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2015年6月26日 (金)

大きくて美しい白と黄色の繭がとれました!

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こんにちは、まゆこです。

Dsc_2145

 

山梨県蚕糸協会よりご提供いただいた「黄白(おうはく)」の収繭(しゅうけん)を平成27623日に行いました。

結果は、白繭:61個 黄繭:45個 玉繭:1個でした。

ということで、オス61頭、メス45頭が無事に繭をつくったことになります。

 2頭で一つの繭をつくった玉繭は白と黄色の中間色でしたので、もしかしたら、すでにもうラブラブなオスとメスが一緒に中に入っているのかもしれませんね♪

 

収繭はご来館されたお客様にも作業を手伝ってもらいました!その様子を観ていただきましょう。

  

Dsc_2069当館特製、2枚の区画蔟を装着したミニ回転蔟に2色の繭がつくられています。

Dscn7625回転蔟から外した区画蔟は、ずれないように箱枠にセットします。

Dsc_2132つぎに、繭かき棒で一列ずつザックザックと繭を押し出します。

 

Dsc_2137_2蔟から外れた繭は、周りに付いた毛羽をハンドル式の毛羽取り器できれいにします。

大きくて美しい2色の繭が全部で106個とれました! 玉繭分もいれると、108頭の蚕が無事に繭を作ったことになります。

 

この後は冷凍庫に入れ、蚕たちには永い眠りについてもらいました。

Dsc_2092
黄白の展示期間に合わせて、デイサービス施設の団体様や子供たちなど、多くの来館者がありました。

 みなさまにいつくしんでいただき、大切に育てた黄白の繭は、今後当館での体験イベントなどで使用していきます。

 

 わずか45個ですが、この貴重な黄色の繭を生かしたどんな工作やイベントが企画できるか?みなさんも楽しみにしていてくださいね。

まゆこ

 

2015年6月25日 (木)

小麦の脱穀・製粉

Tomiko

 富子だけんど、朝っから暑いじゃんね。おぼこひきも終わって、ちったああんき(安気)してるとこさ。今年のおぼこはよく繭を作ったし、今までよりでっかい繭のような気がするね。雨ん中あ、まゆこや館長がいい桑を切りに畑に通っとう甲斐があったっちゅうこんずらよ。

 せんころ(先頃)刈っとう麦を脱穀したさ。今年は麦打ち台じゃあなくて、千歯扱きでやってみとう。

Dscn75992 千歯扱きで小麦を扱く

 小麦は脱粒性がいいから、なにょう(何を)使っても簡単に麦扱きができていいじゃんね。大麦だとそうはいかんからね。写真じゃあ束がちっとだけんど、本当はもっといっぺえ束にして扱くようだよ。それと、前の方の桟に板を乗せて、それに足を乗っけて扱くだね。ほうしんといっさら力がへえらん(入らない)からね。小麦を千歯のあいさに(間に)ひっかけて引っ張ると、千歯が動いちもうさ。やっぱし道具は使ってみんとわからんもんだね。 

Dscn76332 取れた小麦を石臼へ

 その後、石臼で製粉しとうさ。小麦は粉食文化の系統だからね。ほれに対して大麦はそのまま炊いて麦飯にするから粒食文化の系統だっちゅうだね。

Dscn76342 やっと粉になった

 1回挽いただけじゃあなかなか粉にならんから、2~3回挽かんとだめだったね。やっぱり石臼がちっくいだよね。皮ごと挽いたから、全粒粉ができる予定だけんど、皮の部分は硬くて粉にゃあならんね。ふるいでふるって、粉と皮をわけて、なんとか小麦粉らしいもんがとれたさ。今小麦粉って言って売ってる粉は、皮をむいてっから粉にするだって。精米とおんなじで精麦をするっちゅうこんだね。

Dscn76362 ふるいでふるって小麦粉に

 ふるいでふるったり、石臼で挽いたりしてる間カメラをそばに置いといたら、粉で白くなっちまってさ。ちっとばっかの粉でもそれだけ周りが白くなるだから、昔近所にあった精米屋のおじさんが、いつでも真っ白だったのがわかるね。

Dscn76402 とれた小麦粉と小麦の皮

 できあがった全粒粉の重さをはかったら200gあったさ。皮は100g。プランター4個からだからね。皮を粉にすると、「ふすま」っちゅうもんができるさね。そういえば昔精米屋さんに小麦を粉にしてもらったとき、「ふすま」も袋に入れて返してくれたような気がするよう。鶏のえさに混ぜてやったようなおぼえがあるけんどね。最近じゃあ、「ふすま」をいれたパンとかクッキーとかも人気のようだから、皮も粉にしてみっかね。

 200gの小麦粉は「おざら」を作ってみてえと思ってるさ。うまくいけばいいけんど。

2015年6月20日 (土)

986頭の5齢かいこ

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こんにちは、まゆこです。

Dsc_2080_2  ことしの春嶺鐘月5齢カイコの食欲がスゴイです!

