したといううたい文句で、世界初のメモリー付き電卓で、手のひらサイズと大きさも小型化しました。値段も84,000円です。たった2年でこれほど変わってくるのですから、競争から離脱するメーカーも多くなります。ソニーもその一つで、電卓に関わったのは5年ほどでした。

Dscn7736jpg2 右下は中国製の現在の電卓

 1970年代後半には、超小型化も進み、電卓競争と呼ばれる激しい競争がインテル・液晶・太陽電池・電子辞書・携帯端末などの技術を生み出しました。1980年以降は表計算ソフトを使うようになり、電卓は補助的に使われることが多くなります。電卓の生産はほとんどが海外で行われ、低価格化もますます進み、100円ショップで手に入れることすらできるようになってしまいました。シャープがはじめて商品化した時とは隔世の感があります。

 面白い話はつきない計算道具ですが、ぜひ資料館に足を運び、実際に計算を体験してみてください。お待ちしています。

大々的に防災訓練が行われました

まもなく9月1日の「防災の日」となります。その前の8月28日(金)に、中央市農業振興公社とその傘下機関で防災訓練を実施しました。

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大地震による火災発生という想定のもとに、訓練が開催されました。資料館では、まず、火災報知にを鳴らす訓練を最初に行い、次に、ハンドマイクよる入館者への非難呼びかけと、館内放送による避難呼びかけを行いました。

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放送では、地震に対して10秒間は身体の安全を確保するため、その場で危険を避ける落ち着いた行動をお願いし、周囲の状況を判断した後に、館外へ非常口や各出入り口から避難していただくよう放送しました。

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こうして、退避した入館者や職員は、隣の「ふれんどりぃ」関係者とともに集合して点呼を受けました。

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幸いにしてか?資料館入館者は0名でしたので、訓練は予定より早く終了し、あとは消火訓練を行いました。今は、訓練用の水消火器で、的を倒すことができればよいので、粉や泡が周辺に散布して、後片付けに苦労することはありませんでした。
実際、災害が来たら、まず人命が大切で、次に展示資料でしょうか。職員一同、気持ちを引き締めた訓練でしたよ。

2015年8月28日 (金)

今夏の実験1(桑の皮むき)

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こんにちは、まゆこです。

 まゆこには、「何のための道具かはわかるけど、実際に使ってみたらどんな感じなのか気になってしかたないわぁ~もぅ~」とつねに思っている道具というのが、当館資料の中にいくつかあります。
Dsc_2252その一つは「桑の皮むき器」。

今年は戦後70年の企画展をやっていることもあって、戦争中の物資不足の際、学校ごとに子どもたちが桑の皮を剥いだものを乾燥させて集め、業者で繊維にして黄色っぽい糸のごわごわした服を作ってもらったという話を来館者の方数人から聞きました。

でも、当館所蔵の桑の皮むき器をみせて「これをどうやって使って剥きましたか?」と尋ねても、当時小学生だった方々の記憶には残らなかったようでよくわかりませんでした。

なのでじゃぁやってみるか!ということで桑の皮むき実験開始~!(実は去年の冬にも思い立って葉の落ちた桑枝を採ってきてやってみたのですが、乾燥しすぎていて皮が剥がれず失敗しているから今回で2回目なのです)

実験の詳細と結果は・・・Dsc_2253

『春蚕の終わった7月はじめにまゆこは桑を切りに行った。

桑枝を運んだ車を駐車場に置きに行っている間に館長がすでに皮むき前段階の桑葉の扱き落とし作業をしてくれていた。(まゆこが何やらやり始めると、館長は絶対に黙って見ていられない性分なのでとても助かるし心強い)

Dsc_2263次に端の皮を少しめくっておいて「桑の皮むき器」のローラーにはさんで手前に引っ張ってみた。
桑の皮は上手にとれた。う~んしかしだ・・・、Dsc_2267

 この皮むき器を使わずに、自分の手で剥いてもかなり楽にきれいにとれてしまうではないか!?

「この道具を使わなくても大丈夫じゃない?手でやれば?」という疑問が館長とまゆこに芽生えてきた。

 でも、「桑の樹液はかぶれやすいし、やはり大量に皮むきするには必要だったのだと思われる」という結論になった。

 上部についている木のレバーを押すと二つのローラーを締めている金属製のバネが緩んですき間ができ、枝を挟みこむことができるという仕組みになっている。』

 結局なぞは残ったままですが、今後もこの道具に関してアンテナははったままにして新たな情報があれば、まゆこにお聞かせ願いたいと思います。

 そして、せっかく採れた桑皮はそのまま捨ててはもったいないので、どこまでの繊維にできるかこのあとちょっとイタズラしてみましたので写真でご覧ください。

Dsc_2270①まず苧麻みたいに板の上で外皮をこそげるように剥いでみた。あんまりうまく剥げないので、
Dsc_2290②水に一週間くらい浸けておいて外皮をくさらせてみた。

