端午の節句飾り
富子だけんど、昨日はやたら暑かったじゃんね。まったくなにょう着ていいだか、困っちもうよう。今日は曇りっぴで、また天気が悪くなるずらか。
うちでも孫が生まれたから、お節句の飾りをしてみとうさ。こいのぼりも、五月人形もうちの弟のうちのもんをもらったから、年代もんだよ。そうはいってもまだ20何年しかたっちゃあいんけんどね。それでも今のもんとはえらくちごう(違う)よ。
この頃ほんとに鯉のぼりも幟旗も見んじゃんね。昔はどこのうちでも屋根より高くあげたもんどうけんど、今は3mくれえのベランダ用の鯉のぼりをあげるから、外からじゃあわからんじゃんね。せんだって市川三郷町で、幟旗と鯉のぼりがセットで立ってるのを久しぶりで見たさ。幟にはちゃんと家紋が二つへえって(入って)たよ。
鯉のぼりも幟旗も、男の子の誕生を知らせて、神さんに来てもろう依り代として高くあげるだっちゅうよ。神さんに、ここに子どもがいるから、早く来て守ってくりょうって。
江戸時代、武家の家では幟旗をたてて、立身出世や武運長久を願っただって。それに対抗して、庶民の家じゃあ五色の吹き流しを飾るようになっただって。それがだんだん鯉のぼりに変わっていくだね。ほうして竿の上にも矢車がくっつくようになって、どんどん流行が変わって行くだよね。
矢車がつくめえは(前は)何んついてたずらかと思ったら、どうも丸く編んだ駕籠がついてたらしいだよね。20何年めえの(前の)五月人形にもついてるし、善光寺の御開帳に行ったら五色の吹き流しがいっぺえ立ってて、それにも丸い駕籠がついてたさ。江戸時代の終わり頃に「駕籠玉」って呼んではやり始めたらしいよ。しかも金色に塗って、派手にしただって。確かに五月人形の駕籠も金色に塗ってあるね。今矢車と一緒にくるくる回ってる球は、そのなごりだって。
矢車ん流行りだしたのは、昭和30年ころかららしいよ。駕籠玉のめえ(前)は何んついてたずらと思ったら、榊や杉なんかの枝を結びっつけて鯉をあげてただって。
少子化だし、鯉のぼりをあげるにゃあ場所もいるし、金もかかるし、なかなかえらいこんだけんど、あげてやれば子どもも、親も、じいちゃんばあちゃんもうれしいよね。鯉のぼりんあがってるのを見ると、まわりの人も元気になる気んするよね。
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