資料館では夜中の給桑ができないので、夕方5時頃に山盛りの桑葉をのせて(桑葉を蚕座に積み過ぎると、湿気などでカイコの体が冷えるのでほんとうは良くないのですけど・・・)帰宅しています。

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 しかし、翌朝8時頃には枝しか残っていません。

大急ぎで切ってきた桑をやります。

朝はもう大忙し!!

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職員みんなうすうす気づいてはいましたが、ここにきて、とうとう「館長は春嶺鐘月を500頭くらい分けてもらったと言っているけれども~、やっぱり、今回の桑消費量はすご過ぎるよねぇ!」

← 蚕糞(こくそ)の量も凄い!

ということになり、富子さんが実際にカイコの数を数えました。

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そうしたらあなた、なんと、986頭もいた~!!

「あ~、やっぱり数えなきゃよかった」とも思いましたが、そろそろ上蔟に用意する蔟の枚数にもかかわってくるので、数が判ってよかったです。

そこで617日に、区画蔟10枚をいつもの蚕ブラシで掃除して、準備にとりかかりました。

今回使う区画蔟1枚の枠数は14×13=182個あるので、10枚セットにして枠に取り付ければ全部で1820区画のおかいこ専用マンションの準備が完了です。

翌日の18日には、朝から頭を上げて左右に振ったり、体を反ったりしはじめる、「ひきたカイコ(熟蚕)」が続出~!!

上蔟間近になると、カイコは湿気の多いウンチをしはじめるので、そこから臭ってくる独特の臭いも感じるようになりました。

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頭を持ち上げてフリフリしている蚕を手に取ってみると、昨日までムチムチ,パチパチにはち切れんばかりだったお肌がおばあちゃんの二の腕みたいにやわらかい感触に変わっています。体色も輝くような白色からなんとなく黄味がかっていました。

その後は「ひきひろい」に追われました。

Dscn7617真剣に「ひき拾い」する館長

 19日などは、まゆこは休みだったので、館長がほぼ一日中、蚕棚に貼りついて、ひきた蚕を集めては回転蔟に移動させてくれていたそうです。

Dscn7620

ことしの春蚕は亡き中込文義さんの丹精した桑園から切らせてもらった桑で育ったので、どんなよい繭ができるかいまから楽しみです。

まゆこ

集めた片手いっぱいのカイコを回転蔟にのせる館長の手

2015年6月19日 (金)

甲州モロコシ(2)

Tomiko

 よく降るじゃんね。ちっと寒いくれえだから、蚕がひきてるけんどなかなか繭を作れんでいるさ。動いてる蚕はあとちっとしか見られんから、見たかったらなるべく早く来おし。

 きのうの午前中雨がやんでたから、大急ぎで甲州モロコシの苗を植えたさ。植え終わったら雨ん降ってちょうどよかっとう。肥料は蚕糞(こくそ)をやったさ。たいへんの蚕だから蚕糞もたいへんの量さ。

Dscn75972 成長が楽しみな甲州モロコシ 

 どういで(どうして)甲州モロコシっていうかっちゅうとさ、モロコシは1579年(天正7年)に日本に伝わって、ナンバンキビって呼ばれただって。九州から四国とだんだん伝わって、関東でも作るようになっただね。ほんだけんど雑穀の中じゃああんまり評価が高くなかったから、品種改良も何にもされんで今になっちゃったらしいさ。メキシコのトルティーヤとか、アフリカのウガリとかのようにモロコシを使うこんになじみがなかっとうだね。ほんだから米の取れん富士北麓とか山間地でしか作らなかったっちゅうこんだよね。そういえば、昭和40年頃の話で、富士北麓であった結婚式に呼ばれたら、モロコシの薄焼きが料理に出たっちゅう話を聞いたね。まあ、米ん取れるとこじゃあ無理にモロコシを作らんでもいいわけだから、米のあんまり作れん甲州はモロコシの産地だったっちゅうわけさ。

Dscn75572 石臼で粉にした

 当然戦時中にゃあ米が足りんから、日本中でモロコシを作って団子にして食ったさね。ほんだから昭和20年代までは米が足りなかったからモロコシも作ってとうけんど、米が食えるようになってからは、へえ誰も硬いモロコシなん作らんようになっちゃとうさ。よく軒下の竹竿にモロコシをかけて干してある写真とか絵とかを見ることがあると思うけんど、ああいう景色は戦時中から戦後にかけての景色っちゅうこんだね。1965年(昭和40年)頃にゃあ食糧用の栽培は消滅しちゃっただって。ほんだから幻のモロコシっていわれてるだよ。幻のモロコシなんてかっこいいじゃんね。

Dscn75632 小麦粉や砂糖と混ぜた

 高度経済成長めえ(前)までは山梨じゃあ、硬いモロコシを粒のまんまとか、粗挽きにしたもんを粥にして食ったり、石臼で製粉して団子だのお焼きだのにして食ったわけさ。ほんだから、モロコシの粉をなつかしがる人も多いね。

Dscn75652 餡を包んで饅頭にした。

 饅頭にして食うなんかはぜいたくだと思うけんど、作ってみたさ。うまかったよ。

 

2015年6月16日 (火)

オスの方が早く繭を作る!

