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2014年10月24日 (金)

ミニ企画展「重さをはかる」(2)

今回のミニ展示に何を展示しようか考えているときに、以前「旅」の展示で使った小さい棹秤のことがまず頭に浮かびました。江戸時代の人が旅に出るときの必需品の中に「秤」があったからです。ところが今回秤に焦点を当てて調べていくうちに、さまざまなことがわかってきました。

旅行用だから小さかったわけではなく、携帯用だから小さかったのです。江戸時代のお金には金貨・銀貨・銭がありましたが、銀貨は秤量貨幣といって価値が重さではかられたのです。銭なら2文とか3文とか今と同じように支払うことができますが、銀は2匁とか3匁というように重さで支払うのです。だから支払う側は自分の秤を取り出して銀の重さをはかり相手に渡します。すると受け取った側も自分の秤で受け取った銀の重さをはかるわけです。今もお金を払うときは自分もお金を数えますし、渡された人も確かめますが、それを秤で行っていたということです。

Dscn62162_2 「守随家」の銀ばかり(れいてんぐ)

 

ですので、上のような秤を銀ばかりといいます。少ない重さでもはかれるので「れいてんぐ」とも呼ばれます。

 

どの国でも支配者は度量衡の統一をするものですが、江戸幕府もそうでした。直接的には江戸幕府の認可を受けた御用商人が秤の製造・販売・検査などの権利を独占したのです。江戸に東日本を管轄する「守随家」が置かれ、京都に西日本を管轄する「神家」が置かれ、それぞれ33か国ずつ受け持ちました。

Dscn61242 刻印の押された「守随家」の銀ばかりの皿

Dscn61252 「守随」と刻印のある銀ばかりの錘

「守随家」はもと甲斐武田氏に仕えた秤師で、武田滅亡後に徳川家康に仕え、江戸開府と同時に江戸に出て、関八州の秤の責任者に任命されました。武田氏は金山開発を行ったので、金の重さを正確にはかる秤師の技術が必要だったのです。

 

Dscn62172 「神家」の銀ばかり(れいてんぐ)

Dscn61202 刻印のある「神家」の銀ばかりの皿

Dscn61222 「神善四郎」と刻印のある神家の銀ばかりの錘

秤は幕府の厳しい統制下に置かれ、にせ秤を作った者は重罪が課せられ、秤を直すことも勝手にはできませんでした。そしておよそ10年に一度は秤のチェックがあり、正常な秤には検印が押され、悪い秤は廃棄させられました。現在も2年に一度の検査があります。もちろん江戸だけではできませんので、各国に支店がおかれました。

「守随家」の子孫の方は現在も名古屋で計量機器の会社を営んでいます。「神家」の子孫の方も京都にいて、秤の資料については京都市歴史資料館に寄託されています。

 

 

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