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2015年5月27日 (水)

山梨に製糸場があった頃

Photoこんにちは、まゆこです。

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 先週土曜日平成27523日より、ミニ企画展「生糸に付された小さな芸術」がはじまりました。

 かつて製糸場を経営されていた方々、女工さんとして働いていらした方など、じっくりと熱心に、そして少し興奮気味に観てくださる方も多くご来館くださり、しあわせに感じているまゆこです。

  

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←中巨摩郡豊村十五所にあった「丸い花輪製糸場」の商標 :月桂樹の葉に囲まれたH.Hのデザインは経営者だったお父様「花輪博雄(はなわひろお)」さんの名前から考案されたそうです。

 昭和44年には山梨県内に製糸場は78カ所(「山梨県工業統計調査結果報告・産業細分別統計表」より)もあったのですから、ミニ企画展の展示スペースであるエントランスホールでは、かつての製糸場経営者の方々が久しぶりに再会し、固い握手を交わされる場面もありました。

 製糸業界の衰退期に、最後までともにがんばった同業者さんたちの間には、通じ合う感情があるように見えました。

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 会期がはじまって3日目で、こちらが把握できた方だけですが、現南アルプス市にあった「丸い花輪製糸場」現富士川町にあった「大正館製糸場」「深沢製糸場(増穂)」、現市川三郷町にあった「平和館秋山製糸場」、「三珠館村松製糸場」の関係者のみなさまにご来館いただいています。 

 ←南巨摩郡増穂町長沢にあった「大正館製糸場」の商標 :製糸場を経営していた頃を知らないお孫さんたちを連れて来てくださいました。

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また、この方々から様々な貴重な証言資料や製糸場で使用していた実物資料をご提供いただくことができました!

 経営者の方々からは、「生糸商標のデザインにこめた想い」「できあがった生糸をおさめた問屋さんのこと」

 そして、「昭和30年後半から次第に地元で調達できる国産原料繭の入手が困難となっていき、中国産繭を使うことを検討したが、当時は品質が日本産と比べものにならない程違っていたこと、そして、品質の良い繭でなければせっかく導入した自動繰糸機がうまく稼働できなかったので、廃業を決断したこと」などの苦しかった思い出もたくさん教えてくださいました。

 それからどの方も、「豊富(山梨県中央市豊富地区)の繭はすごくいい繭だった! 県内他地域のものよりもお金を積まないと(割増しで渡さないと)買えなかった」とおっしゃいます。

 養蚕が盛んだった頃には豊富地区に住んでいなかったまゆこですが、とてもうれしくて、うれしくて♪

 中央市最後の養蚕家だった中込さんが亡くなってしまわれたこれからは、この事実を絶対に市内の子供たちに伝えていかなくては!と強く思いました。

↑増穂町青柳にあった「深沢製糸場」:商標は生糸に付けられて出荷してしまうので、廃業したご自分の製糸場の生糸商標を現在お持ちでない方も多く、データをプリントしてお渡しすると、とても喜んでくださいました。

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 昭和30年代に女工さんだった方は「女工さんは目が良いのはもちろん、歯もよくないとダメなこと」「製糸場内の様子」「品質と能率の両方が伴っていないと、成績の良い女工にはなれないこと」「毎週、成績によって変わるお給料に一喜一憂したこと」「勤労感謝の日に行う演芸会が楽しかったこと」など、十代の頃の実体験をみずみずしく語ってくださいました。

Dscn7488←西八代郡三珠町にあった「三珠館村松製糸場」の商標 : 平成15年頃まで頑張って操業されていました。

 あまりよくないことかもしれませんが、この生糸商標のミニ企画は、会期中にみなさんから教えていただく情報で、日々進化し充実していく予感がしています♪

 終了する720日(月)までには、どなた様も入館が無料となる展示解説日が620日・21(土・日)にありますので、よろしければまた足をお運びくださいませ♪ 

まゆこ

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