Dsc_2145③その後流水で揉み洗いしたが、外皮をきれいに洗い流すことはできなかった)。

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④乾いたあと外皮を取り除こうとしたが、繊維に絡みついていてとても困難であることがわかった。しかも、繊維が嫌な具合に切れているので、撚って糸にするのは綿よりもずいぶんむずかしそう。

やっぱり駄目だったねぇ。

もっとどろどろの短繊維に切断してから撚って糸にするしかなさそうです。

 もっとも紙布(しふ)といって、日本には紙に加工してから細かく切ってこよりのようにして糸を作り、衣料にする技術もあったそうです。

 昔の人は自然界のいろいろなものからそれぞれにあった方法を見つけ出して糸を作っていたんですね。すごいなぁ。

 さぁ、大変感心したところで、気持ちの踏ん切りがつき、ずっと机の上にあった桑皮の繊維を失敗作と認め、晩秋蚕を迎える前に処分することができそうです 。

 桑皮で糸をつくるというまゆこの浅はかな思いつきはそう簡単ではなく、道は遠いことがよくわかりました。

さぁ、9月4日から晩秋蚕が始まります。またがんばるぞ~! 

まゆこ

2015年8月26日 (水)

蚕影山大神の移転5 遷座式

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今日は、蚕影山大神の移転が終了したことで、施工業者さんが遷座式を午後2時から行いました。関係者の皆さんが立ち会いましたが、その出来栄えに驚いていました。遷座式Dsc_2247

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を執行していただいた祈祷師の方も、その出来栄えに感心していました。
いい仕事をしたね~
遷座式は皆が整列してからおはらいをしてもらい、鎮魂・入魂の祈祷を丁寧にされて終了しました。蚕の繭も供え、また、裏には桑を植えます。
祈祷の時間は約15分だったでしょうか?最後はお茶と虎屋の羊羹をいただき、神前に供えたスイカも切っていただきました。
亡き中込文義さんもさぞかし喜んでいるでしょう。この蚕影山大神に、ぜひ多くの養蚕にかかわった方たちがお参りしてほしいものです。

2015年8月25日 (火)

実りの秋

Tomiko

 富子だけんど、今朝はやけに寒くて、押入から布団を引っ張り出してかけんと寒くて寝られなかっとうさ。いっぺんに秋になっちゃったじゃんね。

 実りの秋だから、畑の作物も取り入れの時期だよ。資料館のプランターの黍(きび)も実が熟してきて、黄色くなったから、鳥に食われんうちにとり入れをしちまわんと。黍は実りの時期がちっとっつちごう(違う)から穂刈りをするさ。弥生時代の米といっしょだよね。

Dscn7818jpg2 黄色く熟し始めた黍

 子どものころ、うちでも黍を作ってたから、黍の収穫はよくやらされとうもんさ。裁縫箱にへえってる(入っている)糸切りばさみをでっかくしとうような鋏がどこのうちにも何丁かあって、それで切っとうさ。今じゃあ洋鋏ばっかがうちの中にころがってるけんど、むかしゃあ(昔は)和鋏ばっかしかなかっとうもんさ。

Dscn7889jpg2 小さい実がびっしりついている

 甲州モロコシも実がついたさ。

Dscn7807jpg2 甲州モロコシの実

 スイートコーン系のモロコシより実ががしな感じがするね。やっこいうちにとらなくてもいいから安気だけんど、やっこいのもとって焼いて食ってみてえもんじゃんね。

Dscn7815jpg2 ソバも大きくなった

 ソバもあっというまに本葉が何枚も出てでかくなったよ。ほんとにでかくなるのが早くてびっくりしちもう。見るたび違っておもしろいじゃんね。花が咲くのが楽しみだよう。

 資料館に来てくれるお客さんの中には、ソバやらワタやらのプランターを珍しがって見てくれる人も多くて、作ってる甲斐があるよね。まあ、自分で作って自分で食えると言うのが一番だけんどね。

2015年8月23日 (日)

浅利諏訪神社の祭礼

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浅利諏訪神社は、平安時代末・鎌倉時代初頭に、この地を治めていた甲斐源氏の武将・浅利与一が勧進した神社と伝えられ、以来地域で盛大な祭りを催してきました。

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今日は夏まつりで、午前9時から子供神輿が地区内をねり歩きました。かわいい子供たちの神輿や山車が華やかでいいですね。子供がたくさんいるのに驚きました。

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午後3時からは、大人の神輿が神事を経て出発します。神主さんの祝詞や玉串奉てんなどの儀式を経て、神様を本殿から神輿へ御移りいただく渡御の儀式が1時間ほど続いて、よ

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うやく神輿の出発です。が、その前に記念写真です。いよいよ掛け声も勇ましく神輿が出発しました。今日は夜9時~10時頃まで地域や浅利川・笛吹川の土手を練り歩き、治水や地域安全と繁栄を祈るために、神輿が担がれるとのこと。みなさんに神様の祝福あらんことを祈りつつ、私は神輿と別れました。

