甲州モロコシ(2)
よく降るじゃんね。ちっと寒いくれえだから、蚕がひきてるけんどなかなか繭を作れんでいるさ。動いてる蚕はあとちっとしか見られんから、見たかったらなるべく早く来おし。
きのうの午前中雨がやんでたから、大急ぎで甲州モロコシの苗を植えたさ。植え終わったら雨ん降ってちょうどよかっとう。肥料は蚕糞(こくそ)をやったさ。たいへんの蚕だから蚕糞もたいへんの量さ。
どういで(どうして)甲州モロコシっていうかっちゅうとさ、モロコシは1579年(天正7年)に日本に伝わって、ナンバンキビって呼ばれただって。九州から四国とだんだん伝わって、関東でも作るようになっただね。ほんだけんど雑穀の中じゃああんまり評価が高くなかったから、品種改良も何にもされんで今になっちゃったらしいさ。メキシコのトルティーヤとか、アフリカのウガリとかのようにモロコシを使うこんになじみがなかっとうだね。ほんだから米の取れん富士北麓とか山間地でしか作らなかったっちゅうこんだよね。そういえば、昭和40年頃の話で、富士北麓であった結婚式に呼ばれたら、モロコシの薄焼きが料理に出たっちゅう話を聞いたね。まあ、米ん取れるとこじゃあ無理にモロコシを作らんでもいいわけだから、米のあんまり作れん甲州はモロコシの産地だったっちゅうわけさ。
当然戦時中にゃあ米が足りんから、日本中でモロコシを作って団子にして食ったさね。ほんだから昭和20年代までは米が足りなかったからモロコシも作ってとうけんど、米が食えるようになってからは、へえ誰も硬いモロコシなん作らんようになっちゃとうさ。よく軒下の竹竿にモロコシをかけて干してある写真とか絵とかを見ることがあると思うけんど、ああいう景色は戦時中から戦後にかけての景色っちゅうこんだね。1965年(昭和40年)頃にゃあ食糧用の栽培は消滅しちゃっただって。ほんだから幻のモロコシっていわれてるだよ。幻のモロコシなんてかっこいいじゃんね。
高度経済成長めえ(前)までは山梨じゃあ、硬いモロコシを粒のまんまとか、粗挽きにしたもんを粥にして食ったり、石臼で製粉して団子だのお焼きだのにして食ったわけさ。ほんだから、モロコシの粉をなつかしがる人も多いね。
饅頭にして食うなんかはぜいたくだと思うけんど、作ってみたさ。うまかったよ。
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