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2015年3月 8日 (日)

4月3日のひなまつりにはお重をもって出かけよう!

Photoこんにちは、まゆこです。

甲州のひな祭りは現在でも旧暦にならって、四月三日に行う伝統が残っています。昭和40年代初めごろまでの甲府盆地周辺の農村では、これから田植えや春蚕の準備に忙しくなる時期を前に、43日のひなまつりに、ごちそうを重箱に詰めて地域の小高い丘や塚、河原に出かけ、盆地中が桜や桃花に彩られる春を謳歌するという行事がひろく行われてきました。

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 現在ではほとんど行われていない行事のようなのですが、館長の本棚にある『山梨県民俗地図~山梨県民俗文化財分布調査報告書~(昭和60330日)』を開いてみると、

その分布図には、現在の中央市・市川三郷町・昭和町・甲斐市・韮崎市・甲府市南部・笛吹市・山梨市・甲州市・大月市・都留市に、ひな祭りの野遊び風習を示すドットが記されています。

43日のひなまつりにお重を持ってピクニック?」だなんて、とっても楽しそうな風習だなぁと思っていたまゆこ。ちょうど同じ頃、「広報ちゅうおう」を作成している中央市広聴広報課職員kさんも、この地域独特の桃の節句を題材に特集記事を組みたいとのことでしたので、協力して取材をすることになりました。

 そこで、子供のころから現中央市内に住んでいる人で、ひなまつりの野遊び経験をしたことのある方々にお話を伺うとともに、小正月のお飾り作りの取材でもお世話になった水上のおばあちゃん、その娘さんに、昔桃の節句に山に持っていったというお重の中身を再現してもらうこともできました。

今回は、中央市の「広報ちゅうおう」担当職員とともに取材した、山梨で昭和40年代初め頃まで行われていたという四月三日のひな祭りに行う「野遊び」の実態について、ご紹介したいと思います。

099a8451_2 まず一人目の証言者は、現在でも自分の初節句に贈られた御殿びなを毎年大切に飾っている昭和3年生まれのともゑおばあちゃんです。

43日は新学期のはじまったばかりで、学校から半日で帰ってくると、机の上にひとつづつ風呂敷で包まれたお重が、姉妹の数、用意されていました。

お母さんが忙しい合間をぬって、この日のために手間をかけて作ったいくつものおかずをお重に詰めて、一人一人がそれぞれ別々に持っていけるようにこしらえてくれたものでした。

子ども心に、自分ひとり専用のお重を持って行けることがうれしくて、お母さんに感謝したものです。

お重の中には、「巻きずし」や「おいなりさん」、「煮あげ」といって人参・大根・ユリ根・牛蒡などを飾り切りしてそれぞれがきれいな色が出るよう素材ごとに別々に煮た煮物、寒天を煮溶かして紅白に色を重ねて固めた「ようかん」、「つぼ(タニシ)の卵とじ」等がきれいに入っていました。どのおかずも普段のものとは違って手間のかかるものばかりでね。つぼ(タニシ)なんかは、一週間前から田んぼでひろって水に漬けて泥吐きさせたものを茹でて味付けして、卵でとじるのですから、大変なことです。女の子ばっかり6人もいて、よくお母さんがやってくれたもんだと思いますよ。

それと、米を煮ておかゆから作った甘酒も瓶に入れて必ず持っていきました。昔は瓶が貴重でね。家にある空き瓶もいろんな大きさのものが限られた数しかなかったので、姉妹でどの瓶を誰が使うかでよくケンカになりましたよ。

それから、近所の同級生の女の子何人かと約束して近所の小高い丘に集まってお重を開くのですが、お互いのお重の中身を見せ合っこして、「これとこれ、くみっこ!」と言っては、おかずを交換し合うのがとても楽しかったです。でも、だいぶ昔の話だねぇ。まったく夢のように年が過ぎちもう。』と話してくれました。

 お話を聞いた後は、お重を開いた見晴らしの良い丘にも案内してもらいました。

 

次は現在88歳の水上の寿美子おばあちゃんからの聞き取りです。

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43日のひな祭りは、1年の内にある行事の中でも子供にとっては一番の楽しみな日でね。

 毎年、一人1段づつ風呂敷に包んだお重を用意してもらって、子供たちだけで出かけました。

 お姉さんたちについてきた男の子たちも何人か一緒に行きましたよ。

 お重を広げるのは一カ所じゃなくて、お山の神さんの近くの山で少し食べたら、また風呂敷に包んで移動して、浅利与一のお墓の前とか、色々と移動してはその度にお重を開けて、その時合流したグループの子とおかずを交換して、日が暮れるまで楽しみましたよ(昭和8年~18年位)』