玉穂ふるさとふれあい広場の蓮花

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22日の早朝、玉穂ふるさとふれあい広場に出かけたところ、池の中に蓮の花の群落がありました。蓮の花が見事に咲き、その間をカモや錦鯉が悠然と泳いでいました。

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蓮の花と言えば、仏像の台座にある連座を思い起こす方も多いと思いますが、石造物の台座などにも刻まれますね。灯篭の台座の蓮華文、古代瓦の軒丸瓦の文様も蓮の花が描かれています。蓮と仏教は親しい関係がありますね。泥の中から出てきた美しい花が、一時、苦しみやつらさを忘れさせ、人々の心を和ませるからでしょう。
見事な花を眺めに、どうぞ、近くの方はお出かけください。場所は中央市玉穂庁舎の南東側です。

2015年8月22日 (土)

蚕影山大神移転4

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いよいよ蚕影山大神の石碑を据え付ける段になりました。慎重に吊り上げて設置していますが、素人目には落ちないかとひやひやしながらの観察です。しかし、さすがプロですね。しっかりと据え付けられました。一日おいてコンクリートが固まったのを見届けて、仕上げが行われました。

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今日は朝のうちに最後の仕上げや化粧が行われて完成しました。敷石も見事ですね。後ろの石囲いの中には、近いうちに桑の幼木を植えようと思います。
完成の遷座式は26日の午後に予定されています。
本年、養蚕農家が1軒もなくなった今、豊富地区の養蚕農家の盛衰を見つめてきた蚕影山大神が遷座して、当資料館の隣地に移されたのも、この資料館が後世に養蚕業を伝える役割を持っているからだと思います。
なお、資料館では9月5日から、晩秋産の蚕を飼いますので、職員一同、この蚕影山大神に良好な繭ができるよう祈りたいと思います。

2015年8月20日 (木)

蚕影山大神の移転 3

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先日基壇ができた後、お盆休みになって作業が休止でした。今週になり、急速に作業が進んでいます。まず、灯篭や石柱、そして蚕影山大神の石材が運ばれてきました。最初は、基壇の

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前に石柱が2本建てられ、次は灯篭が建てられました。裏側には石で囲った池のようなものが造られました。これは、なんとまゆこさん提案の桑の木を植えるところです。今日は雨で作業中止で

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すが、参道には平石が貼られ、周りには白い小石が敷かれるようです。あと数日で完成でしょうか?

2015年8月18日 (火)

日本人が愛した計算道具(2)

 今日はそろばんと計算尺について、書きます。

そろばん(算盤)

 串で刺した球の位置などで数を表現し、計算の助けとする道具です。世界には多種多様なそろばんがあり、紀元前から使われていたと思われます。4~5000年前のメソポタミア地方では、土や砂の上に線を引き、そこに小石を置いて計算していたと言われています。日本のそろばんは14世紀頃から中国で普及したそろばんが室町時代に伝えられ、江戸時代に普及しました。小学校1年生の教室にカラフルなそろばん型の教具が置かれていたりしますが、それらもそろばんの一種です。これらそろばんの仲間は古代のそろばんの呼び名から、アバカスと呼ばれます。

Dscn7507jpg2 江戸時代のそろばん

 中国から伝わったそろばんは、球が団子のように丸く、五玉が2つ、一玉が5つのものでしたが、手の大きさに合わせて枠も小さく、球も菱形に変形していきます。中国では16進法の計算が必要なため、五玉が2つ、一玉が5つ必要だったようです。五玉が2つあると、繰り上がりのとっさの短期記憶が苦手な人や、連続的な指操作を習得していない人でも、とりあえず五玉を2つ動かしておいて後で直せばいいので、確実に計算できるメリットがあります。

Dscn7510jpg2 江戸時代(下)と明治以降のそろばん(上)

 明治になり不要な五玉を1つに減らしたそろばんが普及します。また、昭和になって小学校でそろばんが必修になると、一玉も4つになりました。四つ玉そろばんになったことで日本のそろばんは高速で計算できるようになり、本家の中国でも四つ玉そろばんが使われるようになっているそうです。

 そろばんでの割り算は17世紀に毛利重能の『割算書』が書かれてから広まり、吉田光由の『塵劫記』でもそろばんの割り算にページを多く割いています。それは「割り算九九(八算)」を使う方法で、割り算九九を覚えて計算すると自動的に割り算ができてしまうという方法です。これを「帰除法」と言います。現在行われているのは、かけ算九九を使って商を導き出す方法で、「商除法」と言います。昭和の初めに小学校にいっていた人たちはこの割り算九九を覚えたのではないかと思います。この展示を見てくれた88才のおばあちゃんは、割り算九九を教わったと話してくれました。

