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2015年4月21日 (火)

ミニ企画展「鏡」 (2)

神仏への奉納物(奈良時代・平安時代)

 

平安時代になると日本で作る鏡は中国鏡のまねではなく、日本独特の文様が描かれるようになります。山吹・桜・萩などの花や、鶴・千鳥などの鳥が描かれ、浮き彫の調子もやさしくなります。平安時代後期になると錫メッキがほどこされ、貴族の化粧の道具としても使われました。しかし、目にできる多くは、高い山に奉納した鏡、経塚に埋めた鏡、仏像の胎内に納めたり、寺院の宗教的装飾に用いたりした鏡、本来化粧道具だったものを心願をこめて施入した鏡などです。

また、神社の御神体としても奉納されています。

日光男体山からは百六十枚、山形県羽黒山鏡池からは八百枚もの鏡が出土しています。修験者が、奉納者の姿を映した鏡を都からはるばる運び、奉納した報告にお札を届けたのだそうです。鏡を媒体として自身が行けない遠隔の地にも結縁したということでしょう。

法隆寺・大安寺・東大寺などの大寺には大量の鏡があり、お堂にはめ込まれていたり台に乗せられていたり、仏の光背につけられたりしていたそうです。大安寺では千二百七十五枚もの鏡があったそうです。

 

祈願の対象(鎌倉時代・室町時代)

Dscn71612 法隆寺西円堂

 

法隆寺の西円堂には二千五百枚もの鏡が保管されていますが、そのほとんどは病気平癒を願って奉納されたものです。病気になった体を映して仏様に奉納したり、病気が治った体を映して奉納したりしてさらなる健康を願うのです。西円堂では奉納された銅製品が一定量たまるとそれを使って梵鐘や仏具を作っているにもかかわらずこのようにまだ大量の鏡が残っているのです。現在西円堂は解体修理され、鏡は以前に奉納されたものではなく、復元品がつけられています。以前に奉納された鏡は宝物館に収蔵されているそうですが、今のところ公開はされていません。また、現在も鏡の奉納は受け付けており、法隆寺で用意した平安時代の銅鏡を写したものを奉納するシステムになっています。

Dscn71562 大量の鏡が柱に掛けられている

0852 今も奉納受付中

熱田神宮に奉納された鏡にも人の平和、幸福を祈った願文が見られます。伊勢湾に浮かぶ神島の八代神社の鏡は、海上交通の安全を願ったものだそうです。『土佐日記』にも紀貫之が海が荒れるのを鎮めるために銅鏡を海に投げ込む場面があります。

2月5日の段で、舟で大阪湾を北へ上る途中急に風が強くなり遭難しそうになりますが、船頭の助言に従って「眼でさえ二つあるのにたった一つしかない鏡を奉納いたします」と言って、海に投げ込みます。投げ込んだ鏡を惜しく思うまもなく、海は鏡のように平らになり、住吉明神の霊力を見せつけられましたが、従五位上の紀貫之にとっても、鏡は貴重品だったのです。

室町時代の後期になると柄がつけられるようになり、日用品としての趣が強くなります。柄がつけられたことによって鏡の後ろの鈕はなくなっていきます。

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