Photoこんにちは、まゆこです。

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 平成27年6月12日からはじまり、13日には「黄白」約100頭すべてが上蔟しました。

 この品種はオスが白、メスが黄色の繭をつくりますので、614日に回転蔟にできた繭を数えてみると、だいたい半々の数でオスとメスでした。

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 今回このおかいこの上蔟を観察していて、はっきりわかったことがあります♪

 それは、『繭を作りはじめるのはオスの方が早い!』ということです。

まゆこはさいしょ、13日の段階で白繭ばかりが出来はじめたので、

「もしやメスは一頭もいないのか?」、もしくは、「品種を間違えられて送られてきたのか?」などと、いらぬ心配をしていたのですが、杞憂でした。

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 以前、春嶺鐘月を数頭、羽化までさせたことがあります。

 その時もオスのカイコガの方が早く羽化し、遅れてメスが羽化して繭から出てくるのをみています。

 確実に交尾をするためなのか、さいしょに羽化したオスが、今か今かとメスが繭から出てくるのを待ち構えているかのようでした。

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 その時は繭の色で雌雄の区別がつかなかったのでわからなかったのですが、繭を作りはじめる時からオスの方が先行していたのですね!

←14日の上蔟状況

 確かに、当館に毎年たくさん飛んでくる国蝶オオムラサキもはじめはオスばかり目撃します。

Img_0014それから、回転蔟ではうまく繭をつくれずに遅くまでウロウロしているカイコを2頭、今回はじめて自作の折藁蔟に入れてみました!

Dsc_2071ちゃんと作ってくれましたよ!

Dsc_2070

 

←どんなに注意していても、こんなところにつくっちゃうやつも、かならずいます♪

 

 これらの黄白のかいこの繭は6月23日(火)に繭かきと毛羽取りをする予定です♪

まゆこ

2015年6月14日 (日)

国蝶 オオムラサキの飛来

オオムラサキの出現

今年もオオムラサキがやってきました。窓の網戸に大きな羽を広げた蝶の姿があり、急いで表から撮りました。生まれたての蝶は、ことしはどのくらいの数が訪問してくれるでしょうか?昨年は少しでしたが、一昨年は20~30頭が乱舞してくれました。

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P6131101_2

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2015年6月13日 (土)

甲州モロコシ(1)

Tomiko

 富子だけんど、いよいよ梅雨にはいったねえ。これっからむしむしするようになって、かなわんじゃんね。

 ところで甲州モロコシっちゅうを知ってるけ?今はゴールドラッシュやら、かんかん娘やら、きみひめやらがこの辺でももてはやされているけんど、未熟のもろこしを食うようになっとうはそんねん昔のこんじゃあねえらしいよ。今は未熟で食うのがあたりめえのこんになってるけんが、昔はもろこしは硬いやつを粉に挽いて、そりょう食っとうもんさ。

 未熟のもろこしを食うようになっとうは昭和30~40年くれえになってっからのこんだね。スイートコーン(甘味種)ていうモロコシが作られるようになってからさ。それまではフリントコーン(硬粒種)っていう種類のモロコシしか作ってなかったから、今みてえにゆでたりふかしたりして食うっちゅうことはあんまりなかっとうだよね。ただ、七輪で焼いて食うと、実がパチッてはぜて、ちょっとこげて香ばしいにおいがして、うまっかっとうだよ。醤油を塗って食うと、まっとうまかっとう。夏の最高のおやつだね。

Dscn75332 甲州モロコシ

 このモロコシは硬いでんぷん層が実全体に広がってえて、ほかのモロコシにはある粒のてっぺんのえくぼがないさ。害虫にも強くて、低い温度でも受粉するから、大した手間をかけんでもちゃんと育つっちゅうこんだね。今のモロコシは、早く出荷するように早く種を蒔くから、霜が降りるのが一番困るこんだけんど、昔は粉にするだからそんなこんはいっさら気にしなんでもよかったしね。

 せんころ、資料館応援団の渡辺さんが、「うちで作ってるよ」って甲州モロコシをくれたさ。

Dscn75372_2 石臼の上においた

 2本は展示用に石臼の上において、あと1本は種まき用にちっと実をはずして、残った実は石臼で挽いて粉にするこんにしとうさ。種まきは6月4日にしたら、9日にゃあ5mmくれえの芽が土から顔をのぞかせてたさ。11日にゃあずいぶん芽らしくなって、濃い緑色の葉が角のように出てきたさ。しかも葉っぱの先にゃあ露の玉がついてえて、きれえだったよ。小麦にもついたけんど、モロコシでもおんなじこんがおきるだね。葉っぱが同じ単子葉のなかまだからずらね。