 割り算九九は「二一天作の五、二進の一十・・・」のようにリズミカルに唱えて覚えました。ちなみに日本人がかけ算九九を覚えて使えるのは、日本語の特性で歌うように覚えられるからで、そうでない言葉を使う国では大人でも九九を覚えるのは難しいそうです。

けいさんじゃく(計算尺)

Dscn7526jpg2 計算尺

 1632年イギリスの数学者オートレッドが発明した対数の原理を応用したアナログ計算道具です。棒状のものや円盤状のものがあります。日本では1894年にフランスで使われていたものを欧米視察の土産として持ち帰ったのがはじまりです。さっそく次の年には逸見治郎が国産の計算尺を完成します。

Dscn7529jpg2 カーソルを合わせて計算する

 高性能電卓が普及するまで計算尺は科学者や技術者にとって必須アイテムでした。アニメ映画『風立ちぬ』で、主人公の零戦設計者がいつも胸ポケットから計算尺を取り出しては計算していたのを覚えている人もいるかと思います。

 1965年頃には中学校や高校の数学のカリキュラムにも組み込まれ、部活動としても盛んに行われ、全国レベルの競技会も行われましたが、1980年代に電卓の普及で生産が中止になりました。日本の計算尺は竹製で狂いが少なく、世界シェアの80%を占めたこともあったそうです。

2015年8月16日 (日)

立川飛行機製造所を探る

Photoこんにちは、まゆこです。

今回は第3回歴史文化講座開催のお知らせです。

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●平成27年度第3回歴史文化講座

 

講演会:戦後70年中央市の戦争遺跡「立川飛行機製造所を探る」 

 

 

 日時:平成27年9月6日(日)   午後1時半~3

 

講師:今村直樹 氏(中央市教育委員会)

 

場所:中央市豊富郷土資料館シアタールーム

 

参加・入館無料・申込み不要です。

 

主催:中央市豊富郷土資料館(中央市大鳥居16191 ℡0552693399

 

共催:中央市文化協会郷土研究部

 

 

 

 市内にあった戦闘機製造工場がどのような規模でどんな飛行機をつくったのか?作業経験者や米軍の記録から、軍事工場の秘密を探ります。

 

当館では、927()まで企画展「中央市のアジア太平洋戦争」を開催しております。講演会参加のお客様は入館無料となりますので、どうぞ併せてご覧くださいませ。

まゆこ

2015年8月15日 (土)

サトクダマキモドキとキリギリス

Tomiko

 富子だけんど、うちのほうじゃあ、昨日と今日夜中に雨ん降ったから、生きもんも息ょうふきっけえしたと思うね。サツマイモん一番喜んでるじゃあねえかな。昨日の与一公まつりはやってる最中は降られんで、終わってっから降ったからよかっとうじゃんね。

 資料館は山にくっついてるからいろんな虫がへえって来るさね。本当は資料館にゃあ虫はいちゃあいけんもんだけんど、しょうがねえよね。

Dscn7793jpg2 玄関に来たキリギリス

 最近はバッタの仲間が来るようになってね。子どもまつりの日にやけにでかい声で「ギーッチョン」ってうるさく鳴く虫がいると思ったら、キリギリスだったさ。

 『アリとキリギリス』で有名な虫だけんど、実際ちゃんとお目にかかったのは初めてで、最初は何の虫かよくわからなかったさ。絵本の挿絵にあるキリギリスのイメージとはちごうじゃんね。羽も短けえから幼虫かと思ったら、ヒガシキリギリスは羽が短けえだって。ヒガシキリギリスとニシキリギリスの2種類があるなんてこともはじめて知ったしね。ヒガシキリギリスは青森から岡山あたりまで棲んでいて、ニシキリギリスは近畿地方から九州にかけて棲んでるだって。

Dscn7796jpg2 目が大きくあごもするどい

 でっかい産卵管があるからメスだね。鳴き声もうるさいくらいでかいけんど、昔っから観賞用に飼われているだって。雑食性だっていうからなんでも食うだね。どう猛っちゅうこんだね。だから脚にもとげとげがいっぺえ生えてるだね。

P8131206jpg2 遠くから見たら絶対わからない

 葉っぱにとまってるとどこにいるだかわからんようの虫だけんど、ひょいと見つけたさ。サトクダマキモドキっていうだって。里にいるクツワムシに似ている虫っていう意味でついた名前だって。平地の森の木のてっぺんのほうに棲んでるし、ほとんど鳴かんし、鳴いてもちっくい声しか出さんからめったに見られん虫だって。

P8131208jpg2 キリギリスに比べたらひ弱そう

 顔もおもしれえじゃんね。キリギリスみてえに目がでっかくねえし、口もおちょぼ口だよ。ツユムシの仲間じゃあ大型のほうで、ふだんはじっとしてるけんど飛ぶのはうまいだって。どおりで写真を撮ってる間いっさら動かなかっとうわけだわ。オスもメスも鳴くっていうとこもめずらしいね。
 

