生糸商標も注文販売していた石和駅前の「宮方商店」
(この記事は、記載日後の調査の進行により新事実が明らかとなりましたので、平成27年6月8日に、新たに加筆・修正いたしました)
こんにちは、まゆこです。
←山梨市小原にあった「鶴田製糸場」の生糸商標
ただいま開催中のミニ企画展「生糸に付された小さな芸術」でご紹介している生糸の商標は、タテ10.5㎝×ヨコ7.5㎝ほどの小さな紙にプリントされています。
色やデザインが様々で、とても美しいのですが、実は、山梨県石和駅前にあった会社が最近まで生糸商標を販売していたことをご存知の方は少ないと思います。
当館にある95点の生糸商標の多くは昭和30年代位のものと思われますが、一枚ずつよく観察すると、右下の端に『宮方印行』と小さくプリントされたものが多数存在します。
山梨県内製糸場のもの以外にも、福島県・長野県・埼玉県・東京都・静岡県・宮崎県・佐賀県・鹿児島県にあった製糸場の商標にもプリントされていました。
これらの商標は、横浜に本社があった蚕糸包装材料一式製造販売「株式会社宮方商店」が作ったものであることがわかりました。
山梨県韮崎市出身の宮方氏が横浜で創業し、中央線沿いの石和駅前に製造工場がありました。
平成に入ってから、事務所のあった横浜から引き揚げましたが、山梨の工場は「株式会社ミヤカタ」として、平成26年7月まで稼働しており、「生糸商標」・生糸を結束するための「あみそ糸」・生糸束(綛)を結束するための「括糸」などを全国の製糸工場に向けて製造販売していたそうです。
これらの事実は、ことしの1月に工場内を取材させていただいた折に伺ったお話です(詳しくは、2015年1月24日記載、まゆこのつぶやきカテゴリーの『山梨県笛吹市『ミヤカタ』工場内の貴重な機械』という記事をご覧ください)。
取材の後、帰って当館の生糸商標をよく観察すると、右下端の余白に「宮方印行」と印されたものが多数存在することが判明しました。
昭和の終わりまであった横浜本社で請け負った全国各地の製糸工場の生糸商標のデザインを考案して、印刷会社に依頼して印刷し、販売していたのです。
今回のミニ企画展の中では、この宮方商店さんのこともパネル資料としてご紹介していますが、これを観た元製糸工場経営者の方々が、「え~え~、ミヤカタさんねぇ~、懐かしいねぇ~、お世話になりました」とか、「新しく生糸商標をつくる時、ミヤカタさんにお願いすると、こんなデザインではどうですか?といっていろいろ案を持ってきてくれましたよ」などと話してくだり、みなさん、製糸場経営中は盛んに取引があったようです。
この「宮方商店」さんの存在も、生糸産業が盛んだった山梨県ならではのトピックだと思います。
←鹿児島県の「IWAKIRI製糸所」の生糸商標にも『宮方印行』のしるしがありました。
←現在も操業中の山形県松岡製糸所の生糸商標も、今年1月の取材時にはミヤカタ工場内に多数残されていました。
その他工場内には山梨県大月市の平井製糸場や群馬県の吉野組製糸所、茨城県の須藤製糸の商標も多数残されていましたが、「宮方印行」の印はありませんでした。
おそらく、平成に入ってからは生糸商標を注文販売する会社が限られ、プリントにわざわざ記名する必要がなくなったのかもしれませんね。
平成22年までの吉岡製糸場を最後に、県内製糸場は無くなりましたが、その後もしばらく平成26年まで全国の製糸場に山梨から貴重な資材を供給し続けていた全国唯一の工場が存在していたことは、まゆこにとって予想だにしないことでした。
「株式会社ミヤカタ」経営者だった方のご親族が、当館にわざわざ連絡をくださり、工場内を見せて下さるというご厚意がなければ、知りえなかった事実です。
←平成10年頃まで操業していた大月市猿橋町にあった「平井製糸有限会社」の商標。こちらも工場内に多数在庫があり、ここから販売していたことは間違いないですが、宮方印行のしるしはありません。
今回のミニ企画展において山梨の生糸産業の歴史の一ページとして「宮方商店」の存在を記すことができたことは、意義深いことだと思っています。
奇跡的なタイミングと人とのつながりの妙に感心するばかりでなく、なんていうのかしら・・・感謝の気持ちでいっぱいになりました。
まゆこ
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