Dscn75862 モロコシの発芽

 私のちっくいころにゃあ夏になるとモロコシを買う人が袋を持って買いに来たさ。畑に直接来て私もてんだったり(手伝ったり)して何袋も収穫してオート三輪かなにかに乗せて持って行ったっけ。きっとあっちこっちの畑に行って買い集めて行ったじゃあねえかな。そのあと粉になったか焼きもろこし用に売ったかはわからんけんど。

 次にゃあ、なんで甲州モロコシっていうか書くじゃんね。お焼きも作ってみてえもんだね。

2015年6月12日 (金)

平成27年度「七夕まつり」

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こんにちは、まゆこです。

 ここ山梨でも、一昨日から梅雨に入りました。しばらくすっきりしないお天気が続きそうです。

 

 まゆこにとっては、今飼育中の春峰鐘月というお蚕約500頭が、5齢の食べ盛りを迎えているというのに、頭のいたいところです。 おかいこは濡れた葉っぱを食べるとお腹を壊してしまうので、なるべく乾かしてあげなければなりません。 雨天日は、早めに桑を摘みにいって、扇風機を回して乾かします。

  さてきょうは、おかいこの話はこれくらいにして・・・、でもおかいこと同じく、雨が降ると悲しくなっちゃうイベントのお知らせです!

 

 平成27年度「七夕まつり」は ことしも2日間のメニューで行いますよ! 入館も無料になります!!

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●第2回歴史文化講座

 講演会甲斐の夜空を賑わせた星々と七夕人形」 

 

日次:平成277月4日()   午後1時半~

 

講師:信清 由美子氏(山梨郷土研究会・日本七夕文化研究会・東亜天文学会 会員)

 

場所:中央市豊富郷土資料館シアタールーム

 

参加無料・申込み不要です。

 

 天文古記録より、彗星・流星雨・赤気(せっき)など、甲斐の人々が驚いた天文現象を紹介していただきます。

  流星は市川大門で観られた日本最古の流星雨の絵とスケッチについて。

  ほかに、山梨にあった超巨大星図、御坂の星石につきましてもお話しいただく予定です。

  あわせて山梨の七夕習俗についても解説いただき、講演後はエントランスホールにて、信清氏による七夕人形作りの講習も行います。

Dsc_0484 昨年も信清氏による七夕人形の講演をしていただいています。

 

●七夕工作「甲斐の七夕人形を作ろう!」

 

平成277月5日(日)午前10時~3時(時間中随時)

 

場所:中央市豊富郷土資料館エントランスホール

 

参加無料・申込み不要です。

 

来館者のうち希望者には、エントランスホールにて山梨伝統の七夕飾り(男女1対の星神様)などを作り、笹につけてお持ち帰りいただくイベントです。

笹に飾り付けた星神様は、七夕の夜の翌日から「どろぼう除け」の神さまとして、家の守り神になります。

ぜひこの機会に、山梨にしかないステキでふしぎな伝統文化に出会い、体験してください!

Dsc_0509 平成26年の七夕工作のようす。

 昨年は雨の中でもたくさんの方にお越しいただきました。

 

でもやっぱり、ことしの七夕まつりは晴れるといいなぁ♪

まゆこ

 

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2015年6月11日 (木)

蚕棚と5齢むちむちかいこ

Photoこんにちは、まゆこです。

Dsc_2045ただいま5齢になった蚕たち(黄白)が、見頃です!

Dsc_2013気持ちよいほどにモリモリ桑葉を食べて、7センチほどに大きくなった蚕のからだはむっちむち!

Dsc_2040_2

全部でたぶん、600頭くらいだと思うのですけど、蚕たちの体が大きくなるにつれて、とにかく場所が足りなくなったので、エントランスホールには、なんと「蚕棚(かいこだな)」が新登場!

どうですか?

だんだん本格的におかいこ飼ってるかんじになってきましたよね♪

 

予定ですと、黄白100頭は今晩か明日には上蔟(まゆをつくりはじめる)します。

 春嶺×鐘月約500頭は6月19日位からまゆをつくりはじめるのですが、いきものですからね。

さて、どうなりますことでしょうか? 

