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2015年1月20日 (火)

伝浅利与一公印

Dscn66911 伝浅利与一公印と印影

浅利与一公の印と伝えられるこの印は、長い間展示してありましたが、文面はわかりませんでした。先日新しい与一公の遺物を展示するにあたって、今まで展示してあったものを見直してみたのですが、この印に何と彫ってあるかわからないということがわかったのです。

                             

篆書体であることは想像できましたので、いろいろ調べてみたのですが、どうしてもわかりません。だいたいどっちが上でどっちが下かもわからないのです。そこでハンコのことはハンコ屋さんに聞くのが一番と、ハンコの町六郷(現在は市川三郷町)の知り合いを頼って聞いてもらいました。するとたちどころになんと書いてあるかわかったのです。

 

この印には「文行忠信」と彫ってあったのです。「文行忠信」とはどういうことなのかも教えていただきました。「文行忠信」というのは『論語』のなかのことばで、漢文では「子以四教 文行忠信」とあります。その意味は「孔子は4つの大事なことを教えてくれました。それは文行忠信です。」となります。

篆書では下のようになります。

 PhotoPhoto_6Photo_3Photo_4

とは、読書し学ぶことです。

行とは、実践することです。

忠とは、誠実にふるまうことです。

信とは、信義を)守ることです。

これは孔子の理想とする君子像です。座右の銘を印鑑にしたということでしょうが、こうなるとはたして誰の印かということになります。

Dscn66852 伝与一公印の印面

 

 浅利与一はご承知のように平安時代から鎌倉時代にかけて生きた人です。当然孔子の教えは日本に伝わってはいましたが、日本では科挙制度が取り入れられなかったため儒教の価値は定着せず衰退していました。その後、鎌倉時代の初めごろからなかばにかけて朱子学が禅宗の僧によって伝えられ、仏教の僧が学ぶたしなみとなります。江戸時代になると儒と仏は分離し、武家層を中心に定着します。したがって浅利与一の時代に儒教の言葉を印鑑にするということは可能性が低いと思われます。

Dscn66903 獅子をかたどった鈕(正面)
 

 それでは印鑑の形式からするとどうでしょう。古代の印鑑で有名なものは志賀島の金印ですが、これは中国で作られた印鑑です。中国の官印制度が導入された奈良時代には私印は許されていませんでした。官印は四角く薄い印面をもち、鈕は打ち出の小槌の持ち手のようなものがついているのが一般的です。その後貴族には私印も認められるようになりますが、平安時代の中期から花押が広く用いられるようになります。戦国時代になると花押とともに私印が盛んに用いられるようになります。織田信長の「天下布武」の印や、武田信玄の龍の印などは有名です。この時代、印面の文字や絵、印面の形もさまざまな印鑑が作られます。江戸時代になると自分の名前を彫った印ばかりになりますが、この時代は吉語、成語、呪文の印がたくさん用いられます。印面はこの時代のものによく似ていると思われます。

Dscn66824 獅子の鈕(横から)

全体の形は糸印と呼ばれる印鑑に似ています。鈕は獅子の形をしていてたてがみなども表現されていますが、それほど丁寧な作りではありません。印面の直径は3cmで、高さは3.5cm、重さは59gです。銅製で、鈕と印面は別々に作られ、あとで接合したようです。しかし、中は中空ではありません。重さはずっしりとありますし、糸印のように読めない文字が書かれているわけではありませんから、糸印ではないと思われます。印面には朱肉がこびりついています。糸印は戦国時代の武将も使っていますから、似ているものを作っていることも考えられます。

今のところわかっていることは、ここまでで、いつの時代の誰が使った印鑑かは、はっきりとはわかりません。大福寺のお坊さんか、ゆかりの武将か、いずれにしても高い教養を持った人の印鑑だろうと想像をふくらましているところです。

  

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