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2015年3月25日 (水)

ミニ企画展 「鏡」 (1)

有力な豪族の宝物・祭事の器(弥生時代・古墳時代)

弥生時代から古墳時代の遺跡で多くの銅鏡が発掘されています。出土する鏡は大陸からの輸入品である舶載鏡と、それをまねして作った国産の仿製鏡があります。弥生時代に甕棺に副葬された銅鏡は宝物として珍重されたり、不老長寿の祈りを込めた文が鋳出されたり、その鏡を持った人の子孫も繁栄が約束されたりするというものでした。日本海を越えてはるばる中国からもたらされる銅鏡は、だれでも所有できるわけではありません。ごく限られた有力者や、司祭者に限られていました。

古墳時代も墓に銅鏡を副葬するという風習は続きます。中には30枚以上の鏡を副葬した古墳もあります。中国でも鏡を副葬しましたが、日本と違って1~2枚でした。『魏志倭人伝』には、「卑弥呼の好きなものを使者に持たせた」と書かれていて、銅鏡百枚も下賜されています。日本人はかなりの鏡好きだったようです。

鏡と言えば『古事記』の天岩戸の話が有名ですが、『日本書紀』では大和武尊が船の舳先に鏡をつけて進軍したことや、神宮皇后が船に榊の木を立てそれに鏡や玉をつるして進軍したことが書かれており、鏡は軍の先頭を行く霊力のあるものとも考えられたのでしょう。

Dscn69712 「乳文鏡」(浅利諏訪神社蔵)

今回のミニ企画展に展示されている唯一の古墳時代の鏡は「乳文鏡」です。

江戸時代後期の紀行文『並山日記』(黒川春村著)に浅利諏訪神社に秘蔵されていた鏡などのことが色彩画をともなって書かれています。山梨県史編纂にあたって『並山日記』に書かれた鏡などの調査をした結果、諏訪神社の宮司も知らなかったこれらの宝物の存在が確認されました。

『並山日記』には4枚の鏡があったとされていますが、現在は1枚のみが保存されています。直径7.1cmの「乳文鏡」で、文様は二重の櫛の歯のような文様の内側に4つの乳を均等に配し、乳からはわらび手文が伸びています。(乳というのは、いぼのような突起をいいます。わらび手というのは、山菜のわらびが芽吹いたときのような形の文様です。ただ、鋳造がよくないので、乳の一つは見えません。)

5世紀末から6世紀のもので、神社の周辺分布する古墳から開墾によって出土したものが住民によって神社に奉納されたものだろうと思われます。

神社の神宝ですので普段は神社の奥深くにしまわれています。今回特別に貸していただいたのでこの機会にご覧ください。

Dscn69742 「乳文鏡」の鏡面

古墳時代の鏡を知ることのできるもう一つの展示品は、「三珠大塚古墳六鈴鏡の模造品」です。これは山梨県立考古博物館で作製したものです。できたての鏡はこんな感じなのだということがわかっていただけるかと思います。

Dscn69692 「六鈴鏡模造品」

鈴鏡は鏡の縁に鈴をつけたもので、日本でしか発見されないことから、日本で独自に成立したものと考えられています。付けられている鈴の数は鏡によって異なり、4~10個です。古墳時代後期を中心に製作されたもので、関東地方からの出土例が多く知られています。巫女埴輪の腰に下げられていることから、祭儀のなかで巫女が体をゆすって踊ることにより鳴らしたのだろうと考えられています。

大塚古墳の「六鈴鏡」は1996年の発掘により前方部から出土しました。鏡の直径は11.4cm、鈴の直径は1.9cmです。地金は白銅と呼ばれる、銅と錫の合金で、青銅より錫の割合が高いものをいいます。櫛の歯の文様と二重の波線の文様に囲まれた内側には6つの乳を配していて、それぞれの乳からはわらび手が伸びています。内側の文様は諏訪神社の鏡と似ているといえるでしょう。やはり5世紀末から6世紀の鏡です。

出土した「六鈴鏡」の本物は、市川三郷町の資料館で見ることができます。

 

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