Img356_2中央市玉穂地区で撮影された昭和39年9月の写真で、裏書に「上蔟近し」とありますので、今の当館のカイコと同じくらいの成長具合の時ですね。

Img357家の中で棚を組んで飼ってます。

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ちなみに「蚕棚」のことを地元の豊富地区では、「さしこ」と呼びます。飼育用の平かごを差し入れる棚だからということです。

 

 当館で大人気のカイコたち、あと少しで繭をつくりはじめます。

 むちむちのかわいいかいこたちに会えるのも、あと少しだと思うと、ちょっとさみしいまゆこです。

 まゆこ

←中央市豊富地区の家の中でのかいこ飼育の様子。

2015年6月10日 (水)

企画展ー中央市のアジア太平洋戦争ー戦後70年

今年は終戦70年となります。どのような展示になるか、その内容の一部をお知らせします。

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第2回企画展「中央市のアジア太平洋戦争」

平成27年6月20日()~9月27日()

ごあいさつ

 本年は、1945年(昭和20年)8月15日に終戦を迎えた『アジア太平洋戦争』・『大東亜戦争』敗戦から70年目となります。日本はこの敗戦から70年間も戦争に関わらず、戦後復興や経済発展を成し遂げ、豊かで平和な国づくりが行われてきました。

 この間、世界各地では朝鮮戦争やベトナム戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争をはじめ、大小の紛争が各地で行われ、今でも戦闘が行われています。

一方、日本が戦争に直接かかわらず、この70年を過ごしてきた事は、国民が「平和」を空気のように、当たり前のものとしてきたのも事実です。

 しかし、最近では秘密保護法の制定、日米安保条約改定に伴う自衛隊の海外派遣や集団的自衛権、国際平和支援法など、戦争と直接・間接に関わる内閣決議や法律の制定、さらに憲法改正などが叫ばれ、世界各地の戦争へ関与する条件が徐々に整いつつある動きもあります。

 私たちの国日本は、今後何処に向かうのか、世界平和にどのような貢献ができるか。今、戦後70年をむかえて、国民・市民一人一人が、恒久的な平和を真剣に考える時ではないでしょうか。

 今回の展示が、過去の戦争を振り返り、今後の社会の進み方や方向性を考えるための一助にしていただけたら幸いです。

                     中央市豊富郷土資料館 館長 

P6101056 玉旗飛行場から出土した92式重機関銃

玉幡飛行場と立川飛行機製作所

 現在の県立農林高校と日立甲府製作所敷地にまたがる場所に、昭和9年、民間の会社が飛行場を造り、昭和11年に山梨飛行場として逓信省から認可を受け、学校も山梨航空技術学校として、整備士養成学校ができました。

 昭和15年には岐阜陸軍飛行学校分校がここに設置され、陸軍はここを甲府飛行場としました。練習機は約30機が配備され、格納庫やその他の施設が建てられ、訓練生120名,教官20名が配置されていました。敷地面積は東西1000m、南北980m、総面積60万㎡でした。

 訓練は赤とんぼと呼ばれた複葉機で、盆地内を訓練飛行しましたが、戦局が厳しくなった昭和20年には、首都防衛の基地として臨戦態勢がとられ、新型機や燃料の試験飛行や実験が行われました。

 田富地区の小字「立川」「下

茱萸

(

ぐみ

)

は、昭和17年に立川飛行機製作所が置かれた場所で、玉幡飛行場との位置関係から、現在の釜無川と常永川の合流点内側のトラックターミナル北側にある流通団地からリバーサイドタウン北側の大型店舗を含む地域です。ここには、大きな鋸歯屋根の工場が建てられ、北側には完成した-飛行機を飛行場に運ぶための大開口部がありました。工場では「隼」(一式戦闘機・キ―43)1機、又は8機が生産されたと伝えられます。敗戦後昭和30年に立飛企業()と社名変更した会社は、やがて甲府製作所を閉鎖し、建物も解体されました。

満州国と満蒙開拓団

 昭和6(1931)918日に勃発した満州事変の翌年31日に、中国国民政府からの独立を宣言し、『満州国』が建国されましたが、現実は日本の関東軍による傀儡政権でした。しかし、中国や国際世論はこれを認めず、昭和8(1933)に日本は、満州国から日本軍の全面撤退を求める議決をした国際連盟から脱退し、世界からの孤立を深めていきました。

 一方国内の農村不況は深刻化し、国は耕地を求める小作農に土地を与えることや、農村内部の失業者などの過剰人口を、満州国に送り出して開拓させる政策をとりました。これが『満蒙開拓団』です。

 満州への移民は昭和7年から始まり、同20年までに全国から24万人が満州へ渡ったと言われています。

 また、山梨県からは昭和86月より、全部で2万人の開拓農民や青少年義勇軍が移民しました。なお、昭和12年頃には国により「百万戸移住計画」が策定され、昭和13年度からは県内8ヶ村の分村が指定され、この年「豊富村分村計画」が作成されました。ちなみに、昭和14年度は10ヶ村、15年度は7ヶ村が指定されました。このうち南アルプス市にあった豊村の分村は、終戦後の816日に満州で141名が集団自決し、満蒙開拓団の大きな悲報として特筆されています。