 

もう一人は、年代を変えて、寿美子おばあちゃんの次女のしげみさん(昭和30年代後半~40年代頃)にもお話を聞きました。

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『子供たちだけで、お重の風呂敷包みを持ってみんなで眺めの良い場所を求めて山に登るのですが、ちょうど43日あたりは山にも「ふきのとう」が出ていて、摘みながら行きましたよ。

3人姉妹だったので、母が3人分のお重をいつも用意してくれていました。いつもより手間のかかるおかずがいっぱいに詰めてありました。

 甘い「ようかん」や「おまんじゅう」はこどもが大好きなので真っ先にお重から消えました。でも、「煮あげ」の里いもなんかは最後まで残っていたので、もう暗くなりそうになって急いで山道を駆け下りてくる時は、風呂敷の端と端を結んでお重を背負いますが、だいたいどの子も、食べ残した里芋が中でゴロンゴロンと飛び跳ねる音がして、おかしかったです。ほんとうに楽しい思い出です。

 いまでも同級生とひなまつりにまつわるたくさんの思い出話をすると、花が咲きます。それぞれの家庭でおかあさんが子供たちを喜ばせようと一生懸命用意してくれたお重を、自慢し合いながら友達同士で見せ合っこしてね。おかずを交換すると、いつも食べている母の味とは違う他の家の味も堪能できて、面白かったです。

 私はこの行事が楽しくて大好きで、中学生になっても近所の子供達と一緒に参加していましたよ!』

 そして次は、お話を聞かせてくれた、寿美子さん、しげみさん母娘が再現してくださった昭和30年代の「ひなまつりのお重」の中身をご紹介しましょう♪

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中身は、右上から時計回りに、

①「巻きずし」具は、ちくわ・油揚げ・しいたけ・芋のツル(里芋の茎)・卵焼き・でんぶ入り 

②「煮あげ」人参・牛蒡・こんにゃく・さといもを別々に煮たもの

③「ゆで卵」卵焼きの場合もよくあった

④「ようかん」いわゆる水ようかんのことで、食紅などで色をつけたり、甘く似た小豆やあんこ、溶き卵、缶詰のみかんなども寒天液と一緒に流し固めて華やかにつくった

⑤「おまんじゅう」芽吹いたばかりのよもぎの若葉を摘んでつくったよもぎもち・中にあんこたっぷりの大福
                                     

 どれもおいしそうで、手間のかかったものばかりでした。「巻きずし」は「おいなりさん」にかわることもありましたが、「煮あげ」と「ようかん」はどの子のお重にも必ず入っていたとのこと。中でも「ようかん」はひな祭りのお重のごちそうの花形で、様々に工夫して作ることができ見た目も美しいし、甘くて口当たりが良いので子供たちは大好き。友達とも交換できるように多めに詰めてもらったそうです。

 この写真のお重、撮影の後はたいへんおいしくいただきました。いくら食いしん坊のまゆこでも独り占めせずに、女の子じゃない市広聴広報課Kさんと館長にも分けてあげましたよ♪

 ≪中央市広聴広報課Kさんが担当した「広報ちゅうおう平成273月号」のひなまつり特集は、市HPでも見ることができます。是非、ご覧ください!≫

Dsc_1548←しげみさんに教えてもらって、まゆこが作った「ようかん」 右端のものは溶き卵入り キレイでしょ~♪

さて、こんなにも楽しくて子供たちの心を躍らせた旧来のひなまつり風景を、現在の中央市内で見ることはありません。

山梨県ではどうやら昭和30年代後半を境に、地域で旧来行われてきた風習や行事が急速に失われていったことが分かります。2月のはじめに当館で再現した地域独特の節分豆まきもそうでした。その他に、七夕人形や十日夜、小正月行事もそうです。 

現在では全く行われていないけれども昭和30年代以前までさかんに行っていた地域独特の楽しい行事を、今はまだ、まゆこたちにいきいきと思い出深く語ってくれる方々が中央市にいらっしゃるので、本当に幸せだと感じています。しかし、あと十年もしないうちに、状況も変わっていくと思います。今のうちに地域の財産となる貴重なお話をなるべくたくさん記録しておく必要性を、最近強く感じているまゆこです。

まゆこ

 

 

 

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