 こういう虫が目を楽しませてくれたり、物知りにさせてくれたりするから、虫がへえってくるのもまんざらじゃあねえってことさね。

2015年8月14日 (金)

蚕影山大神の移転2

資料館の隣地の植栽が刈り取られて整地され、山宮の地にあった蚕影山大神の土台の移

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設作業が始まりました。土台はコンクリートで固めてあり、削岩機で解体しています。大変な作業ですが、土台の石垣も立派なので、この方法しかないでしょう。

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さて、土台ができあがりましたが、蚕影山大神の刻まれた石碑はいつ移されるのか、また、除幕式を開催するのか?今後の日程はまだ未定です。

2015年8月13日 (木)

日本人が愛した計算道具(1)

 日本に中国から数学が伝わったのは、飛鳥時代のことです。かけ算九九や計算道具の算木もいっしょに伝わりました。それから今にいたるまで、日本人はいくつもの計算道具を外国から学んでは改良し、愛用してきました。
 その間に日本独特の数学である和算も発展させ、生活に必要な初歩の計算から、天体の動きを計算することまでやってのけました。
 これから日本人が愛用してきたさまざまな計算道具を時代順に見ていきましょう。

Dscn7714jpg2_2 展示の様子

 1 算木(さんぎ)

 中国数学で用いられた計算道具で、中国では紀元前から使われていました。日本には飛鳥時代に数学とともに伝来します。算木は加減乗除はもちろん、高次方程式をとくこともできます。ところが中国ではそろばんが使われるようになると算木は使われなくなり、使い方もわからなくなってしまいました。日本ではそろばんが普及してもそろばんと併用する形で数学(和算)を発展させました。

Dscn7718jpg2_2 算木一式

 赤い算木は正の数を、黒い算木は負の数を表し、算盤という格子を書いた布などの上で計算します。2000年も前に正の数負の数が発見されていたことに驚かされます。

 NHKの大河ドラマ「平清盛」や映画「天地明察」で計算道具として何度も登場しましたから、どのように使うか覚えている方もいるかと思います。

Dscn7719jpg2_2 赤算木(彩色はしてありません)

 今回展示した算木は、中央市の指定文化財で、大鳥居の有泉家に伝わるものです。山梨県全体では確認されている算木は5セットしかありませんが、その貴重なひとつです。5セットの中では最も多く算木の棒が残っているというのも貴重です。有泉家は裕福な農家で、幕末から明治にかけて寺子屋を開き子弟の教育にあたっていたとされ、算木もそこで使われたものと思われます。

Dscn7716jpg2_3 体験用の算木

 黒算木140本と赤算木353本(彩色せず木素地のまま)は、縦20cm横10cm高さ8cmほどの箱に入っています。算木1本の大きさは、長さ3.5cmほどの小さなものです。これなら携帯にも便利でしょう。

 私も算木を使って加減乗除の計算をしてみましたが、慣れないのでなかなか正解にたどり着けませんでした。模型の算木を作って体験できるようにしてありますので、ぜひ資料館に来て算木体験をしてみてください。できないことに挑戦するのはいいことですから。

2015年8月12日 (水)

群馬の養蚕家屋と盆まつり

Photoこんにちは、まゆこです。

 先日個人的に「群馬県立日本絹の里」に行ってきました。

 

 絹や蚕について日本を代表する専門家がわかりやすく講義してくださるという「日本絹の里大学」に参加するためです。

 出かけて行った7月25日の講義は、まず館長の藤枝貴和先生から「蚕について」、つづいて高崎経済大学教授の大島登志彦先生より「日本の蚕糸業の動向と『富岡製糸場と絹産業遺産群』世界遺産登録の意義」という内容でした。

 お二人のお話はとても勉強になりましたし、疑問に思っていたことを質問でき解決できたのでほんとうに行ってよかったです。群馬はいまでも蚕糸業の本場なのだなぁと感動します。

Dsc_2150 日本絹の里展示の蚕飼育コーナー

 

 藤枝先生には講義終了後まゆこ的に興味のあった「三眠蚕(さんみんさん)」の発生するメカニズムとその発生を利用して三眠蚕からとる極細糸の生産を行っていた昭栄製糸の存在を教えていただき、これまで地元の方から聞いた養蚕話の中での疑問点やシルクスクリーンを販売する会社の方に質問されてわからなかったことが消化できました。 

 藤枝先生のお話からは、日本の養蚕技術ってなんて高水準なのだろうと感心させられるお話ばかりでした。

Dsc_2149 日本絹の里展示の座繰りコーナー

 つづけてご講義された大島先生からは日本蚕糸業の動向についてのなかで、山梨県に関してなんと当館とその展示についてもご紹介いただき大変光栄でした。   こちらからは先生がおととし山梨県に調査にいらした後の動向についてなどお話でき、大変勉強になりました。

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 帰り道、群馬県内でかっこいい養蚕家屋がありましたので、思わず車を止めましたよ!