 旧豊富村の分村計画は、昭和13年当時の632戸を515戸に減らすことで、残留農家の耕地面積を7反歩から1町歩へと増やすことでした。この時の農家送出し第1期計画では、第1次5戸、第2次10戸、第3次15戸、合計30戸とされました。

 豊富村の人々が移民した開拓団には、三江省(黒竜江省)樺川県七虎力(千振―チブリ)への第2次千振開拓団、東安省(黒竜江省)密山県、虎林線黒台駅付近への第5次黒台開拓団、三江省(黒竜江省)鶴立県東海村への第5次東海開拓団には豊富村から7名が参加していました。また、安東省安東県(遼寧省丹東市)五竜村、安奉千五竜背駅付近への五竜煙草開拓団にも豊富から7名の移住がありました。

 また、『田富町誌』によれば、旧忍村の石原三之一家8名は牡丹江省帽児山開拓にわたり、帰国できたのは2名のみでした。また、旧忍村の塩島貞光氏は武装移民として渡満し、千振開拓団に入植しましたが、終戦時にソ連軍に抑留されシベリアで死亡しました。なお、田富から青少年義勇隊に志願した三井豊・望月信夫・石原敏夫・遠藤文治・岩本徳儀・土屋寿・広川義光・石川豊春・青木友行・田中馨・田中政美氏などの名前が残されています。

 更に、旧田富村8名、旧玉穂村13名の満蒙開拓団に参加した人々の名前も、甲府護国神社の慰霊碑に刻まれています。

 満蒙開拓青少年義勇軍()へは、昭和13年から募集があり、16歳から19歳までの尋常小学校を卒業したものが対象とされました。応募者は茨城県内原町で3カ月の基礎訓練を受けたのち、満州へ渡り軍事訓練や農事訓練に従事しましたが、厳しい寒さと粗末な食事、劣悪な生活環境のために暴動や喧嘩が多く、ホームシックや自殺者もいたと言われています。この義勇軍()には全国から89万名の参加者があり、山梨県からは1,746名が送出されています。この様子は、『戦禍の実証』(平成17年・田富町寿マスター協議会・老臣クラブ連合会発行)の田中政美氏の文章に詳しく書かれています。

 移民の農家には助成金50円と、現地での広大な農地の確保が宣伝されましたが、実際に開拓団員に配分された農地は、現地の中国人などから土地を強制的に安価で買い上げたもので、現地の人々からは強い反感をかいました。そのため治安も悪く、襲撃を受けることもあり、また、満州は日本と比べて極寒の地で、日本の営農方法は通用せず、政府のバラ色の宣伝とは全く異なったものでした。敗戦の直前にソ連軍が侵攻し、あわせて中国兵や人民らの略奪・暴行などにより、多くの人々が帰国する前に亡くなり、ソ連に抑留されてシベリアに送られ、又は、小さな子供を現地の人に預けて帰国するなど、各種の苦しみに襲われました。

 甲府市の護国神社の境内には、満蒙開拓団で亡くなった人々の『満蒙同胞殉難慰霊碑』『満蒙開拓青年義勇隊之碑』があり、市町村ごとにそれらの人々の名前が銅板に刻まれています。

 参考資料 『田富町誌』・『豊富村誌』・『山梨満州開拓団小史』(2006 小林春雄)

 

 このほか、甲府連隊や国民生活・甲府空襲・中央市内の戦没者慰霊碑のどを紹介しています。展示資料は戦争関係や、戦時中の生活関係実物100点以上、写真・文字パネル60枚ほどを展示します。特に中央市の立川飛行機製造所・玉幡飛行場の航空写真(昭和23年)や満州開拓団についても、説明しています。

2015年6月 6日 (土)

キビの種まき

Tomiko_2
 

 いい塩梅の天気で、なにょうするにもいいじゃんね。畑もおしめりがあったから、作物も息をついてるらね。

 今日はキビ(黍)の種まきをしたこんを書くじゃんね。わたしんちっくいころは毎年キビを作っててさ、キビの収穫はよくてんだわされた(手伝わされた)もんさ。キビは穂刈をするだよね。弥生時代の稲とおんなしさ。弥生時代じゃあねえから、石包丁じゃあねえよ。よく実ってたれさがった穂を、鋏でチョキンチョキン切って籠へ入れるさ。鋏っていっても今のような洋鋏じゃあねえだよ。舌切り雀のおばあさんが持ってるようの、糸切り鋏のでっかいやつさ。和鋏っちゅうだね。

 キビを食いたかったら、スーパーの米のコーナーに売ってるけんど、それじゃあ芽が出んさね。ちゃんと確かめたからホントだよ。下の写真を比べてみるとわかるけんど、種の方は皮がついてるさね。

Dscn75402 種用のキビ(モチキビ)

