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2014年11月20日 (木)

与一公の掛け軸位牌と安産石

 ある日のこと館長が探し物をするために収蔵庫にこもりました。めでたく探し物も見つかりま したが、副産物として素晴らしいものが見つかりました。

 それは浅利与一公にまつわる遺品で、平成9年に飯室嘉之さんから寄贈された、「掛け軸位牌」と「安産石」です。掛け軸位牌には中央に「大福寺殿一箭存與大居士 尊霊」とあります。

 右側にはそれより小さな字で建久六乙卯年、左側には十月秋(初?)七日とあります。これが命日であるとすると、浅利山法久寺蔵の位牌にある「承久三巳年九月七日逝年七三才」とはずいぶん違います。建久六年は1195年で、承久三年というのは1221年のことです。建久六年の干支は乙卯ですし、承久三年は辛巳ですので、干支はあっています。

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 しかし建久六年にはまだ源頼朝が健在で、板額御前たちの城氏による反乱(1201年)はまだ起きておらず、『吾妻鑑』に書かれた「板額の嫁取り」もまだ先の話になります。

 十月の下の文字は「秋」に見えますが、旧暦の十月は秋ではなく冬である点も不思議です。

 というわけでなぞの多い位牌が発見されたので、この謎を解く楽しみがふえたというわけです。

 もう一つ見つかったのは、「安産石」で、一緒に箱に入っていた『峡中家歴鑑』という明治24年に発行された本によると、飯室嘉一郎の項に次のようないわれがあると書いてあります。

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 「浅利与一が海戦で戦ったとき、敵の銃丸が与一の乗る船の舷側を貫いて船内に落ちた。与一が見てみるとそれは小さな玉だった。不思議なことにその玉が落ちたと同じ時刻に、郷里にいた与一の妻が男子を出産したという。それ以来この玉を飯室家の家宝として伝え、現在に至っている。世の人はこれ『産守玉』と呼び、産婦がこれを懐に入れておくと安産になると言われ、近隣の村々からも貸してほしいという依頼が殺到した」

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 飯室家は浅利与一の子孫の家と言われ、ほかに薬袋・中沢・下条氏などが知られています。海戦というのは源平合戦のことで、『平家物語』には壇ノ浦の戦いでの与一の活躍がのっていますが、これも義経とともに平家を西へ追いつめる戦いのうちの一幕と思われます。

 銃丸というのは投石器による石のこととでしょう。実際、古代の武器には中国の弩や投石器をまねた武器が使われていたようです。

 この頃与一は30代で、妻が出産したのでしょう。この石が本当に源平合戦のときの石かどうかは定かではありませんが、このような言い伝えが残り、安産のお守りとして村人に貸し出されたということは大変興味深いことです。

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