 近づいてみると、屋根の下には滑車がついていて、「はは~ん、上階にある上蔟室に熟蚕を運び上げる装置だなぁ♪」とわかりました。

 

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 このお宅ではまだ養蚕をなさっているのでしょうか?

春蚕期はとうに終わっているはずなので、7月の夏蚕期をお休みしているだけでしょうか。

秋蚕期はやるかなぁ♪

 群馬県には10月末の講義がおわるまで、たびたび訪れる予定なので、このお宅の方とお話しできる機会があるといいなぁと期待しているまゆこです。 

←上蔟室の軒についている滑車

 さらに、そのかっこいい養蚕家屋のそばにある神社ではにぎやかに夏祭りが行われていました。

Dsc_2160 ←高崎市金古町伊勢神社の夏祭りDsc_2167

 山梨では見たこともない華やかな盆踊りのやぐらをみて驚いたり、うわさの上州名物「焼きまんじゅう」にありつける幸運を得たり、収穫たっぷりの日帰り群馬旅だったのでした。

 ←群馬名物「焼きまんじゅう」は美味かった!

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ところで、当館飼育の初秋蚕は

811日に上蔟しましたよ!

いまかいこたちは一生懸命に繭をつくっています。見に来てね!

まゆこ

2015年8月11日 (火)

ソバの種まき

Tomiko

 富子だけんど、雨ん降ってくれんで困るじゃんね。いっぺえ降ってるとこはあふれるくれえ降ってるに、いっさら降らんだよね。畑ん乾いちゃって、掘りっけえしても水分がねえだから。畑にもソバを蒔いたけんど何時芽ん出るだか。

Dscn7752jpg2 ソバの実

 ソバを蒔きたくて、種を分けてくれるように頼んどいたら、ボランティアの水上さんがわけてくれたさ。上の写真がソバの実だよ。三角にとんがった実だよね。

Dscn7790jpg2 種まきから3日後

 8月5日に種まきをして8月8日にゃあ芽ん出ただよね。巻かった葉っぱの上の方に種の殻を付けた実もあってかわいいもんだよ。ソバはでかくなるのが早いとは聞いてとうけんど、こんねん早いとはびっくりした。

Dscn7792jpg2 さらに3日後

 ほうして今日は8月11日。こんねに葉っぱもでかくなって、茎も伸びてきたから、みんなに見える表へ引っ越しとうさ。

 ソバは中国南部が原産地で、そこから世界中に広まったらしいさ。ソバなんて日本の食い物かと思ってたら、中国はもちろんインド・ネパール・イタリア・ロシア・ポーランドとかでも食ってるだって。粥にしたり、パンにしたり、クレープにしたり、パスタにしたり。お茶にもなる。

 ソバんとれたら、こんねんいろいろなもんが作れると思うと楽しみだねえ。子どもの頃ソバも作ってとうけんど、そばとそばがきくれえしか作った覚えがねえからね。

2015年8月 8日 (土)

豊富村養蚕農業協同組合の蚕影山大神の移転1

旧豊富村は、かつて集落の70パーセント以の家が養蚕にかかわり、村の大産業でしたが、平成に入ると急激に養蚕業は衰退して、最盛期の580戸から平成1年では272戸、平成7年では51戸となりました。
昭和24年に集落単位で19の養蚕組合が設立されましたが、昭和39年5月よりこれらの組合が合併して豊富村養蚕農業協同組合を設立し、養蚕の振興に取り組んだのです。しかしながら、果樹栽培の増加、養蚕の価格の暴落、農業からの離脱などにより平成9年にその役割を閉じました。

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この間、昭和56年に蚕影山大神を祀りましたが、養蚕協同組合の解散後も、その敷地に残されていたため、この度、旧豊富村を代表する養蚕資料として、本資料館脇へ移転されるうことになりました。これは、旧豊富村最後の養蚕家である故中込文義さんの御意志でもあったようです。

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工事は8月6日の午前10時に移転の神事が行われ、また、移転先の資料館脇でも神事を行い、午後から伐採・整地作業が行われました。蚕影山大神の基礎の台は切石積の立派な台ですが、なんとコンクリートが台の中に充てんされており、工事関係者の方々は、削岩機などを使い、炎天下大変な苦労をしています。

モロコシとワタの花

Tomiko

 今日も暑いね。昨日は市川の花火の日だったから、夏も本番中の本番ちゅうこんだね。この暑い中植物はえらいもんじゃんけ。花を咲かしたり、実をならしたりするだから。

 昨日は黍の花を見てもらったけんど、今日は甲州モロコシの花と、ワタの花を見てもろうじゃんね。

Dscn7758jpg2 甲州モロコシ

 モロコシん青々と暑さに負けんで育ってるよ。上の方にススキの穂みてえに見えるのが雄花っちゅうわけ。

Dscn7760jpg2 モロコシの雄花

 ちっと見にくいかもしれんけんど、イネの花によく似てるらもの。トウモロコシもイネ科の植物だからね。おんなしようの花が咲くだね。イネは雄花と雌花は分かれちゃあいんで、ひとつの籾殻の中に雌しべと雄しべのある花が咲くけんどね。