Dscn75422 食用のキビ

 今キビを作ってるのは、沖縄とか岩手とか長野が多いけんど、明治時代にゃあどこでも作ってたらしいよ。うちでもキビはキビ餅にして食ったね。白い米の餅の方が高級な感じがするけんど、キビの餅もうまかった。ちっと胸焼けがするけんどね。時々はアワ餅も作ったよ。アワは作っちゃあいなかったから、もらっとうもんだけんどね。今はキビ飯にして食ってるさ。研いだ米ん中へ一握り入れるとモチモチしてうまいだよ。ちっとだから胸もやけんしね。(米と同じように、キビにもモチとウルチがある。)

Dscn75442 キビご飯

 キビ飯を炊いてみとうけんど、つぶつぶしとうキビがへえって(入って)いるのがみえるけぇ。

Dscn74912 芽が出た

 そういうわけで今年はキビを蒔いてみるこんにしたさ。5月19日に種を蒔いたら、早いもんじゃんね。24日にゃあこうやって芽ん出てきたさ。米とか麦とかは細くてとんがった葉っぱがツンと出てくるだけんど、キビは広がった葉っぱが出てきたから、「あれっ!雑草ずらか?」と思っちまったさね。

Dscn75322 この後間引きをした

 6月4日にゃあこんねん密集してきたから半分くれえに間引いたさ。よく発芽したっちゅうこんだよね。麦もそうだったけんどキビもスズメにやられると思うから、穂が出たらネットをかけっかね。間引きもあと1回やらんといけんね。どんだけとれるか楽しみにしててくりょう。

2015年6月 5日 (金)

体験事業「繭から糸を繰り出そう!」

Photoこんにちは、まゆこです。

 きょうは、平成2766日(土)・7日(日)の10時~11時と14時~15時に行う、繭から糸を繰り出してみる体験事業について、ご案内します。

 現在開催中のミニ企画展「生糸に付された小さな芸術」の関連事業として、器械製糸以前に行われていた座繰り器を使っての繰糸体験をエントランスホールにて行いたいと思います。

 

  

平成27年度第1回ミニ企画展「生糸に付された小さな芸術」関連事業イベント

『繭から糸を繰り出そう!』

日時:平成2766日(土)・7()10時~11時・14時~15

内容:器械製糸以前に行われていた座繰り器を使って繭から糸をとる体験

 

 日本において、はじめて本格的に器械による製糸を行う工場が操業したのは明治5年群馬県の官立富岡製糸場で、そのわずか2年後に県立勧業製糸場を建設し、はやくから器械製糸の発達した山梨県です。しかし、それ以前は、百姓の女たちが毎年自家製産繭をつかって、座繰り器という手回しの道具で糸を繰っていました。

 

Dsc_0991上州座繰り器(富岡式):輸出用の細糸を繰糸できる

Dsc_0981奥州座繰り器:引っぱり出す力が強く、太い糸を繰糸できる

 繰糸体験は当館収蔵の座繰り器を使用して行います。実際に昔の人々が、自家用の織物ををつくるための生糸を繰るために使った座繰り器です。

 当館には細糸用、太糸用など、繰る糸の種類に合わせた構造の異なるタイプの座繰り器が多数収蔵されています。 そこで、この道具の仕組みや形状、木でできた精巧な部品の数々が連動して動く様や、巻き取られた糸の美しさをじっくりと、みなさんに見ていただく機会を作りたいと思いました。きっと、先人たちの知恵と技術力に、驚かされることと思います。

 入館料は必要ですが(幼児・65歳以上の方は無料)、体験時間内にいらしてくだされば、いつでも座繰り器での繰糸をしていただく予定です。

 

そして、繰糸体験をした後は、是非、当館で飼育展示しているおかいこたちと触れ合ってください。製糸場に必ずあった繭のいっぱい詰まった倉庫のにおいも体験していってください。

Dsc_1953← お蚕さんは人間を信用しているので逃げませんよ!やさしく触ってあげてね♪

 

 

 ①繰糸体験→②蚕とのふれあい体験→③繭倉庫のにおい体験の三種類の体験をなさった方には、プレゼントをご用意しています。

Dsc_1980_2ミニチュア繭倉庫の開いた扉から繭のにおいを嗅いでみてね! どんなにおいがするかなぁ?

プレゼントは当館コレクションの生糸商標をもとに作ったしおりです♪ 

Dsc_1985 ←当館生糸商標コレクションより作製したプレゼントのしおりにはカワイイ絵柄がいっぱい! 好きなデザインを選んでね♪

 

 館長と富子さんにこのプレゼントをお渡しするにあたっての概要を話したら、「なにこれ~まるで罰ゲームのような体験だねぇ~」と二人にいわれましたが・・・、「どこがバツなのでございましょうかっ!?」さっぱり解らないまゆこです。

 繰糸はもちろん、蚕を触ったり、繭のにおいを嗅ぐなんて体験、そんじょそこらじゃ、まずできない体験ですよ! 

