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2015年2月 6日 (金)

桃の節句に飾られなくなったお人形

Photo

こんにちは、まゆこです。

Dsc_1490 

ここ山梨県中央市では、朝から雪がしんしんと降り積り、まるで雪国のようです。

 

しかし、午前中当館には2団体の入館があり、館内は100名ほどのお客様で大変賑やかでした。ありがたいことです。

そして午後になり、さすがにご来館されるお客様も少なくなったので、やっとまゆこも事務室の自分のデスクから、音もなく降り続く雪や窓の外の景色を眺めることができています。(この文章は平成2725日の午後、記しました)

 

 

 さて、シルクの里公園の雪景色とは対照的に、館内では春をよぶ「ひな人形展」が艶やかに開催されています。

 本日は、その中から戦前までよく飾られていたお人形であったのに、現在の雛壇ではほとんど見かけなくなってしまったお人形たちをご紹介したいと思います。

Photo_2 先ずは、「政岡(まさおか)と鶴千代(つるちよ)」をモチーフにつくられたお人形をご紹介したいと思います。

 写真の資料は土を型に押して焼いた土雛(土人形)ですが、この他にも張りぼて人形など、「政岡と鶴千代」モチーフのお人形は3体も常設展示室にあります。

 調べてみると、このモチーフの二人は「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」という有名な歌舞伎演目の登場人物だということがわかりました。

「政岡」は乳母として仕える幼い主君の命を守るため、我が子を犠牲にしてまで忠義を尽くす女性。 写真左、政岡に手をひかれているのがその幼君である「鶴千代」です。

 芝居では、幼い主君「鶴千代」の乳母として仕えている「政岡」は実子の「仙松」をともに育て、主君の毒見役としていましたが、ある日とうとう陰謀により、毒入り菓子を口にすることになってしまった我が子「仙松」。 しかし、政岡は仙松が苦しむ様子に胸を痛めながらも、我が子を助けようとはせずに、幼い主君の命を第一にそばについて立派に守り通します。

 この演目は、「伊達騒動」とよばれる江戸時代前期に仙台藩で起こったお家騒動をモデルにしているそうです。

 

Dsc_1511 常設展示室内に2体ある「政岡と鶴千代」像は政岡が鶴千代を肩に担ぎあげている。

 現代の私たちからすると、「我が子の命を犠牲にしてまで職務を全うする女性像を尊ぶ」ということへの理解はむずかしいです。せめて仙松の姿もこのモチーフに加えて欲しいですよね。

 しかし、人情に流されることなく主君への忠義を尽くす姿は、武士の時代とその後の戦前の軍国主義下では称賛される女性像であったようで、桃の節句に飾られる代表的なお人形の一つだったようです。

 その他戦前までの雛壇には記紀伝承上の女性もよく飾られていたようです。Dsc_1502

「神功皇后」や「玉津島明神」などがモチーフと思われるお人形も当館ひな人形展では多数お出ましいただいております。

「神功皇后(じんぐうこうごう)」は大和政権の初期に活躍したという皇后で、応神天皇を身ごもったまま武内宿祢とともに新羅を攻略したといわれています。

 勇猛果敢な女性の鏡とされていたのだと思います。

 このお人形は身ごもった女性の姿を表現するためお腹がちゃんと膨らませてあるのですぐにわかります。

Dsc_1506_3「玉津島明神(たまつしまみょうじん)」

「玉津島明神」は和歌を守護する三柱の神(他に住吉明神・柿本人麻呂)の一人で、「衣通姫(そとおりひめ)」とも呼ばれ、美しさが衣を通して輝いたといわれる神さまです。

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ひな人形や調度をセット販売することが盛んになる大正終わりごろまでは、現在の雛壇ではまず見かけることのないお人形たちがたくさんいらっしゃいました。

 

 

 

 

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当館ひな人形展では、町娘などの庶民をモチーフとしたお人形も多数あります。

それらのお人形たちのお顔もじっくり見てみるのも、楽しいですよ!

 

まゆこ

 

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