Dscn7762jpg2 モロコシの雌花

 こっちが雌花。っていっても、包葉から顔を出してるのは雌しべだけで、これで花っていってもねえっていう感じだよね。風の力で受粉する風媒花っちゅうとこもイネとおんなしさ。この雌しべの根元が食べる実の一粒一粒につながってるっちゅうわけ。こんだ、モロコシょうむくときよく見てみ、つながってるから。

Dscn7769jpg2 洋ワタの花

 こりゃあワタの花だけんど、いつみてもきれえのもんじゃんね。花が上を向いて咲いて、色ん白いのが洋ワタで、花ん下を向いて咲いて、黄色いのが和ワタっちゅうわけ。

Dscn7770jpg2 和ワタの花

 これん和ワタの花さ。下を向いて咲くから、写真に撮りずらくて困っちゃたさ。木の高さは和ワタの方が高いけんが、がっしりしてるっちゅう点じゃあ洋ワタだね。

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 今年は花の代わりにこれも植えただけん、花ん似てるら?オクラだよ。ほんだから調べてみたら、オクラはアオイ科のトロロアオイ属で、ワタもアオイ科のワタ属だって。似てるわけじゃんね。親戚どうしっちゅうわけだね。おもしれえもんじゃんね。

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 おまけだけんど、こりゃあ洋ワタの花ん咲き終わったときの写真さ。ピンクになるだね。ワタは花もいいし、実も役に立つし、いいよね。オクラも花もいいし、実も食えるしいいよね。

2015年8月 7日 (金)

黍の花と防鳥網

Tomiko

 富子だけんど、このごろうちのほうじゃあ雷さんの鳴る音は聞けえたり、入道雲は見えたりするだけんど、肝心の雨んいっさら降らんでだめじゃんね。朝作りでソバを蒔いとうけんど、いつ芽が出るだかわからんよね。雨ん降らんから涼しくもならんし、弱ったもんどう。

Dscn7705jpg2_2 穂が出た黍

 せん(先)に黍の種蒔きをして、間引きをしとうこんを書いたけんど、7月の終わりになって穂が出てきて、花が咲いたさ。地味のもんだよ。米や麦のようにでかくはねえしさ。米や麦のおしべは白いけんど、黍は茶色っぽいね。

Dscn7706jpg2_2 見えるかな茶色い花が

 実がついたとなったら、しんぺえ(心配)になるのは、鳥が食っちもうこんだよね。米も麦もかなり鳥のえさになっちゃたからね。ほんだから、こんだ鳥にゃあやらん覚悟で、防鳥網をかけるこんにしとうさ。

Dscn7738jpg2 ネットの骨組み作り

 いつもながらの館長の仕事になっちゃって、「涼しくなってっからでいいですよ。」って言うに、ぱっぱとやらんと気がすまん質の館長は、日が照ってる中で、竹の枠を作って骨組みを組み立ててくれとうさ。「記録、記録。」って言って写真を撮ってると、「俺にあれをしろ、これをしろっちゅって、写真ばっか撮ってるだから、困ったもんだ。」って文句を言うけんど、まあ、私んとうにゃあまかしちゃあおけんからしょうがないさね。

Dscn7739jpg2 ネットの出来上がり

 黍全体をきっちり囲って出来上がりさ。ほんだけんど、この後も穂んたいへんでてきて、網からどんどんはみ出しちゃっとうさ。まあそこは鳥のえさにくれてやるしかねえかな。

Dscn7740jpg2 赤い網が見える

2015年8月 6日 (木)

いま初秋蚕の飼育中

 

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こんにちは、まゆこです。

平成27年7月26日~初秋蚕の飼育展示を行っています。

Dsc_2172 8月2日の様子

Dsc_2 8月6日の様子

 本日86日は5齢3日目で、食べ盛りの元気なかいこ約500頭を見ることができます。

810日くらいに上蔟予定ですから、ここ数日は毎日ぐんぐん大きくなります。

 

かいこが葉の端をガシッとつかんで、頭を上下しながらもりもり食べる姿は圧巻です! 皆さんぜひ見に来てくださいね。

 