 さぁ、みなさん、まゆこと一緒に今週末は豊富郷土資料館で、蚕と人間の長~く、深~いかかわりの歴史を楽しく実体験しましょうね♪ たくさんのご参加、お待ちしております!

まゆこ

2015年6月 4日 (木)

お食い初め

Tomiko

 富子だけんど、いよいよ暑くなってきとうじゃんね。昨日はいいお湿りで生きけえったよう。地面がからからで、植えとうもんも砂漠ん中においてる(生えている)ようだったからね。

 資料館のおぼこさんもどんどんでっかくなってるけんど、うちのおぼこもでっかくなって、せんころ(先頃)お食い初めをしとうさね。

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 お食い初めっちゅうは平安時代っからある子どもの儀式で、ぼこん(子どもが)一生食うに困らんようにって願う儀式さね。生まれてっからだいたい100日くれえでやるようだよ。

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 御膳が2組作ってあるのは、お食い初めをするぼこん2人だからだからね。にいしい(新しい)御膳を用意するのが本当らしいけんど、ちょうどうちの娘たちの御膳があったから、使わんともったないと思って使ったさ。30年めえ(前)のもんだよ。きれえなもんじゃんね。塗りの食器をつこう(使う)が本当らしいけんど、こりゃあ九谷焼さね。まあ今はプラスチックの離乳食のセットでやることが多いいらしいから、あんまり気にしなくてもいいかもしれんね。

 料理は一汁三菜で、鯛の尾頭付き、赤飯、焚き物、香の物、紅白の餅、吸い物、歯がため石なんかをを御膳に用意するだって。まあ気持ちがこもっていろば、料理のメニューにもそんなにこだわることはないらしいけんどね。一生食い物に困らんようにっていうこんだから、できるだけのことをしてやればいいさね。

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 生まれて100日じゃあまだおっぱいしか飲めんだから、お食い初めって言っとうって食うまねしかできんけんどね。

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 それでもうれしそうに食ったまねをしてるじゃんね。写真にゃあ写っていんけんど、歯がため石は、歯が石のように丈夫になるようにって、これも食べるまねをしたさ。歯がため石は場所によって、でかい石を使うとこもあるし、ちっくい石を使うとこもあるし、数も2個とか3個とかいろいろだね。お宮の境内の石を借りてきて、終わったら返すっていうやりかたもあるし、近所の河原へ行って拾ってくるっていうやりかたもあるさ。うちじゃあ釜無川へ拾いに行ってきて、たいへん拾ってきたよ。使っとうは4個だけだけんどね。

Dscn73042

 ほんだからお宮へ返さんでいいから、袋を作って中へ入れてお守りにしたさ。このしゅ(衆)がでっかくなったときに、親やじいちゃん・ばあちゃんたちが、ひとつひとつ無事に成長するようにって、いろいろやってくれとうこんを思い出してくれろば、いいっちゅうこんだよね。昔は子どものうち死んじもうことも多かったから、こうやってひとつひとつ儀式を積み重ねていけるっちゅうは、親にとっても有難いこんだっただよね。

2015年6月 3日 (水)

眠るかいこに石灰シャワー

Photoこんにちは、まゆこです。

Dsc_1956本日のお蚕たちは脱皮準備のため、睡眠中です。
 ここのところ真夏のような高温が続いたため、蚕の成長が一日半位はやく進んでしまいました。 

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←「黄白」の4齢眠

 

「黄白」は昨日の夕方から、「春嶺鐘月」は今日の朝から、頭を上げてじっとして動きません。

 ゆっくり成長した方が、質の良い繭になるそうなのですけど・・・、かいこ独特の睡眠ポーズはいつみてもかわいいです♪

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←「春嶺鐘月」の3齢眠

 山梨の方言で蚕が「眠」に入った状態のことを「ナラブ」と表現しますが、様子を観ていると、ほんとに言い得て妙ですね!

 

Dsc_1969

本日平成27年6月2日(火)午後の様子

 眠ってしまった蚕には、上から消石灰をふりかけます。

 蚕座と食べ残しの桑葉を乾燥させて、早目に目覚めて脱皮を終えた蚕が食べ始めないようにするのです。

 これは蚕の成長度合いを揃えるために行う重要な作業で、その後の繭の出荷日に影響します。

 新しい桑葉を与えるタイミングは、蚕座のほとんどの蚕が脱皮し終えた時なのだということは理解できるのですが、まゆこにはその時を見極めるのがいつも難しく、毎回たいへん悩みます。

Dsc_1958

平成27年5月30日の様子:この時より「黄白」の蚕座はかなり拡がりました。

 だいたいは、早めに脱皮した蚕に絶食させているのがすごくかわいそうに思えて、ついついフライング気味に桑葉を与えてしまうパターンが多いです。

 今回はうまく見極められるか?心を鬼にして、集中したいと思います!

まゆこ

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