ミニ企画展「鏡」 (3)
姿を映す日用品(江戸時代)
江戸時代になると鏡は量産化され、広く庶民の間にも広まっていきます。一つの原型から大量に作る踏み返し鋳造の粗悪品も多くなります。材料も古代の鏡のように銅と錫を使うのではなく、銅と亜鉛を使うようになります。黄銅とも真鍮(しんちゅう)ともいい、今の5円玉と同じ材料で、青銅より安価です。いつごろ作られたものかを調べたかったので、柄鏡の写真を何枚も見ましたが、資料館にあるものとまったく同じ鏡を何枚も見かけました。つまりは同じ文様の鏡があちこちに出回っていたということにほかなりません。
文様は南天(難を転ずる意から)・家紋・蓬莱図・吉祥慶賀文などが多く、庶民感情に結びついています。特に鏡は婚礼道具となることが多いので、家紋やおめでたい文様がつけられたのでしょう。その意味では弥生時代から連綿と幸せを祈る呪具であるともいえます。
江戸時代には女性の髪形がだんだん大きくなっていくのに合わせて、鏡もどんどん大きくなっていきます。また、鏡は使っている間に曇っていき、映りが悪くなります。そのため鏡研ぎ職人が定期的に家を回って研ぎ直していました。2~3か月に一度、とのこやミョウバン・梅酢などで磨き、必要があれば水銀と錫のアマルガムでメッキをするそうです。
資料館には13面の柄鏡がありますが、そのすべてが作者を藤原とする鏡です。中には「天下一松村因幡守藤原義信」とか「天下一清水河内守藤原宗光」などの長い銘を持つものもあります。これらの長い銘を入れるのは江戸時代後期に流行ったのだそうです。
今回13面の鏡すべてを拓本にとりました。すると、それまで錆などにじゃまされて見えなかった文様がくっきりと見えるのです。文様を見るには写真よりいい方法化もしれません。
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