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それから、

630日に収穫した春蚕の繭は、冷凍処理した後、現在天日乾燥中です。

1個の重さが1グラムくらいになるまで天日で干します。

 今回の春蚕は豊産でしたので、みなさんに「いい繭ができたね!」と褒めてもらえてごきげんなまゆこです。

Dsc_2171こちらは折藁蔟でつくった繭。

Dsc_2120 自作折藁蔟での営繭状況。

 区画蔟でつくられたものより形や大きさが不揃いになりますし、玉繭(2頭で一つの繭をつくったもの)もできました。 

回転蔟から脱落したかいこちゃんたちをここに収容したので、上繭でないのはあたりまえですが、真綿をつくったりするには十分なので、少しでも蚕たちの命を無駄にすることなく大切にしたいと思います。

Img182こちらは当館に収蔵されている昭和40年頃と思われる収繭の様子。「人が~うっ埋もれてる~!!
Img180_2同じく昭和40年頃とおもわれる旧中央市内で撮影された、収繭後袋詰めされる前の蚕棚に置かれた繭。

すごい量ですね! とてもじゃないけど、資料館ではこんなにたくさん育てられないです!!

まゆこ

2015年8月 5日 (水)

甲州小梅(2)

Tomiko_2

 富子だけんど、もうじきお盆さんじゃんね。お墓の草取りょうへえしたけぇ?。こう暑くちゃあ、草取りなんか昼間にゃあできんから、昨日は朝4時にうちょう出て、畑へ行っとうさ。日が出ちゃあいんから、2時間半ばっか働いとうけん、熱くならんでよかったよう。これっからしばらくは朝作りがいいよね。

 梅の話だけんど、梅は中国から伝わったっちゅう説もあるし、日本にも野生の梅があったっちゅう説があるね。弥生時代の遺跡からは梅の種とかがけっこう出てて、米とおんなしように九州の方からだんだん東の方へ移っていってるっていう人もいれば、縄文時代の遺跡から梅の種が出てるっていう人もいる。ただその遺跡がどこだかだれも知らんし、縄文時代に詳しい人に聞いても、聞いたこんがないって言ってるけんどね。

Dscn7590jpg2 梅酢が上がってきたから紫蘇を入れた

 ただ、盆栽をやってる人にゃあ憧れのまとの「甲州野梅」っていうのがあるくれえだから、野生の梅もあったかもしれんね。野梅は、九州とか山梨にあるだって。

Dscn7701jpg2 紫蘇でうまそうに赤くなった

 つまり甲州小梅は、大梅・中梅・小梅といろいろな種類の梅があるなかで、長野竜峡小梅とならんで小梅のブランドというわけさ。甲州小梅は、甲州在来の小梅の総称だから、品種としちゃあ「甲州最小」とか「甲州深紅」とかがあるだって。今じゃ宮城とか埼玉とか千葉でも作ってるようだよ。

Dscn7704jpg2 梅雨が上がったので土用干しをした

 梅干しといやあ小梅の梅干しが当たりめえの山梨だけんど、世界に誇るブランド品だから、まっと大事にしにゃあいけんね。

Dscn7757jpg2 砂糖をかけた梅干し

 昔はお茶請けといやあ梅干しだったもんさ。甲州小梅の赤く漬けたのへ白い砂糖をのっけて、「さあ、おあんねえ」て勧めてくれとうさ。赤い梅に白い砂糖で彩りもいいけんど、何より砂糖は高級品だったさね。サッカリンとかが台所の常備品だっとうだから。どこのうちでもこれを出してくれて、大人たちは、梅を食っちゃあ、酸っぱい顔をしてお茶を飲んでとう。甘い砂糖と酸っぱい梅の奏でるハーモニーがよかったずらかねぇ。子どもにゃあわからんうまさだっとうだと思うよ。

2015年8月 4日 (火)

夏まつりとおかいこ

Photoこんにちは、まゆこです。

去る812日に開催した「こども夏まつり」には、多くの方にご来館いただきありがとうございました。

猛暑で初日こそ人出は例年より少なかったのですが、2日目は暑さに負けない元気な子どもたちがたくさん来てくれました。 

 

Dsc_2176まずは受付でエントリーします。

Dsc_2191館内ウォークラリーの問題は家族で協力して解いていきます。

Dsc_2197魚釣りゲームは5匹釣ったらOK! 

Dsc_2199水鉄砲は的に2回当てたらOK!Dsc_2175次は「せんばこき体験」。

Dsc_2183_2最後に参加賞のヨーヨー釣りに挑みました。

Dsc_2204

そのほか、ちょうど館内で飼育展示されていた4齢のおかいことも触れ合ったり、来ていただいたご家族みなさまにたのしんでいただいたようで、よかったです。

 特にことしは暑くてあつくて、このおまつりにご協力いただいた中央市歴史文化ボランティアの会のみなさん方にも大変過酷な状態で2日間頑張っていただき、申し訳なくなるほどでした。

 でも、二日間で250人ほどの入館者があり、「資料館の夏のたのしい恒例行事として定着しつつあるのかなぁ、来年もできたらいいなぁ」と終わったいま、心地よい疲労感につつまれているまゆこです。

まゆこ

 

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